◆0 プロローグ 聖なる犠牲
漆黒の空の下、人々の悲鳴と嗚咽が響き渡る。
壮麗を誇ったネビール帝国の皇城は、帝都ブリズの街並みごと崩壊してしまった。
帝都は倒壊した建物の残骸だらけに成り果てていた。
都民は四方八方で屍を重ねるばかり。
帝都を守るはずの騎士団もすでに壊滅していた。
総指揮を執っていた皇帝コーフコル陛下も、悪神が産み出した魔物に喰われてしまっていた。
そんな中、聖女イニティウム率いる聖職者集団と帝国魔法師団が展開した結界内にのみ、人々が生き残っていた。
女子供を主体とした、貴族、平民を織り交ぜた群衆だった。
一つの結界内に、ざっと三千名。
そうした結界が十個ほど形成されていた。
総計三万名弱ーー。
帝都ブリズの人口は三十万と謳われていたから十分の一になっていた。
結界の維持を担う魔法使いが、次々と魔物に喰われていく。
「貴女たちは退がりなさい!」
聖女イニティウムは白髪を振り乱しながら叫ぶ。
ここ数日、悪神から産み出された魔物や魔獣たちに通常の魔法は通じなかった。
唯一、撃退できるのは、聖女イニティウムの聖魔法だけとなっていた。
それでも魔法師団の魔法使いたちは意地を張る。
「退けません!」
「大聖女様と共に戦います!」
彼ら彼女らは杖を振り廻し、化け物たちを追い払う。
だが、絶望的な状況がさらに続く。
結界の内部に幾つもの黒い空間が現れたのだ。
「魔空間」の生成だ。
この空間を通って、化け物が姿を現す。
それらの魔空間を生み出すのが、三日前から遥か天空に君臨している悪神「貪欲神イド」であった。
「結界を組み直します。
急いで!」
大聖女イニティウムは蒼い瞳に力を込めて、仲間に訴える。
だが、その求めに応じることができる聖職者も魔法使いもいなかった。
魔空間出現に際して、個々に対応する限界をとうに超えてしまっていたのだ。
「きゃあああ!」
人々の絶叫とともに、血飛沫があがる。
結界内にありながら、魔物による人間の虐殺が始まろうとしていた。
「聖女様、お救けください!」
「助けて。
もう嫌だあ!」
この何ヶ月も、光を失った世界で、人々は化け物の襲来に怯えて暮らしてきた。
絶望するのも当然だ。
そこへオリガ・ゴルトムント公爵令嬢が、金髪を掻き上げて、甲高い声を張り上げる。
「絶望するのは認めません。
私たちには大聖女イニティウム様がおられます!」
彼女、金髪碧眼のオリガ公爵令嬢は、聖女見習いであり、いまだ正式な聖女認定は受けていなかった。
それでも、帝国民から絶大な人気がある。
帝国筆頭貴族ゴルトムント公爵家のご令嬢であり、豊富な聖魔力を体内に宿して生まれてきた。
通常、聖魔法は聖霊や神から聖魔力をいただいて発動するものだ。
ところが、聖魔力を体内に宿している人間も稀に生まれてくる。
そうした人材の方が聖魔力の供給源を二重に持つことになるので、桁違いの威力の聖魔法を放てるうえに「大聖女」「大聖人」になる資質の第一条件と言われていた。
それゆえにオリガは、幼い頃から修道院に預けられていた「生来の聖女候補」であった。
ところが、この人類滅亡の危機に瀕した今に至っても、ついに聖魔法を行使することができなかった。
オリガの指導役になっていた大聖女イニティウムは、そのことで、よくお偉方から非難されたものだ。
後輩を指導することが下手なのではないか? と。
だが、オリガは大聖女イニティウムにとても懐いていた。
今も息を弾ませて笑顔を見せる。
「うるさい外野を黙らせました。
さあ、気兼ねなく、存分にお力を発揮してくださいませ、大聖女イニティウム!」
「ちょっと、その言い方、不味くありません?
皆様のことを『うるさい外野』などとーー」
「だって碌に役に立たないくせに、うるさいのは勘弁ですわ」
オリガは碧色の瞳を輝かせて、口に手を当てる。
扇子があったら広げていそうなポーズだ。
これほど絶望的な状態で、オリガは貴族令嬢としての矜持を保っている。
イニティウムは感心した。
聖女師弟が会話しながらも方々に向けて聖魔法を駆使する。
そんな最中であっても、幾つもの漆黒の魔空間中から、巨大な眼玉が現れる。
それらが魔空間から飛び出して一箇所に集まっていく。
どうやら百眼巨人が顕現するようだ。
大聖女イニティウムは唇を噛んで覚悟を決めた。
最終手段を採ることを。
「ついに、この身を捧げる刻が来ました」
この三日間、ずっと魔物から放たれる魔力や瘴気を聖魔力に転換する古代魔法を展開してきた。
無数の魔空間を出現させられたことによって、ようやく聖魔力を十分に溜め込むことができた。
最終手段の秘法を展開し得る力を手に入れたのだ。
「まさかーーイニティウム様、秘術をお使いに!?」
そう言ってから、オリガは涙をポロポロ流す。
大聖女イニティウムは青い瞳を細めて微笑む。
この期に及んでも、弱い治癒魔法しか使いこなせていない不肖の弟子に、師匠は優しかった。
「仕方ないわ。
泣かないで」
「ごめんなさい。
私が一番、役立たずでした」
「いえ。
貴女は見習いとして、良くやってくれたわ。
主に給仕役だけど」
「酷いですよ、聖女様」
弟子のオリガは師匠を軽く小突く。
師匠の大聖女イニティウムも小突き返す。
それから二人で笑い合った。
そして、真面目な顔付きになる。
師匠の覚悟を前にして、弟子のオリガは後方の聖職者たちや魔法師団員に向かって声をかけた。
「大聖女イニティウム様が『最後の晩餐』をご所望です!」
その意味を、皆がわかっていた。
最期の聖女のお役目ーー捧げ物の儀式が始まろうとしていた。
魔力が込められた暴風雨が吹き荒れる中、皆が協力して、新たな結界を張った。
その中だけは風ひとつない。
そこへ聖別された、豪華な料理が運び込まれる。
今まで、聖魔法で聖別された箱の中で死守してきたのだ。
豪華な、湯気を立てた肉料理や魚料理が、白い食卓に並ぶ。
聖職者は、普段、食べる時間も、食材も、指定されたものしか口にできない。
パンの重さ、飲み物の量まで規定されている。
肉料理は病人や貧者への施しのみを許可され、自身は口に入れることを固く禁じられていた。
だが、秘術「最後の晩餐」においては、何を食べようと無礼講だ。
ただひたすらに栄養を摂り込むことが肝要なのだ。
魔法師団長、騎士団長がそのさまを眺めて、目に涙を滲ませ、唇を噛んでいる。
大聖女である私、イニティウムは皆を慰める。
「泣かないでください。
貴方たちもご一緒してくださらない?」
そうして涙の中、「最後の晩餐」が始まった。
今の時刻は朝だ。
でも「晩餐」という。
なぜなら漆黒の空間になっているからだ。
悪神の巨大な口によって、陽の光が食べられてしまい、地上から光が失われて、すでに一週間が過ぎようとしていた。
つまり、この悪神による襲来が、最終段階に達していることーー世界滅亡の寸前であることを意味している。
大聖女イニティウムは、ここ数日、固いパンと粗末な野菜、そして体力回復のポーションばかり口にしてきた。
だから久しぶりに真っ当な食事ーーそれも修道女としての制限が課せられていない食事が摂れて、嬉しかった。
今は生き残っているかもわからない、料理長に深い感謝の祈りを心中で捧げる。
別の結界内で絶望していた人々は、ようやく歓声をあげた。
彼らは私、イニティウム以上に、食事情が貧しかったはず。
それでも喜ぶのには理由がある。
この「最後の晩餐」は聖なる儀式だからだ。
この後、大聖女である私、イニティウムが善神アフラに身を捧げる。
そのことによって、悪神が生み出した魔空間が消滅することを、誰もが知っていたからだ。
フェルトン皇太子殿下までが、後方の本陣から食卓に姿を現す。
純白の甲冑を装着しているものの、全身、傷だらけで、とても指揮官に収まった皇族とは思えない有様だった。
まるで前線で戦ってきた歴戦の戦士のようだ。
「申し訳ない、聖女イニティウム。
我々が不甲斐ないばかりにーー」
「いえ。
私の身を捧げることで、悪の神々が退いていただけるのならば。
それでも油断してはなりませんよ。
神々の権能が三日三晩、鎮まるだけなのですから」
「瘴気が掻き消され、悪神や魔物どもが活動しなくなりさえすれば、我々の敵ではありません。
よく今まで耐えてくれました」
皇太子の発言の最中であっても、大聖女はムシャムシャと、ご馳走を咀嚼することをやめない。
その淑女らしからぬ振る舞いを制止する者は、誰もいなかった。
やがて大聖女は食卓にあった沢山の料理を一通り食べ終えた。
とても美味しかった。
満足だーーと思った。
「さあ、乾杯しましょう。
輝ける明日のために!」
それから私、大聖女イニティウムは、聖なる短剣を手にして、自分の喉元を突き刺した。
聖なる呪文を唱えながら。
「聖なる短剣」は、実際の刃物ではない。
聖魔力を束ねた光みたいなものだ。
それを、聖別された料理を咀嚼したうえに、聖なる呪文を込めて塊にしたモノを詰め込んだ喉元に突き立てる。
聖なる短剣が鍵となり、私の喉元が鍵穴となるのだ。
すると、視界が真っ白になっていく。
聖なる空間が、私の身体から開いて、善神アフラが顕現する。
そうなると、悪神の働きが鎮まるーーそう古代から伝わる聖典に記されていたのだ。
この秘法が使われたのは千年以上も昔のこと。
秘術「最後の晩餐」から始まる秘法を発動させた当時の聖女がどうなったかは、古文献には記されていない。
ただ、悪神の動きが三日三晩停止し、人類が救われた、とだけ記載されている。
でも、誰もが思っていた。
おそらく、その秘法を発動させた千年前の大聖女様は死んだのだろう、と。
実際、秘法の名称は「聖なる犠牲」なのだから。
私、大聖女イニティウムは、白い光に包まれながら、意識を失った。
人類社会を救いたい一心で、我が身を神に捧げたのだ。
私、イニティウムは死んだに違いない。
そのはずだった。
それなのにーー。
意識を取り戻した時には、誰だかわからない大人の男女が、私の瞳を覗き込んでいた。
彼らの上には、古ぼけた板が張られた、見知らぬ天井ーー。
私から発せられたのは、泣き声だった。
即座に大人の女性に抱きかかえられた。
手を伸ばせば、大人の男性の手に指一本を掴むのがやっとの小さな手だった。
どうやら、私は生まれ変わったらしい。
乳幼児としてーー。
読んでくださって、ありがとうございます。
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