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「神奈、久しぶり」


 みなちゃんから声をかけられて、私はイヤホンをしたまま音楽だけ止めて手を振った。


「結局一度も同じクラスになることなかったね」


 そう言いながら、ここいい? と訊いてきたので、私は頷いた。みなちゃんとは中学受験の時以来、直接こうして話すことはなかったけれど、会えばいつもお互い笑顔で手を振ったりしていた。

 礼拝堂の椅子に腰かけて、彼女は尋ねてきた。


「いつもここでさぼってるの?」

「そう」

「ふーん、そうか。じゃましてごめんね」

「別にここは私だけの場所じゃないよ」

「授業始まるのにどこ行くのかなーって思って、何だか後つけてきちゃった。ここに神奈が入って行ったあと、ちょっと迷ったんだけど来てみてよかった。なんか落ち着くね、ここ。ひとがいない礼拝堂って、すごく居心地がいい」


 ステンドグラスから日差しの光が入るのを彼女は眺めていた。

 窓を見上げている彼女の頬のうぶ毛が光にきらきらしているのを、私はきれいだなあと見ていた。

 しばらく二人でなんとなく黙っていたら、彼女がとうとつに言った。


「私、名字が変わったの。今は二駅先のマンションで母と二人で暮らしているんだ」

「そうだったんだ」

「よかったら遊びに来てよ」

「うん、行くよ」


 私がそう答えると彼女はにかっと笑った。それは小学生の頃の彼女の笑顔と全く変わらない笑顔だったので、妙に懐かしくなってしまった。


「ちょっと居眠りしたいから寝るね」


 彼女はそう言って私の隣で本当にすーすー寝息をたてて眠り込んでしまった。

 疲れてんのかなあ、と思いながら、私は音楽プレーヤーのスイッチを入れた。イヤホンから流れる音楽と、隣で眠る幼なじみの寝顔と、ステンドグラスから差し込む日差しの光。静かな礼拝堂で、それらに囲まれて、私も目を閉じた。

 チャイムの音で本日最後の授業が終わったのに気づくと同時に目が覚めた。

 隣ではまだ彼女が眠っていたので、


「授業終わったみたい。そろそろ私は戻るよ」


 と声をかけたら、


「私も戻る」


 と目を覚まして彼女は立ち上がった。そして一緒に中庭を通って校舎に戻ると、互いに手を振ってそれぞれの教室に戻った。




「なんか元気ないね」


 聖一さんにそう言われて、私はそうかな? と首を傾げた。自分ではそんなつもりなかったけれど、落ち込んでんのかな、とちょっと考えていたら、


「頂きもののケーキがあるから、ちょっとお茶にしない?」

「いいですよ」


 きりがいいところだったので私は手を止めた。雇い主がさぼりたがるってのも不思議なバイトだな、と思いつつ、お茶の準備をキッチンで手伝った。


「雇い主がバイトをさぼらせてばかりでどうするんですか」


 私がそう言うと彼は笑った。


「だってせっかく美味しいケーキがあるから。もしかしてダイエット中?」

「いえ。遠慮なく頂きます」


 と私が言うと、


「でしょ?」


 とまた愉快そうに笑う。

 何となく私は彼に訊いてみた。


「よく知っていると思っていた人が、突然知らない人みたいに思えて違和感を感じてどうしようもないときって、どうしたらいいんでしょう」

「どうしたいの?」

「普通に接したいのだけれど、でもなんとなく違和感があるのでどうしたものかと」


 一緒にお茶とケーキを運んで休憩しながら、何だか私は相談コーナーのひとのように細部を言わずに大筋の悩みだけ相談していた。


「もうそれは以前とは関係が変化したってことだから、以前のようにとかこだわらないで今の関係に合った接し方にしたらいいんじゃないの?」


 ふむふむ、と私が聴いていたら、彼はちょっとじっと私を見つめた。

 なれっこになっていたので、私もそのまままっすぐに彼の眼を見ていたら、彼は私に尋ねてきた。


「もし僕が、神奈ちゃんにとって全然知らない人みたいに思えるようになったら、それでも普通に接しようとする?」

「たぶん。状況にもよるけれど」

「無理に今までの関係性を続けようとしなくてもいいんじゃないのかな」

「そうかな?」

「うん、最低限のマナーはあると思うけれど、変化したなら変化したなりの関係性に調整されていく方が自然な気がするけれど」

「今まで通りの関係を続けないといけないっていうのは、思い込み?」

「そうだと思う。だって無理しているじゃない」

「ふーん、そうか」

「良くも悪くも変化したら変化したなりの関係性に、自分にとって無理がないように、その時その時に合わせて調整していけばいいんじゃないの?」

「何でだろう、何だか今までのように律儀にそれを続けるのが正しいみたいな感じに、何でか思っていたけれど、言われたらそうだよね」


 あれ、なんかこれに似たこと、いつだったか考えたような気がしたな。

 いつだったかな、どこでだろう、と思い出せずにいたら、彼は私に言った。


「たぶんそれが何か大切なことに関わるからじゃないの。傷つけたくない人がいるとか、壊したくないものがあるとか。それが自分にとって大切な関係だったりしたら、無理してでも今までのように普通にして続けないと相手に悪いような、そんな気がしてしまうかもしれないけれど何か違和感があるのなら、それはもう既に変化しているってことでしょう。今までの自分がつくり上げた相手への対応の歴史に自分で自分を縛ってしまったら、その新しい関係性や変化にきちんと対処できないじゃない? どこかや誰かが無理をしないとそれを続けるのは無理でしょう。変化することや今までの在り方と矛盾するようなことであったとしても、それが現時点で必要だったり適切なら、こだわらずに切り替えたほうがいいと思うけれど」


 彼の話を聴きながら、私は思い出した。夢だ。夢で見たんだ。


「今思い出したんだけど、私、これにちょっと似たような意味の夢を見たことがあるの」

「どんな夢なの?」


「お弁当を知らない人たちと一緒に食べているんだけれど、その中身について色々質問してくる人がいて、うるさいなーって思っているの。初めは社交の一環と思って親切丁寧に質問に答えていたんだけれど、内容の好みが矛盾することを見つけてはいちいち訊いてくるから、矛盾していようが一貫性がなかろうが、その時食べたいものをつめているんだから自分では別に問題ないと思っているのに、応えている内に、それまでの自分の応答の履歴に律義にあるべきのような、それが義務のような気がしてきて、それで、ああ、相手のこうあるべきという期待に自分は影響され始めているんだな、って自分でも気づくの」


「面白いね」

「何か今までの履歴に律義にあるべきとか、続けるべきとか、考えてみたらそんなの必要のないものなのに義務のように感じてしまうって、続けることが正しい、変えることはよくないみたいな思い込みだよね」

「そうだよね」

「根本的には同じことでも、自分が大切にしたい相手とだと、それがわかりづらくなるんだね」

「そういうものだよ。大切にしたいものとか守りたいものとか、何かそれに愛着があるから、こだわってしまうし、変化が怖いように思うけれど、実際には物事はどんどん変わっていくから、それに合わせて自分も対処の仕方も適切に変えていく方が無理がないんだけれど、どうしても頑(かたく)なになってしまう」

「そっか。そうだよね、なんかちょっとすっきりしたみたい」

「それはよかった」

「思い込みって、自分では気づかないけれど、深いところで根を張っているものなんだね」


「そういうふうに刷り込まれてきているっていうのもあるけどね。たとえば、家族とか社会とか、それが正しいとか望ましい在り方のように長い間繰り返されてきた秩序が堅固にできあがっていたら、その歴史や環境から出て自分なりの価値感で判断していくのにはそれだけ摩擦が起きるでしょう。自分の中でも、周囲や環境とも。それを無意識に避けて、続けようとする場合もあるだろうし、その為に自分自身を騙すことさえある。本当はもう必要ではないものだったり、大切でもないのに、それに愛着を持っているかのように自分で思い込ませてしまうことだってある。大事なのは、自分がその時その時どう感じているのか、それに振り回されるのではなくて、冷静にセンサーからの情報をキャッチして、それを今の自分にとって適切な在り方や対処に活かしていけばいいだけのことなんだよ。その意味でも違和感があるのなら、それはやはり何らかの変化について君のセンサーが反応して、それを信号にして教えているってことだから、それを無視したら無理に繋がっていくだけだろうと思う」


 私は彼が淡々と話すのをじっと見たまま聴いていた。彼の態度があまりにも優しすぎもなく冷たすぎもない静かに落ち着いたものなので、その分、私は安心して聴いていられたのだ。

 気づいたら、話し終わった彼の瞳を私はまだ見ていた。

 彼も私の瞳をまっすぐにじっと見ていた。

 それから微笑んで、


「紅茶冷めちゃうよ」


 と私に勧めてくれたので、私は頷いてそれを飲んだ。


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