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 いつの時代のどこの国なのかもわからないところで、山の麓(ふもと)に沢山の人々が集まり、決起集会のようなことをしていた。先頭に立って弁舌(べんぜつ)爽やかに振るっているのは一人の眉目秀麗(びもくしゅうれい)な若者で、あまり背は高くないが、カリスマ性のようなものがあるらしく、その場にいる人々は彼の魅力的な演説にぐんぐん惹き込まれているようだった。でもそれは、そこにいる彼ら彼女ら自身の願望を彼が魅力的に代弁し言葉も巧みに素晴らしい未来を鮮やかに語るからでもあった。爽やかに弁舌を振う魅力的なその若者にカリスマ性を与えているのは実は彼ら彼女自身だったが、その場にいる人々はそれに気づいていなかった。気づいていてもそれを見ないふりをしていた。その方が都合が良かったから。


 それは何か大きな紛争が終わった後。全てがあっけなく、無血開城に近いやり方でそれが成し遂げられた後のようだったが、そこに集まる人々はそれにどうやら納得をしていない様子。要は行き場のない衝動を持て余し、犠牲を求め、血に飢えた嫉みや怒り、憎悪へと、自らその衝動を注ぎ込み高ぶったような興奮状態がその場の空気を支配していた。そして先頭で弁舌を振う彼はそれをよく読みとり、才知ある言葉で巧みに彼らの夢を鮮やかに語り、勇気や信念を奮い立たせ、そこに希望のようなものをもたせていたのだった。


 やがて人々は意を結集させその険しい山を征服することにしたようだった。山頂にある神殿に奉納されている財宝を財源にするという目的もあったようだ。


 その魅力的なリーダーに先導されて彼ら彼女らは松明(たいまつ)を手に山の入り口までやって来た。夜の暗闇の中、一瞬雲が晴れて月明かりが射した。そこは鏡の湖と呼ばれる場所で、鏡面のように静かな湖面に月が美しく映っていた。その大きな湖を前に、彼ら彼女らは夜を明かすことにしたようだ。


 翌朝、朝日が射し辺りが明るくなるとすぐに若者に続いて未だ霧が濃く漂う森の奥深くへと彼ら彼女らは入って行き、その険しい山を頂上を目指して登り始めた。厳しい道のりを歯を食いしばり、自らの大きな理想のために山頂を目指したのだ。人々の努力や信念は凄まじく、彼ら彼女らは着実に山頂へと果敢に歩を進めていった。


 しかし彼ら彼女らは気づいていなかった。先導する若者が導く道のりは、あの鏡の湖を境に、鏡に映った山頂へと導く現実と幻想が妖しく織り交ざった下降への道のりだったのだ。地下奥深く冥界と呼ばれるような場所、人が地獄と呼ぶ場所へと、彼ら彼女らは自ら望み意気揚々(いきようよう)と果敢に赴(おもむ)くことになったのだった。



 その夢から目覚めて、私は妙な夢を見た、としばらく夢の余韻(よいん)の中にいた。

 私はその夢の中の若者が何故か姿形はまったく違うのに、亜実(あみ)ちゃんだと、認識していた。そうしてそのままそれをずっと映画やドラマを最前列で眺めるようにただ眺(なが)めていただけだったのだが、目覚めてから何とも奇妙なその夢の後味に、複雑な、何とも言えない気分でいたのだ。そしてそれはいつの間にか日常の中に紛れて、わけのわからないただの夢のひとつとして次第に忘れられていった。





 話が少し前後するが聡子(さとこ)の家出はひと月ほどで終わっていた。

 その間、彼女はちゃっかり登校して来ていたので成績を落としてもいなかった。家族が休学届を出した後にそれをしていたので彼女の家にはバレずにしばらく続けられたが、家出からひと月ほど経つ頃にやっとバレて、校内で教師に呼び出された聡子はそのまま待機していた家族に連れられて自宅に帰らされたのだった。彼女の部屋から制服や教科書などがこっそり持ち出されていることに気づいた家族が学校に連絡して協力を要請したからだ。


「案外見つからないものだったから、逆にこっちが驚いたくらいだったわ」


 けろっとして彼女は翌日も普通に登校してきた。

 家出期間中は彼氏の親が管理する家具付きの単身者向けアパートにこっそり居候していたらしいが、それが彼の両親にバレそうになっていた矢先だったので、本人的にも潮時かなと思ったらしく、あっさり自宅に帰って、今後自分を閉じ込めたり何かを強制するような事があれば、今度こそ本気で家出すると家族にはったりをかましたら、普段おとなしいお嬢様が反旗を翻したこともあり何だかあっさりその要求はのまれたのだそうだ。


「晴れて解禁になった。初めからこうすればよかった」


 聡子は今まで自分が耐え忍んだ日々は何だったんだ、と怒っていたけれど。

 しかしその話にはまだ後日談があって、一旦彼女の婚約話も含めて保留というか無期限凍結された後にその元婚約者は態度を軟化させて、彼女にずいぶん優しく親切になって、それでもこまめに彼女に会いに家に通っていたらしく、それで彼女もさすがに情にほだされたのかあまり無碍(むげ)にもできず、相手に対して申し訳ないように思うようになったみたいだった。晴れて行動の自由が解禁され、彼氏ともうまくいっていたのにもかかわらず、彼女はどんどん沈痛な様子になっていった。


 そんな状態が半年以上も続くと、さすがに聡子も


「なんだかやさしく真綿で首を絞められているみたいな気分になる」


 そんなことを言っていた。

 強硬姿勢で周囲から反対されていたときの方が何故か楽だったらしい。

 自分さえ折れればすべてがまるく納まり、元どおりになる──それをなんだか無言のプレッシャーとして受けるほうがことのほか辛いのだそうな。


「自分が悪いことしているわけでもないのに、何か悪いみたいな気分になる」

 

 そう言ってはよくため息をついていた。


 聡子としては自分でできる範囲でだけれど筋はしっかり通したわけだし、いわば納得していない相手や無期限凍結にした家同士の婚約話に関して未練がましく無言の圧力を加える家族の方にこそ本当は問題があるわけだけれど、その空間に入ると奇妙な磁場が働くかのように、彼女さえそれを受け容れさえすればこの不快な状況は解決される、という論理がまことしやかな正義のように思われてくるのだそうだ。


「うちはいつのまにかとんでもない魔境になってしまったみたい。というより、元々そうだったのかも。私が意識したり気づかなかっただけで。なんだかしきたりだの伝統だのともったいつけて代々この家の男女を縛ってきた澱(おり)のような呪いとひとりで闘っているみたいな気分になる。皮肉なことに、本当はその呪縛の犠牲者そのものであるはずの母も妹もその呪縛側で、私を逃さないようにしっかり片足ずつ握っているみたいな感じなの」

「なんなの、その八墓村や犬神家みたいなオットロシィ表現は」 


 私がおののきながら言うと、聡子はさっくりと言った。


「本当に代々苦しんだ先祖の祟りとか呪いってものがあるんじゃないかとか思ってしまうほど、リアル異次元空間だって言いたいわけよ」

「なんかすごい表現だけど、言いたいことはよくわかったよ」

「呪いや祟りなら、パーッとお祓(はら)いでもしてもらったらいいんじゃないの?」


 キイナが半分本気半分冗談でそう言うと


「そんなことで済むならいくらでもお願いしたい気分。でもそれって、私の気分はいくらかスッキリ祓われても根本的なことは解決しない気がする」


 真面目に聡子が返答していたので、私も同意した。


「うーん、なんかそれもわかる気がするなあ」


「でしょ、要は問題を抱えている渦中の人がどう在りたいか次第で、本人がそれを望まず問題そのものにしがみついている場合は意味があまりないというか、もしかしたらより態度を硬化させることになるかも? こっちが状況も無視してひとりでスッキリしたら。この場合はスッキリしたい私と、呪縛という澱にしがみついていたい母や妹を始め血族のことを言うんだけどさ。集団で結集してこられたら、ちょっと怖いなってのもあるし」


「本気で逃げ出したくなるね、それは」

「今度こそ本気で駆け落ちしたくなるんじゃない?」


「それは最後の手段としていつも頭にある。でも、まだ学生だし、ちゃんと学校は卒業したいし。進学して勉強もしたいから、将来のことを考えても今は仕方ないかなって思うけど、いざというときには飛び出せるように力はためておこうかなって思うんだよね。あと、輝幸のことは好きだけど、必要な時にはちゃんと自分の足で立って出て行けるだけの力はほしい。それは家族からも輝幸からも、なのよね」


 凛とした佇(たたず)まいできっぱりそう言い切る聡子は、やはりどこまでも聡子だった。


「恋は盲目かと思ってたけど、芯は変わらなかったみたいだね」


 私が何となくほうっとため息をつきながら言うと、


「むしろ今回の輝幸とのことのおかげで、その芯が太くなった気もする。そこは感謝しているのだけれど、もしかしたら彼が望む女性像からはかけ離れていってしまうかもしれないって、一瞬ひやっとするときがある」


「へえ」


「今はこうしていられるけれど、先ってわからないし、私自身もその時になってみないと、どうしたいのかどうするのかわからない。愛されることよりも、もっと大切なものができるかもしれない。それを選ぶかもしれない。だからどんなにすごく盛り上がっている時も、いつか別れる時が来るかもしれないことも忘れたことないんだよね。というよりも常にそれは頭の片隅にある」


 私たちは高校三年生になっていた。

 私はまだ十七歳だったけれど、聡子もキイナも一足先に十八歳になっていた。一番乗りで十八になったキイナは車の免許を取りその行動範囲を一気に広げ出し、聡子は今から進学した後のことも見据えていて、私はみんなと一緒に進学するよりも海外留学を検討していた。


 私は彼女を見つめた。


「なんかわかるよ。それ」


 彼女も私を見つめ返して言った。


「本気になればなるほど、そういうものなのかもね。現実を見つめ続けることになる。自分自身の本当のことから目を逸(そ)らせなくなるの」




 咲良(さくら)が卒業してからも、私はたまにひとりで授業をさぼって礼拝堂へ行っていた。

 たまに老神父様がにこにこしてこっちを見てきて私も会釈をする以外は一人でぼうっとしたり本を読んだり居眠りをしたりして過ごした。他の時間では一人になれることがあまりなかったので、意識して一人の時間をとろうとしていたのかもしれない。


 愛されることよりも大切なこと──


 聡子の言っていた話は、女の子にとってはけっこう切実な問題になってくるのではないだろうか。

 別に必ずしも二者択一にしなくてはいけないこともないけれど、でも、立ち止まって考えてしまう。一つの運命の分岐点だったり、成長するために、新しい扉を開くために、そうした地点を通過していかないといけなくなる、そんな気がした。本当は男女関係なく訪れるものだと思うけれど。


 それにそれは単に恋愛関係だけに限らない。他者から受け入れられること、好意を受けること、仲間と認められること、そのなかでまもられること。例えば家族や身内のメンバーとして受け入れられ愛されることやその中でまもられること、そうしたことのすべてにも言えることだと思う。


 その頃私は昔の音楽にはまっていて Beatles の Let it be を授業をさぼってイヤホンでよく聞いていた。パイプオルガンの音が好きだったのもある。


 あるがままに、あるがままに、あるがままに──


 実際にマリア像を前にその歌を聞いていると、マリア様から本当にそう語りかけられているような気分にもなった。




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