005. 俺の妹が、こんなにザマアなワケがない
「うちが燃えちゃったんですよー」
「まさか、そこで燃えてるアパートの住人?」
突然押しかけて来た元職場の同僚、麻生数子が訴えた不幸は、今も事態が進行中。
木造のアパートは、周囲の一戸建ても巻き込んで、ごうごうと燃え盛り、夜空を赤く染めている。
うちも避難した方が、よくない?
「ちょっと、避難させて下さいよー」
さぞかし困っているだろうとは、思う。
会社から帰って来たら、住居が燃えているのだ。
パンツの一枚も、持ち出せていないだろうし。
しかし、うちには不思議生物が居るのだから、受け入れは無理だ。
居なくても面倒だから嫌だ。
「ダメだ。友人か元カレの家にでも行けよ」
「えー、せっかく府中街道を迂回してここまで来たのに。ところで、今カレの不在を勝手に前提にするのはどうなんですかね?」
今カレが居るなら、うちなんかに来るはずないだろ。
お互いに、異性として見ている気配は、微塵も無いけどね?
そのまま府中街道を進んで京王の駅まで行けばいいんじゃないか。
「せめて、お風呂だけでもー」
「銭湯行けよ。向ヶ丘遊園跡地に、スーパー銭湯を建設中らしいぞ?」
「今行っても何も無いですよね? お兄ちゃん、助けてよー」
「急に何ほざいてんの?」
正直ちょっと揺らいだよ? 無い筈のお兄ちゃん回路が。
「私、タマヨンさんの生き別れの妹なんですよ」
「俺の両親は30年以上前に居なくなってるんだけど?」
「あれ? 私、今年30だから、無理か? じゃあ、お父さーん! パパー!」
確かに、妹というより娘の年齢差ではあるが。
30年間、娘の存在を知らずに生きて来たというのだろうか。
そんな話は、昭和のコメディドラマの中にしかない。
いや、つい最近も、デンジャラスな警察官の劇場版でやってたっけ。
「今度は、どんな設定なんだ」
「母さんが死ぬ間際に、お前の本当の父親は、多摩区に居るって」
「俺が、ここに越して来たのは最近なんだが?」
「なんだよ! お兄ちゃんの鬼ー! 鬼ーちゃんめー!」
鬼だから、おにいちゃんってか。
悪魔の化身なら、うちに居るけどな。
どうやって追い返そうかなー、と思っているとアンがやって来た。
「風呂に沈めてやれば?」
それどういう意味?
風呂くらい貸してやればって事だよな?
しかし、それもダメだ。
うちの風呂には、アンが持ち込んだ玩具が転がっている。
のは、別にどうでもいい。
どう思われようが、いちいちダメージを食らう俺ではない。
事態は、もっと深刻だ。
「のんきに風呂に浸かってる場合じゃなくない?」
「あー、そうかも?」
火災は、未だ鎮火せず。
うちに延焼する可能性も出て来た。
避難した方がいいだろう。
「でも、一昨日来やがれって言ったじゃん」
「明後日の俺の言った事なんか知らんよ」
妄言を重ねる元同僚を玄関から追いやって、避難の準備をする。
といっても、非常用持ち出し袋の類は、用意していないし。
持って出るのは、財布とスマホ、家の鍵くらいだろうか。
アンは、リュックサックにパンツを詰め込んでいる。
パンツさえあれば何とかなると思ってるのが、幼女っぽい。
俺は、今朝出かけた時のカバンを背負い、アンを連れて外に出る。
「どこ行くんですかー?」
「まだ居たのか。近くのファミレスか、うどん屋かな」
元同僚が勝手に付いて来るが、もう諦めた。
「家が燃えるかも知れないって時に、のんきにご飯ですか。タマヨンさん、図太過ぎ」
「お前も、大概だよ」
ファミレスのアルコールメニューが充実してるなんて知らなかった。
テーブルの上に、唐揚げなどのサイドメニューをずらっと並べて、がばがばと酒を煽る元同僚。
サイドメニューは、片っ端からアンの胃袋へ消えていくが、気付いた様子は全くない。
仮にアンの存在を認識出来ていても、気付かないと思うが。
「さすがやのう。SEは住んどる家のランクも違うしのう。ワイら事務派遣とはエライ違いやでー」
完全に酩酊状態で、どこかは知らぬお国言葉らしきものが出ている。
俺はと言えば、血尿が出て以来アルコールは接種していない。
「こいつは士農工商で言うと、一番下の魔女ってやつ?」
アンが、荒れた30女を眺めて、そう言う。
我が国に身分制度は無いし、魔女って何だろうか。それ身分なの?
間違った知識を身に付けてるな。
深夜アニメ観て、ラノベとかマンガを読んでたからね。
うちに、百科事典や世界こども文学全集でもあれば良かったのかな。
昭和の一般家庭には、そういうオブジェがあったのだが、最近もあるのだろうか?
幼少期の俺が、そこから森羅万象を学んだのかといえば、ほとんど読んでないんだけどね。
あれを読んでいれば、もうちょっとマシな人生になっていただろうか?
ギリシャ神話だけ読んだっけなー。アレは、ラノベと変わらない。
あと、思春期に家庭の医学は読んだ。
どの章かは、勝手に察してくれ。
「30過ぎて伴侶が居ないと、魔法使いになるってネットで読んだ」
「それだと、50過ぎの俺は大魔導士って事になるんだが」
「今のお前には俺が居るだろ?」
「そうだったな。伴侶と使い魔は違う気がするが」
「でも、今のお前は、まあまあ大魔導士みたいなもんだがな」
「マジかー」
目の前の魔女は泥酔しているので、俺が不可視の悪魔と会話していても、気にも留めないようだ。
しかし、コレどうしようか?
タクシーで配送しようにも、配送先は燃えてしまっている。
明日は平日だし、職場近くのビジネスホテルにでも突っ込んおくか?
ニュースを確認したところ、火災は鎮火し、うちに延焼する事も無かった様なんだが。
「消しちゃう? キレイさっぱり痕跡も残さず消せるけど」
風呂のカビを落とすかの様に、気軽に言うアン。
その提案にうっかり乗りそうになった俺だが、駄々を捏ねる30歳女児は、うちに持ち帰った。
魔法少女の時と違って、何のときめきも無い。
ただの、厄介事だ。
ここが川崎区なら、その辺に放置でも良かったんだけどな。
「お前の、くすんだ人生に、消せない汚点が残らなきゃイイけどな? やれやれだぜ、ブラザー」
まったくだ。
やれやれ。
こういう時は、やれやれ、と言っておけば、それなりに恰好が付く。
俺はそれを、大昔に読んだハードボイルド純文学で学んだ。
やれやれ。
人生の汚点は、カビキラーや魔法では消せない。
やれやれ。
俺が楽器なら、傷も価値になるのにな?
やれやれ。
ヤレヤレー! ヨーヨー! セイイェー!
やれやれ。
「自動給湯に、混合水栓なんて、文化的ーっ!」
翌朝、勝手にうちの風呂に入って、ほこほこの30歳女児。
俺のシャツを着て、パンツまで履いてやがる。
自由だな、コイツ。
今まで、どんな暮らししてたんだろうか。
バランス釜かな? アレって、バーンってなりそうでコワいんだよな。
「ところで、女児のパンツとかあったんですけど。タマヨンは、シングルパパんだったの?」
うちの洗面所兼脱衣所には、小さなタンスを置いてある。
シャツとパンツを収納しているので、風呂上りに全裸でうろつく事故は発生しない。
もちろんそこには、アンのパンツもあるんだよ。
「俺の趣味だ。気にすんな」
「すごく気になりますがー」
アンの衣類は、他人にも見えてしまうワケか。
それは盲点だったなー。
カメラには映るのかとか、検証しておくべきかも。
「では、会社に行ってきます!」
「ご飯いらんの?」
「37階の食堂に行けば、モーニングサービスがあるじゃん」
「え? 何ソレ。知らんかった。タダなの?」
「タダですよ。あの会社はアタリですよねー。45階は、ビールサーバもあるよ!」
「そういう情報は、女子の方が詳しいかー」
「タマヨンさん、ほとんど会社来てないじゃん」
なんで、出社してウェブ会議せにゃならんのよ?
毎週月曜日の出社強制は苦痛だった。
最後のひと月は、フルに出社強制だったから、つらくて仕方無かった。
有給休暇の消化で半分以下に圧縮したけどね。
オフィス賃料も節約出来るんだし、フルリモートにすればいいのにな?
人に使われている内は、ままならぬって事かな。
30歳魔女は、髪だけ乾かすと、化粧もせずに出社した。
行ってきます、とか言ってたけど、帰って来るつもりじゃないだろうな?
今朝は、「前世の家臣です」とか、新しい設定を創作していた。
俺の前世、戦国武将だったの?
だとしたら、今世で随分と堕ちたもんだな。
「今日は、何して遊ぶ?」
日本語習得を完了したアンは、日々遊んで暮らすつもりらしい。
まあ、それもいいか。
何しろ永遠の命なのだ。
従来通りの働き方では、いずれ行き詰る。
じじいになったら、実入りのいい仕事なんてないだろうしなぁ。
先の事は分からんが、現時点で既に「50過ぎオヤジに紹介する仕事など無い」状態だ。
劇的な変革が必要になるだろう。
ならば、遊ぶもの悪くは無い。
何が、変革を促すかは分からんのだから。
「買い物に行こう。アンが、うちに居つくなら、いろいろ必要だ」
「おいおい、どうしたんだブラザー。ご機嫌じゃねぇかよ。お前の湿った生活に彩りを添えてやろうじゃないか」
自己評価高いなコイツ。
だが、完全に同意だ。
俺にも、僅かばかりの庇護欲というものが残っている事は、この2週間で自覚したんだ。
どっちが庇護下なのかアヤシイところではあるが。
ベッドは、俺のと同じのでいい、というのでネット通販で頼んだ。
在庫がある限りは、こうして同じ物を簡単に買えるのがネット通販の利点だな。
まったく装飾の無い、頑丈さと安価な事が取り柄のベッドだ。
マットレスや布団も、今のと同じでいいらしい。
「同じでいいなら、魔法でコピペ出来ないもんか?」
「そういう魔法は無い。無から有は産み出せない」
質量保存の法則とか関係してるのかね?
服なんかは、もう買ったしな。
食器は元から、大量にある。シールを集めると貰えるやつとかが。
追加で必要なものってそんなに無いな?
「そうだ。アン専用のクレジットカードを渡そう」
コレクションのノリで作った、キャラクターデザインのクレジットカードを渡す。
これは、厳密には利用規約違反なんだが、アンの口座なんて開設しようが無いから仕方無い。
利用時に口座から即引き落とされるタイプだ。正確には、デビットカードかな。
このカードの口座をアン専用にして、毎月一定額を、お小遣いとして振り込む事にしよう。
キャッシュカードとしても機能するから、現金も引き出せる。
女児に必要なものは、おっさんには分からんしな。
そういうのは自前で買ってもらおう。
「スマホも必要だな」
パソコンはデスクトップとノートがあるから共用していたが、スマホは、専用であった方がいいだろうな。
カードの残高確認をするのにも必要だし。
これの調達も、ネットで済んじゃうな。
外に出る用が無くなってしまった。
「スーパー銭湯にでも行こうか?」
「その言葉を待ってたぜ? 分かってるじゃねえかブラザー」
昨日の玄関先での会話に出て来たから、気になっていたらしい。
車で行った方が楽なんだが。
サウナに入ったら、ビールを飲みたいよなー、って事で電車で移動する。
アンとホームで待っている間に、懸念事項を確認する。
「監視カメラを通しても見えないんだな」
ホームに設置されたモニターには、監視カメラの映像が表示されている。
そこには、アンの姿が無い。
認識の問題かとも思っていたが、光学的に不可視状態らしい。
どういう原理なのかは、さっぱり分からない。
しかし、俺の背中のイラストは写真に映っていたが?
試しに、アンにスマホのカメラを向けてみる。
「俺のラブリーな姿を壁紙にしたいのか? 困ったもんだな」
鬱陶しい言い草を聞き流して、変顔を決めるアンを、パシャリとやる。
カメラロールを確認すると、変顔の悪魔が、はっきりくっきり映っている。
何故だ?
「どうなってんのコレ?」
「所有物も、契約の影響を受けるんじゃないかな? 知らんけど」
アンに聞いても、関西人みたいな適当な回答しか返って来なかった。
こいつが知らんのでは、ブラックボックステストを重ねるしかないか。
なお、ラブリー変顔は壁紙にはしなかったが、アンのアカウントのサムネイル画像にしてやろう。
平日の昼下がり、穏やかな天気。
のんびりと浸かる露天風呂は、さぞかし気持ち良かろう。
そうやって、スーパー銭湯に想いを馳せる俺は、まだ予測もしていなかった。
あんな事が、起こるなんて。




