↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
102/115

20



 繰り返す波の音で目が覚めた。なんて素敵な朝の目覚めだろう、と感動しつつ、眩しい朝日と潮風を運んでくる少し開いた大きなガラス窓の方向に目をやると、沙羅が既に身支度を済ませて外を眺めていた。光を浴びて静かに佇んでいるその姿は輪郭が眩しい光に縁どられて逆光で殆ど表情は見えなかったけれど、なんだかとても綺麗で、まるで宗教画の様な神々しさだった。思わず手元にあった携帯端末のカメラをそうっと起動させて写真を撮ろうかと思っていたら、沙羅が私に気づいて、笑った。


「おはよう。よく眠れた?」


 逆光でよく見えないけれど、笑顔なのはわかる。


「ちょ、ちょっとそのまま」


 私はそう言って、寝転がったままで携帯端末のカメラで彼女を撮影した。よし、これを陸に送ってやろう。そう機嫌よく思っていたら、沙羅が画面をのぞき込んだ。


「わ、すごい、逆光で私だってことはよくわからないけれど、でも何だか絵画みたいだね」

「陸に送ってやろうと思ってさ。寂しがっているだろうし」

「何だか私じゃないみたいな綺麗さだから、照れるな」

「なんだか神々しいくらいだよね。宗教画みたい」

「自分で言うのもなんだけど、本当に綺麗。何だかマリア様とか聖女みたいだね」

「モデルもいいからね」

「まあね」


 そんな事を言いながら陸に写真を送った。そして、せっかく早朝に目覚めたので私達は身支度を整えて海へ散歩に出た。少し風がつめたい早朝の秋の海。砂浜を少し歩いて朝日を浴びていたら、沙羅が海を眺めながら「智ちゃんがいる」と言って指をさす。波間に人の頭らしいものが見えたと思ったら、サーフボードとそれに体を乗せようとしている人の姿が見えた。砂浜に腰を下ろして二人でしばらく智也さんの波乗りを眺めていたら、沙羅が「そういえば、不思議な夢見たんだよね」と前を見たままで言った。


「禊(みそぎ)の様な事をしている夢で、洞窟の中で冷たい水の中に頭まで浸かるの。神奈が傍に居たんだけれど、人間の姿ではないんだよね。これって陸も言っていた、別の惑星に居た前世かもしれない夢なのかな?」


 私も前を向いたままで答えた。


「そうかもね」


 波音が響く中でぼうっとしているのは気持ちがよかった。潮風で少しべたつく感じも砂が靴の中に入り込む感じもあまり気にならなくて、海のにおいや風や、砂の感触や波音がただ何となく好きだと思う。


「ちょっと不思議な感じ。こうして生きている事も、神奈とこうしている事も、智ちゃんや瑠偉がいる事も、みんな不思議に感じる。改めてその不思議さとか奇跡みたいなことに気づいちゃうみたいな感じで」


「何となくわかるような気がするよ。私も今こうして沙羅と一緒にいる事も、こうして海を眺めていることや、波の音を聴いていたり、潮風のにおいを感じていられるのが、何だかすごく不思議で、すごく幸せすぎるような事だなって改めて気づいてしまうし、そう思ってしまうから」


「目が覚めて、今日も生きているんだって気づいて、悲しい気持ちだった頃が嘘みたい。今は全く逆だから。目が覚めた時もそうだし、ふとした時にも、こうして改めてはっとするの。すごく不思議な気持ちになる。どのステップも外すことが出来ない運命の梯子を知らずに上って奇跡的にここにいるみたいな、あり得ないくらいの幸運に導かれてここにいるみたいな、不思議な気持ちになる。目の前に大切な人や存在があって、ただこうしているだけで、生きているだけで、夢みたいに幸せなことだなって改めて知るみたいに。何だか生きている事って本当に不思議だよね。あり得ないくらいに簡単に死んでしまったり、命が終わる事も同じくらいにあるっていう実感が何だか昔から私には深くあるんだ。私達に前世があるかどうかはおいていおいて、でも、自分や大切な存在が何度もそうして死んだり命が尽きた事があったみたいに、そうした実感に近い様な命が終わる事の深い感覚があるの。だからその貴重さとか、かけがえのなさとか、今この瞬間が二度とない唯一のものだってこととか、改めて気づいて、あまりに大切過ぎてびっくりするの。今、目の前に、あまりに当たり前にあるから」


 そう言って、沙羅は「何言ってんだろう、って感じだね」と照れて笑った。


「何となくわかるよ。一緒に過ごせることのあまりの不思議さやあまりの大切さに驚く。大切な人や存在や愛しいものと過ごせる時間の在る事や、触れたり、見ることが出来たり、声を聴いたり、においを感じたり、味わうことが出来る、それを分け合うことが出来る、そのあまりの大切さに、ふっとしたときに気づいてしまって涙ぐみそうになることがある。自分が生きていることだけでなくて、愛しいものの存在自体に驚くんだよね。それって、本当は死や命の終わりがそれだけ当たり前によくある事だってことを、どこか自分でもわからないような深いところでよく知っているからなんだと思う」


 波をかぶって沈んだと思ったら、またひょこっと顔を出して、何度も波をつかまえてうまく乗りこなす、波と真剣にたわむれてすごくそれを真面目に──真摯にと言ってもいいくらいに──楽しんでいる様な智也さんの姿を眺めながら、私は淡々とした口調で言った。


 沙羅は隣で前を向いたまま、沁み入る様に静かな声で言った。


「──なんて綺麗なんだろう。この海や波や、空や雲や、光に照らされて目に映る風景のすべて。智ちゃんや、神奈や、鳥や、植物や、生きているもののすべて。砂浜に落ちている空き缶のごみですら、光に照らされて美しく見えてしまう。これって何だろうね。あまりに綺麗すぎて美しすぎて、こうして愛おしいものや大切なものをずっとこうして見ていたいって思ってしまうの」


遠くでまるで求道者のように真剣に何度も波とたわむれている智也さんを、眩しさに目を細めて見つめている沙羅の横顔に視線を移して、それから私はまた波の向こうに目をやった。寄せては返す波間に光が反射してきらきらしている。光の粒が踊っているみたいだ。


「美しさはその人の瞳の中、その奥にもきっとあるんだよね。身も蓋もない言い方をするなら脳とも言えるのだろうけれど」

「本当に身も蓋もないね!」


 明るく笑う沙羅の声も体の動きも、笑顔も、とても綺麗だな、と思う。眩しい光に照らされて全てが明るく輝いて見える。今こうして一緒に時を過ごすことの信じられないくらいの大切さ、その貴重さ、大切な友達、愛おしいもの──その儚さに思わず心を痛めてしまうもの。甘い痛み。幸せの重み。光と影の様に、そこにはいずれ必ず訪れるであろう喪失や別離の予感と、その深い悲哀のようなもの──過去も現在も未来も既に同時に──今この瞬間に、そのすべてが内包されているからこその、その奇跡の様なあまりの大切さに圧倒されてしまって、ただただ、こんな風にふと気付いてしまうこと──


「もちろん脳だけに還元できるものではないけれど、これは言えると思う。同じものを見ても、同じ時や場にいても、その感じ方や見え方が違う。同じものを聞いていても、その感じ方や聴こえ方が違う。本当に異なる世界を見ているんだよ。ただ網膜や聴覚、その他の知覚に刺激を受け取るだけではなくて、その人の経験や知識や智慧や感性なんかによっても受け取る美しさやその深みが違うから。同じように、その人の持つ世界観とか精神性の在り方や感受性とかにもよるんだと思う──神聖性とか、永遠性とか、仏性や霊性といわれるものは、あらゆるところに偏在していて、どこにもないんだって。同じ時、同じ場所、異なる感覚、認識、世界観──それを見ることのできるものの内と外にあるから、それを見ることのできない人の内にも外にもない──ある意味これも身も蓋もない真実で、事実なのかも」


 聖一さんに教わった事を思い出しながら私がそう言うと、沙羅は「すごく面白いね」と言った。そうして、ちょっと考えてから、「見える見えない、というより、感じ取れるか感じ取れないか、の方がしっくりくるけれど」と言った。私もちょっと考えて、確かに、と頷いた。


「生まれ変わりや前世があるかどうかに関わらず、今この瞬間も一回きりのもので、二度とないもの、唯一無二のもの、それを見失ってしまうから、自分も自分以外のすべても気づかないうちに貶めてしまって、おかしなことになってしまうのだろうなって思うんだよね」


 沙羅はそう言って、「そろそろ戻ろうか。喉が渇いてきちゃった」と、砂を払って立ち上がる。私も立ち上がり、砂を払った。そのまま何も考えずに靴の中に入っている砂も靴を脱いでさらさらと落してから、あ、道路に出てからやればいいのか、と気づく。慣れている沙羅は、実際に舗装された所に来てから靴を脱いで砂を落としていた。それで私もまた靴を脱いで砂を落とす。そうして二人でのんびりとお喋りしながら旅館まで戻った。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。