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ある日私の元に一通の手紙が届いた。
封筒には宛名に私の名前が書かれていただけで、宛先住所も差出人の名前も住所もなく、直接投函されたものだった。分厚い封筒のなかには十枚以上の便箋が入っていた。その手紙には要約すると次のようなことがびっしりと書かれていた。
・海と陸に近づかないこと
・彼らを誘惑しないこと
・幼馴染という特権をつかって二人につきまとうのはずるい
・二兎追うものは一兎も得ずということわざを知らないのか
はっきりいえば、いちゃもんであった。
どこの誰かもわからない相手からいわれのない因縁をつけられ絡まれているらしい。しかも家の郵便受けに直接投函されているので相手はこちらの家を知っている。
二人のファンとかかな。
聡子たちからの情報によると海と陸のファンクラブみたいなものがあるらしい。それは彼らの通う学園内に中等部時代からあり、校外にも他校生たちのグループがあるみたいだと噂は聞いていた。
腹が立つとか気味が悪いとかよりも、このようなことをする人が現実にいることや、こんなことを会った事もない知らない人から言われる(書かれる)ということやなんかに、私はただただびっくりしていた。
妄想に満ちた身勝手な悪意をただぶつけてきただけの迷惑な手紙をきちんと最後まで読んでしまったお人好しな自分にも驚きだが、とにかく驚いた。何から何までツッコミどころが多すぎて、もはやどうつっこんでいいかわからないような手紙だった。そして一番驚いたのは、この差出人が、どうやら心から自分にはこれを私に言う(書く)権利があると信じているようなことだった。
世の中には他者との距離がおかしいというか、境界線がきちんと認識できないか、もしくは、したくないのか、あるいはその両方なのかわからないけれど、そういう人がいるのだということに私は衝撃を受けていたのだ。
こうしてほしいとかこうだったらいいのにとか身勝手な妄想や願望をもつのは誰にでもあるけれど、それを堂々と他者に、まるでその相手の義務であるかのように要求する人がいるということに対しての、純粋な驚きだった。それはとても衝撃的だった。
これが小さな子どもが親とか身近な親しい人に対してわがままを言って駄々をこねる、というものであれは、よくあることだろうけれど、差出人は少なくとも私たちと同じくらいの学齢の、きちんと識字力もあるし、きれいな字も書くし、ことわざも引用(そもそも使い方がおかしいけど)する人で、しかも友人や知人ですらない見ず知らずの赤の他人レベルの関係の無さなのだ。
すごい、なんか初めての経験かも。
きれいな字で書かれたものすごい熱量の手紙を前に、私はしばらくぽかんとしていたが、とりあえず海と陸には見せておいた方がいいかなと思い、封筒にその便せんをしまった。
ふたりに言いつけてやろうというのでもなく(仮にそうであっても、ばれたら困る悪事を働く方が悪いのだが)、単純にこういう人はやばい、と何となく本能的に感じたからだった。海と陸の二人もちょっと気をつけたほうがいいのではとなんとなく思ったからだった。こういう人は自分が欲しいものを手に入れるためなら、相手の都合もお構いなしで強引なことをしそうだ。
三人で彼らの勉強部屋で夕ご飯を食べた後に、私は食後のコーヒーを準備しながら例の手紙を二人に見せた。
海と陸は読んだ後しばらく無言だった。私も何て言おうかちょっと考えながら黙ってコーヒーを飲んでいた。
「ごめん、神奈に迷惑かけないように何とかするよ」
しばらくして海がそう言った。
陸はまだ手紙を持ったままそれを凝視している。
「何とかするってどうするの?」
私が疑問に思って尋ねると、海は
「とりあえず俺らにまかせてよ。それからこんなばかげたこと気にしなくていいから」
「こんなこと言われる筋合いはないからそれを気にはしないけれど、はっきり言って、この人ちょっとおかしいと思うから、海や陸こそ気をつけたほうがいいんじゃないの」
私が思ったことをそのまま言うと、陸が、うんわかってる、と頷いた。
「断定はできないけれど、だいたい差出人の見当はついているんだ」
「そうなの?」
「これは俺らが預かってもいい?」
海が訊くので、私は別に構わないので頷いた。
「もしまた変な手紙が来たり、おかしなことがあったら教えてよ」
もうないといいなあ、と思いながら私は頷く。
「なんだか変なことに神奈を巻き込んじゃってごめん」
「あやまんないでいいよ。二人が悪いわけじゃないでしょ」
「これに懲りてもう来ないとか言うなよ?」
「それはないよ」
「そっか、ならいいや」
「それよりあんたたちの方こそ大丈夫なの?」
「うん、こっちはこっちでやるから気にしないでいいよ」
「大丈夫だから、まかせといてよ」
いまいち不安だったが、これ以上何か言っても仕方ないので私は「そう」と言ってこの話を終わらせた。あまりこんなことで自分たちの時間を煩わされるのもなあ、と思ったのだ。それにこの差出人は、私に対して妄想や悪意をぶつけることで私たちの関係に干渉したかったのだろうし、それにこちらが付き合い続けるのは逆効果な気がした。
私たちはそのまま一緒に食後の後片付けをして、コーヒーを淹れ直してまた少し勉強をした。しばらくして、
「なー、神奈ー?」
海が声をかけてきたので、私はノートにペンを走らせながら顔を上げずに返事した。
「なに?」
「神奈は誰か好きな奴とかいるの?」
私は顔を上げて海を見た。
海はこっちをじっと見ていて、陸もこっちを見ていた。
「何なの、急に」
「きいてみたことなかったから」
確かにそんな話題、今まで出たことなかったけど。なんで今? 急に?
「いるの?」
今度は陸が訊いてきたので、私は二人を交互に見ながら
「それって恋愛対象としての好きだよね。ならいないと思うよ」
「思うって何だよ?」
「憧れのひとみたいな感じのひとはいるけど、なんかそれもそっちの好きとはちょっとちがうっぽい」
「ふーん」
「俺たちにはきかないの?」
海が言うので、私は別に訊きたくなかったため「きいてほしいの?」
すると二人はうん、と言う。
「海と陸は?」
私が訊くと、二人は「いる」と答えてから、私を指さした。
「あ、そ、そうなんだ、どうもありがとう」
少し動揺しながら私がそう言うと、二人は何だよそれ、とあきれて言った。
「何か言わないといけないかと思って」
「別に何も言わなくていいよ」
「伝えたかっただけだから」
二人はそう言ってまた普通に勉強モードに戻った。
そんなこと言われて普通にされても意識しない方が無理だったので、私はしばらくがまんしたけれどもどうにも耐えられなくなって、
「今日はもう帰るっ」
と立ち上がった。
二人は私を見上げて、
「意識してるんだろ」
「照れてるんだろ」
にやにやして、からかってきた。
「~~~っ」
何故か私の方が恥ずかしくなって、いたたまれなくなるって、この状況、そもそもおかしくない?
赤くなりながらにらみつけてたら、二人はしれっとして口々に勝手なことを言い始めた。
「俺たちみたいないいやつを目の前にして意識しない方がおかしいんだから、ちゃんと意識すればいいんだよ」
「そうだよな。少しはこっちのことも考えてほしいよな」
なんなのこいつら。
私があきれて何も言えずにいたら、
「まあ座りなよ」
海が立ち上がって私の背後にまわり、私の両肩に優しく手を置いてその場に沈めるように座らせた。
すとんと腰を下ろし、しばらくにやにやして私を見ている二人の顔を呆然として眺めていたが、あほらしくなってペンを手に取り、怒りにまかせ猛然とさっきの続きをノートに書きつけた。何なの、何なの、何で私がこんなふうに、気にしないといけないのさ!? わけのわからないままただ腹が立っていたので、二人のことは無視してその日にやる分をしっかり片づけ、ばん、とノートを閉じてから
「終わったからもう帰るっ」
と再び立ち上がった。
「なんだよ~、感じ悪いなあ。俺たちまだ終わってないんだから、ちょっと待っててよ」
「そうだよ、もう遅いし、一緒に帰らないと危ないだろ。あ、ひまならコーヒーいれてきてよ。ちょうど立ち上がったんだからついでに行ってきてよ」
「あんたたちのそのふてぶてしい態度は何なの」
「だってこうでもしないと、神奈は本当に出て行っちゃうじゃないか」
「この微妙な心遣いってものがわからないのかよ」
それはそうかもしれないけれど……
「ずいぶんえらそうじゃないの」
海と陸は私を見てにやっとした。そうしてなんだか優しい声で子供をあやすみたいに
「そうそう、そうやって怒ってなよ」
「もう少しで終わるから、待ってて。送ってくよ」
そう言って、また普通に勉強モードに戻った。
なんだか毒気を抜かれた私は仕方ないのでキッチンへ行ってコーヒーを落とした。ダイニングテーブルに頬杖をついて、椅子に座ってコーヒーが落ちるのをひとりで眺めていたら、陸が来て
「まだ怒ってんの」
「怒ってないよ」
「ふーん、じゃあ何考えてんの」
「何も。ぼーっとしてただけ」
「あ、コーヒー落ちたね」
「うん、いれよっか」
私は椅子から立ち上がって、リビングに戻って「冷めたの捨てていい?」と海にきいて、うんと言うのを確認してから全員のマグカップを回収してきた。残りちょっとのコーヒーをシンクに捨てて、熱いコーヒーを注ぎ直す。このマグカップはいつだったか雑貨屋さんで海が三人分買ってくれたものだった。
「はい、海のぶんも一緒に持って行って」
マグカップにポットのコーヒーを全部注ぎ終わって私がそう言うと、
「神奈はこっち来ないの」
「ポット洗ったら行く。カップは自分でもって行くからそこに置いといていいよ」
「うん、わかった」
陸が自分と海の分を持ってリビングに戻っていくのを見送ってから、私はコーヒーポットなどを洗って水切りバスケットの上に乗せていった。ふだんならこのまま水を切って置いておくんだけれど、布巾でふいちゃおうかな、と思っていたら今度は海がやって来て、何も言わないで黙って布巾をさっと取って拭き出した。仕事を取られた私が手持ち無沙汰になっていたら、海は私に何も言わずに拭き終わったポットを私に渡した。私はそれをコーヒーメーカーに戻す。他の物も海がどんどん拭いては私に手渡すので、それを所定の位置にしまっていった。
「神奈、普通にしててよ、って言っても無理だろうけど、とりあえずは俺らから逃げないでよ」
「べつに逃げてないよ」
「逃げてるだろう、それってけっこう傷つくぞ」
まっすぐこっちを見ている彼を見つめてから
「うん、ごめん」
「あやまらなくていいよ、でも避けないでよ」
「うん、わかった」
「じゃあ、戻ろう」
そう言って海は私のマグカップを持って、私の手を引っ張るようにしてリビングに連れて行った。私達がリビングに入って行くと、陸がこっちを見上げたので、私は彼にあやまった。
「陸ごめん、避けたり逃げたりするつもりなかったんだよ」
「うん、聞こえてた。あやまんなくていいよ。避けないって言ってくれただけでいいよ」
ちょっとほっとしていたら、海が私の手を引っ張って「座って」というので自分の席に腰を下ろした。テーブルの上は勉強道具が片づけられ、私の分も一つにまとめられて隅に置いてあった。何となくみんな黙ったままおそろいの微妙な色違いのマグカップでコーヒーをすすっていた。
「あのさ」
陸が口火を切ったので、私は彼を見た。
「今まで通り普通にってわけにはいかないだろうし、ちょっとは意識してほしいけど、三人で一緒に居るのは続けようよ」
私は黙ったまま頷く。
「ここで集まるのは、いつも通り。いい?」
海がそう言って念をおしてくるので、私はもう一度頷いた。
「よし。じゃあ、コーヒー飲んだら帰ろうか」
「うん」
何で私が海や陸とあんなにも一緒に過ごしていたかと言うと、気心の知れた彼らと一緒にいるのがなんとなく居心地がいいからもあるけれど、何でかふとしたときにあの日の帰りに見せた彼らの子供みたいに可愛らしい、そしてなんだかどこか儚い、外灯に照らされていたあの笑顔を思い出したからだった。それはなんだか私の胸を痛ませるようなものだった。大切すぎて痛いような感じで。
私は彼らが好きだった。それは恋とかよりも家族を思うような、そんな友情からだったけれど、愛おしいとしかいいようのない感情があったのだ。
でも、いつまでもこうしてはいられない。
いつか終わる時が来るんだろうな。
私たちも、周りも、その関係も、みんな少しずつ変わっていきつつあるのを、何となく私は痛いほどに感じていた。なんだか悲しく思うほどだった。色んな要素がからみあって、否応なしに変化の波に押し流されようとしているみたいだった。今はこうしていられるけれど──私たちはどこへ行くんだろう。この変化の流れは、私たちをどこまで連れて行くんだろう。




