◆1 時間遡行の転生、そして毒親からの逃走
神暦八三五年の初夏から始まった「神々の訪れ」は常軌を逸していた。
例年なら、一柱の神のさして強くもない怒りを鎮めるだけで、豊穣の季節に移行できた。
ところがその年から四年もの間、七柱の神々が暴風とともに顕現し、人間社会に襲いかかった。
「大聖女」と称されたイニティウムは、悪神を撃退するために、自らを善神アフラへの捧げ物にする秘法「聖なる犠牲」を発動させた。
そして、七柱目の悪神を鎮めることに成功したに違いないーーと満足のうちに、イニティウムは意識を失った。
ところが、異常事態が起こった。
意識を取り戻したとき、大聖女イニティウムは、なんと乳幼児の身体で生まれ変わってしまったのだ。
◇◇◇
(ちょっと待ってよ。
悪神はどうなったの!?
この世界は、何処?)
前世の記憶は、生まれながらにあった。
だが、年相応にしか頭が働かないとみえる。
発する言葉もバブバブとした、舌足らずな赤ちゃん言葉だった。
結局、五歳くらいまでは、私はひどくぼんやりとしていた。
言葉を十分に操れる年齢になって、ようやく私の記憶も意識もハッキリとしてきた。
今世に生まれ替わった私の名前はフィーニス。
農村の平民女娘なために、姓はない。
藁葺き屋根の粗末な我が家には、書物は一冊もなかった。
だから、自分が生活しているのはどんな世界で、今は何時なのかもわからなかった。
だが、両親や姉が話す内容に耳を傾けているうちに、次第に世の中の様子が朧げながら浮かび上がってきた。
雰囲気からして、前世に住んでいたネビール帝国に近い場所で生活していることは想像できた。
だが、両親にこの国の名前や、近在の都市の名前を尋ねても、何も教えてはくれなかった。
別に意地悪で教えないのではなく、ほんとうに知らないようだった。
自分が住んでいる場所についてすら、ただ単に「村」とか「街」と称するだけで、文字も言葉も碌に解さないから、娘である私も周囲の状況が長らく掴めなかった。
でもやはりこの世界は、私が前世で生きていた世界とソックリだった。
言葉や基礎的な習慣が同じだったし、魔法があって、封建的な階級社会が形成されていて、一部の貴族を除いて貧しい暮らしをしている。
そして、私が生まれ変わった家は農民階級であった。
それも土地無しの下層農民の家だ。
それゆえ、私も五歳の頃から働かされた。
大地主の農園に働きに出されたのだ。
五歳から七歳まで、私は両親に言われるがままに働きに出ては、律儀に家に帰っていた。
だけど、八歳になったとき、私は遠くの果樹園に住み込みで働きに出る決心をした。
長姉がいつの間にか居なくなった理由を知る年齢になったからだ。
端した金欲しさに、父親が姉を人買いに売り払ったのだ。
下層農民の父は飲んだくれると、すぐに母や姉、そして私フィーニスに暴力を振るう、ダメな男だった。
なのに、この世界で信じられている宗教では、離婚が固く禁じられていた。(親に尋ねても、宗教名すら知らなかった。聖典も読めない。ただ「神様は信じるものだ」と思っているだけだった)
離婚もできない限り、母も姉も私も、父親の暴力に耐えるしかない。
愚父は弱いくせに博打にハマって、姉が売られてしまったが、暴力を振るわれなくなるだけ、姉の生活環境もマシになったかも、と思われたほどだ。
だが、人買いに買われたからには、その女性にどういう運命が待ち受けているか、想像に難くない。
とにかく、私は悟った。
「妙齢のオンナ」になる前に、是非とも家を出なければ、父親によって人買いに売られてしまう、と。
かといって、女一人で生きていけるアテもない。
まずは世に出て、社会をよく知ろうと思って、果樹園労働の求めに応じたのだ。
わずか八歳で、出稼ぎに出るというのは異例の事態だったが、仲介した地主は、我が家の実情を知っていたため、特別に住み込みで働きに出るのを後押ししてくれた。
「この子は、この村には勿体無いくらい、聡い子なんだ」
と地主様は果樹園の主に紹介してくれた。
果樹園の経営者は、「売り子にするのに丁度良い」と判断して、私を採用してくれた。
地主が仲介してくれたので、父も歯向かえず、私は「稼ぎの全額を仕送りするから」と両親を宥めて、家を出ることに成功した。
果樹園に働きに出て、ようやく私は知ることができた。
この世界が、前世の私、大聖女イニティウムが身を捧げて救った世界の十五年前であることを。
果樹園に働きに出ている大人たちが噂していた。
最近、黒い霧が立ち込めて、作物が駄目になった。
子供が喰われた。
妻が行方不明になった。
夫が家に帰らなくなったーー等々。
結果からみれば、これらはみな、予兆だ。
悪の神々が顕現する先触れであった。
前世で大聖女イニティウムとして体験した、未来の知識があるから、そのことがよくわかる。
だが、今の私フィーニスは八歳になったばかり。
ちょうど前世で言えば、貴族専門学園の初等部に入る直前だ。(学園は九歳から十五歳ーー成人式を迎えるまで通う決まりだった)
思い返してみれば、前世でも、たしかにこの頃、領内で、子供が行方不明になったり、惨殺死体で発見されたという噂が囁かれていたように思う。
だが、果樹園の主は、その噂を笑い飛ばしていた。
「そんな神隠しみたいなこと、起こるわけねえだろ?」と。
結局、果樹園の主人は「野盗が出て、子供を拐うのだろう」と判断し、村の自警団にお金を弾んで、警備を厳重にしただけだった。
だが、こうした事例は、千年もの昔に発生した「神々の黄昏」の再来を告げる合図だったのだ。
ひょっとして、と私は胸騒ぎがして、果樹園の経営者に頼み込んで、街に作物を売りに行く売り子の一人になった。
女の子の方が売り上げが伸びるだろうと、私は街に出る売り子に採用された。
そして、リンゴや蜜柑を売るために街に出た。
そして、わかった。
ここは私の前世の実家の領地、ワルトチェル領だったのだと。
だから果樹園から出る幌馬車から脱け出し、前世の実家に向かうことにした。
この街には、料理人のゼッペの命令で、厨房の下働きが食材の買い出しに出る。
領主館がある街から何里か離れた隣町だったが、この街周辺で採れる果物を、|フェフリッツ・ワルトチェル伯爵《前世のお父様》がとても好んでいたからだ。
だから、この街の市場で買い出しした果物を積載した荷馬車を見つけて、私は荷物の中に紛れ込んだ。
私がワルトチェル伯爵家のお嬢様だったとき、親に黙って、よく街にお忍びで遊びに行くときに使った手を逆用したのだ。
ところが、懐かしいワルトチェル伯爵邸に辿り着いた途端、私はぶん殴られた。
前世の私に優しかったゼッペの態度が、今世の私にはまるで違って、随分と横柄で乱暴なものであった。
私が荷馬車に乗り込んだことに気づかなかった下働きの子も殴り倒され、私は髪の毛を掴まれ、裏門から放り出されそうになった。
私は思わず金切り声をあげた。
「そんなふうだから、ゼッペは奥さんに逃げられちゃったのよ!」と。
ゼッペは目を丸くして、私を裏門から放り出すのをやめて、胸倉を掴んだ。
「小娘!
マリアの居所を知っているのか!?」
料理長ゼッペは前世と同様に、新婚早々に奥さんに逃げられていた。
だから私は詰問されたのだ。
ちなみに前世での知識があるので、じつは私は彼の奥さんの逃げ場所を知っている。
逃亡した奥さんは奇しくも、果樹園の主人が経営している、隣町の居酒屋で働いていた。
さらに言えば、料理長ゼッペの捜索願いに応じて、ワルトチェル伯爵家の騎士団も、奥さんの居所を見つけ出していた。
だが、ゼッペが暴力を振るうから逃げ出したという奥さんの事情を知って、ワルトチェル領の騎士団長ラメラ・ベルトがその情報を握り潰したのだ。
そうした経緯を思い出して、私は、
「ワルトチェル伯爵家のご夫婦に合わせてくれたら、奥さんの居所を教えてあげる」
とゼッペ相手に駆け引きを打った。
私が荷馬車に紛れ込んでいた、と領主様に訴えるためだけでも良いから、とにかくワルトチェル伯爵家のご夫婦に会わせて欲しいと頼み込んだ。
「わずか八歳の少女なら、碌な悪さもできないだろう」ということで、翌朝、朝食を摂るワルトチェル伯爵夫婦の食卓へと、私は連れ出された。
かくして私は、ようやく前世の両親に会えたのだった。
懐かしさに涙が溢れてきた。
この後に起こる事態を知っているので、特に感慨もひとしおだった。
その年は神暦八二四年だから、十一年後、この前世の両親は殺されてしまうのだ。
だから、その悲劇を避けるためにも、私は生まれ変わった平民娘の身でありながらも、是非とも元両親に会って話がしたかったのである。
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