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「共同体内でいじめや嫌がらせ、虐待、テロ行為や犯罪、重大な人権侵害行為等の加害侵害行為を繰り返す人間には、そうした行為を必要とする内面の問題がそもそもあって、こうした人間は、何らかの理由を見つけては(見つからなければ罪や問題などを捏造してでも)犠牲を創り出す。そうして似たような内面的な問題を抱える人間を惹き付け、日和見因子を持つ潜在的な異常者や変質者も惹き付け、犠牲と虐待や暴力の祝祭を愉しむ。そうして快楽殺人衝動を正当化しながら実行する機会を人々やその共同体内に浸透させ、その快楽や利益による旨味を覚えさせ、中毒させる。
こうした人間の一連の振る舞いは、関係性を通し本来なら人々や集団が実現できたはずの高い精神性や調和の達成を阻害して、より原始的で退行的な歪みや病んだ在り方へとその人々や集団を誘導し、変容させていく。本来なら必要ではないものを必要だと思い込ませ、その為に多くの犠牲を生み出し、加害や侵害行為を正当化し、歪みや病んだ在り方を連鎖させ、本来なら機能すべき人々の感覚や感性を麻痺させたり攪乱したりしながら、その勢力を伸ばしていく。
それは人々や集団を、色々な問題や課題が山積している中でもしっかりと地に足をつけて上方へと、より高次の段階へと拓いていくような成長の機会を尊ぶ在り方よりも、より低次の歪んだ原始的な衝動へと溶解させ退行させる方法をとることを正当化する在り方へと煽動する──そうして本質から外れたやり方で共同体内の緊張を緩和するので、本来ならそれを個人や集団の人格陶冶や修養、錬成の機会にするべきエネルギーや時間を奪ってしまう。
そうして人々や集団を幼稚化させ、未成熟な状態、バランスを欠いた状態や歪んだ状態、病んだ状態に留め置くんだよ。それによって本来なら不要だったはずの問題や解決不能な問題まで次々と生み出していくことになったとしても、その方が自分達にとっては都合がいいから」
聖一さんが私達に簡単にまとめて説明してくれたので、私も海も理解した。なるほど、要は、健全な人々の精神性や調和の為の成長や発達を阻害するだけでなく、全く逆方向へと個人や集団を誘導していくわけね。上方へ拓いていく在り方よりも、退行する方がずっと安易だし、痛みや苦しみや責任を引き受けるのは自分以外の何ものかで、原始的な衝動に溶解していく事で集団的な変性意識にも簡単に入ることが出来る。
「それは集団をコントロールする為に、犠牲の祝祭として、大昔からよく使われてきた手法なんだよ」
レネ君が言って、聖一さんも頷く。黙って聴いていた海が口を開く。
「つまり、ある種の人間は、目先の自分の利益の為に、共同体内の人々や集団をあえて低次の段階や歪みや病んだ在り方に留め置いて、本来なら不要だったはずの問題や解決不能な問題を次々と生じさせていくけれど、それもすべて犠牲に押し付けながら、そうした歪みや病んだ在り方を連鎖させ続けていく──と」
「そう、その通り」
聖一さんが言って、なる程、と海が頷いた。
「つまりそれって、支配構造がしている事そのままだよね。こうした種類の人々が周囲の人々を欺き、操作し、支配し、搾取し、勝ち上がって、どんどん権力を握る事で築いていったのが支配構造だって事でいいのかな」
海が尋ねて、聖一さんが頷いた。
「小さな身の回りの集団を支配する方法を得て、それを次第に拡大して、宗教などの儀式を使ってより多くの人を操作し支配するようになり、より多くの力を効率よく搾取するようになっていったんだよ」
レネ君が次いで説明してくれた。
「こうした大衆コントロール方法は珍しいものではないけれど、人々の識字力も上がり社会が発達していくにつれて、次第にこうした血腥い方法は忌避され、隠れて行われるようになっていった。その名残が身近にあるいじめや嫌がらせや虐待、標的を血祭りにあげる吊し上げの祝祭や私刑なんかで、こうした事を日常的に行う人間は、そうした在り方を身近な集団や個人、親や先祖から受け継いでいる──暴力は学習だからね。
彼等彼女等は発達段階のどこかで暴力の旨味を学習し、他を犠牲にすることを内面化する。そうして本来なら自分で真摯に努力してバランスを達成し潜在能力を発揮していくはずが、それよりもずっと安易に得られる力を行使するようになる事で、自分自身の脳の回路も強化していく為に、どんどん後戻りがしづらい状態へと、自分自身を自らの選択で作り替えていってしまうんだよ。彼等彼女等は自分自身の問題を他に押し付け、効率よく他の力や時間を収奪し搾取する犠牲のシステムを、自分の内外に確立していく。そうして大なり小なり犠牲のシステムを自身の内外に確立していくから、その共同体内で関係性を使ってそれは伝播していくし、その歪みや病んだ在り方もどんどん連鎖していくことになるんだよ」
何となく聴いていて気分が不快になる。
「まるで癌細胞の振る舞いそのものみたいだね」
私がそう言うと、レネ君も頷いた。
「こうした人たちは、本来なら自分自身のバランス達成を真摯に努力するべきところで、他を犠牲にする事を選択するから、問題の本質は解決されず、更に複雑で解決困難な問題を生み出すけれど、自分自身の問題から逃げ続けるためにそれを温存し、どんどん連鎖させていくし、周囲に拡大していくし、深刻化させていく。
本来の自分自身の生命力の根源としっかり繋がる事で得る力やその喜びを得ることを放棄して、安易な外道の方法をとることを選択しているので、彼等彼女等は自身の生命の実感を得ることが出来ないし、その枯渇や虚妄を埋め合わせるためにも定期的に犠牲を必要とする。それがカルト化すれば、隠れて行われるテロ行為や犯罪、私刑、殺人衝動や虐待等のサディズム的衝動を崇高なもの、力の源として祭り上げた、血腥い儀式なんかになる。動物や子供や赤ん坊を虐待したり殺したり性的虐待をするのも、こうした人たちの好む嗜癖で特徴だね」
「気持ち悪いし、厄介すぎるし、なんかもう、生理的に無理」
私がもう無理!と、全身全霊からの切実な拒絶の意思を表明すると、レネ君が付け足すように言った。
「こうした人たちは、本来なら必要のないものを周囲に必要だと思い込ませる。自分自身の存在も含めて」
「きっつ……」
生理的に無理とまで嫌悪感をはっきりと示した私でも、さすがにこれは辛辣だと思う。言いたい事はすごくよくわかるけれども。そして、おそらくそれは、紛れもない事実であろうことも。
「本来ならそれがなくてもいい、むしろない方が不要な問題もないし、バランスもいいし、生態系の循環も自然に回る──そういうものが、あまりにも多すぎるんだよ。増えすぎているんだ。余計なもの、邪魔なもの、すべての生命や存在に非常な負担をかけていて、本来の健全な働きを阻害し、足を引っ張っているものが、如何にも優秀で価値があり、有益で、高貴なもの、必要なものであるかの様に周囲や世界を欺き溢れているから。それはもう既に、健全な働きをする能力を持った存在の循環や浄化作用の受け容れ限界をとっくに超えていて、生態系全体にとっても深刻で有害なものに成り果てている。死活問題にまでなってしまっているんだよ」
「──それを赦し、受容しなければならない義務は、そもそも犠牲を押し付けられて搾取されてきた存在たちにはないわけだし」
「その通り」
言って、レネ君は続けた。
「生態系全体にとっても有害な歪んだ存在が、本来の潜在能力を発揮できる健康な存在を抑圧し、疎外し、排除し、虐待したり殺したりする──この顛倒(逆さま)した状態だけでも、何とかしないといけない。そもそも必要な機能として働く、有害なものを抑圧し、疎外し、排除し、殺す──この機能が正常に健全に働く様にする事が必要なのであって、ここまで酷い事をしでかしておきながら反省もせず、その責任も取らず、更に思い上がって厚かましくも加害侵害をエスカレートさせている有害な歪みや病んだ存り方そのものを抱きしめて赦し、受け容れるのではなくて、それに相応しい対処を速やかに断固として行う事が必要なんだよ──それが恣意的で野放図な私刑に堕すのを防いで、実態に合った法整備をして、カルトテロリズム実践者やスパイ工作、残虐な虐待や快楽殺人などの犯罪を行なう人間を厳格に裁き、必要ならば極刑も含めた制裁を断固として下していく必要があるから」
「……少なくとも、彼等彼女等は自身のしてきた事を、その身を以って償う必要があるよね」
私がそう言うと、海が言った。
「絵に描いた餅みたいな安易な赦しや愛や寛容さではなくて、必要なのは、生態系や環境や生命が本来持っている健全な働きを取り戻せるように、法的な整備も含めて環境を整えていく事と、個人や集団、共同体が本来持っている健全な力を取り戻していく為に、余計なものや邪魔なもの、本来は不要なものも炙り出して、その真偽正邪、健全性や不健全性を識別し、整理し、取捨選択していく事──つまりこういう事だよな?」
レネ君は頷く。
「本来は健全な機能として働くはずの力を不当に抑圧していく方が、新たな歪みの原因になるからね」
聖一さんがそう言って、海が「なるほど。確かに」と頷く。
「人が持つ攻撃性を表象するあらゆる悪や負に布置されている様な感情や衝動であっても、本当はそれは善も悪もない生命力の根源にある力であって、そもそもそれはその使い方や扱い方次第であって、それを使ったり扱う器次第なんだよ。ここにその個人や集団としての器量や器質の問題が絶対に外せない重要な条件や要素として関わって来るだけで。だからこそ僕らは真摯に自分のバランス達成に取り組み、その器を育み、修練をしていく必要があるんだ。人生という枷の中で。あらゆる困難や不幸はそれを育み、陶冶し、錬成していく為の舞台装置みたいなものだから。本当はそれを自分自身で自らの課題として設定して生まれて来ているのだけれど、すっかり忘れて、真剣に悩んだり傷ついたり格闘したりしている。そんな中でも実は魂は喜んでいたりするんだよ」
聖一さんがそう言って、続けて、「本来在るべきものが在るべき様に──余計な事はしなくてもいいから、少なくとも、それを不当に阻害しないことだよね。それは本来は必要な自然なもの──自律性を持っていて、自ずから然るものだから」。
私は隣で頷いている海に目をやる。そういえば、海がやたら(しつこく)繰り返し言っていた、感情と解放された感情エネルギーの関係って、こういう事なのでは──感情として立ち上がって来たそこにあるエネルギーを建設的に水路づけたり、解放したり──要はそれは自ずから然るエネルギーであって、それをどう使うか扱うか。その器次第。器量や器質次第って事だものね。
「何?」
彼を見つめたまま考え込んでいた私に海が尋ねたので、私は海や聖一さん、レネ君に尋ねるように言った。
「海が感情のもつエネルギーについてメモに分類したりして私にもよく話していたのだけれど──器って要は自分で育てていくものでしょう? 自分自身の感情が自然なもの、自律性を持った自ずから然るものだと認識して、その力を建設的に水路づけていく事に意識的になるだけでも、そうした能力を育てていくことになるのではないのかな?」
「そうだね」
聖一さんが言って、私が海に「海がメモしていた解放された感情エネルギーと感情について分類なんかも、その為に指針になったりしないかなと思って」と言うと、海は「確かにそうかも」。そう言ってから付け足すようにして言った。
「真実の感情エネルギーに限るけれど」
「偽物があるの?」
「偽装された感情というものもあるから」
「ふーん?」
そう言う事もあるのか、と私が思っていたら、海が簡単に説明してくれた。
「たとえば──すべてではないけれど──悲しみの鬱状態にある感情が実は抑圧された怒りだったり、その表面として出て来ているものが必ずしも真実の感情ではなくて、奥にある真実を隠す為のものである事もあるんだよ。怒りがそのまま出て来てしまうと本人自身や周囲に危険だったりするとか利益がない場合なんかに、より社会的に安全な表現になるように変換されたりする事もあるから。無意識的にそういう事が行なわれているんだよ」
「ああ、そういうのならありそうだね」
納得する私に、聖一さんが「四象限の概念を提唱している哲学者ケン・ウィルバー(※第五章 13参照)が、真の感情エネルギーと解放された感情エネルギーについても分かりやすく説明しているよ」と教えてくれる。そうして一冊の本※を持ってきてくれた。
「あ、本当だ。ちゃんとした表になっている」
「わかりやすい」
私と海がそれぞれに感動しつつそれに見入っていたら、聖一さんがざっと読み上げてくれた。
※(以下、文章の構造上、一時的にPC版サイトでご覧頂く事をおすすめ致します。お手数をおかけして申し訳ございません)
「
怒り・批判的精神 → 明晰さ・インテグリティ・鋭敏な知性
プライド・傲慢 → 平安・充足・安心
情熱・執着 → 叡智・軽やかな知性
落ち着きのなさ
嫉妬・パラノイア → 正気・効率・効果
頑固・無知・退屈 → 広がりのある落ち着いた意識
恐怖 → 全身に支えられた生の意識
戦慄 → 肉体的存在としての死の意識
悲しみ → 思いやり・つながり
欲望・貪欲 → 充足・寛大
野心・渇望 → 巧みで強力な行動
懐疑 → 探求する知性
嫉妬 → 平安・自己愛・寛容
無感覚
硬直した抽象性 → 無執着・大いなる存在
不安 → 明け渡すこと 広がりのある意識
回避・拒絶 → 驚異・ただあること
自己嫌悪 → 自己を超越しようとする意図
欲求・嫌悪 → 動物的な生の生命力 根源的な生命力
憤怒 → 困難を乗り越えるエネルギー 」
「こうして見ると、感情のもつ力というものが短絡的に善悪や優劣貴賤に振り分けられたりするものではなく、それぞれにちゃんと意味があるもので本来は生命力に属するもの──その人が生きていく為に必要な力そのもの──智慧の源泉に繋がるものだという事が何となくわかりやすいね」
私がそう言うと、海も頷いた。そんな私達に聖一さんは淡々とした調子で説明してくれた。
「自分自身の感情の力をちゃんと大切にするのものそうだし、他者の感情も尊重するもの大切なものなのだという事も、これを見るとよくわかるんじゃないかな。少なくとも自他の感情を低いもの、劣ったものとして扱うのは間違った姿勢であって、それはその個体がもつ生命力に繋がる大切な力の発露の一端でしかない。それをどう扱うか次第なんだし。
強い感情に圧倒されて呑まれてしまうのは、そうした感情のエネルギーを安全に乗りこなす経験が足りない場合もあるから、こうした事に意識的になって、自身の感情やそれによって惹起されている自分自身の状態を一歩引いたところから眺められるようにする助けになるかもしれない。
自分自身の感情や感覚──感性を自分自身が大切に扱う事で、自分自身の生命力の根源と直接繋がり、その力を建設的に水路づけていくこともできる。その大きな力を必要に応じて保留にしたり、熟成させたり、自身の糧にしていく事もできるようになる。何より、自分や他者のもつ感性、知覚、その奥にある生命としての力、その唯一性や素晴らしさ、美しさ、喜び──ただ在る事の喜び──に、直接知として触れていく、味わっていく、実感していく、身体知としてそれを体得していく──その自律性の尊重の感覚にも拓かれていく基盤になる。健康的な自尊心や自己愛を育み、健康的な強さを持った自我を育んでいくのにそれは欠かせないものだからね」
それまで黙っていたレネ君も頷いて言った。
「その通りだよね。こうしたその人が本来持っている生命としての力やその智慧の根源に自分自身が直接、しっかりと繋がっていく事は、たとえどんなに困難な問題を抱えていたとしても、地に足をつけて、未来で待っているその人自身の可能性の開花に向けて、意識の発達段階をより上方へと拓いていく──本来その人が持っている未知の潜在能力を包摂して、そうしてその力を発揮していく──そうした原動力や基盤になるから。魂の喜びにアクセスする為にも感情や感性の力はとても大切だし」
おお、そうなのか、私と海がしみじみと納得していると、レネ君はにっこりと微笑んだ。
「さっきも言ったように、この国の人達は微細な感性や感覚の知覚能力が本当にとても高いんだよ。元々ね。ただその価値を自分自身で信じていないか、貶めているか、気づいていないだけの事が多いんだよ。その様に思い込まされてしまっているんだろうけれど。でも本当はそれは、高度な知性や知覚を包摂して統合した倫理的な美的感覚を養う大切なものだし、それはこれからの世界を牽引していく大切な能力にもつながる──そのお手本を示していくだけの潜在能力を、本当はこの国の人達は持っているんだよ。恵まれたこの国の風土によってそれは長い歴史の中で育まれて受け継がれてきているから。
この国以外の人々だって、それぞれにその土地や自然の力としっかり繋がって共生してきたのであれば、又はそうしていくのであれば、そうした感受性は豊かに育まれていくものだし、受け継がれているものなんだ。そうした繊細な感性の力に優れている人達は、本当にたくさんいる。そうした人たちが、本当はとても素晴らしい潜在能力を持っていて、それは未来に向けて必要で、とても大切な力、能力なんだって、自分自身で気づいていないんだよ。本当は、そうした人たちが未来の世界を牽引していける力を持っているんだから。
カルトテロリズム実践者やスパイ工作をしてその共同体や組織、国の内部から崩壊を促進させようとしている人間が、恣意的に野放図に力を外道の方法を使って使い倒しているのに、本来のその力を世界やこの惑星に存在する全ての為に発揮できるだけの大きな潜在能力を持っている人達が不当に手足を縛られて手枷足枷をされているけれど、それはその人達が自分自身でそうしてしまっている面もあるんだよ」
※
I NTEGRAL L IFE P RACTICE Ken Wilber , Terry Patten , Adam Leonard , Marco morelli ,
〔 実 践 〕 イ ン テ グ ラ ル ・ ラ イ フ 自 己 成 長 の 設 計 図
ケ ン ・ ウ ィ ル バ ー テ リ ー ・ パ ッ テ ン ア ダ ム ・ レ ナ ー ド マ ー コ ・ モ レ リ
鈴 木 規 夫 : 訳 春 秋 社
夜明けの扉 “Gates Of Dawn” 5章 終り




