001. 魔法少女を拾う、そして血尿を出す
野良の魔法少女を拾った。
早朝の公園に、ひとりきりで座っていたんだ。
しかし、令和日本の社会は、お伽噺の世界とは違う。
拾った女の子を勝手に育ててはならぬ。
おじいさんは、竹から出て来た女の子を、家に連れ帰って育てる事にしました。
目撃者に通報されて、未成年者略取誘拐と拉致監禁の罪で死刑になりましたとさ。
めでたしめでたし、おしまい。
それが、令和日本の社会。
銀行と警察は信用するな、と親父は言った。
俺は銀行をクライアントとする業界で働いているが、それは今どうでもいい。
親父の言葉に従うならば、野良の魔法少女を見つけても、警察に差し出すべきではない。
だが、令和日本の社会はお伽噺の世界とは違うし、親父の言葉なんて信用しちゃいない。
ならば、どうすればいい?
リスクを背負って立ち向かわねばならぬ分岐点が、人生には3度ある、と俺の恩師は言った。
その内の1度が、今なのだろうか?
50過ぎて独り身のおっさんは、ある朝公園で野良の魔法少女を見つけました。
おっさんは、魔法少女を家に連れ帰って育てる事にしました。
何故か目撃者は誰もおらず、近所の住民も気付きませんでした。
やがて、魔法少女はー。
これは、そんなおっさんと魔法少女の不可視属性の物語。
朝6時前。
まるで湿気ったメロンパンの様な、無価値の朝。
朝というものは、焼きたてのクロワッサンの如くあって欲しいものだ。
でも、それはそれでムカつくんだ。
「こんなに気持ちがいい朝なのに! これから出勤かよ! なんて朝だ!」
って。
しかし、朝は人々が出勤する時だ。
ウインドウズがセキュリティアップデートの度に再起動を繰り返す様に。
我々は、朝が来る度に出勤せねばならぬ。
それが、令和日本の社会。
やれやれ。
こういう時は、やれやれって言っておけばいい。
10代の後半に、ハードボイルド純文学でそう学んだ。
やれやれ。
今の時期は、この時間でも明るいから、まだ気分的に楽。
これが真冬だと、まだ夜明け前だから真っ暗。
そして、帰る頃には日が沈んでいるので、やっぱり真っ暗。
一日が闇の中。
どうであれ、通勤というのは気が滅入る。
どれだけの時間を浪費する事になるのか。
通勤しなくてもいい魔法は無いのだろうか?
リモートワーク? 在宅勤務? ビデオ会議?
そんなものは、失われた古代の魔法だ。
不幸な時代と共に消え去った。
やれやれ。
俺は、派遣契約のシステムエンジニア。
技術職だから、派遣とはいえ、収入は悪くない。
最初の頃は、コンビニのバイトと大差ない時給だったが、いくつもの代償を支払って、努力して来たんだ。
終電ギリギリまでの残業に耐え、大型連休はデータセンターに軟禁され、睡眠時間を削ってスキルアップを重ね、ストレスで増える体重と共に時給は上がり。
ここまでやって来たというのに。
50代半ばにして、来月からの仕事が無い。
やれやれ。
何となく、いつものルートを外れて、とぼとぼ歩いてみる。
こうしたところで、出社せずに済むわけでもないのだが。
小さな公園の脇を抜ける。
ベンチに、小さな女の子が座っているのが気になった。
魔法少女みたいな恰好をした女の子。
その儚げで、随分と派手な姿は、早朝の公園には異質。
子供が外出する様な時間帯では無いよな?
何してんの? ラジオ体操とか?
いや、今はまだ6月半ば、夏休みはひと月も先だ。
それでも俺は、魔法少女には関わらずに、駅へと向かった。
おっさんが子供に声掛けなんかしたら、犯罪者扱いだ。
しかも、50過ぎて独り身のおっさん。
弁解の余地も、弁護の余地も一切無い。
やれやれ。
やれやれって言うの、もう飽きたな。
やれやれ。
俺の派遣契約は今月末で終わる。
明日から有給休暇の消化をするから、今日がこの職場で働く最終日だ。
業務の引き継ぎは、まったく進んでない。
引き継ぎ先の正社員が、必要なスキルセットを有していないからだ。
正社員の教育は派遣契約には含まれないといって、既存ドキュメントの引き渡しと説明以外は、拒否してやった。
まあ、こんな事しているから、派遣契約が更新されないのかもね?
引き継ぎ先の正社員は多忙らしく、渡した資料を読んでもいないのか、何の質問もして来ない。
お陰で、最終日に追い込まれる事もなく暇を持て余している。
朝から適当に仕事をしているフリを鬱々と続けていると、昼過ぎにふいに声をかけられた。
「タマヨンさーん。お昼行きません?」
課内の庶務を受け持っている、事務派遣の麻生数子だ。
「あー、もう食べたんだよね」
本当は、昼食を食べる習慣が無い。
過労死ライン超えてた頃に、忙しすぎて進化したんだよ。
人類って本来一日二食なんだよね?
「えー。じゃあ、明日は?」
「俺、今日までだから、明日は居ない」
「は? 聞いてないんですけど」
そりゃ言ってないからね。
だいたい、麻生数子とはそんなに交流が無いんだ。
こいつの距離感が、おかしいんだよ。
一緒にメシなんか食うワケないだろ。
「じゃあまたね」
そう言って、麻生数子は離れて行った。
またねって何?
次の派遣先も、この会社になるかもしれんけどね?
部署が違えば、会う事なんて無いだろう。
自宅最寄りの駅に着いた頃には、すっかり日が暮れていた。
それでも、ともかく、これで一旦は長期休暇だ。
まずは、明日病院に行かねばならぬが。
それも、割と深刻な状態。
一昨日の深夜、飲酒しながら深夜アニメをリアルタイムで観てた時の事。
トイレで用を足すと、なんだか鮮やかなピンク色の液体が溜まってた。
座った状態で用を足したので、出てくる所は見てはいないけど、まさかね?
トイレの洗浄剤ってこんな色だったっけ?
酩酊した状態だったので、一旦は気のせいかな? って事にした。
深夜アニメの続きが気になったし。
観終わった後で、またトイレへ行く。
加齢のせいか、トイレへ行く頻度が高い。飲酒をすると尚更。
そこで、再び厳しい現実に直面する。
やっぱりこれ、血尿ってやつだよなー、気のせいじゃないわー。
若干パニックになりながら、眠気をこらえつつ、スマホをナデナデし、血尿でネット検索。
どう調べても、今スグ病院に行け、としか出て来ない。
AIに聞いても、同じ結果。
最近は、医療関係で間違った情報は出て来ないんだなぁ、と感心したよ。
それだけに、言い知れぬ恐怖が迫って来た。
翌日も、血尿は止まらず。
なんかもうこれ、血そのものじゃない? ってくらいドロッとした液体が出た。
それが、今朝以降は何事も無かったかの様に、通常通り。
ネットで調べた限りだと、症状が消えたからと言って油断すると病状が悪化するので注意、とあった。
そうやって、助かるはずだったのが、手遅れになるのだと。
今朝通りかかった公園まで来た。
寄り道をしたところで、何がどうなるというわけでもないのに。
魔法少女の事が、気になるんだ。
今朝と違い、公園の中に入ってベンチに腰掛ける。
血尿出たし! 次の仕事も無いし! もうどうでもいいんじゃん!
そんな心境だったのか、越えてはならぬラインを越えてしまった。
それは、人生に3度しか無い重要な分岐点のひとつだった。
「月が、とてもキレイだね」
隣には、今朝も居た魔法少女の様な幼女が座っている。
幼女に語って聞かせるセリフじゃないなあ。
だいたい、月がキレイなのかと言えば、そうでも無い。
乱視がヒドイから、眼鏡越しでも、ぼんやりとしか見えてないし。
大気が汚染されているからなのか、地上の明かりのせいなのか、星だってまともに見えやしない。
それでも、以前住んでいた川崎区よりは、ちょっとはましに星が見える。
オリオン座くらいなら、まあまあ見える。
多摩区に越して来てから、こうして夜空を見上げる事が増えた。
地元なら、もっと沢山の星がはっきりと見えたのに。
当時は、そこに価値があるなんて気付かなかった。
今の生活だって、失ってしまえば、十分な価値があったのだと気付く事になるのだろうか。
魔法少女は、目を見開いてこちらを見つめている。
このおっさん頭沸いてんのか? とか思ってんのかな。
肩にかかる位のストレートでつやつやの黒髪。
肌はつやつやぷよぷよして、俺みたいに謎の染みやイボなんて欠片も無い。あるはずもない。
年齢は、10歳くらいだろうか? 6歳かも知れないし、17歳かも知れない。
子育て経験があれば、きっと分かるのだろうけど。
子供と触れ合う事なんて無いから、見た目では年齢が判別出来ない。
50過ぎて独り身だから、今後も子供と触れ合う機会なんて無いだろう。
「すっぽこー」
魔法少女は、何語だかさっぱり分からない言語を喋った。
え? 何者なの?
こちらを見つめる瞳の奥には、幼さとか純粋さとは程遠い闇が垣間見える。
派遣として働いてるせいで、これまで多くの人と関わってきた。
ある程度、人を見る目は培われているという自負がある。
この少女、どんな大人よりも、多くの何かを知り、悟っている。
もしかしてヒトじゃ無い何か?
「せっぽら?」
「何言ってるか分かんない」
「すっぽこ! ぽっすん!」
朝から、ずっとここに居るのだろうか?
小さい子供がひとりきりで、一日中公園に居るなんてあり得ないんじゃないの?
警官が巡回中に保護するなり、不審に思った誰かが通報するなりしない?
「すっぽこ! ぽっすん!」
俺のシャツを、ぐいぐいと引っ張りながら立ち上がる魔法少女。
公園の外、駅のある方を指差す。
どうやら、ちょっと来いやオラ、と言ってるらしい。
魔法少女に引かれるままについて行くと、駅前に辿り着いた。
改札があるだけの小さな駅だけど、帰宅ラッシュの今、多くの人で溢れている。
魔法少女は、そんな駅前で突然路上ライブを始めた。
「ほんほーんほーん。ぽっぽこぽーん」
歌詞も不明なら、メロディも不明。そもそも歌か? ってくらい調子外れ。
整った容姿とのギャップが笑えてくる。
「ぽこぽんぽーん。すっぴょろり~」
しかし、誰一人として、彼女に目を向けない。
まるで、見えていないかの様だ。
突っ立ってニヤニヤしている俺は、怪しまれているけれど。
「ほひっひっひー! んー?」
おいおい、コールアンドレスポンスまでやんのか?
ロックだな!
悲しい事に、誰も答えやしないけどさ。
俺のトラウマを軽く抉ったぜ。
歩きスマホの女が、魔法少女を蹴っ飛ばすようにぶつかる。
魔法少女は転んでしまったが、歩きスマホビッチは、何も無かったように去っていく。
雑踏の中では、他人にぶつかるなんてよくある事だ。
それでも、軽く頭を下げるなり、舌打ちするなりしそうなものだ。
それが、まったく何も無いなんてあり得るか?
ましてや、相手は小さな女の子だ。
《《魔法少女は、誰にも見えていない》》?
だとすれば、公園に一日中ひとりきりで居たのも当然だけど。
転がった魔法少女は、歌うのをやめてうずくまっている。
ああ、もう。事案だとか、通報だとか、気にしてる場合じゃない。
俺は、しょんぼりとした魔法少女に駆け寄ると、抱き上げた。
目の前で泣いている小さな生き物を、放置できるものか?
誰かが、守らねばならぬのだ。
そして、うっかり自宅に持ち帰ってしまった。




