2
シャーマンの弟子として師(聖一さん)の下で修養を始めた頃に、私は自分の両親や兄弟姉妹を目の前で残虐に殺した入植者達が私たちの森に入り込んで樹木や動物たちを面白がって傷つけている場面に出くわした事があった。
彼等からは私は見えていない。私は師から教わった方法で上手く草木に同化して隠れながらそれを見ていたから。出て行けば、間違いなく私は彼らの慰み者として残虐な方法でいたぶられて殺されるだろう事はよく解っていた。目の前で私の愛するものが無残に傷つけられ、殺され、おもちゃにされているのに、私には何もできない──私は自分の腕に噛みついて血が流れ出るのもかまわずに、そのまま目の前で繰り広げられている光景をただ息を殺して見ていた。
私が歯形の傷跡を腕につけて帰ったら、師は黙ってそれを見て、私に薬になる葉を自分で採ってこさせ、それを潰して傷口に塗り込めるように促した。私は自分でつけた傷に自分で採って来た薬草を塗り込んだ。熱を持った傷口にその薬草の湿布はひんやりと快かったが、心の内の傷はじくじくと痛み続け、暗く暴力的な熱を持ち続けていた。そしてそれは、時間が経てば経つ程に仄暗い熱をもって、自分を圧倒するほどに強大なものになっていった。
私はかなり頑固で、しかも感情的に激しい子供だった。癇癪をおこしてそれを外に出すのではなく、静かに強く烈しい怒りの感情を抱えて憎しみの対象を睨んでいるような。
師はそんな私に容赦がなかった。真冬だろうと何だろうと、おかまいなしに私を冷たい水の中に放り込む様な人だった。だが、彼がそれだけ女で子供である私にも容赦がなかったのがよかったのだと思う。手負いの獣の様な私には彼の様に情け容赦がない程に冴え冴えとした峻厳な師匠でなくてはならなかったのだ。それは何故か自分でもよく解っていた。だから、私は彼に対して憎しみの類は持ったことはなかった(獣の様な烈しい怒りはぶつけたが)。むしろ誰よりも(それがそうだとは知らなかったけれど)感謝していたし、深く信頼していた。
私は自分の師を心から尊敬し、信頼していた。
私の師が彼でなければ、私は自分自身の烈しさによって自分の精霊を悪霊に換え、その身を滅ぼしていただろうから。
夢から醒めて、私は自分が抱いていた生々しい烈しい怒りの感情の余韻にしばらくぼうっとしていた。愛するものを目の前で残酷に傷つけられ、面白半分になぶりものにされ殺されているのを無力な自分はただ見ているだけしかできない、助けることが出来ない──その深い悲しみが静かに燃え盛るような烈しい怒りとなって夢の中の私自身の身を焼いていた。私は横暴で残虐な振る舞いをする入植者達も、入植者達の残酷な神も嫌いだった。憎んでいた。シャーマンの弟子になったのも、その神に対抗する為だった。精霊にその邪悪な神とその信奉者を殲滅してもらいたかったのだ。
荒野での三日三晩で私は自分の精霊を捕まえることが出来たが、それは私に全ての繋がりを夢の様にみせただけだった。私達は光の繭の様な存在で、動物も植物も、砂も岩も、生きているものもいないものも、全てがみんな光を放つ存在だった。そしてその光は近づくと不思議な細い光の糸を引く様に繋がり合っていたりする。その体験中、私は安らかで、おおきななにものかに包まれているかのような深く不思議な安心感と穏やかさの中に在った。それは家族を目の前で殺されてからひとときも休むことなく私の中の深い奥で静かに燃え続けていた復讐の炎すら無力化してしまうほどのもので、というよりも、それを保持すること自体が出来ないのだ。深い安らぎの中にいるときにそれを抱き続けることは単純に難しかった。自分という独立性を保つことすら難しいような、宇宙の全てに溶け込むような意識の状態だったからだ。
私がつかまえたのは、私が求めた戦いの力の精霊ではなく、全ての繋がりを私にみせてくれる精霊だったのだ。
しかし、精霊のみせる夢から醒めれば私はまた怒りの炎を取り戻した。個としての私の意識はその持ち前の頑固さで強固な独立した自我意識を子供であっても既に確立していたので、以前よりもそれをずっと抱えている事が少しずつ難しくなりつつあっても、それでも私の復讐の炎は消えることはなかった。それはそんな折の出来事だったのだ。
ある休日の朝、聖一さんの知り合いの弓道場に海と私は彼と共に来ていた。道場はしんとしていて静かだった。聖一さんが早朝からの数時間を借り切ってくれたのだ。
袴姿の聖一さんと海が二人で正座して互いに礼をしてから稽古に入る姿を私は隅で正座しながら黙って新鮮な気持ちで眺めていた。初めての場所、初めて見る二人の姿に少し緊張しながらも、それは快い緊張感だった。きれいに拭き清められた板張りの古い道場はなんとなく懐かしい匂いがした。
初めて着用した重い道着の袴に海は緊張していて、始めは動きがぎこちなかった。でもそのうちになれたのか袴姿での足さばきも様になっていた。
的を見据えて弦を引き絞りながら構え、自分のタイミングで矢を放つ。この頃の海は的を外す事の方が稀だった。聖一さんの指導は矢を放つ事より、その姿勢にあった。大きな和弓の弦を力を籠めて引き絞り、それを一瞬で放す事で勢いよく放たれる矢の勢いの分だけの反動がくるので、足を踏みしめていても海は僅かに体幹がぶれてしまう。弦を放った手もその反動で少しぶれる。それを頭の先から、手の指先、そして足のつま先に至るまで神経を行き届かせるように、きれいに静止していられるようにと彼は一切の妥協無く厳しく指導を繰り返していた。
実際にお手本に見せてくれた聖一さんの弓射は、一切の体幹のぶれのない静止画の様な美しさだった。そして矢を放ったその後の手や腕の動きは柔らかく、凛とした不動の佇まいには、辺りを祓う様な神聖な優雅さまである。
弓射後の彼の指先や手は、矢を放ったときの腕や手のままに空に静止してある様にそこにあり、体も一切ぶれることなくしっかりと地に足をつけ、そして柔らかく静かに佇んでいる。この柔らかさと静けさの不動の佇まいを目指して、海は真剣に稽古に励んでいるのだった。
彼らの姿を見ていて、何となく私は何度か見た事のある聡子の和国舞踊を思い出していた。たおやかに柔らかに、重たい着物を着て踊るこの国の伝統舞踊は、指先ひとつの神経にまでも全身に神経を行き届かせた抑制に次ぐ抑制の動きで身体的にはとても厳しい踊りなのだけれど、とても優雅で美しい。それと似たようなものを感じたのだ。
「外からはあまりわからない内側の筋肉を鍛えると、それがそうでもないんだよ。実際は。もっと踊っていたいと思うくらい気持ちいいこともある」
事も無げに彼女はいつだか言っていたけれど、もしかしたら熟練者になるとそうなのかな、と聖一さんの動きを見ていて思う。苦し気なところが全くないし、自然なのだ。抑制された動きの独特な美しさがこの国の伝統的な芸術には多いけれど、
その厳粛な抑制的所作の連続であっても、熟達者の動きは優雅でなめらか。柔らかい。そしてどこか静謐な空気をまとっている──
「うん、いいね」
聖一さんが矢を放った後の海に声をかけていた。
弓射後も胴体がしっかりとぶれることなく安定していて、矢を放った方の手も腕もぶれることなく静止しているかのようにそのままの形で空にあり、その腕をおろすときも所作に自然な柔らかさがあった。体幹がしっかりとしているので全ての動きに和国舞踊のような美しさがあるのだ。その安定した余裕のある動きがとても綺麗だった。
さすがに聖一さんの指導もあって海は何かをしっかり掴んだのか、体幹のぶれがなくなって来て、より安定した姿勢を保てるようになっていた。その後も海の弓射はしっかりと体幹が安定し、一切ぶれることなく自然な余裕のある姿勢で、ひとつひとつの所作の指先ひとつにまで神経が行き届いたような丁寧な美しさ、静謐さがあった。
聖一さんに、うん、と頷かれて、海は表情をそれほど変えずとも嬉しそうに頬が上気していた。
厳しい師匠にお墨付きをもらえたみたいなものだものな。さぞかし嬉しいだろう。
黙って隅の方で目に映るもの耳に聞こえるものに心を澄ませ、一人心ゆくまで堪能していたら時間はあっという間だった。
「退屈じゃない? 大丈夫?」
稽古が終わり、聖一さんが私に気遣って声をかけてくれたけれど、私は心から満足して答えた。
「全然。見ているだけでも面白いよ」
「そう? ならいいけれど」
「でも、足が……しびれてしまった」
うう……と動けずに引き攣って笑った私に、彼は明るい声で笑っている。
海はさっきまで厳粛で真摯な態度だったくせに、面白がって私の足をつついてやろうと、そ~っと脚を伸ばしてきたので、
「ちょっと、やめてよー!」
ビリビリと痺れている足をかばいながら引き攣ったまま私が言ったら、さすがに紳士な聖一さんが素早く海の頭に手刀を落としていた。
「神聖な道場で女性に失礼を働くなんて言語道断」
海は頭を抱えながら「うう、ごめんなさい」と言っていた。痛かったらしい。
使用後の道場を丁寧に拭き清めて、礼をして、本日の鍛錬は終了となった。




