039. 死への祈り
「タマにゃん、アタシ達の父親が亡くなったんだって」
桜子から届いたメッセージについて、疑問に思う事ならば、いくつかある。
それを確認するために、名古屋へ向かう。
ただ、父親の訃報を受けても「へぇ、そうなんだ」くらいの思いしか無い。
逆説の接続詞で表す程の心の動きは無いけど、順接でも無い。
ただ、へぇそうなんだと思っただけ。
別に、14歳女児らしい反抗期や父親への嫌悪感を、発露しているワケでもない。
40年以上父親には会ってないし、連絡も取っていない、何処に居て何をしていたのかも知らない。
最後に会った時に彼は、「これから大人になるお前に、これだけは伝えておく」と大げさに前置きをしてから、「銀行と警察を信用するな」と語った。
当時まだ少年だったタマヨンには、その意味が理解出来なかったし、今思い出しても理解出来ない。
ギャンブル癖が少しだけ悪い、職人気質の寡黙で人付き合いの下手な人だった。
銀行と警察相手に、一体何をやらかしたのだろうか。
あるいはどんな仕打ちを受けたのか。
この先も、タマヨンがそれを知る事は無い。
「もしまだ生きてたら、そろそろ寿命かな? いや、もう死んじゃってるんだろうな」
なんて、つい最近ふと思ったばかりだ。
だからといって、彼の死に興味があるわけでもなかった。
3日前に買ったプリン食べたっけな? 梅ちゃんが食べちゃったんだっけ?
って方が、よっぽど気になる。
「ねえ? 3日前に買った妙にデカいプリンあったじゃん? あれって食べたの梅ちゃんだっけ?」
「いや。迷った挙句買うてへんで。あのバケツみたいなのやろ?」
こういう記憶違いは、50を過ぎてからよくある。
あるはずの無いモノを欲しがるし、目の前にあるモノを見逃す。
そして、その事すらスグに忘れる。
おかしいな? 今のタマヨンは14歳のフレッシュな脳のはずなのに。
左脳だけ55歳の萎びた脳のままだったりするのだろうか?
あるいは、新旧の多層構造だったり?
それとも、ジジイ脳が、クラウド上に仮想的に存在して同期しているとか?
今も、そんなどうでもいい事ばかり考えている。
いつも通りに。
ただ、エッチな事を考えるのはやめておこう、と少しだけ思う。
「バケツみたいなプリン? そんなの食べたら死んじゃうわよ」
「うぉー、アンコトーストを死ぬほど食うぜー!」
「ワシは、死ぬほど死んだトリの羽根を食べるんじゃけ」
すっぽこドラゴン達にとって、死とは誇張表現の一種でしか無いらしい。
父の訃報を受けたタマヨンに気を遣うとか、そういう概念も無いのだろう。
ニンゲンがビフィズス菌の死を気に掛ける事が無いように。
そもそも、彼女達の死生観は、ニンゲンとは違う。
ウィンドウズとリナックスよりも違う。
己の死すら、何かの過程でしか無い。
何処へ至る過程なのかは、分からないけれど。
「大人しく寝てなよ。名古屋に着いても、まだ喫茶店は開いてないんじゃないかな」
タマヨン達は、深夜バスで名古屋へと向かっている。
55歳だった頃には、考えられない行動だ。
14歳の体ならば、この過酷な旅にも耐えられる。
多少けつが割れてしまうとしても、今は出費を抑える事の方が大事だ。
「桜子はんは、なんで名古屋におるんやろか? ドバイ経由で名古屋ってどういう事?」
「入国出来なかったんじゃない? だとしても、何で名古屋なんだろうね。すっぽこ達は食べたいものが沢山あるみたいだし、宿泊費用も節約出来ていいんだけど」
「しっかし、名古屋まで2500円で行けるゆーんは脅威やな。へたしたらネカフェのナイトパックより安いで」
「深夜バスを乗り継いで、サイコロの旅でもしようか? ホテルを泊まり歩くより安く済むよ」
「さすがに連続やと、死んでまいそう」
梅ちゃんも、遺族の前で死というものに何の配慮も無い。
受験生の前でも、落ちるとか滑るとか平気で言っちゃうしな。
あるいは、すっぽこ娘達も梅ちゃんも、敢えて気分を上げようとしているのかも知れないね。いつも通りが、いちばんいいのだから。
そんな家族たちを、とても嬉しく思う。
「梅ちゃんも寝なよ。タマヨンは寝るよ」
「あいよー、おやすみー」
「深夜バスの残念なところは、着いてしばらくは何の店もやってへんとこやな」
名古屋駅に到着したのは、朝の6時過ぎ。
梅ちゃんが嘆いて居る通り、営業しているのはファーストフードかファミレスくらいだろうか。
総重量120キロの眠る娘達を背負っているタマヨンとしては、どこかに落ち着きたいのだけど。
「カーシェアで車借りて、その辺適当に走ってようか」
「お? 名古屋走りとバトルやな!」
「バトルなんてしないよ。山口のドライバーの方が、よほどいかれてるし。広島は、ほんとうにバトルしてるから。名古屋は品がいい方だよ。タマヨンの敵にはならんよ」
山口県は、歴代総理の地盤だからなのか、道路の整備状況が過剰気味に良い。車線数は多いし、あちこちがバイパスで繋がってる。
そうやって容量に余裕があるせいなのか、好き勝手な運転をするドライバーが多い。法定速度を守ってるドライバーなんて見た事無い。バイクで法定速度を守って走っていると、黄色いガードレールとの間に挟まれて擦り下ろされるんじゃないだろうか。
隣の広島県は、片側1車線の道路でも平然と並んで来るくらいヒドイ。ニュータイプ並の予測能力を発揮しないと、左折すら出来ない。
タマヨンが知っているのは30年前の話だから、今は違うかも知れないけれど。
そして、間違いなく大いなる偏見が入っている。
「カーシェアは便利やな。こんな早朝でも、さらっと車を確保できよる」
「だね。こういうものが無かった時代には、戻りたくないなあ」
タマヨンの世代は、人生の前半をアナログ全盛期に過ごし、後半をデジタルの進化と共に過ごして来た。どちらの価値観も理解出来るし、アナログ時代を懐かしいとは思うけど、戻りたいとはまったく思わない。
昨今は、1枚のCDを吟味して買って、何度も聞いたあの頃の方が心が豊かだったー、なんて抜かすじじい共が居るみたいだけど。
タマヨンは、スポティファイ最高! もう昭和には戻れねえな! って思う。500枚も溜まったハズレCDの山なんて、2度と見たくないし、そんな散財したくない。
ラジオでちょろっと聴いたあの曲を探し出すために、一体何枚のCDを無駄に買った事か。今なら、おっけーぐーぐる今の曲何? で、さくっと解決だ。
ボロアパートの本棚で、湿気にやられて朽ちていく本だってそうだ。電子書籍は場所をとらないし腐らないから最高だよ。
「せやなあ。昭和の頃やったら、これから桜子はんと落ち合うのも相当に難儀するやろなあ」
「まったくだよ。携帯電話もグーグルマップも無かったんだから」
この会話が、過去へタイムリープしちゃう伏線でなければいいけど。
スマホをブルートゥースで車のナビに接続して、梅ちゃんが適当に曲を選んで再生するのを聴きながら、しばらく名古屋の街を流した。
メタル喫茶なんて経営していただけあって、梅ちゃんはヘヴィメタルばかり再生する。
もっとも、梅ちゃん喫茶には、ちっさいスマートスピーカーがひとつあるきりだった。メタル喫茶とは、一体何だったのだろうか?
「オーディオはなあ沼やからなあ…。どんだけ視聴しようが、レビューを読み漁ろうが、自分の部屋に置いたら、自分の部屋の音しかせえへんし。都会やと、近所に迷惑かけへん家にこそ金がかかりよる。そないにオーディオにかける金あったら、クラブチッタに毎晩通うわ。オーディオは、老後の趣味やろなあ。不老不死のワイに老後は無いけど」
ケーブル1本に何万円もかけたりするのは、それが手段ではなく目的だからだろう。ピカピカしたラックに、ピカピカしたオーディオ機器を収めて、それを眺めるという趣味なのだろう。知らんし、真似も出来ないけど。
タマヨンには昭和の価値観がまだ根強く残ってるので、いつかお金と暇ができたら、それなりのオーディオを揃えたいとは思っている。喫茶ヨミランドに預けているシステムには、まだまだ不満がある。
年とると、オールスタンディングのライブハウスなんて苦行だからなあ…、ライブは配信かメディアのがいいわ。もっとも、タマヨンも永遠のチュウニ女児だから、ライブハウスが苦痛になる老後なんて訪れないんだけど。
梅ちゃんは、イーグルスのホテル・カルフォルニアを再生した。メタルではないけど、あるカテゴリーでは定番の曲。
「オーディオマニアって、なんでこの曲やたら聴くんやろ? 特別、音がええんやろか?」
「さあ? 再生機器の良し悪しが分かり易いのかな? どうであれば良いのかも分かんないけど」
「音楽って、そういうもんちゃうやろ。まあ、他人の趣味やし、いらん事言うのはこれくらいにしとくけど」
そうだね、これくらいにしておこう。
タマヨンも梅ちゃんも、他人から見れば、相当にひねくれているし、理解不能な事に拘って生きている。
巨大で高速なブーメランが見えるよ。
「葬式とか、もうみーんな終わってる。アタシ達には、葬儀費用やら、最後の住まいを片付けた手間賃の請求だけ来てる。父親の遺産から払えってさ」
桜子とは、スーパー銭湯で落ち合った。
露天風呂で朝陽を眺めながら、まずは現実的に必要な事柄について話し合う。
死について考えるよりも先に、それをしなければ親戚や税務署を敵に回してしまう。
それが、現代社会というものらしい。
「遺産なあ…、むしろ借金があるんじゃないの?」
遺産が貯金や土地だけとは限らない。借金だって立派な遺産だ。
「分からんなあ。行政書士に頼めば、やってくれるはずだけど。借金の有無だけは公示して募るしか無いから、まあ面倒くさいよ。信用機関に載ってるだけが、借金じゃないだろうしね。知らんけどー」
要するに、労多くて得るモノは少ないか、そもそも無いだろうねって事だ。
奪い合う様な遺産があるとは思えないし、桜子には莫大な資産が既にある。
関わる時間が無駄になるだけだろう。
せめて葬式に呼んでから金せびれよ、とか思わないでもないけど。
どうだっていいわー。
「相続放棄って事でいいね? 葬儀費用なんかは、お姉ちゃんが払っとくよ。タマにゃんは何も心配すんな」
「分かった。……ところで、お姉ちゃんってどういう事かな?」
タマヨンが知る限り、姉妹なんて居ないし、従姉だって居ない。叔母が居たかどうかすら知らない。戸籍謄本を見た所で、そんな事まで載っていないし。
一時期、タマヨンの面倒を見てくれた女性が居たけど、あれは家政婦さんだったと思う。
「え? 前からアタシはお姉ちゃんだって言ってるじゃん。アタシの父だった男と、タマにゃんのそれが同一人物だって事だけは確かだよ。アタシとタマにゃんの、ふたりだけが法定相続人なんだから」
え? そんな事言ってたっけ? 言ってたような? また何か言ってんな程度で、聞き流してたかな?
どうであれ、タマヨンと桜子のふたりだけが法定相続人なんだから、それが事実なのか。
「親父の訃報は、誰に聞いたの?」
「アタシの母だった女だよ。アレもまだ生きてたとはなあ。で、相続人がもう一人居るって話で、それがタマにゃんだったワケ。ん-、7歳か8歳くらいの時に、家に知らんおっさんが居たっけなー。あいつが父親って事かー? いや、違うか。出生の届出人がそうか。タマにゃんとアタシは、それが同じ人物のはず」
数子が生き別れの妹だとか言ってたのも、案外間違いじゃないのかもなあ? 法定相続人では無い兄妹ってだけで。まあ、どうでもいいか…。そこは、調べられなくもないんだろうけど、興味ないわー。
実際に居たのは姉でしたー、とはねぇ……。
父親の死によって発覚する事もあるんだなぁ。
「葬儀とかしてくれたのは、誰なんだろうか?」
「父の妹。アタシ達の叔母だね。父は片田舎の市営住宅で孤独死してた。近所住民が、最近生活音がしないんだけどって、市に連絡して発見されたんだとか」
タマヨンも、すっぽこ達と出会う事なくあのまま生きてたら、どうなったんだろうか。
孤独死だけど、妹が葬儀をしてくれただけ、親父の方がマシだった?
死について、少しだけ考えさせられたけども。
それだけで、この事件は終わりだ。
「ところでさー、桜子はあっちこっち行って散財してるみたいだけど、そんなに大富豪になっちゃったの?」
北海道で牧場経営するって言ってたはずが、ドバイに居るし、かと思えば名古屋に居るし。
「ん-、160億くらいかなー」
「その程度じゃ100年もかからず消えちゃうよ? 日本円が、いつまでもマイナス金利のままだったらだけど」
預金の金利よりも、物価の上昇率の方がずっと高い状態が20年以上続いてる。
お金はただ持っているだけで、どんどん減っていくのだ。
仮にそのままだとすると、慎ましく暮らしたとしても、160億円は桜子の千年以上ある寿命は支えられない。
「いや? ドルだよ。160億ドル」
「だとしても400年くらいだよ」
なんで金利が複利で絡む複雑な計算がさっと出来るのかといえば、高度AIより優秀なすっぽこ達が即答してくれるからだよ。
タマヨンは数字に弱いので、10万年くらい暮らせるんじゃないのー? って思った。
「お、おう!? まじかー。タマにゃん、お姉ちゃんを助けてー。もう悪魔の預言も無いんだよー。働きたくないよー」
ああ、このダメっ子動物っぷり、血の繋がりを感じてしまうね。
姉と弟と前世妹で、助け合って暮らしていこうじゃないの。
「そろそろ、アンコトースト食べに行こ?」
「そうだね」
アンを担いで、風呂から上がる
アズキとニャアものしかかって来る。
総重量120キロ......いや、更に重くなってない?
今のタマヨンは孤独死の心配はたぶん無いけれど、過労死の心配はあるのかなあ…。
親父、ほんとうに信用しちゃいけなかったのは、銀行でも警察でもなく、魔法少女だったのかもな。
でも俺は、魔法少女に騙されて、楽しくやってるけどな。




