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 衝撃のカミングアウト事件の日から二日目。

 いつものように迎えに来た陸がちょっと私を気づかうように見つめて


「行こうか」


 とそのまま隣で一緒に歩き出した。

 海から聞いたんだな、と何となく思いながら、時間をくれって言うにしてもいきなりこっちから言うのも変だしなあと考えていたら、陸は私の隣を歩きながら


「手つないでもいい?」


 と訊いてきた。

 今まで彼がそんなこと訊いてきたことはなかったのでちょっと驚いていたら、何か所在なさそうにこっちを見ているので私は頷いた。そうして手を差し出したら、ほっとしたように彼は私の手を取った。


「何でそんなこと訊くの」

「ん、なんとなく。汚い奴だとか思われてそうで」


 私は彼を見上げた。


「海から聞いたんでしょ」

「うん」

「びっくりしたけれど、別に二人のことを汚いとか思ってないよ。ショックはショックだったけど」

「時間が欲しい、って言われたって海が言ってたけど?」


 何だ自分で言ってるなら、私から言うことないじゃないか、と思いながら


「そう。これからどうしたらいいのかよくわからなくなってしまった。今まで通りというわけにはいかないみたい。なんとなく違和感があるから」


 陸はちょっと立ち止まって私を見てから


「それって、もう俺たちとはつき合わないってこと? 終りにしたいって意味?」

「そんなこと言ってないよ。別に嫌いになったのでもない。でも、本当に今はちょっと自分でもよくわからなくなってしまった。陸も海もまるで全然知らない人みたいに思えて、今まで通りに接することはできない」


 陸は黙った。そしてまた歩き出したので、私も一緒に歩き出した。電車に乗っていつもの駅で降りて、改札口を出たら、甘いにおいがしてきた。クレープの移動販売車がまた来ていたのだ。


「食べてく?」


 と陸が訊いたので、私は首を振った。

 おなかがすいてないからだったけれど、陸が気を使うかなと思って


「でも陸が食べるなら一口食べたい」


 と言ったら、陸はうんと頷いて自分の分と後でみんなで食べる分も適当に選んで買った。


「あ、君たちか」


 にこにこしたお兄さんに言われて、私たちは笑顔で頷いた。


「仲いいね、いいなあ」


 そう言ってお兄さんはまたクッキーを一袋おまけにつけてくれた。


「また来てね」


 お礼を言って笑顔で手を振って、なんとなくそれで気分があたためられ、私たちは機嫌よく歩いて丘の上に寄って手すりに腰掛け、夕焼け空を眺めながらクレープを食べた。陸が食べてからすぐに私にも差し出すので、一口と言いながらも結局は半分ずつ食べてしまった。


「やっぱりおまえの一口は半分なんだな」


 陸がそう言って笑ったので、


「そうみたいだね」


 と私も合わせといた。

 笑っている陸の髪や瞳や頬を夕陽がやさしく照らしていて、何だか綺麗だなあ、と私は何となく見ていた。

 陸は私を見つめて言った。


「こうしてたらいつも通りじゃない?」

「そうだね」

「あんまり難しく考えないでよ。神奈が嫌だって言うことはしないから。こうしていようよ」

「難しく考えてないよ。ただ」


 言ってから私はちょっと言葉に詰まった。

 ただ、なんだろう、自分でも言葉を探していたら、陸がこっちをずっと見ていたので、


「なんだか、陸も海も知らない男のひとみたいで」

「なんだよそれ」

「こうしているといつもの陸だけど、ふとしたときに、あれって思う。二人といつも一緒にいたような安心感とか居心地の良さが全くなくなったとは言わないけれど、それが突然ぱっと消えて見知らぬ場所にぽつんと置き去りにされたみたいな気持ちになるの、ふとしたときに。それでなんかひやっとする。よく知らない男のひとといるみたいな気持ちになる」

「不安になるってこと?」

「そうなのかもしれない」

「何で? 俺たちがしてたことが許せないとか?」

「そうじゃないと思う。でもなんとなく騙されてたみたいな気分にはなる」


 陸は黙った。


「別に二人が嘘ついて私を騙していたわけではないからそれは本当は違うんだけれど。私が勝手に二人に持っていたイメージとは違った二人の側面を知って、混乱しているだけなのかも」

「幻滅したってこと?」

「そうだけど、でもがっかりしたとかではなくて、ただ現実に、本当はよく知らない人たちだったんだって気づいたら、今まで通りにはいかなくなったってだけのことだと思う。幻想上の安心から目覚めた感じに近い」

「実は信用できない奴だったってこと?」

「うーん、当らずとも遠からずな……」

「なんだよ、それ」


 ちょっと不機嫌そうに彼は言った。


「けんかしたいわけじゃないよ。傷つけたいわけでもない」

「わかってる。ごめん。訊いたのはこっちからだし」

「そうだね。でも謝らなくてもいいよ」

「俺たちはどうしたらいい? 神奈はどうしてほしい?」

「時間が欲しい。今までみたいに、何もなかったみたいに、というのはたぶん無理」


 黙りこんだ陸に私は言った。


「陸も海も、知らない男のひとみたいに思える。子供の頃の延長のように過ごしてきたけれど、本当は違った。私だけが気づいていなかった。あなたたちは私よりもずっと性に関して成熟していて、そういう意味では初めからちゃんと男性だった。私だけがわかっていなかった。だから騙されたみたいな気分になるけれど、たぶん二人のことをはじめて男のひとだと認識して驚いているんだと思う。こう言えばわかってもらえる?」


 陸は私を見つめたまま尋ねた。


「それは俺たちを男として見ているってことだよね?」

「そう。でも、あまりいいきっかけでそうなったとは言えないから、どう対処していいのかわからないのが正直なところ」


 陸は黙った。


「逆の場合を考えてみてよ。子供の頃の延長でずっと一緒にいた私が、実は二人の知らないところで性に成熟していたとか。遊び慣れてたとか。知らない人みたいに思えるんじゃない? それで今まで通りにできる?」

「それはあまり考えたくないなあ。いやだなあ。男と女ではちょっと違うし」


 私はむっとした。


「なんでよ。同じでしょうよ」

「じゃあ男と女でも同じってことにしても、神奈がっていうのはいやだ」

「それって、もし私が逆の立場だったら、軽蔑して嫌いになるってこと? 汚いって思うってこと?」


 私が尋ねると、陸は黙りこんだ。

 こいつ、否定しないな。

 私がむかっとしていると、


「そうしたいの? 神奈も俺たちがしてたみたいに遊びたいの?」

「そんなこと言っていないでしょ」

「神奈は俺たちとは違うじゃないか。だから考えられないし、考えたくない。でも、逆の立場になっても本当には嫌いになれないと思う。それでも好きだと思うけれど、嫌いになれない分、憎らしく思うかも。汚してやりたくなるかも。めちゃくちゃにしたくなるかも。だからあまり考えたくない」


 なんだかまた知らない人といたみたいな衝撃を受けた。

 陸が陸じゃないみたいだけれど、本当は私が陸じゃないみたいと思う方の陸が現実の陸で、本当の陸だってことで、これをつきつめたら喉の奥から静かなパニックがせりあがってきそうだった。それは本能的な軽い恐怖に似たもので、でもそれを態度に出してしまったら、陸が傷つく。私はぐっと呑み込むようにして俯いた。


「なんか怖いね」

「だから言っただろ。神奈と俺たちじゃ違うって」


 私はちょっと深く息をついて、分析説明モードに考えを切り替える。その方が楽だったからだ。ある種の精神的な鎮静効果のようなものがあるから。


「じゃあ、こう言ったらわかる? とにかくそれって自分が最初に相手に持っていたイメージとは違うからショックで受け入れがたい、ってことだよね。その対処の仕方がどうであれ、今まで通りにはできない。これは同じでしょう。私とあなたとはその対処の仕方や反応は違うけれど、それでもその受け入れがたさとかショックとか今まで通りにはいかないのは同じ」


 伏し目がちにして手元を見つめながらそうやって話しているうちに私の身体の中で静かな嵐を巻き起こそうとしていた本能的な軽いパニック反応は消失していた。何気なく隣にいる陸を見上げると、彼は何だか微妙にもの言いたげば表情をしている。

  

「それくらいはわかるよ」

「なら、これでこの話は終り」


 陸は黙って私を見つめている。


「なに?」

「海に襲われそうになったんでしょ」

「手籠(てご)めにしようとされた」

「手籠めって……いつの時代だよ」

「その時代錯誤なことをしようとしてきたんじゃないの。自分の範疇(はんちゅう)に入れればこっちのもの、みたいに」

「……」

「今はもう怒ってないよ」

「海とそうなるのは嫌じゃないって言ったんでしょう? 俺ともそう?」

「うん、別に嫌だと思ってないよ」

「そっか、ならいいや」

「そこまで二人のことを嫌だとは思わない、ただそれだけ。でもいいよとは言ってない」


 微妙な線引きだけど──と何となく私は思った。でもこれが理解できない男はお断りだ、ともなんかはっきり思っている自分がいるのにも気づいた。


「わかってるよ。追い詰めるようなことした海が悪いんだし。でも、神奈を手放したくないからカッとなったのはわかってやってよ」

「頭に血が上ったって言って謝ってくれたし、もう怒ってないよ。でもまた同じことしようとしたら、今度は思いきり股間を蹴り上げるけど」

「よくわかった」


 とりあえずもう帰ろう、と立ち上がったときにはだいぶ時間が過ぎていた。マンションに帰ったら、海がもう帰って来ていて浴室からシャワーの音がしていた。陸と二人でリビングで勉強を始めていたら、着替えを済ませた海がひょいと顔を出して


「遅かったね」

「寄り道してた。お土産買ってあるよ」


 陸が答えて、私は頷いた。


「そっか、サンキュ」


 そう言って海はキッチンに行った。冷蔵庫の開け閉めの音やなんかを聞きながら、さっき海が顔を出したときに、私の表情をじっと見つめていた、その彼の表情が自分のなかに残像みたいに残っているのに私は気づいていた。うまく説明できない。知らない男の人を見るみたいな気分になる。彼の表情や眼差しは今までよりもずっと大人びて見えて、それは今までに見せなかったような表情だったり、眼差しだったりして、私を不安にさせる。嫌いになったのではないけれど、どう対応していいのかわからなくなる。


 これは過渡期のようなものだろうか。いずれ落ち着くべきところに落ち着くんだろうけれど、それまではなんか落ち着かないままでいるのは仕方ないのかも。自分に無理のないように、相手も無理のないように、そんなちょうどいいところに着地できるように、となんとなくお守りを持つみたいに私は自分に言い聞かせていた。



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