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 聖一(せいいち)さんは相変わらず、飄々(ひょうひょう)とした謎のひとだった。不思議な魅力のある素敵な人だと思うけれど、ちょっとこわいと思うときもあった。あまりにタイミングよくぽんと色んなことを投げかけてくるので、なんだか彼の手の中でうまく転がされているんじゃないかっていうような、ちょっと違うと思うけれど、孫悟空がお釈迦様の手のなかで暴れている感じ。そこからなんとかして出てみたい、みたいな? そんなものを衝動的に感じることもあって、無性にそこから逃げ出したくなったりもした。


 でも別に彼は私を追い詰めたりもしないし、閉じ込めたりしているわけでもないから、私の被害妄想じみた単なる考えすぎなのかもしれないけど。それか、単純に反抗心をどっかに持ってしまう私の性格の問題か。


 ごくたまにおそってくる、何となくこわいから逃げ出したいような感じを除けば、私たちはけっこう仲良くうまくやっていたと思う。


 彼の下で働きだしてから私は彼を不思議な夢で一度だけ見たことがあった。

 正確にはそれは彼の姿形をした人ではなかったけれど、何故か私はその人物を彼だと認識していた。

 どこか南国風の植物がある美しい寺院の庭に私はいて、彼と一緒にいるのだ。

 彼は老師のような年老いた高僧で片足が少し不自由だった。歩くときに少し引きずる程度。なので彼はゆっくり歩く。私は見習いの小僧さんらしく少年だった。何だか変わったお仕着せの服を着ていた。私はその庭にある綺麗な寺院の入り口のところで彼の履物を揃えて、しゃがんで自分の肩に彼の手を置いてもらい、彼が脱ぎ履ききしやすいようにその玄関から中に上がってもらった。


 夢はただそれだけだった。


 なんというか、それは現実での私たちの関係にもちょっと似ていたように思った。聖一さんとの会話はときに禅問答みたいなものだったからだ。でもそれはそれで私には新鮮だったし、何より彼は博識で、妙にカンが鋭く、しかも不思議なことも教えてくれる。他の人とは話すことのできないことを、彼とならたくさん話すことができたのもあり、私はおおむねそれを楽しんでいた。


 聡子との会話からそんなに日が経っていないある日のこと、彼はこんなことを私に話した。


「人間の知性の成長は思春期ごろ、もしくは成人したくらいでほぼ止まると考えられてきたのだけれど、本当は死ぬまでずっと成長し続けるものなんだよ。そして死んでから後もね。魂はずっと進化し続ける。だから僕たちは生きている間も進化し続けるんだよ。脳の可塑性(痕跡を残しながら成長していく性質)についても解明されてきて、いまではハードサイエンスとソフトサイエンスの両方の研究者が、人間の知性は思春期で終わらないと考えるようになっているし、大人の知性の発達についても研究されるようになっているんだよ」


「社会人になっても年をとっても大学で学んだりする人もいるものね」


「それもあるけれど、僕が言っているのは、intelligence、知能についてではなく、mind、考え方や思考について。世界観といってもいいけれど。世界を認識する枠組み、とか」


「なんとなくわかるようなわからないような」


「新しいプログラムや文書が学習することで増やしていくことのできるもの、intelligence だとしたら、それらをどこまで活用できるかは、OS(オペレーティングシステム)で決まるでしょう? そのOSそのものを進化させることが、mind の成長や進化、考え方、思考など、世界を認識する枠組みを進化させるってこと」


「ふーん、そうなんだ。ずっとアップグレードしていくことができるってこと?」

「そう、そんな感じ」

「それ、年齢と共に成長していくの? 例えば私は今十七歳だけれど、十年後、ちゃんとアップグレードできているのかな? それとも何か学習みたいな努力がいるの?」

「自然に成長・進化するけれど、でも必ずしも年齢と共にというわけでもないし、人によってさまざまかなあ。僕が見てきた感じでは、思春期で止まってしまっている人もけっこういる」

「私も?」


 彼は私を見てちょっと楽しそうに笑った。


「君は今思春期まっただ中でしょう。でも、君はずいぶん早いスピードで大人になりつつあって、成長期まっただ中って感じだよね。見ていて面白い」

「そうなの?」


 大人っぽく見られてきているってことかな。

 ちょっと嬉しく思っていたら、彼は


「大人の知性には大まかに言って三段階あるって言われているんだけれど、神奈(かんな)ちゃん、君はもうその二段目にきていて、それを確立しつつあるみたいだし、次の段階にもある面では入りかけている」

「そうなの?」

「うん、何となく見ていてそんな感じだけれど」

「それってどんな感じなの?」


 私がちょっと食いつき気味に尋ねると、彼はじっと私を見つめた。

 あ、まただ。不思議なあの眼。透明な眼差し。

 私も彼の眼をまっすぐに見つめ返していた。

 しばらく見つめ合っているような状態が続いたけれど、彼はふっと微笑んだ。


「人間の成長や発達って色んな側面があって一面だけではないんだよ。それらは波のように波及し合っているけれども、ある面でかなり高度な成長を遂げていても、違う面では未成熟だったりもする。だから突出した面の段階があれば他の面もそこまで引き上げるだけの潜在力はあるってことでもあるけれど、だからと言って必ずしもそうなるとも保証はされていない。すべて君しだいだ。君はまだまだアンバランスで子供の面もあるし、とても大人びた面もある。そういうこと」


「ふーん?」


「mind、考え方や思考の進化は、深く自分自身を内省する能力の進化でもあって、それは同時に自分を取り巻く世界を理解する能力の進化でもある。だから世界観の進化ってことでもある。それは視野の拓かれ方や自分自身をよくわかって内省し、同時に世界を認識し深く理解していく仕方を成長させていくということ。その為には失敗を恐れずに色んな経験をしていくと同時に、《深化》が必要になるんだよ。他者や世界と関わることそれに拓かれてあることだけではだめで、深い内省が能力の基盤になるから、あちこち動き回らずにじっとして深く内省していくことも大切になる。それらをバランスよく、車の両輪のように、もしくは振り子運動のようにして、自然に成長していく。だから、孤独を恐れないことも大切になってくる。成長していくには群れから外れることも必要だってこと」

「……」

「君はもうある意味で群れから独立していて、自分なりの価値観や視点を確立しつつある。必ずしも文化的規範に捉われることなく取捨選択しているし、人に依存せず他人の意見に左右されず、個人として自律的に行動している。これは大人の知性の大まかな三段階の二段階目、『自己主導型知性』の特徴でもあるんだよね」

 なんだろう、すごく面白い──私は彼の話に惹き込まれていた。

「一段目は?」

「『環境順応型知性』といわれていて、順応主義で指示待ちの状態かな。他者に認めてもらうことが大切なので、自分の周囲や権威者に認めてもらおうと努力精進もする。チームプレーには向いているけれど、自主性には欠けるかもしれない。でもこの段階は大切なステップだから、ここを通ってその限界を突破するために次の段階の『自己主導型知性』へ移行する」

「三段目は?」

「『自己変容型知性』、問題発見を志向し、あらゆるシステムや秩序などが断片的、あるいは不完全である、暫定的(ざんていてき)なものだと深く理解している。一つの価値観だけではなく複数の視点や矛盾を受け容れられる段階でもある。自分を変容させることで限界を超えていく段階でもあるし、失うことも許容でき、新たな力をうみだしていくこともできる。それが深まれば死と再生も自然のプロセスとして受け入れられるし、実際にそれを生きるようになる。すべてが変容していくことを受け容れられる段階」

「ふーん、面白いね」

「これは大まかな区分だけれど、本当はもっと先もあるし、実際にはこの三段階の間もグラデーションになっていて、ここからはこう、とはっきりした境界線があるわけではないけれども、便宜上そのように区分けされて研究されているんだよね」

「成長していくのに時間はあまり関係ないの?」

「関係あるけれど、必ずしも時間をかければ成長するというものでもないんだよ」

「どういうこと?」

「基本的に知性のレベルが複雑になるほど、成長には時間がかかる。十年二十年と長い熟成の時間が必要になるものだけれど、でも必ずしもそれだけの時間をかけて年齢を重ねても、成長したり進化したりせずに、ある段階で固定されてしまったように、そこで固着している場合も多いんだよね。ある意味それも執着と言ってもいいのかもしれないけれど」

「その段階に自分でこだわっているということ?」

「愛着というか、次の段階も視野に入ってはいても、そっちへと成長することを促されていても、現時点の段階に留まっていたい、耽溺(たんでき)していたい何らかの理由がある場合もあるし、でもそれは人それぞれだよね。魂の経験としてそれを必要としてる場合もあるし、こうやって成長して進化していくのが正しいというような黄金のルールなんてないよ」

 私は何となく、聡子の家族のことを思った。

「成長して行こうとする人の足を、そういう人たちが意識的に引っ張るということはないの? 次へ進むことを促されていても自分がそこに留まっていたいのに、近くに次の世界へ飛び立とうとしている人がいては、都合が悪いんじゃない? 耽溺していたいのならなおさらそうなるんじゃないかな」

 彼は私をじっと見つめた。

 そして淡々と言った。

「それはよくあることだし、仕方ないものだと思うことだね。でもそれにも意味がある。そうやってすぐに飛ばずに力をためて、より深めておく必要のある何かがそこにあるんだよ。時期が来ておおきくそこを飛び立つことも可能だし。いずれ全てを捨て去っていくための、そのための内省期間ということであれば、それもそれだけの力をためて磨いておく時間が必要だから。幻想の焦燥感や切迫感に惑わされて、自分の時間やエネルギーを無駄に消耗しないことだよ。深く沈潜(ちんせん)し内省するにはそれだけの時間もエネルギーも集中的に必要になる。できるだけゆっくりと着実にする必要がある。大切なことほど時間がかかる。一朝一夕(いっちょういっせき)にというわけにはいかないんだよ」




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