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 海と聖一さんはいつの間にかすっかり打ち解けていて、海自身も年の離れた兄ができたみたいで嬉しかったのか、私の知らない所でも二人はよく交流をもっていたようだ。

 弓道の師弟関係になったのも大きいと思う。


 弓を握り、すっと姿勢を伸ばして的を見つめる聖一さんの姿は本当に綺麗で絵になった。辺りを祓うような神聖な雰囲気さえある。彼が弓を構えると、それは武道と言うよりも、むしろ何かの神事のように見えた。それくらい本当にとても美しかった。男から見ても美しいものは美しいらしく、海はそれに憧れて、かなり真剣に学んでいた。


 海が弓を構える姿は結構様(けっこうさま)になっていたし、怜悧(れいり)な彼の容姿にそれはとてもよく似合っていた。姿勢も綺麗だったけれど、素人目に見るのと聖一さんが見るのとでは違うようで、姿勢や構えに関して色いろと細かい指示が与えられていた。海はそれを真剣に教わりながら自分でも試行錯誤しているみたいだった。


「腰を下げるのではなくて重力を地に流すんだよ。体の重さが力が足裏から地面に流れ、地面からも受け取っているのを意識して、立つ。姿勢が自然に正されれば、肩の力も抜けて丹田にも自然に力がこもっている。丹田は重心ではなく自分自身の中心、核であると意識して。常にそこに安らぎながら自分自身の核、中心があるように心がける。中心は不動。重心は流動的に。吐く息は長く、呼吸は深く。竹のように真っ直ぐで、しなる、折れないイメージで。力を逃がしながら、安定を保つんだ。重心は固定しているのではなく、流動している。血液の流れや重力の通り道を意識していると、内側に快い微弱な電流もしくは振動が流れている様な感覚がするはず。血液が巡る様に体の中を力も流れ、氣(き)が巡っている。そして満たされている。ただそうしているだけで体は快く、余分な力も抜け、軽く、やわらかい。でも、しっかり重さの力は通っている、安定している」


 聖一さんは一旦教えるとなったら本気で指導していた。

 声や姿勢に余計なものがひとかけらもない。

 元々そんな余計な甘さも誤魔化しもない人だけれど、日常にあるちょっとした気遣いとか、配慮とか、そういったものはあったので、それすら無駄なものとして削ぎ落された、文字通りに触れれば切れてしまう真剣のように冴え冴えとした眼差しや声。姿勢──これが本当の彼の姿なんだ、と何となく私は思った。


「もっと集中して。的に当てるというより、そこに矢が吸い込まれていくようなイメージで集中して矢を射放つんだよ」


 その凛とした張りのあるよく通る声が響き渡ると、私もなんだか緊張した。姿勢が自然に正される感じで、おなかの底に響く気がするのだ。それで姿勢を正して彼らを見つめていたら、ふと聖一さんがこちらを見た。そして、


「神奈ちゃんも、弓を射ってみる?」


 私は黙って頷(うなづ)いて、海から弓とグローブを受け取って、彼が立っていた立ち位置に立った。グローブは私にはだいぶ大きい。矢をつがえて、弦をゆっくりと引き絞る。けっこう重い。きつい。

 すう、と息を吸って、止める。弓を構えて的を見据える私に、彼はよく響く声で短く


「そのまま、射(い)て」


 ひゅっと放たれた矢が的へそのまま吸い込まれるように刺さり、その瞬間、私は何故かそれが当然のことのように感じていた。それから、はっと我に返って、海が的に刺さった矢を微動だにせず見据えているのに気づいた。


「ビギナーズラックみたいなものだけれど、でも、それにも意味がある。特に気負いも何もなく、背筋も自然に伸びていて、呼吸も深く、無心だったからね。試しにもう一度、自分で射ってごらん」


 言われて私は、さっきよりも集中して(いるつもりで)的を見据え、矢を放ったが、見事に外れた。むきになって聖一さんにアドバイスをもらいながら何度か挑戦したけれど、そもそも姿勢から直さないといけないらしく、あれこれ意識して頑張ってみたけれど、まったくかすりもしなかった。海はそれを少し離れた所から黙って見ていた。そうして、何か掴(つか)んだのか、


「神奈、そろそろ代わって」


 私は疲れて来ていたので、素直に彼に弓を渡し場所を譲った。

 海は黙ってしばらく的を見据えていたけれど、すっと姿勢を伸ばして、綺麗な所作で弓を構えた。そのままじっと的を見据えている。

 さあっと風が通って、彼の髪を揺らし秀でた額が顕わになる。木々のさざめきの中、何故かそこだけしんと時間が止まったように静かだった。


「射放て」


 聖一さんの凛とした響き渡る声とほぼ同時に矢が放たれて、それは吸い込まれるように的へと中(あた)った。海は矢を放った時の姿勢のままでしばらく的を見ていたが、腕を降ろし、自分の手を自分で見つめている。

 

「もう一度」


 聖一さんに言われて、海はまたすっと姿勢を伸ばして弓を構えた。弦を引き絞り、的を見据えている。しばらくそのまま彼は構えていて、今度は聖一さんは声をかけずに彼を黙って見つめていた。射放て。声にならない声で、彼の唇だけが動いたとほぼ同時に、海は自分のタイミングで矢を放っていたらしく、そのまま矢は吸い込まれるように的に中る。


「もう一度」

 

 聖一さんが声をかけると、海はまた弓を構えた。そしてそのまま的を見据えて矢を放つ。矢は的に吸い込まれるようにして中(あた)る。

 わりと距離が近いところに的があるのを差し引いても凄いと思っていたら、海は構えていた弓を下ろして、聖一さんに一礼をしていた。


「機会があったら坐禅とかもしてみてもいいかもね」言って、聖一さんは「禅と弓道について書かれた本があるから、読んでみるといいかもしれない。貸してあげるから今度来るまでに読んできなさい」

 

 海は聖一さんを見つめてから、はい、と頷いていた。

 

「今日はもう射なくていいよ。弓も触らないで。それより、今の感覚をしっかり覚えておいて」

「はい」

「少し一人で辺りを散歩でもしておいでよ。暗くなる前に帰ってきてほしいけれど、もう十分だ、と自分で思うまで今から一人で黙っていること。誰と会ってもね」

 

 そう海に云い渡して、聖一さんは「後は僕が片付けておくから。さあ行って」


 海は黙って一礼して、そのまま携帯端末も何も持たずに並木道の方に静かに歩き去って行った。私は海の後ろ姿を見送りながら、聖一さんに「手伝います」と声をかけて後片付けを手伝った。室内からソファに座ってこちらを眺めていたレネ君も出て来て、三人で黙々と後片付けをした。


 しばらくしてレネ君が聖一さんに話しかけた。


「セイ、カイは教えがいがあるんじゃない?」

「そうだね」

「カイがだんだんセイの呼吸に合わせていくのを掴んでいくのを見ているのは、僕も楽しかったよ。気づいている? 二人は少しずつ似てきているんだよ。まとう空気の感じとかが」


 レネ君がそう聖一さんに話しかけているのを聴きながら、私も頷いた。

 確かに、海は何となく、聖一さんに合わせていくように似てきているかもしれない。


「真剣に教えていると、自分の何かが海の中に入っていくような気がする。海は神奈ちゃんと似ていて、こちらが教えようとするものを、その言葉や意味を超えた響きも一緒に受け取って吸収していくようなところがあるね」


 聖一さんはそう言って、


「あと、身体的にもすごくカンがいい。もともと優れた身体能力を持っているタイプだよね」

「確かに、スポーツは何でもわりとそつなくこなすかも。個人競技が好みみたいだけれど、団体競技もうまくやるし。というか、競技というより、ストイックにこつこつ技術を磨くみたいなことが好きなのかも。弓道を始めた海を見ていると、いろんな意味で彼にすごく合っているように思う」

「うん、僕もそう思う」


 レネ君がそう言って、続けて


「カイが弓を握るようになって、弱点だったところがうまくカバーされてきているしね」

「何それ?」


 聖一さんが答えてくれた。


「前に言ったでしょう。本当は海は君よりも感応しやすいところがあるんだよ。意志も強いし頭もいいから冷静でいるように気を付けているみたいだけれど、ちょっとした弱点になりかねない危うさもあったんだよ」


 私が驚いて聖一さんを見つめると、レネ君が言った。


「だから僕はセイの指導を受けるようにすすめたんだよ」


 聖一さんも頷いている。


「そうだったんだ」


 だから、あんなに真剣に教えていたのか──何となく、新鮮な気持ちで今までの彼らの練習風景を思い返していた。

 そして、たまに彼らの様子を眺めていると、私自身が奇妙な既視感を覚えることもあった事も思い出していた。それは、私自身も彼にそうして色々と教えてもらってきていたからだったんだと気付いたが、でもおかしいな。海に対するように、触れれば切れそうな真剣の様な厳しさを直接向けられたことはなかったようには思うけれども──でも、あの厳しい、それこそが彼の本質のような冴え冴えとした研ぎ澄まされた真剣のような厳しさや教え方には懐かしささえも感じる──そこで、私は、夢の世界と現実の感覚が混同しているのだ、と気づいた。


 あ、そうか。

 夢の中での先住民族のシャーマンの師は聖一さんだった。

 そして、それが聖一さんの本質だと感じたあの切れ味の良いような冴えた厳しさは、彼の雰囲気そのものだったのだ。


「変な事を言ってもいい?」


 私がそう言うと、聖一さんとレネ君は顔を上げて


「どうぞ」

「いいよ」


 そういえば、これを聖一さんに話すのって初めてかも、そう思いながら私は


「私、聖一さんに海が今教わっているのと同じ様に、ずっと昔に色んな事を教わっていた気がするの。以前、レネ君に話した、本当に前世みたいなものがあるとしたら、そこで師としての聖一さんにもの凄くお世話になっていたような、そんな感じがするのだけれど」


 聖一さんは、笑って頷いた。


「そうだね」

「聖一さんはシャーマンで……考えてみたら今とあまり変わらないかも……とにかく私はあなたの教え子で弟子だった」


 聖一さんはすっと事も無げに言った。


「植民地支配下の先住民族だったことがあるんだよね、僕たちは」


 私は頷いた。


「でも、それだけじゃないみたい」


 彼に関する時代も場所も違う夢はいくつか見ていて、先住民族の夢はその中の一つに過ぎなかったから──

 彼は私を見つめながら、頷いた。


「もしかして、始めから知っていたの?」

「うん、そうかも。知っていたというより、たぶんそうかな、くらいの感じだったけれど。はっきりわかって来たのは、もう少し後になってから。君と直接関わるようになってからだね」


 私は、そうなんだ、と気が抜けたようにつぶやいた。


「あのさ、カンナはセイのことに関してのことしか今は夢に見ていないみたいだけれど、本当は、僕たちも今とは違う時代と場所で近しい間柄だったんだよ。僕だけでなくて、カイやリク、サラもね」


 レネ君にそう言われて、私は瞳を見開いた。


「ええ?! そうなの?」


 むうと彼は少し口を尖らせるようにして、そうだよ、と言った。


「あ、うん、そ、そうなんだ。それは、なんというか、わざとではないけれども知らずにいて、たいへん失礼しました」


 動揺していて殆ど棒読みの謝罪の言葉を述べると、目の前で聖一さんが噴き出した。


「神奈ちゃんが僕の事を夢に見て時代や場所を超えてその残響みたいなものを色々と見ているとしたら、それはたぶん、僕が君に対して呼びかけ続けていたからかもね。そのうち、他の事も夢に見るようになるかも知れない」

 

 笑いながら彼が私とレネ君にそう言うと、レネ君は頷いた。


「あ、そう、そうなんだ」


 私はまだ動揺していて、今言われたあれこれを消化するのに少し時間が欲しかった。


「海と君も、異なる時代や場所で何度か一緒にいたことがあるみたいだよ。今僕が解るのは、たぶんだけれど、親子だったことがあるみたい。この国ではない場所で、神奈ちゃん、君がお母さんで、海がその子供。でも何かの事情で生き別れになってしまっている。戦争か何かでね」

「ええ?」

 

 私はあまりに驚いていて「ちょっとタイム」と申し出た。

 あまりに一度に色々と聞かされてしまったのでなんだかくらくらしていた。時間が欲しかったのだ。

 聖一さんは笑って頷きながら、言った。


「僕らは本当に何度も何度も生まれて来ていて、だからいくつかの人生で関わる事もあったんだよ。袖すり合うのも他生(たしょう)の縁、というでしょう。他生って、つまり違う人生で、ってことなんだよ」




 夕飯づくりを始める頃に、海は戻って来た。

 なんだかすごくすっきりとした表情で「一人の時間を頂き、ありがとうございました」と聖一さんにきちんと姿勢を正して一礼していた。

 

「うん、よかったみたいだね」


 聖一さんはそう答えていた。




 この頃の海はだいぶ口数が減って、寡黙に過ごす事が多かったように思う。かといって暗い何かを抱え込んでいた時とは全く異なっていて、むしろ、彼の雰囲気はいつもすっきりと清明に澄んでいる感じだった。元々あったどことなく神秘的なムードがより彼を鮮明に彩っているみたいで、それがより前面に出て来ていたみたいだった。そして彼が弓を構える時には、少しだけだけれど、聖一さんが弓を構えるときみたいな、しんとした静かな辺りを祓う様に神聖な雰囲気も彼に漂い出していたように思う。それは彼が弓を構えるときだけだったけれど、それでも、それは今までの彼とは決定的に異なる変化だった。


 ──彼は、彼の精霊をつかまえたんだよ


 なんとなく、夢に出て来る先住民族のシャーマンの女性なら、そう言うかもしれない、そう私は思った。






夜明けの扉 “Gates Of Dawn” 三章 終り



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