異世界で目覚めた俺は料理人として勧誘された
ああ!
人前で涙を流すなんて恥ずかい!
そして燃えるような赤い髪の美人さんが、薬草の束を持って店の奥から慌てて飛び出してきた。
「あったぁ!これこれ!これ飲んで!あたしが怪我した時の痛み止めだよ!」
どうしよう……誤魔化したい……
……
「あっ!痛たたたた!わー!目がぁー痛てててぇー!何か入った!痛ててててて……」
「えっ?目にゴミ?
待って、今見てあげるよ」
手にした薬草をカウンターに置きながら、俺の目の前に立った美人さんが、「ちょっと上を向いてくれるかい?」と言いながら俺の顔の下に柔らかな指先で触れ、片手を添えると俺は優しくアゴを持ち上げられた。
「えっ?いや……あの……?」
「待ってねぇ……いまとってあげるから……んー」
うわ!近い近い!凄い近い!
艶やかな唇があとちょっとで触れてしまいそうだ。
美人さんの目と俺のが見つめ合う……んだが?!
キスの直前みたいで、ドキドキしてきた!
これは目のゴミを覗き込んでるだけ!
これは目のゴミを覗き込んでるだけ!
これは目のゴミを覗き込んでるだけ!
俺の唇にかかる彼女の吐息がくすぐったいほどに近い近いィー!
芳しい暖かな吐息は、さっき口にしたお茶の柑橘の香りがする?!
凄くいい香りで、湿った暖かさは……凄く艶かしくて……イヤイヤイヤ!何考えてんだ俺!
この人の親切心が無防備過ぎて、ドギマギしちゃうよ!
ビックリしたせいか、いつの間にか涙も止まっている……
「んー……無いねぇ……見当たらない……んー」
顔の向きを変えながら、俺の目を覗こんでくる……
この状況に、居た堪れなくて視線を下に向けたら……
あ?!!
襟元のゆるいシャツの奥が見えてしまった!
スベスベ肌の豊かな胸元が視界に飛び込んできて、俺は慌てて視線を逸らした。
わぁ!!!ダメだ!これ以上はダメ!
「アッ!アノォ!」
げっ!声が裏返った!恥ずかしい!
「ん?なんだい?」
「あー……あの、もうダイジョウブてす!ゴミとっ取れたみたいデす!」
「え、あそう……ならいいんだけど……
涙で上手く流れたのかね。まぁ、良かったよ、急に涙ポロポロ流すからビックリしたよ」
「えっ?!いやあ……お、お騒がせしました……」
カウンターに置いてあった薬草を取った美人の店主さんは、元の場所にそれを戻すと、カウンターの奥へともどって、開店の準備を再開した。
「ねーあんた、自分の名前は覚えてるかい?アタシはリーリャ、この店の店主さ」
「はい、えーと俺は……いや私は、泉省吾と言います」
「イズミショーゴ……が名前で良いのかい?
変わった名前だね」
「あっ……いえ名前はショウゴです、苗字がイズミ……」
「名前はショーゴさんだね。
……ミョージ?」
「え?ああ……えーと、苗字は……そのぉ……姓……家名とでも言えば良いでしょうか」
「ああ!東方の遠い国じゃ家名をミョウジと呼ぶって聞いたことがあるよ!
ショーゴさんは東方から来たのかい?
この辺りじゃ聞かない響きの名前だもの」
おおっと、名前が先で姓を後に名乗るのか?
「家名持ちって事は……いけない、無礼な口の聞き方をしてしまったかもしれないね。
え〜と……ショーゴさんは貴族様なのでしょうか?」
リーリャさんが居住まいを正すと、目を伏せ軽く頭を下げて、中途半端に彼女の口調が改まる。
身分違いの可能性を考慮したのかもしれない……
「え?
……いえ、いえ、そんな事はないです!
遠い祖先は|武家《ぶけ(武士の家柄の事)》だった様ですが、私の直系は本家筋でもなかった様ですし、私は平民ですよリーリャさん」
「そう、武家?……ああ、東方の騎士様の事だね?
騎士様の傍流で平民かい?
変わった風習だね……
ごめんよ、改まった口調は苦手でね。
今でこそこうして店の主人です、なんて言ってるけどね。
アタシはこの店を開く前までは冒険者だったのさ。
荒っぽい連中としか付き合った事がないもんだから、こんな喋り方しかできないんだ。
許しておくれよ。
それと、別に詮索するつもりはないんだけど、ショーゴさん、自分が何処にいるのかもわからなかったみたいだしね」
そうなのだ、この店の前で気を失っていた俺は、気を失う前は東京の街中にいたのだ。ただ、目覚めてからこっち、自分の状況に驚きすぎて、自分の事を何もこの美人の恩人に伝えていなかった。
「いえいえ、ところでリーリャさん、とうきょうっていう街をご存じありませんか?」
「トーキョー?いやあ聞いたことないねぇ。ショーゴさんはそこからきたのかい?」
「……あ、いえ……ご存じなければ良いんです!き、気にしないでください!」
「そうかい?
まぁいいさ……それよりショーゴさん、あんたはこの街に何をしに来たとか、覚えてるかい?」
そう質問されて、はたと考え込んでしまった。
答えようがないのだ。
目が覚めたら何処ともしれないこの店の前に倒れていた。
ただ、それだけ……
「それが、わからないのです……目が覚めたらこの店の前に居た。ただそれだけしかわかりません」
「そうかい……そりゃ困ったね、まぁもう少し休んでいておくれな。
名前や家名の由来は覚えていたんだ、気持ちが落ち着いたら何か思い出す事もあるかもしれない」
俺は東京で死んで、このサラドナの街に生まれ変わってきたのかもしれない、とは、いくらなんでも説明はできないなぁ……
ここは記憶喪失のふりを続けている方が良いのかもしれない。
トラックに撥ねられた時の衝撃と痛みは、ついさっきこの身に起きた記憶として残っている。
あの瞬間の無念、痛み、恐怖、それを思い出すと息が苦しくなって自然と涙が溢れそうになる……
ああ!生きていて良かったぁ!
まるで神様からご褒美でももらえたみたいじゃないか……
いや……案外、異世界の神様が俺を呼んでくれたのかもしれないな……訳はわからんけど……
ふと、店の外でみた景色が脳裏をよぎる。
街の家並みと石畳の道の向こう、遠くに高い城壁が見えたのだ。見える範囲は全て途切れる事なく街をぐるりと取り囲んでいる様だった。正に中世ヨーロッパの城下町だった。
……異世界かぁ、これから俺はこの世界で生きていくのか……
俺が茶を啜りながら、物思いに耽っている間に、
リーリャさんはカウンターの向こうからこちら側に出てきた。
道路側の小さなガラスの入った残りの窓を全て開け、その外側で閉まっていた鎧戸を開いて、明かりを店内に取り込んでいく。
開店の準備だろう。
それから、店の壁や柱に掛かっているランプにさっきと同様に手を翳して呪いを唱え、火を灯していく。
「悪いね、これから夕方の開店の準備なんだ。そこで休んでいて構わないけど、少しバタバタするのは許しとくれ」
「あ、はい!ありがとうございます。もう少しだけ、お言葉に甘えさせてもらいます」
俺はパタパタと店内を動き回るリーリャさんを目で追いながら、そう言った。
そうだ、暫く休ませてもらうのは良いとして、その後ここを出てからどうしよう?
「しかし、何も思い出せないんじゃ困ったね……その様子じゃ行く当てもなさそうだし」
まるで俺の考えを見透かしたかの様に、リーリャさんが声をかけてきた。
「リーリャさん、あの遠くに見える高い壁は、城郭ですよね?」
「高い壁?城郭?ああそうだね、サラドナの護りの壁に間違いないね。それがどうかしたのかい?」
「とりあえず、壁の近くまで行って見ようと思います。なにか思い出すかもしれないですし……それと街の外に出てみようかと」
丁度、店中のランプに火を灯し終えたリーリャさんは、俺の居るカウンターまで来ると、俺の隣に座ってこう言った。
「街の外に出るのは良いけど、ショーゴさん。入り街の割符は持ってるのかい?」
「入り街の割符?」
「ああそうさ、外の人間が街中に居るって事は、城郭門で入り街税払って街に滞在してる訳だろ?
その時貰った割符だよ。
旅人が城郭門を潜って外に出るには、その割符を返さないといけないんだ。
それも覚えてないのかい?」
入街税?割符?
知らんがな……こちとらさっきまで東京人だったんだぞ……そんなもんあるか!
とは言え、そんな事リーリャさんに向かってぶっちゃる事もできない。
「はぁ、全く覚えていません……それに……」
服のポケットや、ボストンバッグの中を確認してみたが、割符なんて無かった。
当たり前だ。
割符なんてもらってる訳ない。
「私の持っているものと言ったら、これだけです。
やはり、割符なんて持ってないですね」
カウンターの上に、俺はバックの中身を取り出して、全部並べてからそう言って、カウンターの上に並べたものをリーリャさんに披露した。
ひょっとして割符があったり?と思ったんだが、まあ、割符は無かった。
当然と言えば当然だ。
あったのはボストンバッグの中に俺の仕事道具一式のみ。
レシピ帳大学ノート五冊
未使用大学ノート 三冊
ボールペン二本
白割烹着と愛用の包丁が数本。
包丁の内訳は、刺身包丁が一振り、出刃庖丁が大小合わせて二枚、牛刀が大小二口、ペティナイフが一本、パン切り包丁が一本。
それぞれの大きさにあった桐箱に入れて、箱ごとサラシを巻いてあったのを解いて、箱から出して並べて置いた。
それと、砥石が粗研ぎ、中研ぎ、仕上げ研ぎの三種。
ちなみに包丁は種類によって数え方が違う。
俺がなんでこんな物を持っていたか?
俺は料理人になって自分の店を持つのが夢だったんだ。
開店資金が貯ったので、いよいよ独立し、ささやかな立ち飲み居酒屋を開くつもりでいた。
そして、いよいよ開店という日……
トラックに轢かれたんだ……
はぁ……
さっき涙を流して、気持ちは少し落ち着いたけど、俺の夢が詰まったあの店にはもう戻れないんだなぁ……
そう思うとまだ、胸が詰まる……
いやいや、下を向いている場合じゃないな。
よし!とりあえずその事は置いておいておこう!
この先どうするのか?
ここが異世界なら尚更、どう生きていくのかを考えないとダメだ!
多分……命に関わる!
せっかくこの世界で生き返ったんだ、もう死ぬのは懲り懲りだよ……ははは。
まずは金!
……財布は……ズボンの尻ポケットに刺していたけど、やはり何処にも無かった。
まぁ、日本の紙幣じゃここではなんの役にも立たないだろうけど……
改めて気づいたが俺……無一文だ!
「割符も無いみたいです、金を入れていた財布も落とした様でありません……」
「それはお気の毒に……
へぇ、これ、なんだか珍しいナイフだね。
それにこれは紙の書物かい?随分と上等な紙じゃないか。
中を見てもいいかい?」
「どうぞ。それとこれは書物というよりはノートです。
ほらね、私がこうして料理のレシピなんかを書き留めて、記録するのに使っていたんです」
そう言いながら俺はボールペンで、ノートの余白にグルグルといたずら書きをしてみせた。
「えっ?なんだい!このペン!インクをつけてないのにこんなに綺麗に描けるのかい?
ちょ、ちょっとだけ書いてみてもいいかい?」
リーリャさんにボールペンを渡して、何も書いてないノートの最後のページを開いて、どうぞと言って渡してあげた。
リーリャさんは、「ありがとう」と言うと、ボールペンを紙に走らせて「うわー」とか「凄い!まだ描けるね」とか独り言を言いながら目をまん丸に見開いて驚いている。
あー、これが現代チートってやつだ。
たかがボールペン、とは言えインクをつけて文字を書くことしか知らない人々からすれば、まるで魔法に感じることだろう。
「うわぁ!まるで魔法だね!」
……ほらね
ふと視線を感じて紙を見ていた視線をあげると、リーリャさんと目が合った。
「凄いペンだね!高価な紙にいたずら書きまでさせてもらってありがとう。
ところで、ショーゴさんは料理もできるのかい?
この『ノート』って本に知らない文字で書き込んであるのは料理のレシピなんだろう?
えーと……ほら、これなんて、器用に絵まで書き添えてある!」
ノートのレシピを指差しながら、グイッと顔を近づけてきたリーリャさんの圧が強い!
うわ?!えーと何も覚えてないって言ったばっかりだった!
変に思われたかな?
「えっ?あ、は、はい!これを見て思い出しました!そうです!私は料理人になるために何年も修行していました。これは料理用の包丁で私が使っていたものです」
「ねぇ、ショーゴさん。
悪いことは言わないよ、街の外に出るのはやめた方がいい」
「えっ?」
「割符を無くした旅人は門の関所で罰金払わなきゃならないんだよ。罰金が銀貨二枚に再発行に銀貨一枚。
払えなければ、労働奴隷に落とされて、無償労働で半年になるんだ。
飯も水も最低限さ、寝床は硬い床の上……
ね?碌なもんじゃないだろう?」
げげっ!
それは困った!
手持ちの荷物だけしか無い俺は、これからどうやって生きていけば良いのか?
金は?
宿は?
生きていくために必要な諸々の知識は?
そもそも、街中に無断で居る事になるよな?
これって大丈夫なのか?
下手に街中をフラフラと歩き回って、何か問題にぶつかったら?
例えば身分とか……
そうなると、右も左もわからない俺がここでの生活を始めるには、この世界のことを教えてくれる協力者が必要だ……
一人じゃ確実に詰む!!
ティーカップに視線を落として頭を抱える気分で考え込んでいた俺がふと視線を上げると、心配そうに俺を見つめるリーリャさんと目が合った。
……あ、そうだよなぁ……それしかないよなぁ……
リーリャさんの人の良さにつけ込む様で気が引けるが、ここはもう少しこの人を頼らせてもらうしか無さそうだった。
それで、このあまり人を疑うことを知らなさそうな、すこぶる付きの美人さんでこの店の女主人に対して俺が今話せることは全て話しておこうと思った。
何故かって?
それが世話になった人へのせめてものけじめだと思ったんだ。
適当に嘘をついて、後々話に齟齬が出たら、逆に信頼を得られなくなるかもしれない。
だが、正直に本当のことを話したからと言って、信頼されるとは限らない。頭のおかしな人間と思われるかもしれないが、できるだけ本当の事を話しておきたい。
「リーリャさん、俺……いや私がさっき荷物を調べていて思い出したことがありました」
「ええ!本当かい!」
「どうやってここに来たのかは、わからないのですが、私は目覚める前はこことは全然違う街に居たんです。
そこで道を走っているとても大きな荷車の前に知らない子供が飛び出して、咄嗟にその子を助けようとして、子供を突き飛ばしたところを荷車に轢かれはずなんです。
身体から沢山血が流れて、意識が遠くなって、ああ俺は死ぬんだと思いました。
でも、目が覚めたら、リーリャさんさんが俺をのぞきこんでいたんです。
いま、傷ひとつ無い俺がこんな事言っても信じてもらえないかもしれませんが、正直に覚えてる事を話すと、こんな感じになってしまいます」
「……ふーん……なんとも不思議な話だねぇ…
まぁでも、アタシはショーゴさんの言う事を信じるよ」
「あ、いや、リーリャさん……
その……こんな話、本当に信じてくれるんですか?」
「ああ!もちろんさ!
黒目、黒髪の人間なんてここじゃ珍しいしね。
実はね、アタシらのお節介な創造神様の神話の中には、神様がこのアリウスモールドの世界に連れてきた黒目黒髪の異界の民の話が結構あるのさ。
だからこれはもしかして?ってちょっとは考えてたさ。
それと、遠い東方の国の人々は、創造神様が連れてきた異界の民の末裔だって話もあるくらいでね。
ショーゴさんが異界の民でなくても、黒目黒髪は東方の民くらいしかいないんだ」
「い、異界の民ですか?」
「そしてね、アタシは子供の頃からその異界の民の神話が大好きでね。
大人になった今でも、一度でいい異界の民に会って話がしてみたい、そう思ってたのさ。
アタシが冒険者になったのも、異界の民の冒険譚に憧れたからってのもあるんだよ」
俺の隣に座って話していたリーリャさんが、グイッと顔を俺に近づけてニカッと笑うと、カウンターに両肘をついて手の上に顎を乗せ、パチンとウィンクをしてみせた。
「う!」
突然の事に、俺はドギマギしてしまって言葉に詰まっていると、目の前で微笑んだ美しい顔の持ち主はこう言ったんだ。
「ショーゴさんはその異界の民なんだろう?
アタシでよければショーゴさんの力になってあげられるんじゃないかな?
それとさ、ショーゴさん!あんたここで料理人として働いてみないかい?」




