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聖一さんとの関係はそれほど進展するわけでもなく、ふと気づいたらスキンシップを取っているくらいな感じでしかなかったので、微妙な同時進行ではあったけれども何となくそうなっていたという感じに近かった。そうしようと思ってそうなったわけではないし、いつのまにかそうなっていた。その流れの中にただいる。私としてはそんな感じでしかなかったので、彼に対しての感情もそれほど進展することもなく、なんとなく彼といる時間はただ静かに流れていくように感じた。ただそうしていることが自然な感じ。それだけ。でもそれは居心地が良かった。
面白い人に会ったとか沙羅から聞いた話とかそんなことを色々私が話している間、彼はそれを面白そうに聴いていて、たまに相変わらずの不思議なことをぽんと言ったり、真面目な顔で何かものすごく面白いことを言ったりした。カンのようなものがいいひとなので、それは前後の脈絡なくとうとつに飛躍しているように見えて、実は地下水脈でしっかり繋がっているみたいな、後でああそうか、って気づくことも多かった。
彼としているようなやり取りは他の誰ともできないような不思議なものだったので、私がどうしようもなく惹き付けられているのはその彼としか分ち合えないような不思議な雰囲気や時間や空間の感じだった。
ここでは時間の進み方や空間の感触すら不思議で自由に伸びたり縮んだりするみたいに感じる。
ただそう感じるというだけで、実際に空間が伸びてるとか縮んでいるとかではないけれども(そんな面白い場所があったら是非行ってみたい)そうとしか感じられないような、そんな不思議な感覚。彼と話していると、いつの間にか心ごとさらって飴細工みたいにとろりとした時間や空間の不思議な宇宙を漂っているみたいな感じがした。
彼はその特殊な勘の良さを見込まれて、ごくたまに相談業のプロからの特別な依頼を内々に受けてもいて、家にその相談者が訪問することもあったのだが、たまたま私のバイトの日に重なった日があるとそっちでもアシスタントの真似事を少しさせてもらった。
実際に彼の相談業務を近くで見たのはそのときが初めてだったので、結構驚いた。
相談内容が思ったより深刻なものだったし、それに淡々と対応している彼の姿も、本当にここに来るまで大変だったんだろうなあ、という年配の相談者の人が、帰り際に彼の手を握って涙ながらにしきりにお礼を言って頭を何度も下げて帰って行くのとか。聖一さんって、なんだかすごい人だったんだ、と改めて驚いてしまった。
沙羅の話をした後に彼はこんなことを言っていた。
「棄て去った方がいい関係性というものもある。ドミノ倒しのような悲劇の連鎖を絶つ絶縁体の役割をする必要もあるってこと。血のつながった親子だから家族だからということでその関係性に囚われるのではなくて、自分にとって必要な関係性を自分で選択していけばいいだけ。そしてそうすることに誰にも遠慮なんていらない。その誰かに遠慮したとしてもその人が責任をとってくれるわけではないのだから、自分で決めて選択していくことの方がずっと大切だし、そうすることでしか自分の本当の人生の本番は始まらない。切り拓かれていかないんだよ。思い切ってそこを出て、そうして自分の本当の人生を始めることの方がずっと大切なんだよ。魂が設定した枠を使って、そこから飛び出していくことで本当のその人自身の魂の道へ移行していく必要があるから。それはいつでも始められる。そうしようと思ったらいつでもそうすればいいし、本当はいつでもそのチャンスに開かれている。自分でそれに気づいて活かすかどうかだけなんだよね」
私は彼に言った。
「でも、なんだかそのしがらみにいつまでも関わってそこから何かを学ぶべきだみたいな考え方もあるよね。それが修行だみたいな。私はそんなの自分がそうしたくなければしなきゃいいだけじゃんって思うけど、でもそれが正しいみたいに、そうするべきだみたいに思っている人もけっこう沢山いるみたいにみえる。なんでそんなへんな考え方が正しいみたいになっているんだろう」
彼の答えは簡潔だった。
「そういうことにしたほうが都合がいい人もいるからでしょう」
「あ、そうか」
言われてみたら本当にその通り過ぎた。
辛い辛いと言いながらその関係にしがみついている人は、何らかの理由でそうした方が都合がいいからそうしている。嫌いだ嫌いだ、いやだいやだ、と言いながらその嫌いな人との関係にしがみついて、いつまでも悪口を周りに言っているひともいるし。そうしていれば被害者ポジションのままで悪口を言い続けられるし。本当はそうして相手をいたぶって虐めて嫌がらせをしているのにもかかわらず。酷い人だと相手が逃げられない様に囲い込んでそれをしながら、相手を徹底的に虐め抜く。それこそ相手が本当に自殺してしまうまで。
「本来のその人自身の魂の道へ移行することに拓かれていくってことは、従来の色々な手枷足枷からどんどん解き放たれていくということだから、それを快く思わない人もいるのは仕方ない」
「なるほど」
私はちょっと考えてから彼に尋ねた。
「結局はそれを他人にも課したほうが自分にとって都合がいいからそう言っているだけってことだよね?」
言いたいことを言う人はそうしたいからそうしているだけ。
それは何度も見てきた事だった。
「そう。そんなことに囚われていないで、本当に自分に必要だと適切だと思う関係性を自分で選択していけばいいし、必要ない適切ではない関係性は解消していけばいい。周りが何をどう言おうと自分で決めて取捨選択していけばいいだけだよ。自分の人生に自分で責任を持つって本当はそういうことだよ。誰かや何かの価値観に囚われるのではなくて、自分で必要なことを選択をしてそれを生きること。ただそれだけのことだよ」
そう言ってから彼は付け足すように言った。
「それにその彼女の家族の問題って、僕が視た感じでは、従来の精神医学や心理学的な知識や伝統的・宗教的倫理観や価値観では対処することができない種類のエネルギーだと思う。逆に問題自体を悪化させたりそれらの温床になったりする恐れがあるから。より問題を複雑化・巧妙化させ潜行させてしまうケースを実際に見てきたし。それは従来の在り方では解決できない種類の問題だよ」
「そうなの?」
「うん、たぶんそうだと思う」
「じゃあ沙羅はちゃんと自分で正しい道を選んで行っているってことでいいんだよね」
「そう」
なんとなくほっとしていたら、彼は言った。
「その問題を作り出した段階と同じ知性の段階や在り方では解決できない種類の問題ってあるんだよ。それをちゃんとわかっている人でしか扱えない、そういう種類のエネルギーもあるんだよ。彼女の抱える問題は従来の在り方やその知性の段階を超えていかないと解決できない種類のものだと思う。どちらにしろ彼女は自分でそこを出て従来の在り方を超えていったことでそういう種類のエネルギーにも対処できるようになると思うよ。別に必ずしもそれに関わってそうしなきゃいけないということでもないけれど」
何の話からそうなったのかもう覚えていないけれど、彼に言われた話で印象深かったものがある。
──トラブルを避けるのではなく、それは避けようがないものだと覚悟を決めること。なんとかしてそれを避けようとしても結局は向こうからどんどん仕掛けてきて絡まれてきているのであれば、ここでもう覚悟を決め、自らそこに飛び込んでいくことになっても構わない、そして自分自身に必要な対処をしていく、そのように覚悟を定めてしまったらどうか。
争うことを避けようとするあまり、自らがもうずっと争いの渦中に居ながらも手足を縛られて好き放題に弄ばれている事実から目を背けていては、そこから脱け出すことは難しい。
争いなさいと言っているのではなく、それを避けようとすること自体が不毛な争いを継続させている事実に目を向けることを言っている。
そこからどのようにして脱け出していくのかは、その人次第。それぞれの対処の仕方次第。
自分自身の手足を縛っているその手枷足枷にまず自分自身で気づいて、そこから脱け出すこと。
自分自身のために立ち上がることに対して手枷足枷をかけられているのであれば、それをまず解いていくこと。
※(手枷足枷を外していく事については以前彼に詳しく聴いていた通り。基本的にはそれらの本質的な意味をきちんと理解して習得した人から外していくものであって、基本がわからない人が安易にそれをしていけば、簡単に犯罪に巻き込まれたり巻き込んだり、犯罪者になってしまうことなどに繋がっていくだろう。何故ならそれらは状況や段階において揺りかごやガードレールの役割をもつからだ)
自律した存在である自分自身の真実を尊んでいくこと、祝福していくこと、そこからしか本当の平和や自由、平等、公平性、真実性は育まれない。
自分自身の真実性を祝福しないものは、他者の真実性を祝福もしない。
自分自身の真実を歪めるものは、他者の真実も歪める。
これは真理。
結局は私たちは自分で自分自身を扱うようにしか他者を扱うことができない。他者に対して過酷に不平等に扱う利己主義の塊のような人ですら、自分自身の部分をそのように扱っているからそのように他者にもそうしている。つまり自分自身が分裂し断絶し抑圧されているほど、その傾向は強くなるし、他者にとっても危険な存在にもなる、ということ。環境や周囲にとっての脅威になるということ。
真実の平和や公平性、環境の適切なバランスを守ることを目指すのであれば、先ず自分自身の平和や公平性、バランスの実現を目指す必要がある、ということ──
それはなんとなく私の心の奥深くにこだまして響いた。その残響がいつまでも残っていたような感じだった。そのときに私自身は特に何かこれといったトラブルや争いごとを抱えていたわけではないけれども、でも彼の話はたいてい心構えを促しておく意味もあったので、自分でも意識して心に留めておいた。
※二章19参照




