17
その日は午後からバイトだったのでそのまま行った。
おはようございまーす、と午後だけれど一応仕事場なので定型句で挨拶をしたら、聖一さんが出て来て私をじっと見つめた。そうしてにこっとして
「おはよう」
と言って、
「今日は資料を集めに行きたいんだけれど、つき合ってもらってもいい?」
と訊いてきた。
「いいですよ。でも私は何をすればいいの?」
「いくつか風景の写真が欲しいんだけれど、アシスタントをしてくれたらいいよ。後は現地で話すから。すぐに出られる?」
「はい」
私は彼の運転する車でちょっとしたハイキングコースなんかがある登山客に人気の山のなかに連れて行かれた。そこで彼の指示でデジカメで風景や植物などの写真を撮って回った。彼はちゃんとしたカメラで自分でも写真を撮ったりしていたので、夕陽を撮っていたときに「ちょっとモデルが欲しいから、そこに立ってくれる?」と言って写真に撮られたりもした。暗くならないうちにそこを出て直接帰宅するために送ってもらう途中で夕食もごちそうになった。彼がよくいく小料理屋さんのようで、
「運転するからノンアルコールで」
とママさんに言って、おすすめの一品料理なんかをたくさん注文してくれた。それらを仲良くつまみながら、ご飯とお味噌汁とお漬物も頼んでくれたので私はそれで夕ご飯を食べた。
カウンターに座って仲良くママさんと話したりしながら彼と一緒に居ると、なんだか不思議な感じがした。いつもの私が知っている彼とはちょっと違う彼の世界を覗いているみたいで。
「珍しいね、せーちゃんが女の子連れて来るなんて。しかもこんな可愛らしいお嬢さんを」
かっぽう着姿の年配のママさんに、にこにこして言われて
「そうでしょう」
聖一さんが言ったので、何だか私は恥ずかしくなった。
彼は笑いながらママさんに私を紹介してくれた。
「この子は僕のところでアルバイトをしてくれている神奈ちゃん。黄菜の友達なんだ」
「あらそうなの」
「はい」
私が言うと、彼とママさんはにこにこしていた。
何だか彼らの雰囲気はあたたかみのある親しみに満ちているような気がしていたら、
「このひとは、昔のお隣さんなんだよ。だから僕が小さい頃からの知り合いなんだ」
聖一さんがそう言って、ママさんが頷いていた。
「せーちゃんがおしめしていた頃からの知り合い」
ぷっと何となく私が笑うと、彼はちょっと困ったように照れていた。
「それは言わないでよ」
「だって本当のことだもの」
「かなわないなあ」
なんかこの二人のやりとりを見ているのは面白かった。聖一さんが可愛らしい呼び名で呼ばれていて、こども扱いされているのも新鮮だったし。そうして美味しく楽しく食事して、お土産まで頂いて、ママさんに笑顔で手を振り帰宅の途につく頃には、私は大満足していた。
「なんかすっごく楽しかった! 笑い過ぎておなかがいたいくらい」
久しぶりに大笑いした。明るいママさんと聖一さんとの絶妙なやりとりが物凄く面白かったのだ。あと、雰囲気も良かった。あたたかみのある、親しみに満ちた優しい空間。つきすぎず離れすぎず、のちょうど良い関係性がしっかりそこに息づいている感じ。その場所の力もあるんだろうけれど、やっぱり人の持つ力もあるように思う。安心してほっと一息つけるような素敵な場所だった。
「よかった」
笑って聖一さんは前を見て運転しながら
「連れてきてよかった」
と優しい声で言った。
あれ、もしかして、なんか元気づけようとしてくれていたのかな。
何となくそう思っていたら
「面白い人でしょう」
と彼が笑いながら言った。
「うん。明るくてすかっとしていて気持ちがいい人だね。なんだかファンになってしまったかも」
「そうか。今度会ったら言っておくよ。喜ぶんじゃないかな」
「ひとの力ってやっぱりすごいね。なんか彼女のすごく強くて優しいエネルギーが空間にぴちぴちして溢れそうに満ちているみたいだった。活きのいいってああいう感じなのかな。新鮮な喜びに満ちているみたいな、生命力の塊みたいな人だね」
ちょっと咲良にも感じが似ているな、と私は何となく思っていた。
「うん、そうだね。何か人間エネルギーチャージャーみたいな人だよね」
「ほんとだね」
笑っていたら、彼は私をちょっと見た。
「神奈ちゃんはもう十八歳になったんだっけ」
「うん」
「そうか、はやいなあ。初めて会ったときは十二歳くらいだっけ」
「そうだったと思います」
あのときは彼がものすごく大人に思えたけれど。今でも彼は大人だけれど、今はあの頃よりも少し距離が近い。何となく考えてみたら不思議な感じがした。そう考えていたら、聖一さんが私を見ていた。彼は私と目が合うと、にこっとしてまた前を向いた。
なんだか色々な事があったように思うけれど──
私は自分の周囲で起きたあれやこれやをぼんやりと思い返していた。
あんたのせいだから──血まみれの姿で私をにらみつける彼女の姿が脳裏にフラッシュバックする。何度も。何度も。振り払おうと思っても鮮明な光景が網膜にも脳にも、心の中にも焼き付いて離れない。
窓の外に流れる景色を見つめながら、気が付いたら私は大きくため息をついていた。
聖一さんは前を向いて運転をしながらとうとつに
「他者のエネルギーを搾取することで自分のバランスをとってきた人たちは、それまではその犠牲の上に自らを成り立たせることができていたかもしれないけれど、もうそうした犠牲のシステム自体がどんどん通用しなくなっているんだよ」
そう言った。
エネルギーヴァンパイア。精神の吸血鬼。ひとの健康的なエネルギーを食い物にするひとたち──亜美ちゃんや一連のいじめや嫌がらせが趣味みたいな人達のことを私はとっさに思い浮かべた。
私が彼を見ると、聖一さんはちらっと私を見た。そしてまた前を向いて言った。
「犠牲や虐待のシステムで自分を成り立たせるようなものはいずれエネルギーの餓死をすることになる。それは全て自分でそれを選択した結果で、そしてその結果に責任をとらざるをえない。それが底付き、自ら赴いて死と再生の門をくぐるか、ある日突然強制的に退場させられることになるか。いずれにせよそれはこれからどんどん起きてくることだと思うよ」
比喩だろうけれど、死という言葉に少しどきっとした(ちなみに、彼の言う死と再生の門とは、精神分析学なんかで使う比喩で、魂の錬金術みたいなことを指している。深い精神性(黄金)へと意識が変容する段階やプロセス、イニシエーションの様な物事の比喩だった)。
死んでしまえ、とか思っていたことに対して後ろめたさを少し感じていたことを思い出させられたから。
目の前で手首を掻き切られたからな。さすがになあ、と私は何となく黙ったまま思い返していた。
こちらをギラギラした目で見据える彼女の鮮血が飛び散る光景。
海や陸にも付着した彼女の赤い血の色。
あのことはまだ彼に話してはいないのだけれど──聖一さんはまるで何が起きたのか知っているみたいだった。黙ったままでいる私に、彼はそのまま静かな声で淡々と続けた。
「今まであったものが次の瞬間にはもう跡形もなくなっている、今この瞬間手元にあると思っていたものが次の瞬間にはもう手の届かないところにいってしまいもう二度と取り戻すことができない、そういったことが起こりやすくなっていくと思う。ものごとの変化のスピードが速くなって、そしてそれが本当に突然起きたりするんだよ。予想がつかないってこと。でもこれは本当はみんなこうなんだってことに気づいて新しい能力を切り拓いていくいい練習になる。それを嘆くこともできるし機会にすることもできる。全部自分しだい。君自身に起こることもあれば、直接君には関係ないところで起きたことを聞かされたり見せられたりする機会もあるかもしれない」
彼はそう言って、私を見た。
彼の不思議な話にはなれっこになっていたので
「うん、わかったよ」
と私は頷いた。
とりあえず心構えをしておけ、くらいの感じで聴いていたのだ。




