15
聡子を悩ませていた魔界的結界中のクレージーなお家騒動はあっけない幕引きとなった。
「なんてことなかった。どういう思考回路でそうなってんのっていうような頭おかしいこと言っていたのは、単にそう言い張ることで誤魔化していただけだったのよ、結局。あほらしいったらありゃしない」
あたまがハジケたかと思われた妹には実は本命の彼氏がいた。そうして、家同士のつながりを目論んでいた元婚約者は妹に手を出して捨てられたので、聡子に彼を押し付けたい妹と共謀してわけのわからないこと言って、背水の陣で煙に巻こうと大フィーバーしていただけだったのだそうだ。
鬼の首を獲った聡子に晴れて絶縁状を突きつけられ、元婚約者は鈴村家から永久退場となった。
「なんていうか。ほんとうにお疲れさまって感じだね」
初めから最後まで、こんなこと現実にあるんだ、というようなものすごい別世界の話だったので、私はただただ感心したというか、人間の多様さってすごい! と呆気にとられるように思ってしまった。
「終わり良ければ総て良し!」
キイナに宣言されて、聡子はそうね、と浮かないかおで言っていた。
「本当にこうやって幕間狂言がちゃんと終わってくれたからよかったようなものだけれど、うちの変な磁場に取り込まれていつの間にか自分が悪いみたいに思い込まされて、うっかり罪悪感みたいなものをもってしまっていたらどうなっていたかとぞうっとする。そんな変な状態でぐずぐずしているところで、輝幸にもなんかあったりしてもう会えなくなったりしていたら、それこそ本当の悲劇になるところだったかもしれない。だから、終わり良ければ、と簡単には何だか終わらせられないようなもやもやした感じもあるんだよね、本当は」
わかる気がする。
「馬鹿げたことに無理やりつきあわされたことで、精神的に思わぬダメージを受けているのかもよ」
私がそう言うと、
「そうかも。なんか妙な脱力感がある。無駄に消耗した虚しい感じ」
「なんかわかるよ」
「後からくるって言うよね。そういうダメージって」
「まだこんにゃろう、って怒りがある分元気だけど、もう少し時間が経ったらどっと疲れが出てはげるかも」
「だいじょうぶ、育毛剤プレゼントしたげるよ!!」
元気よく励ますキイナに
「そこはだいじょうぶそんなことないよ、って言っとくべきでは」
私が地味につっこんでいたら、珍しく聡子は神妙な様子で言った。
「なんかこういうのって地味に精神的にくるものだね。あまりに馬鹿げていたからまっただ中にいる時は、いったいどうしてこうなった、って考えれば考えるほどこっちの頭もおかしくなりそうだったし距離をとっていたけれど、それでもただ関わりを持ってしまった事だけでも、実はものすごくこちらの生命力というか健康的なエネルギーのようなものをわしづかみにされて奪っていかれたみたいな、へんな消耗感があるというか。酷い暴力を受けたあとみたいな妙な荒みがあるっていうか。とにかく後味が悪いんだよね」
何となくわかるな、と思いながら頷いていたら、キイナが
「ちょっとわかるかも。その相手とただ関わってしまったっていうだけで嫌な不快感が残ることってあるよね。気づかなかったべたべたした古い油汚れをうっかり触ってしまって、石鹸で洗っても全部きれいにはなかなか落ちなくて、しばらく違和感が残っているみたいな。でも、新陳代謝というものがあるから、気づいたらこびりついたしつこい汚れと一緒に古い角質もなくなっているものだよ」
キイナがそう言ったので
「なんかいいこと言うね、キイナ。ちょっと見直しちゃった」
私がそう言うと、
「見直すってどういう意味よ」
とふくれていた。
聡子は私たちにこうも言っていた。
「今回のことで色々と考えさせられた。家族というものに関しても、自分とは違うそれぞれの都合がある人間なんだから、その人たちの言うことに、そもそも私があまり耳を貸す必要なんてなかったのかなって。結局は自分の都合で相手の為みたいにして動いているだけってことがたくさん見えてきて、その分、もうこれ以上この人たちにつきあわなくてもいいかなって、なんか肩の荷が下りた感もある。何か言われても、私は自分の人生に責任をとっていけばいいだけなんじゃないかって。そんなふうに、気づいたら新しい地点に押し出されていたみたいな解放感もあるから、一概に悪いことばかりでもないんだけどね」
面白い夢を見た。
私はどこかのお店で店主と喋りながらおにぎりやパンを買っていて、そのうちお店の二階へ移動した。二階に上がると、土と緑に囲まれた牧歌的な東南アジアの気持よく晴れた空の下に何故か私は立っていた。そして十代の少女たちが売っている編んだかごに入った葉っぱに包まれたおにぎりを買うことにした。そうしたらそこにいた女の子たちみんなが私の買った葉っぱに包まれたおにぎりの上に手を重ねだし、少し離れたところにいたショートカットの不愛想な女の子もそこにやってきて、みんなで当たり前のように、何かそれに祝福の祈りをこめてくれた。私はそれを眺めながら、この子たちにはそれが当たり前の日常なのだ、と少し驚いていた。
見ず知らずの人に渡す自分たちのつくった売り物の食べ物に、相手のための祝福をみんなで祈る。そしてそれをふつうに渡してくれた。不愛想な女の子も自分の役割が終わったのでそのまままたどこかに離れていったので、そこにはもともといた少女たちがいて、日に焼けた浅黒い肌ではにかむように微笑んでいた。
夢から醒めて私は何となく思った。色々な人がいるけれど、こういう風にふつうに人の幸せを祈ったり贈ったりするひとたちもどこかにいるのがこの広い世界なのだわ、と。
この不思議な夢は、これから私に起こることの前に、ちょっとしたエールを神さまが贈ってくれたみたいなものだったのかもしれなかった。
海と陸の二人と何だか平和に安定したいい関係を築き、日常の小さなことに幸せを感じていた私は、これと言った悩みもなく幸せだった。バイトも友達とのつきあいもみんな楽しかったし、両親との関係も特に悪くなかった。未だにひそひそされる日常の細々としたいざこざなんかは殆どすぐ忘れてしまったし、関係ないと割り切っていたので秒速終了と言ってもよかった。そんなある日、
「階堂から手紙が来てたんだけど」
見覚えのある綺麗な文字で海と陸の名前が宛名書きされた封筒を見せられた。宛先住所はこのマンションになっていて、切手も消印もあるので郵便ポストから投函されたもののようだった。
「あいつなんでここの住所知ってるんだ」
「後をつけられたりしてたのかも」
言いながら陸が私たちに
「読む?」
と訊いたので、海が頷いてその手紙を読んでいた。
私はそれをただ眺めていただけ。
読み終わった海は黙りこんでいた。
「神奈は?」
陸に訊かれて、
「いい」
「見なくていいと思うよ。個人的な事情がつらつら書いてあるだけだし」
海がそう言って手紙を陸に返した。
いいとは言ったものの、何が書いてあるのかとなんとなく気分がざわざわしていたら
「入院してるから見舞いに来てくれって」
陸がそう言って封筒の後ろ、差出人住所が病院になっているのを私に見せた。
「行くの?」
私が訊くと、海と陸は顔を見合わせていた。
「これで最後にするから謝りたいみたいなことが書いてある」
海が私に言った。
「なんか意味ありげだね」
「放っておけばいいんじゃないか」
陸が言って、海も
「そうだな」
と言っていたので、この話はこれで終わったのかと思っていた。
それからしばらくして、登校時、電車を乗り換えるために経由駅で降りたところで私は下級生らしい見知らぬ女の子から声をかけられた。彼女の制服を見ながら、この学校に通っている知り合いなんていたっけ、と考えていたら、
「これ預かってきました」
と彼女は私に凝った形に折りたたまれた手紙を渡した。
授業中に友達とやりとりするような種類のものだった。
何だろう、と思っている間に彼女はすぐに人込みの中に紛れて消えていったので、私はそれをポケットに入れて乗り換えの電車に乗った。
なんとなく嫌な予感がしていたけれど、怖いもの見たさでついその手紙を開いてしまった。案の定、見慣れた綺麗な文字がそこにびっしりとあった。丁寧な細かい文字で書かれたその手紙には、要約すると以下の内容が情緒的につらつらと書かれていた。
・今までのことを直接お詫びしたい
・自分は病気で入院しているので申し訳ないが病院まで来てほしい
・直接謝罪をさせてもらえるならこれで最後にするので、もう一切関わらない
感傷的な彼女の文言にちょっと嫌な気分になりながら、なんかこれ、謝罪したいとか言いながら自分の要求をつきつけているすごく変な手紙だなあ、とまじまじと読み返していた。聡子じゃないけれど、どういう思考回路でこうなるんだろうか、ちょっとその回路の仕組みが見れるなら見てみたいような気がしてきた。海と陸に来た手紙もこんな内容だったのかな。私はそれをまたポケットにしまった。そして忘れていた。
その手紙が何かの拍子にポケットから落ちた時、あ、まずい、と瞬間的に表情に出たみたいで、私をじっと見ていた海がそれを拾った。私が返してもらおうと黙って手を差し出したら、そのまま彼は断りもなくその手紙を私の目の前で開いて見ていた。勝手に人の手紙を見るとは思わなかったので少し驚いていたら、海が顔を上げて
「何で言わないんだよ」
と私に言った。
「忘れてた」
本当にそうだったのだし。
「何?」
少し離れたところで成り行きを見ていた陸が声をかけてきたので、海は陸にその手紙を折りたたんで投げて渡していた。人の手紙を勝手にキャッチボールにしている二人にあきれつつ、
「知らない子から駅で手渡されたの」
「ふーん」
言いながら陸は手紙を読んでいた。
「二人に来てたのも同じような内容?」
「なんかもっと自分の事情をいっぱい書いていたけれど、要は謝罪したいから見舞いに来い、で同じ」
陸がそう言って、また折りたたんだ手紙を私に投げてよこした。
「行かないとまたちょっかい出してくるってことだな」
海が言うと、陸が答えた。
「そういうことだろうけど、そもそもこれで最後にするなんて約束自体守らなそうだし」
確かになあ。
弁護士さんとの約束も守らないし。
私は何となく黙って二人を見ていた。
「でも本当にこれで最後にしてくれるなら、もうここでけりをつけたいんだけど」
海が言って、
「三人で行かないか? 病院の中なら他にも人がたくさんいるし、そんなに変なこともできないだろう」
私と陸を見た。
私と陸は何となく黙って顔を見合わせた。
海の気持ちもわかる。でも、なんか罠っぽくて不安。
お互い言葉に出さずに同じことを思っているのがなんとなくわかった。
でも、放って置いたら何だか海が自分一人でも行ってしまいそうだった。
「海がそうしたいなら」
しばらくして私がそう言うと、陸も
「なんか変だと思ったらすぐ帰ることにするなら。あと、こっちから連絡なしでいきなり訪ねていくならいいよ」
「じゃあ、そうしよう。こんなこともう早く終わらせたい。うんざりだ」
軽く嫌悪感を出しながら彼が言うのを私はなんとなく見ていた。
なんとなく海のことが心配だったが、どう言ったらいいのかわからないので黙っていた。




