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日曜日の夕方、葉月がバイトに出る時に合わせて私も出た。ライブハウスは駅前にあったので、ライブハウスの前で別れたのだが、駅の改札口あたりで知らない女性に話しかけられた。
「あなた神奈さんでしょう?」
尋ねられて、誰だろうと思いながら
「はい」
彼女を見つめると、
「私は階堂亜実の姉です。裕梨静香と言います」
私はぎょっとした。うわ、また出たよ。今度は何だよ?! オバケが出たかのような表情をしたのだろう、彼女はきれいな顔を申し訳なさそうに歪めて
「ごめんなさいね、嫌なことを思い出させてしまうとはわかっていたのだけれど、つい声をかけたくなってしまって」
「何の御用でしょうか」
私が硬い表情で事務的にそう言うと彼女は
「私は亜実や両親とはほぼ絶縁状態で、この近くに夫と住んでいるの。あなたのことは夫が両親たちの動向についてチェックしているのでその関係で知っていました。あの、良かったらどこかで少しお話しできませんか?」
迷ったけれど、私の中の何かが行け、というので頷いて彼女について行った。
彼女はライブハウスのある方とは反対口にある駅前のシティホテルのラウンジに私を連れて行った。
「何でも好きなものを頼んでね」
遠慮なくケーキと紅茶のセットを頼んだ。
彼女は紅茶だけを頼み、私に改めて自己紹介をしてから本題にすぐに入った。
「私の両親も亜実も、ちょっと普通のひととは違うの。常識が全く通じないようなところがあるから、本当に気をつけてほしくて。特に亜実は昔から甘やかされてきたので、他者と自分との領域の区別がつかないような子になってしまった。それは病気というよりも性格の問題で、たぶん治らないものなのだと思う。常識的に振る舞うこともできるしルールも認識しているけれど、それはその方が自分にとって有利だからで、それをうまく使って他者との関係を操作したりするのは子供の頃からだった。やり方が巧妙だから見抜ける人があまりいなかったのもあって、それは彼女の常套手段になってしまった」
私は彼女を見つめた。
「あなたはどうして私にこれを話してくれるんですか?」
「どうしてかしら。あなたを見かけた瞬間に声をかけないといけないような気がしてしまった」
「私の顔を知っていたのはどうしてですか?」
「夫が興信所を使って、定期的に両親たちの動向を調べているの。こちらに危害を加えられる可能性があるから警戒しているのよ。あと半年したら夫が希望した海外勤務になるので私たちはこの国を離れるのだけれど、それまでの間はここから離れられないので、身辺の安全のためにそうしている。それであなたのことも報告書にあったの。写真もあったのでお顔も存じ上げていました」
そこで注文したものがきたので、私たちはしばらく黙った。
「彼女の常套手段は関係操作だから、とにかく関わらないことです。外堀を埋めるように関係を操作してくるかもしれないけれど、それにのせられないように注意してください」
私は嫌な気分になった。
顔に思いきり出ていたのも構わず、
「まだ何かしてくると?」
「あなた、昨日、近くのライブハウスにいたでしょう?」
私は少し驚いて
「はい」
彼女は私にすまなそうに言った。
「あなたを監視していたのではなくて、たまたま亜実の動向を調べていた調査員が同じ場所であなたを見つけたのよ」
私はちょっと黙ってしまった。
「昨日、彼女もあの場所にいた?」
「ええ」
私が黙りこんでいると、彼女は言った。
「あなたは関係者のパスをつけていてそれなりに目立っていたから、多分亜実もあなたに気づいたはず。念のために注意しておいてほしくて、さっきあなたを偶然みかけたときに声をおかけしました」
ここはお礼を言うべきなんだろうけれど、私は何だか痺れたように身動きできず声も出せないでいた。
「私が家族や亜実と絶縁しているのは、彼女が私の当時の婚約者であった夫に対して執着をして私との結婚を邪魔しようとしたからなの。私が幸せになるのが許せないから、ただそれだけで。それで彼の気を惹くために自傷行為をしたりしていたので、両親は私に彼との結婚を諦めるように言ってきた。私は小さい頃から妹の世話係の女中扱いみたいなものだったので、それが当然という口ぶりで言われたとき、ああ、この人たちと一緒にいると、私の人生を食い潰されてしまう、とやっと目が覚めたの。
考えてみれば、いつもそうだった。
泣いて、自傷して、脅して、おためごかしや正義仕立てで、こちらがどんなに理不尽な要求でも無理矢理にでも従わないといけないように、それをのむしかないように、義務や罪悪感をもつように、いつだって仕向けられてきた。私の気持ちなどお構いなしで。
それで血のつながりをすべて捨てる決心をしたの。そうしたら、自分がいかに家族という檻の中で酷い扱いを受けてきていたのか、やっと判るようになった。精神的な奴隷扱いみたいなものだったのに、その関係性の中に絡めとられていると判らなくさせられてしまうものなのよ。そこを出て初めて認識できる。
逆を言えば、関係性に絡めとられなければ、はっきりとそれを見抜く目を持つことも可能だということなんです。ちょっと抽象的で解りづらいかもしれないけれど」
彼女の話は私にはとても解りやすかった。
「いえ、よく解かります」
「そう、よかった」
彼女は私に手つかずのままの紅茶とケーキをすすめ、自分も紅茶を飲んだ。
しばらく私たちは黙って、食べたり飲んだりした。
一息つくと静香さんは伏し目がちに淡々と話した。
「彼女のような特徴のある人格のことを、潜在的攻撃性パーソナリティーやマニピュレーター、精神病質者、社会病質者、自己愛的攻撃性人格、又は自己愛的な変質者(モラルハラスメント加害者)等というらしいのだけれど……。
関係操作が常套手段、と先ほど申し上げましたが、具体的には、その関係性に絡めとられてしまうと、攻撃者の方が被害者のように見えるような状況にはめ込まれてしまうので周囲の人たちも攻撃者側に回ってしまうことがよくあるのです。
本当の被害者が加害者の様に見えるように、罪や問題をねつ造したり、濡れ衣を着せたり、自分自身の問題や悪事を責任転嫁してきたり、あることないことを噂で拡散したり、あらゆる状況を巧妙に設定します。
そして周囲を巻き込み、被害者の尊厳を徹底的に踏みにじる事に信じられないほどの力を注ぎます。
それは普通の人が考えられる範囲を越えたものです。その執拗な攻撃性や残虐性は、驚くほど安易だったり、身勝手な理由からも発動してしまいます。つまり、被害者の何かが引き金になる事はあったとしても、本質的な問題は加害者自身にあり、しかも、それがどんな理由で発動するかは全くその加害者個人の持つ問題次第で被害者に予測は殆ど不可能です。被害者にどうにかできる問題ではありません。
彼等や彼女等は、精神的、社会的、時には身体的にも、被害者を病や死に追い込むことで満足や優越感等の快楽や利益を得るので、実質的には快楽殺人者のようなものですが、それは公に裁かれることを上手に免れるために陰に隠されたまま繰り返されますし、エスカレートもします。
加害で得る快楽には常習性があるので薬物中毒の様に、より強い快楽を求めていくようになるからです。
しかも薬物とは異なり、関係性を持てるところ、人に関わる事の出来るところであれば、ほぼどこであってもそれを簡単に得ることが出来ます。見咎められることがあったとしても、単なるいじめや嫌がらせとして軽く対処されてしまうので、こうした加害者のもつ深刻な問題は殆どが見逃されてしまいます。
はっきりと悪意を持って攻撃してきているのにもかかわらず、否定をしたり混乱を装ったりすることでごまかそうとしてくる場合もある。そうして自分の悪巧みを、相手に徐々に容認させる。受け入れさせる。その為の譲歩を相手から引き出したり、退かせたりして、本来の被害者の方にこそ問題があるかのように仕立て上げてしまうのです。
そうしたことを意図的に関係操作でしてくるので、とにかく関係を断つこと。関わらないこと。そして、一度汚染されてしまった関係性には執着をしないで、潔く棄て去ること、もしくは距離をとる事をお勧めします。
むきになって誤解を解こうとしないで、ある程度の見切りをつけて、きちんと境界線を引く方がいいと思います。本当に信頼できる人を識別するための試金石だと思ってください。
そうでないと関係性に絡めとられてしまい、結果、いつまでたってもそこから脱け出せません。精神的にも、肉体的にも、経済的にも破綻して、そうして初めてようやく目が覚め始めることもあるし、既に手遅れの場合もあります。
特に自己愛的な変質者は精神の吸血鬼、と比喩されることもあるので、一緒になって加害をしてくる人たちにも気を付けなくてはいけないのです。そして、被害者に対しての加害侵害行為へ加担する事を選択する時点で、彼ら彼女らにも何らかの問題があるからです。その人間の本質的な弱いところ、正義を騙ることでいじめや嫌がらせを正当化して愉しみ、本来なら許されないことをする事で得られる利益や快楽、暴力の旨味を覚えさせられると、人は簡単に残酷な振る舞いや犯罪行為、暴力や虐待に対しての歯止めをゆるめ、外してしまいます。
特に自信の無い人や行き場のない抑圧を抱えている人、加害侵害への欲求を隠している人等がストレスや衝動をぶつける事と、それが本当は紛い物であっても仮初めの優越感や自尊心の満足、自信、一体感を安易に得られる事、本来は許されない事を正当化しながらできてしまう事への背徳感からくる解放性等へと簡単に耽溺してしまうからです。
甘い言葉で近づかれて安易に快楽を得られる薬物を与えられ、その強い快楽へと自ら溺れていくのと同じ事です。そして本物の薬物とは異なり、関係性のあるところ、人と関わる事のできるところであれば、ほぼどこであっても、それは手に入ります。快楽物質そのものはその個人の脳の中にあるので、選択を重ねる程にその回路は強化されます。行動も強化されます。その繰り返しでその個人の脳も器質的に変化をします。暴力の旨味を学習するのと同様です。加害侵害行為で得られる快楽や利益に手を染めた人は、それを簡単には手放しません。上手に隠れてやり続けます。そしてエスカレートします。薬物依存症者が同様の道を辿るように、殆どの人が本当に何もかもを失うまで自分からはやめることはないのです。やめることができないからです。
ごめんなさいね、私にはこれくらいしかあなたに教えてあげることができない」
情報量が多かったので黙って聞いていたが、静香さんは時折私の理解を確かめるように適度な間をおいて私を見つめてから、淡々と言葉を紡いでくれた。
ちょっと冷めてしまったが、紅茶もケーキも美味しかった。
それで少し人心地がついたのか、私もなんとなくリラックスしていたのでやっとお礼が言えた。
「なんとなくですけれど、仰ることは解ります。お話を聞かせてくださってどうもありがとうございました」




