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「赦しってどういうものだと思う?」
私が質問すると、聖一さんは「君はどう思うの?」と逆に尋ねて来た。私は「正直わからない。それが大切だという宗教的な概念は知っている。けれど、自分自身ではそんなの役に立たないよ、って思っている」そう言ってから、続けた。
「……それは他者から与えてもらうものではないのではないかって思っているところが、どこかにあるのかも──自分の罪は自分がよく知っている。だから、本当は自分で自分が赦せるまで、それに深く向き合ったり、同じことの繰り返しをしない道を拓いたり、真摯に償ったり、そうしているうちに、ある時自然にそれは訪れるものなんじゃないのかって気がする。自分で自分を赦せるときが自然に訪れる、そのときまでは深く静かに自分自身で向き合い続ける必要のあるものがひとにはあって、その先に訪れるもの。そうした自然から訪れる現象としてのものが真実なんじゃないかって気がするから。
人からもらうものではないし、与えるものでもなく。誰かからもらってよしとするようなものは、中身が本当にそれに値するのかどうしても疑問に思ってしまう。社会規範としての一定のここまで、という客観的な線引きが必要なのは知っているけれど、それはあくまでも共同体に必要な最低限のラインのものであって、それで自分はゆるされた、と思うのも違うように思うし、誰かを赦すことや赦しを強要されるのも違うと思う」
──うまく言えないけれど、と私は付け足した。赦しという概念に対しての私のこのもやもやした感じは昔からずっとあって、罰当たりなのかもしれないな、とはわかってはいるんだけれど、私の体の奥でそれに対して NO をずっとを言っている何かがあって、大きくなって色んなことを少し学んだ今に至っても、それは私のずっと奥の核のように深く静かに坐っている気がする。それが何故なのか、何なのかは自分でもわからないけれど。
聖一さんは私をじっと見つめていた。それから言った。
「何か権威から赦しを与えられることで、本当にその人自身が自分で真摯に向き合うべき課題や力や時間を奪っているのではないか、ってことが言いたいんでしょう?」
私は、彼を見つめた。
「なんでわかるの」
彼は笑った。
「君の考えそうなことだから、かな?」
聖一さんが今、言葉にしてくれて、そうして、私はやっと、このもやもやの正体が自分でもわかった。それに軽い感動とショックと畏敬の念の様なものを感じていたら、彼は言った。
「本当ならそれによって、そのひとのもつ新しい可能性や潜在力や、自分自身で未来を切り拓く力を深く静かに育んでいこくことのできる、その人自身の深い人間的な資質の土壌になるべきものを奪ってしまっている。それは人が考えるよりもずっと深い深いところでの魂の癒しでもあるのに、そうして依存させてしまっている、本来の成熟の可能性を阻んで、ひとを未成熟なままでとどまらせてしまっている、それを言いたいんでしょう?」
私は頷いた。そうそう、と。
「何故こんなことを考えるのか自分でもわからないのだけれど、これは昔から思っていたの、というか、感じていた、という方がいいのかな、ここ、私の体の奥からずっとそれに対して、NO! って言っている感じ」
以前、彼が丹田と言った場所。核が籠もっているという場所を手のひらで軽く押さえながら私は言った。聖一さんは笑って言った。
「だって、それこそが僕らが遥か昔、ずっとずっと昔に取り組んでいた魂の課題だもの。神殿の権威を使って支配層がそうやって人々を子供の様な未成熟な状態に敢えて止まらせることで、コントロールをしていたから。操作しやすいように、支配しやすいように、本当に人が持つ潜在力を発揮させない様にしていたからね。
君の体の方がそれを知っていたんだよ」
──そっか。そうだったのか。何となく腹の虫がおさまって来た感じ。
「はじめはそうではなかったと思うけれど、長い歴史のうちに都合よく改変されてしまったか、本来のものが別のものに取り違えられてしまったのか──そういう事はよくあることだよ。本来はそれは向こう岸へ渡す為の橋(手段)だったものがいつの間にか、橋そのものが本質だという事に取り違えられてしまう、とかね。
この世界で云う「空」の概念なんかも同じ。本来はこれも手段だった。向こう岸へ渡す為の橋、手段、その為の技術、それは本当は、月を指す指だったんだけれど、いつの間にか指し示された月を見るのではなく、指の方が本質のようになってしまった。すり替わってしまったんだ。
逆に言えばそれくらい本質を見ることや掴む事は隠されているとも言えるし、なかなかそこに気づけないものでもあるのかもしれない」
私はちょっと辛辣で生意気かな、と自分でも思いながらも、言った。だって本当にそうだと思うから。
「でもそれは、どこかで安易に物事を済まそうとしている何かがそこにあるからだと思う。本当に真摯に本質を深く掴もうとしていない。浅薄なところで都合よく利益だけを得ようとするような心がそこにあるからだと思うよ」
甘さと狡さのようなもの──それは本当に、自分自身でも気づかないような微かなもの、僅かなものかもしれないけれど、でも、真ではないもの。真実よりも利を優先するもの。そうしたものがあるからだと思う。
「私は、安易な優しさとか赦しは、本当は人を酩酊させて、そのひと本来の能力や可能性を潰したり、拓かせないようにするためのものにしか思えない。それは本当ならその人が実現できたはずの高い潜在能力や生きていく為の力、本能や野性の力、独自の新しい未来を切り拓く力まで弱らせてしまうと思う」
私がきっぱりとそう言うと、聖一さんはあの透明な眼差しで私をじっと見つめていた。それから、「……わかるよ」と言った。
「僕は君が言う事は真実だと知っているけれど、それを本当に受け容れることのできる人はごく少数の人、自分の力や足で、深い苦しみや悲しみを抱えて自分の道を一人歩いて来た人にしか響かないという事も知っている。だから、多分君はとても苦労するだろうともわかっている。君自身が間違っている様に思わされてしまう事もあると思う。誤解もされるだろうし、足を引っ張る人もいると思う。でも、君はその自分自身の羅針盤を見失ってはいけない。何が真実なのかわからなくさせられてしまう事が沢山あると思う。そんなときは、今日こうして、君は君自身の感覚に誠実に沿って自分の思う事を僕に素直にちゃんと語った事を思い出して。
もしかしたらそれ自体が君自身の未来に向けての言葉かもしれないでしょう。
いつか、自分の言葉を自分で思いだして、それに助けられることもあるかもしれない。
人間って、それくらい現実や状況に呑まれてしまうと、本来の自分が知っていたことや分かっていた事さえ忘れてしまうものなんだよ。見失ってしまうものなんだ。でも、心のどこかではきっと忘れないでいる部分もあるはず。迷ったり道を見失った時には、僕とこうして話したことを思い出してほしい。僕が話した事よりも、君自身が僕に言った事を思い出してほしい。そうして自分自身の羅針盤を見失わないでいて」
──私は何となく、以前の海の事を思い出していた(※第3章 18参照)。今こうして聖一さんが言ってくれている様に、私自身もあの時の海の様に、自分自身で言っていた事、決めた事を忘れてしまう事もあるかもしれない──そう改めて気づいたのだった。
「実際にその場になってみないとわからないことだけれど、でも約束するよ。もしかしたら思い出すのに時間がかかる事があるかもしれないけれど、約束する。それに、聖一さんの話してくれたことも忘れないよ」
私がそう言うと、彼は「約束」と言って、小指を出した。
え? まさか、指切りげんまん?? うそついたら~ってやつ?? ちょっとどきどきしつつ、小指を出したら、彼は小指と小指をからめて「僕の言う通りに言って」と言ってから、「絶対に諦めない」。
「絶対に諦めない」
「転んでも立ち上がる」
「転んでも立ち上がる」
「私は道を拓くことができる」
「私は道を拓くことができる」
そうして、彼はにこっとした。そうして指を絡めたままで「約束」ともう一回言って、指を離した。
「何かのおまじない?」
「そんな感じ」
「ちょっと聖一さんが、ゆびきりげーんまーん、って言うのかと思って期待しちゃったよ」
「それもいいかもね」
彼は笑ってそう言いながら、「そろそろ戻ろうか」と私を促した。
「そう言えば、答えてもらっていないんだけど。聖一さんにとっての赦しって何? どういうものだと思っているの?」
彼の後ろからシャツの裾を捉まえて言ったら、彼は振り向いて、彼のシャツを掴んでいる私の手を見つめた。
「あ、ごめんなさい」
ぱっと手を離すと、彼は身を屈め、私の右の耳元で囁くように言った。
「君は本当に強い魂の子なんだよ。本当にね。だから何があっても立ち上がることができる。自分の道を拓くことができる。わすれないで」
それだけ言って、体を離した。
私は真っ赤になって、自分の右の耳を抑えて彼を見つめた。
彼のウッドノートのコロンの香りと、耳元で囁かれた声の感触が残っている。
かあっと全身が紅潮してほてっているのが自分でもわかった。
聖一さんは私を見て、ちょっとだけ、くすっと笑った。
「これでもう忘れないかな?」
からかわれた? 軽くパニックになりながら私はこくこく頷いた。
ちょっとした微妙な空気が流れたように思った。
でも次の瞬間には、いつも通りに戻っていた。
「僕にとっての赦しは、そのまま、在るものを在ると認めること、認識することかな。行為の許容や免罪でもなくて、全て水に流してチャラにするでも責任の不問でもなくて、ちゃんと在るものを、それがそのように在ること、それをそのまま識ること。存在を認めること。意識の陰に追いやられていたものの存在をちゃんと認識すること。そこからすべてが始まると思うから」
「そう言えば、前にも教えてもらっていたかもしれない。自分で自分を赦すことはそういう事だって」
私がそう言うと、彼は言った。
「自然のプロセスや時間にゆだねること。問題が問題として熟すまで抱えていること。そうして答えを育んでいくこと──それが根の深いものであったり、大きなものであったりするなら、尚更、時間がかかる。一朝一夕にというわけにはいかない。大切なのはそれがそのようにあること、それをそのまま、ちゃんと識るということなんだよ。罪の状態や、罪というものに対しても、それがどの様にそうあるのか、そうであったのか、自分でしか知り得ないことがそこにあるから。それに深く向き合えなければ、同じ過ちを繰り返してしまうでしょう。罪の状態や罪というものがあるのなら、どうやってそれを治めていくのか、同じ過ちを繰り返さない道を切り拓くにはどうすればいいのか、君が言うように、それにひとり真摯に向き合い続ける必要のあるものがあって、そうしてその先に現象としての赦しや解放が訪れる──それはつまり、そのひとが自分自身の課題をやり遂げたことを意味する。こうした一連のプロセスそのものを君は本当の赦しだと言いたいんでしょう?」
私は頷いた。
「そうなの。でも、今は何だかあまりにも、薄っぺらいって言ったら失礼なのかもしれないけれど、赦しというもの自体が安っぽい何かにすり替わってしまっているみたいに感じてしまう。それは、真実よりも利を優先するような何かに変わっている。時間をかけて真摯に育むものよりも効率を優先するような何か。それは、愛とか優しさとか、寛容さとか、善いと言われているものの全てに感じる。どうしてもそう感じてしまうの。その原因の一つに、それは他者から与えられるものだという、本来の軸や中心が微妙にずらされているものがあるからなのではないのかなって気がする。だから、それは本当は自分自身で時間もエネルギーもかけて育むものなんだよ、って思ってしまうの。
そうして、こっちの方が本当はもっと深刻なのかもしれないんだけれど、本来の軸を微妙にずらされているということは、自分自身の問題に真摯に向き合わずにそれを誰かや何かに責任転嫁したり、誰かや権威に依存したりして自分で責任を引き受けない代わりに相手からの支配や操作を受け容れる事や、自分が誰かや何かを支配できるところや操作ができるところでは自分がそれをしたい、自分は他者の問題に干渉してもいい、自分にはその権利がある、という発想にも繋がっているのではないかという気がする。
それは、本来ならその人が実現できたはずの成熟した能力や、本当に生きていく為の力、未知を切り拓く力や、本能や野性の力も弱らせている結果なのではないのかなって思ってしまうの」
聖一さんは私が言いたかったことを、簡潔にまとめた。
「──それではとてもではないけれど、生き残ってはいけないのではないか」
私は頷いた。彼は少し私を見つめてから、尋ねた。
「僕が海に教えていることを君は傍で見ていたでしょう?」
「うん」
「君はそれで、何に気づいた?」
「……姿勢について、集中的に教えていたように見えたけれど?」
頷いて、彼は言った。
「そう。何故なら、それは人が生きる上での根幹になるから。
身体や動物を低いものとして扱う虚偽が、宗教や色んな思想を通して広まってしまった結果、本来なら自分自身の魂を納める神聖な神殿も貶めるような考え方が広まってしまった。それは生命を持つものを貶めて、支配したり、エネルギーを奪う為の、それを正当化する為の、作為的な操作の一つでしかない。それそのものの自律性を尊重せずに貶めること。優劣や貴賤を刷り込む事。支配の構造を維持するにはそれらは欠かせないからね。
星の地図の円環が示していた僕らの達成課題である本来のバランスは、そんな風に細部に分断され、分裂させられ、互いに優劣貴賤を競い合ってその力や時間を互いに削り合うように、疎外するように、生活の中のあらゆる部分が設計されていた。それはこの世界も同じ。
君は海に僕が教えた事を、自分も教えてほしい、と言って、本来の身体の扱い方をあのときに自分で体験したでしょう。そうして君は、軆が在る事や生命の在る事、ただ在るという事自体がどれだけ素晴らしい事なのか、今この瞬間も身をもって味わっているでしょう?」
私は頷いた。確かに。あの時に彼に教わった、核を籠めることをなるべく意識するようにはしている。自然に無意識にできるというまでではないけれど、それでも感覚を覚えはているので、姿勢が崩れても意識すれば思い出して立て直すことができるし、姿勢が自然に整えば、身体的にも精神的にもただ在るだけで、こうして生きているだけでとても幸福だと感じる。
それはじんわりと光るように日常の何気ないぐるりのことに浸透している。そして生命を感じるものの美しさもより鮮明に感じる。それはみんな同じ仲間なのだと、草木や花や鳥や犬や猫や亀や虫や日常で出会う生きものたちとの繋がりも強く感じさせてくれている。そうした日常の静かな幸福に満たされている感じはいつもある。愛おしさとしか言いようのないそんな幸福感に満ちている、と感じる。
「存在の価値というものがあって、それはただ在る事や在り方そのものだから、行為の価値を交換するようにはできないし、それを奪う事も出来ない。行為の価値の交換を主軸に回っている世界では見過ごされてしまうものだけれど、本当はひとりひとりがそれをもっと大切にする必要のあるもの、見直していく必要のあるものなんだ。
もしひとりひとりが、ただ自分自身が在る事やこうして生きている事それ自体をきちんと自分の身体的・精神的な安定につなげることが出来るなら、その人は自分の人生の課題に対しても自身が持つ潜在能力を発揮して、未知の世界も自分独自の道も切り拓くことのできる、本来の自分がもつ生命力の源泉にコンセントを繋ぐように繋がることが出来るはずなんだ。
レネがよく言うように、何かや誰かを犠牲にすることや犠牲を強いることは、それ自体が自分自身の部分の分裂や疎外を推し進めることでもある。本来ならゆるやかに互いに繋がり、バランスを保ち、協力し合う関係性に在るものを、そうできない様に混乱させてしまう事を意味する。それに気づくことは大切な事だし、足元からそうした犠牲のシステムの在り方を変えていくことは、自分自身の解放にも繋がる。ずれた軸を中心に戻す事にも繋がる。
やり方は色々あると思う。姿勢から整えたり、食生活を整えたり、自分の時間をもつことを大切にしたり。
この国の伝統芸能は禅の思想や丹田を鍛えることを根幹に置いた身体操作を扱っているから、そうしたものに触れるのもいいかもしれない。この国に古くからあるもので、身体操作を扱うもの、その知識であっても役に立つと思う。実際にそれを師からを学ぶことが出来なくても、身体感覚のいい人なら知識からイメージやヒントも得られると思うから。そういう意味では熟練者の話を聴くこともいいだろうし。方法は色々ある。自分に合った方法を見つければいいだけのことだから。
ただ、根本にあるのは、こうして自分自身が軆というもの、生命の宿る神聖な神殿を頂いて在るということをちゃんと大切にすることだと思う。そしてそれは、自分自身だけではなく、その他の生命に関しても同じなのだということも忘れないことだと思う。それを使いものにしたり、されたりすることを許してしまわないことだよ」




