20
静香さんとは彼女の宿泊先のホテルの部屋で会った。海と陸には一応彼女に会ってくるとは伝えておいたけれど、亜実ちゃんから渡された新たな手紙については言わないままでいた。
私は時間を頂いたことにお礼を言ってから彼女に倣って、単刀直入に用件を切り出した。
「実は亜実ちゃんから手紙を頂いたんです。知らない女の子から渡されるようにして」
そう言って例の手紙を出すと、彼女は見ていいの? と私に念のため確認してからそれを開いて見ていた。そして一通り目を通してから、
「父のことを訊きに来たのね?」
と私に言った。
「そうです」
ここに書いてあることは本当なのか、それを確かめたかったから。時期的にそれに関しては本当であってもおかしくなかった。彼女に対して厳しく責任を追及する方針を固めて具体的に動き出した矢先だったからだ。
「言ったでしょう。人の持つ愛や優しさや真心を利用してつけこんでくるのが彼女の常套手段。気にする必要などないのよ」
そして私の顔を少し見つめてから、ひとりごちた。
「でもそれができるなら、わざわざこうして訪ねても来ないわね」
そうして彼女は私に何か飲む? とルームサービスのメニュー表を出した。
「いいえ」
「じゃあ、紅茶を頼むので一緒に飲みましょう」
そう言って彼女はさっさとルームサービスを注文してから私に話してくれた。
父の自死にそれが関わっていたかどうかは、今となっては誰にもわからない。きっかけのひとつではあったかもしれなくても、それだけが全てではない、と。
「娘を甘やかし続けた結果、父は娘を守る父親の役割の牢獄から脱け出すことができなくなった。私とは違って、あまりにも父は優しすぎたのかもしれない。家族を捨てることや見捨てることが本当のところではできなかったんだろうと思う。私も娘だけれど私は自分からそこを出たし距離をとったので、父に対してもわだかまりが全くないとは言えないけれど、それでも気の毒に思う。どうしていいか本当にはわからないまま、大きな渦の中に巻き込まれて呑まれていったように見えるから」
そう言って彼女は私の顔を見た。
「納得した?」
「何となく」
私が複雑な心境を正直に話すと、彼女は続けて言った。
「父の個人的な資産は殆ど妹に食い潰されていたの。残っていたのは個人資産の僅かなものと、まだ相続が完了していない祖父の遺産だけだった。元々その相続問題で身内でもめてもいたので、それもあって父が亡くなった後にまたもめたけれど、そんなことよりも、私にとって一番のショックは、父が自分の健康管理もおろそかにして際限なく甘えてくる娘に尽くすための費用を捻出しようとしていたこと。殆どもう自暴自棄なやり方で、それでもまだ父親の役割を果たそうとしていたことだったの。身体もぼろぼろだったのに、受けるべき治療も受けていなかった。いずれ崩壊の時が来るのは彼自身が一番良く知っていたはず。それでもそこから出られなかったし、出ようとしなかったの。唯一、死というものを通して、ようやくそこから彼は解放されたようなものだったのじゃないかしら?
家族という呪縛は、愛するものへの思いを断ち切ることのできない人にとっては、生き地獄のようなものにもなりうるのよ。本当はその檻から自分で出て行けばいいのだけれど、愛や優しさに囚われるあまりに出口を見失って、大きな渦に巻き込まれ呑まれるようにしているうちに、気づいたら、いつの間にか、もうそこから自分で生きて出て行くだけの力を既に失ってしまっている、取り返しのつかないほどに消耗してしまっている、そういうこともある」
淡々とそう話してから、ちょうどルームサービスが到着したのでそれを招き入れて、彼女は私に紅茶を勧めてくれた。私たちは黙って熱い湯気をたてる紅茶を飲んだ。
「これで納得してくれた?」
「すみません、個人的なお話をほじくるような真似をしてしまって」
「いいの。こんなものでも役に立つなら、私も亡くなった父も本望だと思うから」
彼女は淡々とした口調でそう言った。
私はちょっと黙り込んだ。そうしてふと思いついたように、気づいたら聖一さんがしてくれた話──ラストダンス──死を目前に控えた人が、信じられないような振る舞いをして、それを最後の贈り物として残して逝くことがある、という話を彼女につらつらと話していた。先住民族の伝統では、それはラストダンスと呼ばれる最後の贈り物なのだ、と。
彼女は黙って聴いていた。
「お父様は、最後の贈り物としてあなたたち姉妹にそれを遺して逝かれたんじゃないでしょうか。それをどう受け取るかはそれぞれだと思いますが、結局は、それぞれがこれからどう生きていくのか、それに尽きることだとそれもすべてわかった上で、それでも最期に贈り物を遺して逝かれたような気がします」
差し出がましいことを言ってしまったかも──そう思ったときには既にもう話し終わった後で、でも、彼女はしばらく黙って私を見つめてから、
「どうもありがとう」
と静かに言った。
それだけ。
でも、何となく私は彼女に受け入れられたような気がした。
そうして私たちはお互いにお元気で、と挨拶し合い、微笑みを交わしてから別れた。
「神奈の家に泊まりに行ってもいい?」
土曜日、バイトの帰り際にキイナに突然そう言われた。何かあったな、と思った私はOKして彼女と一緒に家に帰った。両親には既に連絡してあったので特に問題はなかった。可愛らしい女の子が遊びに来たことで父が浮かれていた以外は。
キイナは私の部屋のベッドで一緒に眠った。
すうすうと健やかな寝息をたてて眠るキイナの寝顔をなんとなく眺めていたら、やっぱり兄妹だなあ、聖一さんとちょっと似ている、とか思ったりして、細面のきれいな輪郭とかすっとした鼻筋とか、色素の薄いさらさらした髪の毛とかをまじまじと見つめてしまった。
一緒に帰宅する際にも帰宅してからも彼女は特に何も言わないので、私も何も訊かなかった。
何があったんだろう、と思いつつも考えてもわからないので、私は彼女が眠る隣でスタンドの明かりをつけて聖一さんに借りた本を読んでいた。そろそろ眠ろうかな、と思って本から顔を上げたら、キイナが起きてこっちを見ていたので、ちょっと驚いた。
「起きてたの」
「うん、なんかぼうっとしてた。なんでカンナがいるんだろうって」
「それは私の部屋だからだよ」
「わかってるよ」
笑ってキイナはとうとつに言った。
「うちの親、離婚するかもしれないの。私が成人するまでは一緒に暮らすことにしているだけだって母が言うからショックで。普通に仲がいい家族だと思っていたのに」
「なんていうか、それはショックだよね」
桜澤家の仲の良さに何年も親しんできていただけに私もショックだった。
「仮面夫婦とかいうやつ?」
「うーん、そうなのかな。でも仲はいいんだよね。だけど、一旦解散したほうがいいんだって母が言うの」
「ふーん」
「それで、もうひとつショックなことがあって」
「何?」
「聖一兄さんって実は父の子供じゃないんだって」
私とキイナは無言で目を合わせてしまった。
「それは、異父兄妹ってこと?」
「そう」
なんか人のプラヴァシーを断りもなく聴いているような落ち着かない気分になってきた。
キイナはベッドから身を起こすと、膝を抱えるようにして座った。
「考えてみたら一の字って長男につける字だよね、ふつう。でも何も不思議に思ったことなかった。それに聖一兄さんも知っていたんだって。小学生くらいの頃からもう知っていたみたい。何で知ったのって訊いたら、勘のようなものでわかったんだって言っていた。それもあって離れの別の家で暮らしていたのかなあ、って今からなら思うけれど、私はそんなこと全然わからなかった。聖一兄さんと父は普通に仲良しだし、昔から家族みんな本当に仲が良かったから」
「……」
「聖一兄さんは母の昔の恋人の子供なんだって。でもその人は聖一兄さんが生まれる前に既に亡くなっていて、母としか子供を生さなかったので、絶対に産むって言って産んだって言っていた」
ますます居心地が悪くなってきた。
こんなこと、彼に断りもなく聴いていていいんだろうか。
「元々は父が浮気して母が家出していたところに元恋人と再会してそうなったらしい。当時は二人の兄が既にいたし、いつまでも兄たちを放っておくこともできないので母が一旦家に戻って、父と離婚についての話し合いをしていた矢先に、元恋人は事故で突然亡くなってしまって、それからしばらくして妊娠が発覚した。それで元々父は母とは離婚するつもりがなかったので、絶対産むと言った母ごと引き受けることにしたんだってさ。だから聖一兄さんも戸籍上は父の実子なの。なんか親の生臭い話を聞くってのも、変な感じだけど、元々男と女の組合せが夫婦で父母なんだものね」
聖一さんだけ毛色が違う──そういえば聡子はそう言っていた。
自分が婚外子だと既に知っていた小学生の彼のことを思った。
おとなびた眼をした聡明そうな少年の姿がふっと浮かんだ。
「それで、話が戻るけど、その後に四男長女と私たちもつくっておいて、何で今更って思ったら、父の浮気がまた発覚したからなんだってさ。もーほんと、うちの親って何やってんの、って感じでしょ?」
キイナの言い方がおかしかったので、笑っちゃいけないと思いつつ、笑ってしまった。
「頑固一徹生真面目風のキイナパパが浮気の常習犯だったなんて、ちょっと衝撃」
「ほんとだよね。あんな真面目そうなかおして詐欺じゃん」
「それはひどい」
言いつつも笑ってしまった。
「でも良き父なんだけどなあ。良き夫かどうかは怪しいけど、本当に私たちみんな特に差をつけられることもなく普通に大切にされてたし、聖一兄さんとは二人で飲みに行ったりもするくらい仲良しなのに」
「そうなんだ」
何となくほっとしている自分が居たりして。
そうか、聖一さんはちゃんと大切に愛されてきたんだ、よかった──おとなびた眼をした小学生の彼の映像が思っていた以上に刺さっていたようだ。
キイナはため息まじりに言った。
「もういい年なんだから母も父の浮気なんて放っておけばいいのに、とも思うんだけど。そうもいかないみたいだね。いくつになっても嫉妬ってあるんだなーって思ってしまった」
「騙されてたのが嫌だったのかもしれないよ。夫婦として妻からの協力や努力の恩恵を受けていながら、本当のことを話していたらそれは受けられなかったかもしれないんだから、騙してその恩恵を受けようとしたってことでもあるし。夫婦であることの恩恵は受けたいけれど、夫婦としての足枷は自分だけこっそり脱け出してる、みたいな感じが嫌なんじゃない? フェアじゃない感じだし」
「ふーん、そうか。じゃあフェアにやる分はいいのかな? たとえば母にも同じ自由を保障してあげるとか? 私だったら、やっぱり同じ権利を保証してよって思うかも」
「私もそうかも。でも、お互い浮気公認だとしても、何かやっぱりもめそうな感じもするなあ」
「そうだよね。私もそんな気がする。何かうまくやる方法ってあるのかな」
「どうなんだろう。不公平な関係に留め置かれたり、愛情を競い合わされるようなことがなければ、基本的に独占欲や嫉妬なんてそもそもあまり関係ないんじゃないかなって気がするんだけど。あ、もちろん病気の問題もあるから、それもちゃんとクリアしてほしいけど」
「カンナって面白いこと言うね」
「想像で言ってみただけだから、実際そうなってみたらやっぱり無理ってなるかもしれないけどさ。でもそこまでして夫婦関係を続けるほど相手への愛情はないって言うんなら、私だったらさっさと別れてスッキリしたいかな」
「私もそうかなあ。意味のない形だけの関係に縛られたくないな。自分が妻の立場ならそうだけど、でも父と母という二つの大きな柱が永遠ではないっていうのは、子供としてはなんだかせつないものがある」
「ふむふむ。複雑ですな」
「そうなのです」
気軽にすきなこと喋っていたらおなかがすいてきたので、キッチンから飲み物とお菓子を仕入れて、私たちは朝方まで二人で色々お喋りして過ごした。それはここのところ色々あった私にとっても楽しい時間でもあったので、私の方がキイナに助けてもらったみたいなそんな気がした。




