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聖一さんの相談業務の方のお手伝いもするようになって私は色々と驚くことが多かったけれど、それにも慣れていった。
ただ、この国に蔓延っているカルトテロリズムに関しては知れば知るほどに、その極悪非道さや執拗さ、とても同じ人間とは思えないような残虐性、悪辣さ、陰湿性、何重にも張り巡らされた悪意や、その救いようのなさの重大さ、苛烈さ、過酷さに毎回驚かされた。
中でも私はその執拗さには辟易していた。本当に驚くほどにしつこい。陰湿な悪意を蜘蛛の巣の様に何重にも張り巡らせ被害者をつけ狙い続ける。あの手この手を使って破壊工作をし続ける。おそらくこうした有害な執念や妄執につける薬はなく、終身刑か極刑にするしかないのではないかと思ってしまう。
被害者が救われるには、少なくとも、この様な危険な妄執や執念に取り憑かれている人々がその正体を暴かれて、虐待や破壊行為に対してその力を使う事が出来ない様にする必要があって、その為にもそうした因子を持つ個人を炙り出すテロリズムのサイコグラフ(※3章 21参照)は有用な気がした。
そしてこれは子供であってもカルトテロリズムを実践しているのであれば、例外ではない。 何故なら、子供の方がより純粋なテロリズム実践者になれるから。特にいじめや嫌がらせを使い、徹底的に被害者を虐め抜いて自死へと追い込む事から快楽を得ている快楽殺人者になってしまった人間に関しては、子供であろうと大人であろうとその危険性や有害性からも厳しい対処が必要になる──作業の手を止めずに色々と物思いに耽っていたら頭の上から声が降って来た。
「ちょっと、休憩しない?」
「うわ、びっくりした」
いつの間にか聖一さんが傍に立っていた。周囲の音にも気づかないくらい没頭していた事に今更気づく。手を止めて彼を見上げると、
「あまり根を詰めないで。息抜きに少し歩かない?」
「えっと、切りのいいところまでしてから……」
「一旦、ここまでに」
きっぱりと言われてしまって私はちょっと驚いたけれど、彼がそう言うんならそうした方がよいのだろう、と私は頷いた。そのままデータを保存して画面を閉じる。私はイヤホンを外しながら彼に尋ねた。
「そんなに根を詰めているように見えたの?」
「うん、頭の上に黒い雲の渦巻きが湧いてきそうな感じ?」
「なにそれ! こわいよ!!」
ぎょっとして慄いた私に聖一さんは明るい声で笑った。それで何となく空気が一新されたような感じ。さすがに頭の上に黒雲の渦巻きを発生させるのは嫌なので、私は気分転換の為にも「是非お散歩に行きましょう!」と颯爽と立ち上がった。それでまた聖一さんはころころと笑っていた。爽やかな風に洗われる様な笑い声に救われる気分でいたら、彼は
「レネはお昼寝中だから、二人で行こうか」
そう言って、そのまま私を戸外に促した。お天気もよくて風も少しあるので空気が爽やかだった。深呼吸して軽く伸びをすると、体が思ったよりもこわばっていたらしく、とっても気持ちがいい。つやつやした緑の葉を茂らせた常緑樹の屋根の続く小径を聖一さんと一緒に辿って開けた場所まで歩いていくと、眼の前には明るい昼間の太陽に照らされた広い湖があった。湖面にはさざ波が立ち、きらきらと光を細かく反射させ眩い光の粒が踊って、ダイヤモンドダストを散りばめたみたいに煌めいている。すっきり晴れ渡った青い空に映えてとてもきれいだった。
「うわあ、眩しいー」
「壮観だね」
開けた崖の上には草が生い茂っていて足元にはやわらかな感触がある。裸足になっても寝転んでも気持ちよさそうだった。私達が来た側には道を挟んで鬱蒼とした森があり、そちらからは木々のざわめきと鳥たちの声が賑やかに聞こえていた。私は連れ出してくれてよかった、と思いながら彼に言った。
「前に海に教えていたでしょう、裸足で土の上に立たせて。あれって何を教えていたの?」
「姿勢と重力の通り道の感覚だね」
何か面白そう。
「私もやってみたい」
「いいよ、ここで?」
「うん」
私はその場に腰を下ろして、靴と靴下を脱ぎ、草の上に裸足で立った。
彼は少し離れて、私を見つめながら言った。
「姿勢を正して立ってみて」
「こう?」
「うん、じゃあ、ここ、お臍の下あたりに力を籠める感じで、ここに核があるイメージで、肩の力は抜いて姿勢を正してみて」
聖一さんは自分のお腹の下腹部あたりを左手で軽く押さえるようにして、お手本に姿勢を正して見せる。彼の真似をするつもりで私は言われた通りにしてみる。骨盤が立つような感じで下腹部辺りに力を籠めて背筋を伸ばすと、肩の力は何となく自然に抜けている気がした。両足が地面に吸い付いているみたいな感じがする。草の地面に接している足の裏の肌が何となく気持ちがいい。
「いいね。丹田に力が籠っていて、背筋は自然に伸び、肩の力は抜けている。重さが体を通って足の裏から流れている感覚はわかる?」
「これがそうなのかわからないけれど、地面に接地している足の裏が、地に吸い付くみたいに気持ちいい感じがする。ずっとこうしていられる感じ」
「うん、ただ立っているだけで、体が快く、軽く、やわらかい感じがしない?」
私は身体感覚を耳を澄ませるように追ってみる。しっかり立っていて、安定感があるのに、体が軽い気がする。今は静止しているけれど、このまま動くとしても軽やかに動けそうな気がする。それに、地面に接してる足裏の肌になんとなく微弱な快い電流が流れているような感じがするし、それは体全体に肌の内側にも流れているみたいな感じがして、とにかくただ立っているだけなのだけれど、快適。とても気持ちがいい。
「確かに。ただ立っているだけなんだけれど、体の感覚はとても心地いい感じだね。体の重さをあまり感じないけれど、簡単に倒れる気はしない。安定感がある。なんだかこのまま自由に動きまわれそうな、体力の余裕のような感覚もあって、身体に疲れや重さを感じない。ずっとこうして立っていられる、というか、ずっとこうしていたいくらい」
本当に快適なので、機嫌よく私は答えた。特に他に何もしていない、ただ教えられらたままに姿勢を正して立っているだけなのだけれど、身体的な満足感や幸福感があるのが不思議だった。何だろう、ただこうして生きているだけで立っているだけで幸せな感じ。 ただ体が在る事の喜び?
「何かスポーツやっていた?」
「ううん、特には。あ、でも早朝にジョギングしたり体操したりは子供の頃はしていたかな。スポーツが得意というわけではないけれど、体を動かすのは好き」
聖一さんは少し離れて私の全身を見ながら、
「氣の巡りがいいね。身体感覚もいい」
「そうなの?」
何となく褒められたみたいで嬉しい。
「たいていの人は丹田に力を籠めるのが意外に難しくて、力み過ぎたり、中心を定めるのではなくて重心をもってきたりするんだよ。でも君の場合は、うまくちょうどよく力が籠っていて、自然に丹田に核を籠めている」
「核?」
「自分の中心を定めている感じ。そうすると、身体的にも精神的にも安定するんだよ」
「へえ、面白いね。でもわかる気がする。こうしているだけで何だか幸せな気持ちだもの」
「そうでしょう。姿勢って大事なんだよ」
特に何もしていないのにじゅうぶんに幸福なので、なんてお手軽なんだろうと思ってしまった。 肌の内側に心地の良い微弱な電流が流れていて、それが巡っている。それを感じ取れることでとても気持ちがいいのだ。身体感覚に耳を澄ませた時にこの感覚をキャッチする事は今までもあったので、今はよりそれを強く感じる。これは名前を付けるなら、命の喜びとか、生きている喜びとか、体の在る事の喜び、みたいなものかな?
「体があることの喜びなのかな? ただこうして生きているだけで幸せな感じ」
「体って本来そうなんだよ」
「わかる気がするよ」
私はその場でくるうりと回ってみた。体は軽やかでこのままダンスもできそう。このままこの草原を飛び跳ねて周りたいくらいだ(さすがにそこまで無邪気に遊べるほど子供ではないのでしないけれど)。子供の頃は、ただこうして体を動かして飛んだり跳ねたり走ったりするだけで楽しかったのも、体の喜びがあったからだったんだ、と今わかった。体が、腕や足がそうしたいってうずうずしている時に、素直にそうできることの喜びや、仲良しのお友達と一緒にそれができることの楽しさや喜び。特に何かなくても体を一緒に動かしているだけでとても楽しかったもの。
「こういうの、体育の授業でも教えてあげればいいのにね」※
私はそう言って、聖一さんにお礼を言った。そうしてその場にしゃがんで靴下と靴を履き、立ち上がった。聖一さんが立ち上がる時に手を貸してくれたので、そのまま手を重ねた。そのまま手を離さずに、彼は私を湖がもっとよく見えるところまで誘導したので、手をつないだままで一緒に湖を眺めた。
風が吹き上げて、私達の体から優しく余分な熱を奪っていく。青草を、木々の葉をさざめかせて通っていく風の音を聴きながら、隣に立つひとの繋いだ手のひらのあたたかさを感じていた。
私達はどこからきて、どこへとかえっていくのだろう。この深い、どうしようもない衝動はなんなのだろう。私達が生まれるずっとずっと前にいたところ、父や母が生まれるよりも遥か前に、遠いずっとずっと昔に私達がいたところ、魂の故郷──そのようなものがあるとしたらだけれど──へとかえりたい。
かえりたい、帰りたい、還りたい──抑えきれないような郷愁を痛い程に抱えながらも黙っていたら、ふっと今がいつなのか、どこなのか、わからなくなる。隣にいる聖一さんはずっと向こうの方を見ていて、その横顔や色素の薄い茶色の瞳や髪を光が彩っていた。それはとても綺麗だったけれど、何となく儚げにも見える。そのまま淡く光に溶けていってしまいそうで、つないだ手に思わず力が入る。それに気づいて、彼が私の方を向いた。
「どうかした?」
「ううん、何でもないよ」
「何だか泣きそうな顔しているけれど」
言われて私は、そんなことないよ? と言いかけて、何故かぽろっと涙が出た。えっと、泣くつもりなんかなかったのだけれど……自分でも驚いていたら、そのまま勝手にあれよあれよと涙が出て来るではないですか。勝手にぽろぽろと静かに涙が流れ続けて、特に悲しいわけでもないので私は困っていた。
「どうしよう、また止まらない」
困ったままそのまま泣いていたら、聖一さんは少し気の毒そうに言った。
「たぶん、いつも僕が君よりも先に逝くから、それを思い出しているのかも」
うっ、と詰まって、私はそのままぽろぽろと涙を流し続けながら、突然押し寄せて来た悲しみに圧し潰されそうになった。それは堰を切る言葉だった。どこかわからないところからこだまのような残響を響かせて次々と悲しい気持ちが降り積もっていくみたいな気がした。聖一さんは繋いでいる手にぎゅうっと力をこめて「ごめんね?」と私にあやまった。そうしてしばらく私は泣いていたのだけれど、そのうちに聖一さんは困ったように私を見て、そうして言った。
「抱きしめてあげたいけれど、海が怒りそうだからなあ」
なんだか気の抜けたようなとぼけた言い方だったので、私は思わずぷっと吹き出して、泣きながら笑ってしまった。そうして、一旦笑ったら、悲しみもそのまま雪が淡く溶けるように消えていった。ハンカチも何も持っていなかったので手で涙をぬぐっていたら、彼も指で涙をぬぐってくれた。そのまま私は彼を見上げて尋ねた。
「以前、聖一さんが話してくれたラストダンス(※2章 19参照)のお話、あれは遠い未来の事?」
「うん、そうだね」
「いきなり突然はやめて」
「善処します」
そう言って、彼は「戻ろうか」と私の手を取った。
※ 丹田について:狂言師 茂山千三郎さんのご説明がとても分かりやすいと思うのでご紹介します。
80年前の日本人の歩き方は全然違った|茂山千三郎
むすび大学チャンネル
https://youtube.com/watch?v=Lr3VplSWgcg
カラダが20歳若返る『丹田開発メソッド』を伝授|茂山千三郎・坂東秀華
むすび大学チャンネル
https://youtube.com/watch?v=nFcsGKkTFtk




