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海と一緒にマンションの入り口に入ろうとしていたときのことだった。その少し前から向うの方で停車中のカップルがもめているのに、私は何となく気づいていた。マンション前の道路脇に停めた車の中に若い男女がいて、男性が声を荒げていたのだ。大丈夫かな、と何となく目をやったら、車からものすごい美人が降りて来て、こちらにハイヒールの靴音を高く響かせながら駆け寄り
「海!! ちょうどよかった、助けてよ!!」
と私たちの目の前に現れた。
海はぎょっとしたように彼女を見て、それから向こうの車に目をやった。車の中から男性がこっちを見ている。
「もめてんの?」
「そう、しつこくて。ちょっと一緒に来てくれない?」
海は仕方ないなあ、というようにため息をついて、私に、ちょっと待ってて、と言ってから彼女と一緒に車の方に歩いて行き中にいる男性と話していたが、しばらくして車は走り去って行った。よくわからないが追っ払ったらしい。私はエントランスの入り口でそれを眺めていた。それにしてもきれいな人だった。しかもすらっと背が高くてものすごくスタイルがいい。なんかどっかで見たことのあるような感じもするけれど、どこでだったか思い出せないのに、どこか懐かしいような気がする。
誰だろう、そう思いながら彼らが戻ってくるのを待っていたら、彼女が照れたように嫌がる彼にむりやり腕を組んで、そうして二人仲良く帰ってきたので、さすがに私もちょっとむっとしていた。
海は私の顔を見て、
「これ、菫。俺らの異母姉貴だから」
彼女を指さして言った。そうして
「こっちは神奈。俺の彼女」
菫さんに私を紹介してから、
「急に来るから驚いただろ。なんでここに来るんだよ」
「しようがないじゃないの。逃げる口実探してたら、ちょうどあんたたちのマンションが近かったんだもの。弟の家に用事があるって言ってここまで送らせたの。なのに、ここについたら弟なんて嘘だろうとか言い出して帰そうとしなくて。本当にちょうどよかった。助かったわ。あ、タクシー呼んでこのまま帰るから、彼女との時間は邪魔しないよ、神奈ちゃんもごめんね? ありがとう」
菫さんはそう言って、さっさと携帯で最寄りのタクシー会社を検索して自分で呼んでいた。
「とりあえずエントランスホールの中で待とう。ないとは思うけど、あいつがまた戻って来たら厄介だし」
海は入り口を開錠して、私たちを中のホールへ入れた。ちょっとしたロビーがあるので、そこにあるソファに座って少し三人で話していたら、軽くクラクションの音がしてタクシーが来たので彼女はじゃあね、と笑って手を振って去って行った。
「きれいなひとだね」
彼女を見送りながらほうっと吐息をついて私が言うと、海は
「嵐のようにやって来て去って行ったなあ。台風みたいなやつだ」
ちょっと面白かったので笑ったけど
「失礼だよ」
とも言った。
「笑ったくせに」
言いながら、彼はエレベーターに乗りこみ目的階のボタンを押した。なんとなく私はその狭い二人きりの空間で、尋ねてみた。
「ねえ、なんで菫さんを見た時、あんなに驚いていたの?」
「べつにそんなに驚いてないだろう」
「ぎょっとしてたよ」
そうツッコんでみたのは、何となく、あやしい、と思う何かがあったんだと思う。カンとしかいいようのないもの。これが女のカンというものなのか。
海は黙って、目的階でエレベーターを降りて私を部屋に入れてから、手早く済ましたいといった口調で手短に言った。
「以前、菫の友達の何人かと関係を持ってた。向こうは大人だし、こっちは盛りのついたがきだし、遊びみたいなもので体だけの関係」
さすがに私はショックだった。
「それいつのことなの」
「13歳のときから。神奈に俺らが好きだって言うまでちょこちょこ関係は持ってた」
「もしかして陸もそうなの?」
「そう」
黙り込んだ私に彼は言った。
「でもその後は何も関係ないよ。お互いにあとくされのないものだったし」
だから何だか二人とも女慣れというか、妙に余裕かましてたんだな、と私は納得しつつ、突然のカミングアウトにどう対処していいのかさっぱりわからなくなった。嫉妬というほどのものは感じなかったけれど、私の知らない二人の側面を知ってなんだか急に知らない人を見るような気持ちにはなった。相手のすべてを知っているわけではないし、意外な面や知らない面があるのは当たり前のことなんだけれど、気持ちが追いつかない、みたいな感じ。
「怒った?」
海が私の顔を覗き込むように訊いてきたので
「怒ってない。でも、ちょっと時間が欲しい」
目の前のことにどういう立ち位置をとっていいのかさっぱりわからなかった。
怒るべきなのか?
嫉妬するべきなのか?
悲しむべきなのか?
そのどれもが私には何だかガラスを隔てた向こう側にある景色のようだった。あるにはあるのだろうけれど遠い、直接的な質感がない、そんな感じ。
それまで表情を消していた海が眉をひそめるようにして私を見た。
「それってしばらく会うのをやめるってこと?」
あ、そうか、そういう方法もあるのね。
言われてはじめてそれに気づいたくらい、なんだかぽかんとしていたのだ。
「えっと、それでもいいならそうしてもいい」
「なんでだよ、そんなのいいわけないだろう」
「ならちょっと考えさせて。保留ってことで」
そう言って私は学生鞄から教科書なんかを取り出してリビングのテーブルに並べた。とりあえず何かしていた方がよかったので、そのままいつものように海と一緒に勉強を始めた。海は黙ったままそれに合わせるように教科書に目を落としていた。
なんとなくつきあいだしたとは言え、私たちの関係はそれほど進展もしていず、たまに抱きしめられたり軽くキスを交わす程度だったので、なんかちょっと自分でもどう気持ちに整理をつけていいのやらわからなかった。過去のことなので、嫉妬という感じはあまりないけれども、でもだからと言ってわだかまりが全くないわけでもない、という感じだった。あとからものすごくジェラシーに悩まされるのかもしれないなあとも思いつつ、ガラス越しに風景を眺めているかのような質感のなさで、なんだかまた厄介なことになったな、という感じだけが実感をもってある。
「前にさ」
海が教科書に目を落としながら声をかけてきたので、私は彼の方を見た。彼はそのまま顔を上げずに続けて言った。
「神奈、言ってたじゃん。性への興味だけでも成立するものだろうって。それは恋とか愛とは別物だから必ずしも一緒のものではないだろっていうようなこと」
私は彼を見ながら言った。
「要はそういうことだと言いたいわけね」
言いながら、何か責めてるみたいな口調だな、と思ったので
「別に怒ってないから」
と付け足したけれど、それも何かさらに責めているみたいに聞えた。
それでこっちを見つめて黙りこむ海と一緒に私も黙りこんだ。
何か言えば責めているみたいに聞こえてしまうし、何を言えばいいのかもわからない。しばらくそうしていたら、海が私の手を取って
「ちょっとこっち来て」
と廊下に引っぱって行き、二つ並んである海と陸の個室の海の部屋の方のドアを開けた。二人が試験前に泊り込んだりするので、その個室にはベッドと本棚と机とノートパソコンくらいしかなかったが、清潔に整えられていた。
「ちょっと座って」
そう言って彼はベッドの上に私を座らせると、隣に座った。これはなんかまずいかも、と私が立ち上がろうとしたら、彼はそのまま私に覆いかぶさるようにして押し倒してキスしてきた。そのまま膝を割って自分の体を押し入れ、片手を私の服の中にもぐり込ませてきたので、
「ちょっと、まって!」
と押しとどめるように彼を両手で思いきりつき離すと、海は私を見下ろしていたけれど、
「そんなに気にするなら、してみたらいいじゃんか。難しく考えるからおかしくなるんだろう」
と平然と言ったので、
「それとこれとは別でしょう!!」
とさすがに私も怒った。
「別だろうが一緒だろうが、もう何でもいいよ。というより、神奈が好きだから今まで手出さないできたのに、何で遊び程度のことでやきもち焼かれないといけないんだよ? 何でこんなふうに俺たちがおかしくならないといけないんだよ」
「やいてない!!」
あたまにきて、覆いかぶさる彼のお腹に蹴りを入れたら、彼は寸前でそれをかわして、私から身を離した。そうして私を見下ろすようにして
「うそつけ。思いきり不機嫌じゃないか」
スカートがめくれていたのでそれを直していたら、がちゃがちゃと玄関の方からドアを開ける音がした。陸が帰ってきたのが分かったので思わず二人とも黙り込んで息をひそめてしまった。
陸が浴室に入っていく音が聞こえるまで私たちはなんとなくじっとして黙りこんでいた。
「ごめん、ちょっと頭に血が上った」
海が私にそう言って謝ってきたので、私も謝った。思いきり蹴り入れようとしたし、不機嫌ではあったのも事実だし。
「ちょっと時間が欲しい。海とそうなるのが嫌ってことでもない。でもこんな風になし崩しなのは嫌だ」
簡潔に思うところを述べたら、そんなに怒っているようには聞こえなかったので、海も素直に頷いてくれた。それでほっとしていたら、
「キスしていい?」
と聞いて手を握ってきたので、そのまま唇を重ねて、また熱くなってきたらどうやって止めようかな、と何となく考えていたら、向こうからすっとすぐに身体を離してくれた。
「陸ともちゃんと話してよ。俺が勝手にばらしちゃったし」
「何を話すの?」
「事情は俺から話しとくから、時間が欲しいっていう、あれ」
「わかった」
妙に公平なんだなあ、と思いながら私は頷いた。




