染まる
『その時』が近付いてきていることを、リレィは感じていた。時々、記憶が鮮明でなくなることがあるのだ。不安に胸が押しつぶされそうになる夜が増えた。もし、自分の中にある魔が暴走してしまったら? もし、カリムを傷つけてしまったら? 何度も死を意識した。自分さえいなくなれば、誰にも迷惑を掛けずにすむのだという思いが浮かんでは、消える。
「……そうだな。見えてきたよ」
ポツリ、とカリムが言う。リレィはふぅ、と溜息をつくと、聞いた。
「いつ、実行する?」
「今夜辺り、やってみるか」
パチ、と片目を瞑っておどけて見せるカリムを前に、リレィは苦笑いを返すのが精一杯だった。何が起こるかわからない。成功するかどうかも、わからない。カリムいわく、リレィに憑いている魔は頭がよく、厄介なタイプだ、との事。
「なぁ、リレィ……」
不意に真面目な顔になり、カリム。
「なんだ?」
「ひとつ、約束して欲しい」
「……なにを?」
「無事、お前を救い出すことが出来たら、一度でいい、やらせてく、」
バシッ
「……ケチ」
打たれた頬をさすり、カリム。
「お前、他に言うことはないのかっ?」
「他に言う事なんかないっ! 俺は今の、不健全な状態を一刻も早く打開したいんだっ」
「不健全だとぉ?」
「不健全だろうっ、若い男と女が同じ屋根の下暮らしてて、なにもないんだぞっ? 夜なんか毎日魔物相手に格闘だ。日替わりだから一緒に寝ることも出来ないなんて、これを不健全と言わずになんと言う!」
力説である。
リレィは溜息をつくと、首を振った。
「あー、ハイハイ、考えておくよ」
こういうときは何を言っても無駄なのだ。下手に相手をしてしまうとつけ上がって更に説得を始めるのだから。ここは適当に聞き流して……、
「うっ、」
ドクン
「……リレィ?」
胸を押さえたまま微動だにしない。いよいよ、始まったのだ。カリムは懐から呪縛の為の石を取り出し、握った。まだ早い。魔物が完全に成熟した状態でなければリレィから引き剥がすことは出来ない。ほんのカケラでも残してしまえば、リレィはまた、魔に苦しめられることになるのだから。
「夜まで待ってろってんだ」
呟くカリムをじろりと睨みつけるリレィの目が、紅く光った。そしてリレィではない誰かの声で、言った。
『愚かな人間め。そんなもので私を封じられると思っているのか?』
「やってみなきゃわからんよ」
『馬鹿め』
ヒュッ、と風が起きる。カマイタチだ。横切った風を受け、カリムの体に数本の赤い線ができる。
『切り刻んでくれる!』
ヒュッ、
立て続けに放たれる、風。カリムは立てかけてあった魔剣カサラギを抜いた。風の刃がカサラギに吸い込まれてゆく。
『くっ、』
リレィの姿を借りた魔が、顔を歪ませた。
『忌々しい』
そしてパッと外へ掛け出したのだ。
「おい!」
カリムが後を追う。一体何をしようというんだ? まだ、リレィの意識が完全に途切れたわけじゃない。今、見失うわけにはいかないのだ。
外に出ると、リレィは森の奥深くへと突き進んでいた。立ち止まり、両手を広げ、叫ぶ。
『魔物達よ! 私の力を手に入れろ! この体に宿った私の力、喰らい尽くすがいい!』
「あ、んにゃろ~っ」
近くにいる魔物達をかき集めてリレィの体を危険に曝そうというわけか。いわば人質と言った所。
「俺がそれを許さないと知ってて、か」
カリムが集められた魔に捕われている隙に当のカリムを始末しようという魂胆なのだろう。雑魚が相手なら身に降りかかる火の粉も簡単に払えるということか。なんとも計算高いことだ。
『集まるがいい! そしてこの体、喰らい尽くすがいい!』
「ふざけんなっ、このっ」
カサラギを構える。
ガサリ、ガサリと森が揺れ、辺りには匂いを嗅ぎつけた魔物達が集結し始めていた。
『……チカラ ダ』
『オオ、』
『クワセロ…、ソノ チ、ソノ ニク、』
ザワリ、ザワリとその数が増える。カリムはキリと奥歯を噛み締めると、一気に叩き切った。数匹の魔物が吹き飛んだ。
『アイツ、ジャマ』
『ジャマダ、』
ゆらり、魔物たちの視線がカリムを捕らえた。いくら雑魚とはいえこれだけの数を一度に相手するのは厳しい。だが、やるしかないのだ。
わっ、と襲い掛かって来る魔物達を薙ぎ払う。カサラギが、その力を揮う。一刀両断された魔物が悲鳴と共に無に還る。その、繰り返し。それを遠くから眺めているリレィ。薄ら笑いを浮かべたその様は、ぞっとするほどの美しさだった。
「でぁぁぁっ!」
ザシュッ
息を切らせながら最後の一匹を切りつける。返り血を浴び、体中ベタベタだ。ふらつく足にぐっと力を込め、振り返る。彼女は笑っている。いつの間にか辺りは、暗闇に飲み込まれ始めていた。




