002. 俺がガンガルだ
川崎の端っこ、梨畑に囲まれた3DKの賃貸マンション。
独り身のおっさんには広過ぎるが、猫を、お迎えするための備えである。しかし、ここに越して来てから、既に2年以上経過するというのに、未だに肝心の猫は居ない。
お迎えしたのは、魔法少女だった。
猫とは、ちょっと違うなー。いや、まるで違う。致命的に違う。
声掛けだけなら事案で済んだ。
拾ってしまうと、拉致監禁、未成年者略取誘拐だ。
死刑かな?
しかしだ。
俺以外には不可視の魔法少女だ。
この犯罪を立件するのは不可能なんだよ!
真実は、いつも沢山あるんだ。
魔法少女は、コンビニ弁当をもしょもしょ食べながら、テレビの配信アニメに釘付け。
便利な世の中になったもんだよね。
いつでも好きな時に、好きなだけ、好きなアニメや映画が観られる。
魔法少女、いや魔法幼女だろうか? を突然拾って来ても、退屈させずに済む。
「オレが、ガンガルだー!」
魔法幼女は、セリフを真似ている。
ちょっと残念な間違いがあるね?
もしかして、日本語を学習中なのだろうか?
セサミストリートで英語を学習した地球外生命体の例もある。
この魔法幼女も、アニメや映画から日本語を学習するのかも知れない。
ああ、子育てをする親の気分って、こんな感じなんだろうか。
猫の世話をしているのと変わらない気がするけど。
ご飯を食べさせたら、次は風呂だろう。
拾って来たら、まず洗わないとな!
でもなあ、猫じゃなくて、ヒト型の幼女だ。
猫よりも洗うのが難しそう。
「俺は、風呂入ってるくるから、テレビ観といて」
「せもぽぬめ」
せもぽぬめ、って何だろう。
何を言ってるのか、まるで分からない。
プログラミング言語は、読むだけなら何とかなるんだがなぁ。
ニンゲンの喋る言語となると、英語すらアヤシイ俺だ。
なんなら、日本語だってアヤシイんだ。
未知の言語なんて、さっぱりだよ。
お陰で、名前すら聞けてないけど、せめて、己の名は名乗っておこう。
「俺は、タマヨンだ」
「せもぽぬめ」
それ、名前なの?
いいだろう、仮称せもぽぬめ。
せもぽぬめをテレビ前のソファに置いて、風呂に入る。
手足を伸ばせる程には広くもないけど、膝を抱える程に狭くも無い。
そんなバスタブが、俺の生活レベルの象徴だという気がする。
ぬるめの湯に浸かって、何も考えずに、ブルートゥース接続の防水スピーカーでラジオを聴く。
以前は、その日の行動を振り返って鬱々と反省したり、明日の事を想い患ったりしていたけど。
長風呂が過ぎるのは、肉体的にも、精神的にも良くない。
もっと前には、帰宅してもシャワーを浴びる程度の暇もなく、トイレの中で延々とそれをやっていた。
そのせいなのか、おしりの病を患ってしまった。
2年前に入院して手術をしたけど、あれはもう地獄の苦しみだったよ。
いっそ殺せ、とさえ思った。
だから、俺は学んだ。
その日の事を振り返っても、得るものよりも、失うものの方がずっと多いのだと。
あの時、あんな事言わなければーとか、あー段取り間違ったー! とか。
そんなものは、明日以降の俺が、きっと何とかしてくれる。
そう。今の、この事態もきっと、明日の俺か、明後日の俺がきっと何とかするだろう!
ガラッと、浴室のドアが小さく開いて、ギクッとする。
隙間から、せもぽぬめが、こちらをじーっと見ている。
猫みたい。もしかして猫なのかな?
拾って来たのは実は猫で、幼女に見えてるのは、病んだ脳が作った幻影?
「なに? 入りたいの?」
そう言うと、こそっと戻って行く。
扉閉めて行ってくれない?
まるっきり、猫の行動じゃない?
その後も、俺がワシワシと体を洗ってる様子を覗き込んだり。
「せもぽぬめー。俺、上がったから次入れば」
風呂から上がると、せもぽぬめは、ハリウッド映画を観ていた。
時速88マイル以上でデロリアンを走らせると、過去に行っちゃうやつ。
画面に合わせて、セリフを喋っている。
「おいおい、おれをとりにくってよぶなっていったろ?」
日本語の習得早くない?
この映画は、俺も英語の習得に使おうとした。
でも、スラングが多いせいなのか、ちっとも役立てる事が出来なかった。
せもぽぬめが今観ているのは吹き替え版だけど。
字幕版を観れば英語も習得してしまうかも知れない。
その語学力で、このおっさんを養って欲しい。
「せもぽぬめ?」
反応が無いので、もう一度呼んでみる。
着替えとタオルを目の前に置いてやると、理解したらしい。
それを抱えて、浴室へ向かうせもぽぬめ。
そこそこ知能の高い生物らしい。
ちゃんとした着替えを用意しないとなー。
我が家には、女児向けの衣服なんてものは無い。
さっき渡したのは、おっさんのTシャツ。
何処で買えばいいんだろう? 子供服のサイズってどうなってんだっけ?
せもぽぬめの世話をするには、いろいろと課題が多い。
拾った所へ返すワケにもいかぬ、何とかせねば。
「ぽっこらしょー!」
せもぽぬめは、ひとりで風呂に入れるらしい。
ほかほかしっとりして、俺のTシャツを着て戻って来た。
おっさんのTシャツは、せもぽぬめが着るとワンピースみたいになっている。
脱衣所兼洗面所に行くと、洗濯籠の中にフリフリこてこての魔法少女衣装が入っていた。
この衣装は着脱可能な様だ。
変身した時だけ、装着する類ではないらしい。
洗濯機で洗っていいものだろうか?
今日はもう遅いから、明日洗おう。
「この布団に寝て」
せもぽぬめは、3部作の映画を全て観るつもりらしい。
ソファの脇に敷いた布団を、ちらっと見ただけで、すぐに視線をテレビの画面に戻した。
「まーむ? うぇああむあい?」
今度は、英語版を字幕無しで観ている。
なんか早くない? 倍速再生なのかな。Z世代って奴?
このペースなら、日本語と英語を近日中に習得しそう。
疲れ果てた俺は、せもぽぬめにはそれ以上構わずに、寝室のベッドに潜り込んだ。
寝室は隣の部屋だから、何かあれば気配で分かるだろう。
いや、ほんと、疲れたよ。
初老の朝は早い。
5時に目が覚めた俺は、せもぽぬめの様子を確認する。
ちゃんと布団に入って、すやぁっと寝ている。
以前使っていたマットレスに、合わなくて使わなくなった枕と、予備の毛布。
うちには、客が泊まるなんてイベントはまったく予定されていないので、どれもあり合わせの寝具。
せもぽぬめのベッドと布団一式も買うべきだろうか?
うーん? このまま居着くかどうかも分からんしなあ。
急いで判断する事でもない課題は先送りにして、まずは朝食だ。
昼食は食べない俺だが、朝食は欠かせない。
といっても、昨夜コンビニで買ったサンドイッチと、雑に淹れたコーヒーだけ。
昨夜、せもぽぬめを抱えてコンビニに寄った時も、誰も気付かなかった。
会計している最中、俺に抱きかかえられたせもぽぬめは、店員に向かってずっと変顔を披露していたけど。
俺が、気味悪いモノを見る視線を受けただけだ。
肩に乗った見えない何かと会話する危険なおっさんに見えたのだろうな。
コンビニの店員が何をどう思おうが、気にしていては都会では暮らしていけない。
何も問題は無い。
川崎市の端っこが都会かどうかは、論じないで頂きたい。
「ぽっすんすん?」
せもぽぬめが起きたらしい。
「ご飯、そっちで食べる?」
「ぽっす!」
うちはには、ダイニングセットなんてものはない。
元は作業用の小さなテーブルと椅子があるだけだ。
ふたり並んで食事するには手狭だろう。
昨夜は、テレビの前のソファとローテーブルで食事した。
俺も普段は、そっちで食べる事が多い。
せもぽぬめの分の、サンドイッチとオレンジジュースを持って移動する。
俺は食べ終えているので、コーヒーだけ。
せもぽぬめは、早速テレビの電源を入れアニメを再生する。
「おれさまのまっすぃーんは、ぴーきーすぎて、おでこちゃんにはむりだぜー」
またセリフを真似しているけど、なんかちょっと違う。
意味を把握した上で、改変してる?
ともかく、アニメを観ている間は大人しいから助かる。
掃除と洗濯をしたいところなんだが、まだちょっと早いかな。
せめて7時を過ぎないと近所迷惑だろう。
上のバカ一家は、どっすんばったん早朝深夜問わず運動会をしやがるが。
洗濯の準備だけしておくかー、と洗面所に行くと。
魔法少女的衣装が、すっかりキレイになって、畳んで置いてある。
「え? なんで?」
せもぽぬめが、夜の間に洗濯したのだろうか?
うちの洗濯機は、乾燥機能付きで、2時間もあれば洗濯から乾燥まで済ませる事が出来るから、時間的には不可能ではないが。
そこそこ動作音はするから、気付かないはずはない。
そういえば、そろそろ始まる朝のバカ運動会の音が聞こえてこない?
昨夜も、せもぽぬめの観ているテレビの音が、寝室には響いてこなかった。
「もしかして、まじで魔法少女なの?」
せもぽぬめが、騒音を遮断する魔法を行使しているのではないだろうか?
あり得ない事ではない。
だとしたら、なんというライフハックだろうか。
騒音に困ったら、魔法少女を飼いましょう!
「なあなあ、他にも魔法使えんの? 空飛んだり」
俺は、せもぽぬめのもとに戻り、そう訊ねる。
「そっぽこすん?」
何、頭悪い事言ってんだコイツ? って顔された。
俺が、間違っていると言うのか?
早く、日本語を習得してくれないだろうか。
何言ってるか、分かる様で分からん。
「俺は、向こうの部屋で調べものしてるから。何かあれば言って」
せもぽぬめにそう伝えると、俺は玄関脇の4畳半に移動する。
家族が住んでいる場合は、ここが子供部屋にでもなるんだろうが、俺はここを書斎兼仕事部屋にしている。
在宅でリモートワークをする時は、だいたいここに居る。
その日の気分次第では、ダイニングやソファで仕事したりもする。
気ままな独り身の、ささやかな自由だ。
失業給付金の申請だとか、保険や年金の切り替え、個人型確定拠出年金も属性変更が必要なんだっけな? 収入が断たれるなら、ふるさと納税の額も変わって来るよなあ。
しばらくの間は、無職で居る予定なので、いろいろとやる事が多い。
そうやって諸々調べたり、タスク整理をしている間に、病院の予約時間が近付いて来た。
「病院行くから、一緒に出ようか。服とか買うし」
「ぼっする!」
せもぽぬめに声をかけると、テレビを消して洗面所に引っ込んで行った。
俺も、その間に着替えを済ませ、カバンの中身を整理しておく。
魔法少女の衣装に着替えたせもぽぬめと共に家を出る。
病院まで電車で行こうとして、考えを改める。
誰からも見えないせもぽぬめに改札を通過する事は可能なのだろうか?
抱きかかえて通れば行けるだろうが、それはキセル行為になる。
未就学児ならば運賃は無料のはずだけど、年齢不詳だし。
子供用のスイカを手に入れる方法も思いつかない。
気にしなくてもいい気がするけど、こういう事を平然とやる様になると社会不適合者、いや犯罪者に身を落としてしまいそうだ。
この時間の南武線であれば、車内はスカスカだとは思うが。
目的地の登戸駅は、そこそこ人が多い。
せもぽぬめを人混みに晒すのは危険だ。
そういったことを勘案した結果、カーシェアで車を借りて移動する事にした。
うちから徒歩2分の駐車場にあるカーシェアの車を借りる。
スマホアプリでロック解除し、助手席側のドアを開けてやると、せもぽぬめはよっこらしょと乗り込んで、自分でシートベルトを装着した。
テレビや風呂の給湯設備、洗濯機も使いこなしているし、この世界の文明は理解しているな?
土着の魔法少女なのだろうか?
でも、謎の言語を話すし、異世界から来た妖精なんかの気もする。
さっぱり分からない。
早く日本語をしゃべって欲しいものだ。
「血尿が出てさー、長期療養が必要な病気かも知れないんだよね。というかその可能性が高い」
「ぽこんすん、せっぽそろせら」
「あー、だよな。診察した結果、何も無いって事もあるらしいんだけどね」
「ぽじょるちん」
「だな。まずは病院だよ」
病院へと向かう道すがら、会話が成立している前提で、会話してみた。
猫と話してる気分だった。
もっとも、猫だったら大人しく車に乗ってないはずだけど。
病院の待合室では、せもぽぬめと一緒に隅っこに座っておいた。
泌尿器科というのは、患者のプライバシーに特殊な配慮でもあるのか、待合室に衝立が多い。
お陰で、不思議生物を連れていても、他者の視線を気にせずに済む。
どうせ、せもぽぬめは誰からも見えないんだけどね。
初日は、尿検査と血液検査。
次に、造影剤を入れて腎臓のCTを、最後に内視鏡で膀胱を検査する予定。
全てを一回では済ませる事は出来ないので、全てが終わるのは2週間先。
取り敢えず、尿検査の結果は3日後に分かる。
すぐに結果が出ないのは、実に落ち着かない。
結果がどうなるかに関わらず、向こう2週間は次の派遣先探しも出来ない。
病人を派遣するわけにはいかないから、派遣先からも紹介を保留されている。
病院の後で、昼食。
登戸駅付近の定食屋に入る。
おひとり様と認識された事から、やはりせもぽぬめは見えていない。
ふたつ頼んだ丼物は、どちらも俺の目の前に配膳された。
これくらいなら、ひとりで食べても不自然ではないけど。
よく食うおっさんだな、と思われた事だろう。
ひとつは、せもぽぬめに渡す。
器用に箸を使ってかつ丼を食べるせもぽぬめ。
周りからは、空中を漂うかつ丼が消えて行くように見えるのだろうか?
店員も他の客も無反応なところから、せもぽぬめが持ったものも見えてはいない?
どうやら、ふたりで外食するのは問題無いようだ。
どう思われても気にしない、鋼のメンタルは必要かも知れないけど。
食事を済ませたら、衣料品店へ行った。
服選びは、せもぽぬめ自身に任せる。
シャツやワンピースを手に取り自分の体に合わせてみたりしてる。
「ぺろんろん?」
「ああ、いいんじゃないか? かわいいかわいい」
周囲からは、どう見えているのだろうか?
女児向けコーナーで、ひとりぶつぶつ呟くおっさん?
さすがに、これは通報されかね無い気がするね?
通販を利用すればいいのだろうけど、サイズが分からんからなあ。
現物合わせが出来るリアル店舗の方がいいので、気にせず買い物を決行する。
鋼のメンタルを持ったシステムエンジニアは、この程度の事では動じない。
IT系は、顧客も同僚もおかしな連中が多いので、鋼のメンタルを鍛えられるよ!
決して、おすすめはしない。
結局、不審者扱いされる事もなく、女児向け服を購入する事が出来た。
パンツは、さすがにどうかと不安になったが、店員は何も言わずに紙袋に別にして詰めてくれた。
へえ、女児向けパンツってそういう扱いしてくれるんだ。
などと、どうでもいい事に感心した。
衣料品店の隣がドラッグストアだったので、ついでに寄った。
風邪薬など、子供が居ると必要になりそうなものを一通り買って行く。
せもぽぬめは、病院にかかる事は不可能だろうから、健康管理も重要だ。
しかし、ひとり増えると、猫よりも金がかかるな。
最後は、スーパーに寄って、当面の食材を確保した。
せもぽぬめは、お菓子やなんかを勝手に買い物カゴに入れていた。
こうして、俺と魔法少女せもぽぬめの生活は始まった。
せもぽぬめは、毎日アニメや映画を観ている。
動画を観るばかりではなく、本棚から本を取り出して読書もする。
タブレットを与えたら、電子書籍も読んでいた。
そうやって2週間余り、俺ものんびりして過ごし。
検査の結果が出揃った。
結果、全ての検査において、病の兆候は発見されず。
血液検査の数値も、すべて正常値の範囲内だった。
「鼻血が出るような感じで、何も異常が無くても血尿が出る事はあります。人体は血管の固まりですからね。原因が特定出来ない事は、珍しくないです」
医者によると、そういう事だった。
何と言うか、拍子抜けの様な感じすらあった。
これでもう、恐ろしい病の影におびえる必要は無くなった。
あれ以来、血尿も出ていない。
心配事が解決して、ぐっすり寝た翌朝。
「へい! どく! どく! 起きてよ!」
珍しく7時過ぎまで寝ていると、せもぽぬめの声に起こされた。
誰が、どくだ。それって、毒男って意味なの? ネットスラングまで学習しちゃったの?
いや? これは!
「おぉ!? ついに日本語をしゃべりだした!」
2週間で日本語を習得するなんて、やはりただの幼女ではなさそうだ。
魔法使いか、あるいは異世界からやって来た妖精か。
俺の幻覚だという可能性もまだあるが…。
「ヘイブラザー! 俺と契約しようぜ!」
目の前の幼女は、魔法少女契約を迫る邪悪な妖精の様な事を言い出した。




