1
「何で!!!?」
いよいよさ来年からは中学生、私立の中学受験を仲良しの友達と同じ学校にと決めてがんばっていた矢先のことだった。夕飯の席で私は思いきり絶叫していた。そんな私のリアクションに、両親は目を丸くして驚いていた。
「食事中に大声出さない」
気を取り直したように母がたしなめ、父が困ったような顔で言った。
「そんなに驚くことないだろう、初めから期間限定の同居だったんだから。おばあちゃんが腰の骨を折ってしばらく支えが必要だったから、神奈やお父さんお母さんでここに一緒に住むことにしたんだよ。でも向うの家をいつまでもそのままにしておくわけにもいかないし、神奈が小学校卒業するまではここにいて、中学生からは向こう、って最初から決めていたんだよ」
「そんなのきいてない!」
「言っておいたよ。忘れてるだけだろう」
「とにかくそんなの知らない!!」
母がこほん、と咳払いして
「大声出さない」
もう一度ゆっくりと念押すように言った。
「神奈がここにいたがるならおいとけばいいじゃないの」
祖母が気楽に言って、祖父がうんうんと嬉しそうに頷いた。
「だめです。神奈は向こうの家から学校に通わせることに決めているんです。お隣の海君や陸君と同じ学校に通えるようにと今まで中学受験に備えさせてきたんですから」
何だと?
私にあの悪魔の双子兄弟と同じ学校へ行けと?!
「そんなのますます聞いてないよ!!! 私立の中学ってみなちゃんやさっちゃんたちと同じとこだと思ってた!!!! 何で海や陸とわざわざ同じところに行かないといけないの!!!!?」
「仲良しだったじゃないの」
何も知らない母は呆れたように言った。
「もう仲良くないし!!」
「冷たい子ねえ。今でも毎年暑中見舞いや年賀ハガキをくれるのに、こっちからはちっとも出そうとしないし」
「そんなこと今関係ないでしょ!!!」
「大声出さない」
雷が落ちる寸前の母に私は服従の姿勢をとることにした。まずい、ここで怒らせたらますますまずいことになる。
「う、ごめんなさい」
「よろしい」
私は心配そうにこちらを見ている父を味方につけようと決めて、父の方を向いて言った。
「引っ越すのは仕方ないとしても学校は自分で決めたい。共学はいや。女子校がいいから友達と一緒のところ受ける」
「通うのは大変じゃないの?」
「向うからの方が少し遠いけど、そんなに変わらないと思うよ」
「わかった、それは考えておくことにするよ。今度学校のパンフレットを持って来なさい」
やった。
むっとして黙りこんでいる母を尻目に私は「もう持ってるから持ってくる」と席を立って自分の部屋から学校のパンフレットを持ってきて父に渡した。父はじっとそれを見ていた。
「あら、この制服可愛いわね」
そばで覗いている母も悪くなさそうな反応。祖母と祖父も見たがったので、父は彼らにパンフレットを手渡した。みんなの反応をじっとおとなしく見ていた私は、多分八割は大丈夫とふんでいた。みんなけっこうよさそうな感じ。これならきっと通る。そう思ってじっとしていたら、しばらくして両親が「いいよ」と言ってくれた。
「やった!」
「こらお行儀の悪い」
「ごめんなさい」
にこにこしながら私が言うと祖父母がよかったねと一緒に喜んでくれた。
「神奈がこんなお嬢さんになったらお父さん嬉しいなあ」
パンフレットを眺めながら父がしみじみ言うので
「まかせて、ばっちりなるよ。このくらいちょろいって!」
しっかり請け負ったのに、父は残念そうに言った。
「その言葉づかいからして難しそうだなあ」
「失礼だよね」
「う~ん、そうかなあ。本当に思うことだから言ったのになあ」
「とぼけながらさらに失礼だよ」
「ばれたか」
パンフレットと私を交互に眺めながら母は不思議そうに訊いてきた。
「こっちの学校の方が必要経費も経済的だし構わないけれど、意外だわ。海君や陸君とあんなにいつも一緒だったからきっと神奈も喜ぶとてっきり思っていたのに。思春期だから照れているのかしら」
「照れているわけじゃないよ。だってもうずっと会ってないし。それに向こうだってとっくに忘れてるよ。お行儀がいいから季節の挨拶は続けているだけだと思うよ」
「まあいいわ。とにかく自分で決めたんだからちゃんと受かるようにがんばりなさい」
「うん、がんばるよ」
「よろしい」
これで話は終わりかと思ったら、
「あの子たち、すごいのよ。頭がすごく良くてスポーツもできる。英語もすごく上手なの。とってもきれいなキングス・イングリッシュをちゃんと使えるのよ。あの子たちと仲良くしてくれれば神奈も英語が上達して将来楽しみって思っていたのに」
「英語がんばればいいんでしょ」
「そうね。やる気になってくれて嬉しいわ。でも海君陸君ママとはたまに連絡取り合っているくらい仲良しだからまた家族で仲良くしたいの。昔みたいにとは言わないけれど、ちゃんと礼儀正しくしてね」
あいつら外面だけは完璧な、悪魔の双子兄弟だからなあ。自分をよく魅せることにかけてはロープレで鍛えているし、見た目は天使みたいに見える。実はとんでもないエロませがきだったのに(まあ私もすっかり騙されていたわけだけど)。
何言っても無駄だな、と悟って、私は適当に相槌を打っておいた。
中学受験はうまくいった。いっしょに受けた友達の一人はうまくいかず、公立の中学に行くことになった。そのせいか、受験に向けて頑張っていたときは仲良しだったけれど、今はあまり話さなくなってしまった。私を除いた二人の方が元々は仲が良くて一緒に進学したがっていたのに、後から加わった私が受かり、本来の仲良しの一人が落ちたので、全体的に微妙な空気になった。もともと塾が一緒で学校のクラスは別だったので、せっかくもう一人の子と一緒に受かったけれど、なんだか気まずい結末になってしまった。とりあえず引越しもするし、学校で会えば話もするだろうけれど、今のところは距離をおいておくのが自然な感じだった。
卒業とほぼ同時に元の家に戻る準備も着々と進んでいた。両親があらかた荷物などを移動させたので、すぐにでも向こうの家で生活がスタートできるようになっていた。が、私は新学期の二日前まではこっちにいるつもりだった。めんどくさいことに巻き込まれたくないので(両親が隣家の家族を家に招いたりするから)「祖父母の元で新学期に備えて勉強している、ぎりぎりまで塾にも行く」と言って両親の了承を得た。
春は別れのシーズンで、私以外にも転勤だとか親の都合とかで引っ越して行く子が他にもいたが、ほとんどがそのまま同じ中学校へ進学する。仲の良かった子たちと離れ離れになるのは淋しかったが、中学生になることや、憧れの制服が着れることの方が嬉しかった。未来への期待の方がまだまだ大きい年ごろだから仕方ない。 進学先はキリスト教系で学園内に礼拝堂があったり、中庭にマリア像があったりする。毎朝礼拝があるそうだ。何だか別世界に行くみたいでわくわくした。
無事新学期を迎え、新しい学友にも慣れて半年ほどたった頃のことだった。
クラスメイトの二人と仲良くなった私は、その日、その内の一人の子の家にもう一人の子とおじゃますることになっていた。友達の一人は鈴村聡子。和国舞踊の先生の家のお嬢様で、何と彼女には幼稚園生からの婚約者がいた。うわあ、本当にそんな世界があるんだとびっくりした。聡子は色白で切れ長の目の美人だ。つやつやした黒髪のロングヘアを後ろでいつもひとつに束ね、姿勢が良くて、佇まいが凛としている。いつも着物を着ているみたいなイメージだが普段着は洋服で、ワンピースとかブラウスにスカートとかそんな感じ。
もう一人は桜澤黄菜。キイナとはクラスに入って本当にすぐに仲良くなった。色素の薄いさらさらした髪をボーイッシュにショートカットにしていて、大きな可愛い茶色の瞳が綺麗な子だ。彼女の家は剣道の道場をしていて、五人兄妹の末子がキイナ。長男、次男、四男はみんな道場主の息子らしく、剣道、柔道、合気道など武道を嗜み自衛官とか警察官をしていて頑固一徹なお父さんにみんなそっくりなんだそうな。三男のお兄さんだけは子供の頃から病弱で容姿も母親似らしいが、昔から神童とか天才とか呼ばれていた人で学生時代に自分で会社をつくって今は自宅で仕事をしているとか。そして父兄みんな一人娘で末っ子のキイナには甘いけれど同時に厳しくもあるのでものすごい箱入り娘。
今回私と聡子はキイナの家に遊びに行く。聡子とキイナは幼稚舎からの友人なので互いの家の行き来もある。聡子と私は、通学で使う学校の最寄り駅とキイナの家の最寄り駅が同じだったので駅で待ち合わせして二人で歩いてキイナの家に向かった。
「何か緊張してきた」
私がそう言うと、聡子は鷹揚に微笑んだ。
「見た目は怖そうだけど、おじ様もお兄様たちも黄菜をすごく可愛がっているから友達の私たちにも優しいよ。箱入り娘だから門限とかそのへんは厳しいけれど」
「キイナのお母さんはどんな方なの?」
「おとなしめの美人だけれどものすごくやり手な感じかなあ」
「イメージが湧かないなあ」
聡子はそうだよねえとちょっと笑って
「物静かな感じだけれど、あれだけの男所帯でしかも道場の門下生までいる中を切り盛りしているんだから、相当仕事ができる人だろうなって思って言ったの」
「ふーん」
「それに聖一さんが小さい頃病弱だったから看病とかもされていたみたいだし、なんだかいつも甲斐甲斐しく働いているイメージかなあ」
「神童とか天才とか言われていたお兄さんだっけ」
「そうそう。小さい頃からそう言われていたみたい。何となく色んな意味で聖一さんだけ家族の中ちょっと浮いている感じに見える。一人だけ毛色が違うみたい。でも家族みんなすごく仲がいいよ」
「ふーん」
おしゃべりしながら道を歩いていたら向こう側から迎えに来てくれたキイナが手を振った。
「お招きどうもありがとう」
私たちがそう言うと、キイナは照れて笑った。
「待ちきれなくて迎えに来ちゃったよ」
「私もすごく楽しみにしてた。でもなんか緊張してきちゃって、聡子に今ご家族のことを簡単に紹介してもらっていたところ」
「単なる噂話みたいなものよ」
「なによそれ~」
笑ってキイナは早く早く、と私達の手を引っ張った。
「ちょっとお土産のケーキがくずれるじゃない」
「ふたりで一緒に選んだんだよ。駅の近くに有名なパティシエのお店があるからって聡子が連れてってくれたの」
「ああ、あそこのケーキ、うちのみんなも大好きでお気に入りのお店なの。ありがとう、嬉しい」
「大きめのワンホールを選んだからご家族でどうぞ」
「やったー」
聡子と一緒にいるとキイナはちょっと妹っぽく見える。私とキイナが二人の時はキイナの方が姉御肌って感じだけど。可愛らしく喜んでいるキイナにふふっと微笑んでいる聡子を眺めながら何となく私はそんなことを思っていた。
「ねえ、聖一さんも家にいるんでしょ」
「いるよ? 聡子、聖一兄さんに何か用事でもあるの?」
「ううん、神奈に会わせてみたくて。ちょうど聖一さんの噂話をしていたところだったの」
「何で私をキイナのお兄さんに会わせたいの?」
聡子はちょっと面白がるように言った。
「だってあんな王子様キャラの王道みたいな人、なかなかいないもの。神奈がどんな反応するか見てみたくて」
「何それ」
「まあ見てのお楽しみ」
「まったく、聡子って妙なところでひとが悪いっていうか、面白がるよね」
キイナのご両親にご挨拶をしてから彼女の部屋で私たちはお喋りをして過ごした。キイナの部屋は思ったよりも女の子らしく可愛らしい部屋だった。ぬいぐるみとかがたくさんあって、カーテンがフリル付きのリボンで結んであった。窓からは敷地内にある大きな道場が見える。それから離れのような家屋も。噂の三男のお兄さんはそこにいるそうだ。仕事部屋兼居住スペースとして使っているんだとか。家のなかにも部屋はあるのだがあまり使用せずに殆ど離れにいるが、週末は家族と一緒に食事をとるらしい。長男次男は家を出ているが土日はたいてい朝から道場に来ているので、桜澤家では週末は家族みんなで食事するものとなっているらしい。高校生の四男のお兄さんは母屋でキイナや両親と一緒に暮らしている。
「卒業アルバム見る?」
キイナに言われて「みるみる!」と私は喜んで見せてもらった。小学生のキイナや聡子、それから今のクラスメイトの子たちもいた。二人がこのときは~と楽し気に話してくれるので特に疎外感も感じることなく、二人の歴史を共有させてくれているみたいで楽しかった。聡子もキイナも本当にいい子たちで、一緒にいると何となく不思議ないいバランスで満たされて居心地が良く、ずっとこうしていたみたいだった。キイナのお母さんがお土産のケーキを切り分けてクッキーと紅茶と一緒に出してくださったので、それを仲良く食べながら私たちは楽しく過ごした。
四時を少し過ぎたところで私たちは早めにおいとますることにして桜澤家を後にした。明るい夕方の帰り道、聡子が「聖一さんにお会いできなくて残念だったね」とにやにやしながら言ったので、私はちょっと口をとがらせて言い返した。
「そんなの聡子が勝手に会わせたがっていただけじゃない」
「そうだけどさ」
笑いながら聡子と私が角を曲がったところで、彼女が「あ」と言った。
ちょうど向うからやって来た背の高い男性が彼女に気づいて優しそうな笑顔で微笑んだ。
中性的で細身の綺麗な瞳の男性だった。癖のない色素の薄い茶色の髪がさらさらと光に透けてきらめいている。
「聡子ちゃん、お久しぶり。黄菜のところから?」
「お久しぶりです。そうです、今さっきまで黄菜と一緒でした」聡子はお行儀よくそう言ってから「聖一さん、この子は神奈。黄菜とクラスメイトなの」と私も紹介した。
「初めまして、神奈ちゃん」
「初めまして」
私たちが挨拶し合うのを聡子はにこにこしながら見ていた。
「また遊びに来てね」
優しくそう言って彼は「じゃあ、気をつけてね」と去って行った。
私たちはそのまま一緒に駅まで歩いて、別方向なので駅で別れた。途中で聡子が「どう?」と訊くので、「うん、素敵なお兄さんだと思う」と答えたら「なんだ、つまんないな」と言っていた。アイドルに会ったみたいなリアクションを期待していたのか。でも確かに素敵な人だった。あんなふうにじっとまっすぐ瞳を見つめてから優しく微笑まれたら、女の子ならみんな舞い上がっちゃうくらいの素敵な人だったし。




