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現代ダンジョン ―世界は今日も世知辛い―  作者: AIやすし
プロローグ

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第9話 探索者という職業

2014年8月


日本・第六号北関東ダンジョン


入口管理施設


川瀬修司は荷台の上で医療用コンテナの封印を確かめた。


白い樹脂箱の側面には赤い線が二本引かれている。


止血材。


輸液。


固定具。


中身は一覧表と一致していた。数量も重量も封印番号も間違いない。


それでも予定どおりではなかった。


「追加で三箱です」


防護服姿の職員が作業台へ新しい伝票を置いた。


「第三中継点まで。できるだけ急いでください」


「帰還班に負傷者が?」


川瀬が尋ねると職員は一瞬だけ口を閉じた。


帰還班とは別に、入口と中継点の間を往復していた連絡支援員が先に外へ戻り、負傷者の状況を伝えていた。


「二名です。一人は歩けます。もう一人は担架搬送になります」


施設の奥で負傷者の受け入れを知らせる警報灯が回っていた。


境界の向こうへ警報は届かない。それでも外側では医療担当と搬送担当が慌ただしく動いていた。


川瀬は伝票へ時刻を書き込み、同僚とコンテナを運搬台車へ固定した。


三十八歳。


東央搬送サービス株式会社、ダンジョン関連事業部の現場主任。


肩書きだけなら普通の物流会社の中間管理職だった。


実際の仕事も基本は運ぶことだった。


調査隊の食料。


測定機器。


自立式の標識。


交換用の電池。


空になった容器。


回収された魔石や用途不明の素材。


そしてときには負傷者。


川瀬は黒い境界の前でヘルメットの固定具を引いた。


胸元の入場札には委託会社名と作業区分が記されている。


補給支援。


許可区画は入口から第三中継点まで。


戦闘行為は認められていない。


現地判断による経路変更も指定外物品の回収も認められていない。


「入場、二名。補給支援」


管理職員が読み上げる。


「予定帰還、一時間後。第三中継点を越えないでください」


「了解」


川瀬は台車の持ち手を握り同僚と歩調を合わせた。


右足から黒い境界へ入る。


身体が向こう側へ移った瞬間施設の空調音が消えた。


代わりに聞こえたのは遠くを流れる水の音だった。


第六号北関東ダンジョンの浅い区画は、低い岩棚が続く谷になっている。


入口付近には照明線が引かれ進行方向には反射標識が並んでいた。


川瀬はそこをこれまでに十七回歩いていた。


足場の悪い場所も知っている。


雨が降っていないのに濡れている岩も荷台の車輪が取られる細い溝も知っていた。


その経験は、委託作業を安全に終えるためのものだった。


自分で行き先を決めるためのものではない。


第二中継点を過ぎたところで担架を持った公的調査員たちが見えた。


先頭の男は右腕を胸へ押し当てていた。防護服の袖が裂け、応急処置の包帯が黒くにじんでいる。


後ろの担架には別の隊員が横たわっていた。


調査員の一人が川瀬を見つけ手を上げた。


「助かった。輸液を一本、すぐ使う」


川瀬は台車を止めた。


同僚がコンテナの封印を切り番号を読み上げる。


その間に川瀬は帰還班の人数を数えた。


六人。


本来は八人の班だった。


「残り二人は?」


「第四中継点で待機している。装備を捨てれば戻れるが、測定器と回収箱を置いてくることになる」


公的調査員は息を整えながら答えた。


「交代班が来るまで、あと二時間かかる」


第三中継点から第四中継点までは、歩いて十分もかからない。


川瀬は経路を知っていた。


以前第四中継点の手前まで標識台を運んだこともある。


台車にはまだ余裕があった。


「俺たちが行きます」


言葉は考えるより先に出ていた。


「空の担架と医療品を持って二人を戻す。回収箱も積めます」


帰還班の責任者が首を振った。


「許可区画は」


「第三までです。でも道は分かっています」


「分かっているかどうかの話じゃない」


責任者の声に苛立ちはなかった。


疲労はあった。


それ以上に判断を誤れない人間の硬さがあった。


「あなたを第四へ送る権限が私にはない。何か起きても委託契約の外だ。会社も国もあなたの行動を正式な任務として扱えない」


「それなら今ここで許可を」


「境界の外と相談はできない。現場だけで資格のない人間へ危険作業を命じることもできない」


川瀬は反論できなかった。


正しい。


責任者は川瀬の経験を知らないわけではない。


これまで何度も同じ現場で働いてきた。


民間だから軽く見ているのでもなかった。


だからこそ送れないのだ。


責任者は川瀬たちの台車を見た。


「第三中継点までは頼めるか」


「もちろんです」


歩ける負傷者と担架に乗せられた負傷者を行動可能な二人が入口側へ送り出した。


川瀬たちは残った二人とともに残りの医療品と空の担架を第三中継点まで運んだ。


そこから先へ進んだのは帰還班のうち行動可能な二人だった。


二人は医療品と空担架を受け取り第四中継点へ戻っていく。


川瀬と同僚は許可境界である第三中継点に残った。


負傷した腕。


減った医療品。


予定より遅れた調査。


足りない交代要員。


そのすべてを抱えたまま公的調査員は再び奥へ向かった。


入口施設でも人手不足は数字ではなく空いた椅子の形で見えた。


夜勤を終えた職員がそのまま昼の入場記録を手伝っている。


補給担当は三人の予定が二人しかいない。


回収物の受領区画には密閉箱が積まれ、分析施設への輸送待ちを示す黄色い札が増えていた。


川瀬の会社も当初は外側の倉庫だけを任されていた。


やがて境界の手前まで。


次に第一中継点まで。


事故がなく記録が残り手順が整うたび委託範囲は少しずつ奥へ延びた。


だがその延長は会社との契約で決まる。


川瀬個人の経験が増えても本人に権限が積み上がるわけではなかった。


会社を辞めれば十七回の入場経験を証明する共通の資格すらない。


反対に会社が人員を出せなくなれば、その経験も現場から失われる。


国にとっても民間側にとっても不安定な仕組みだった。


川瀬は第三中継点で待った。


指定された線を越えずに。


二十五分ほど後、第四中継点へ戻った二人が待機していた二人の隊員と回収箱を連れて戻ってきた。


回収箱は空担架へ載せられていた。


川瀬たちは第三中継点から台車と担架を引き継ぎ全員の帰還を補助した。


全員生きていた。


それで十分だと分かっていた。


それでも入口へ向かう台車の重さがいつもより腹立たしかった。


外へ戻り記録を終えたあと帰還班の責任者が川瀬へ頭を下げた。


「さっきは助かった」


「俺は箱を開けただけです」


「それを正しい場所で間違えずにできる人が足りない」


責任者は破損した装備の山を見た。


「中へ入れる人間は増えた。だが入って働ける人間はまだ足りない」


川瀬は自分の入場札を外した。


紙と樹脂でできた委託作業員の札だった。


「経験があっても俺たちは指示された仕事しかできない」


「今はそうだ」


「いつまでですか」


責任者はすぐには答えなかった。


「経験を評価して権限と責任を渡す仕組みができるまでだ」


川瀬はもう一度黒い入口を見た。


道がなかったわけではない。


進む制度がまだなかった。


2014年10月


東京都内


ダンジョン管理省・探索者登録制度試行説明会


六月下旬の国際会議で各国が共有した人材不足は、日本ではすでに現場の限界として表れていた。


日本政府は国内の状況に応じて制度の検討を進め、東央搬送サービスへ届いた通知には推薦条件が三ページにわたって書かれていた。


ダンジョン関連業務の経験。


内部入場歴。


補給、設備、医療、研究等の実務。


所属企業からの推薦。


本人の同意。


川瀬の名前は最初の候補者名簿に入っていた。


「断っても評価には影響させない」


事業部長は社内会議室でそう言った。


「国からも会社命令で参加させるなと念を押されている。危険は委託作業より大きい。家族とも話して決めてくれ」


川瀬は通知を持ち帰った。


妻の由紀は食卓で二度読んだ。


「今までだって中には入ってたよね」


「入っていた。でも決められた場所で決められた荷物を運ぶだけだった」


「これは違うの?」


「自分で判断する仕事になるらしい」


言ってから川瀬はその言葉の軽さに気づいた。


自分で判断できる。


それだけなら自由を得る話に聞こえる。


由紀は通知を折らずにテーブルへ置いた。


「自分で戻る判断もするってこと?」


川瀬はうなずいた。


「たぶんそっちの方が大事なんだと思う」


説明会には四十人ほどが集まっていた。


建設会社の作業主任。


大学の実験助手。


医療機器会社の技術員。


公的調査隊へ派遣された経験のある看護師。


警備会社の教育担当。


全員が民間人だった。


同時にまったくの未経験者でもなかった。


壇上に立ったのはダンジョン管理省の小野寺志保という制度担当官だった。


四十代半ばほどに見える。


声は穏やかだったが言葉の一つ一つを置くように話した。


「最初に誤解を解きます」


正面の画面に試行運用という文字が表示された。


「これは民間人へダンジョンを自由開放する制度ではありません」


会場の空気が少しだけ硬くなった。


「登録は安全の証明ではありません。国が生還を保証する制度でもありません。行動範囲は制限され、入退場と活動内容は記録されます。境界を越えて日本側へ持ち帰る物は、すべて申告と確認の対象になります」


川瀬は資料をめくった。


自分が想像していたものより禁止事項の方が多い。


小野寺は画面を切り替えた。


「境界の先は日本領ではありません。一般の国内法がそのまま土地の法として働く空間でもない。ですが人を傷つけても物を奪ってもよい場所になるわけではありません」


重大な対人犯罪は帰還後に日本側で捜査や処罰、資格処分の対象になる。登録者には特別法や登録規則、入場条件に基づく責任が残る。


日本領でないことと、無法であることは同じではなかった。


「では、今までの委託と何が違うんですか」


前列の男が尋ねた。


小野寺は答えた。


「国家機関の補助要員ではなく、自らの資格と責任で探索活動を行う主体として扱うことです」


「国の命令を受けない?」


「制度開始直後は開放対象も許可される活動も限定します。試行では公的調査員が監督します。ただしそれを恒久的な形とはしていません」


画面が切り替わる。


登録。


訓練。


活動記録。


回収物の申告。


違反への処分。


事故時の責任。


「将来実績と安全手順が蓄積されれば、認められた範囲で探索者自身が計画を立てる運用も想定しています。ですがそのためにはまず制度が現場で機能するかを確かめなければなりません」


別の席から声が上がった。


「国は人が死ぬかもしれない仕事を認めるんですか」


質問した女性は批判するような口調ではなかった。


答えを確かめようとしていた。


小野寺は少し間を置いた。


「その問いに簡単な答えはありません」


彼女は資料へ視線を落とさずに続けた。


「公的組織だけでは人員が足りません。調査と資源回収を止めれば研究、医療、産業にも影響が出ます。すでに皆さんのような民間の経験者は、公的管理の下で危険な業務へ参加しています」


会場の後方で誰かが小さくうなずいた。


「だからといって危険を民間へ押しつけてよいとは考えていません。企業が従業員を使い捨てることも、報酬や能力取得への期待だけで無謀な人を集めることも防がなければならない」


画面に制度化しなかった場合の問題が表示された。


無断進入。


回収物の隠匿。


非公式な仲介業者。


事故記録の欠落。


企業ごとに異なる教育。


「入口を閉じ続けても価値があると知られた以上、入ろうとする人は現れます」


小野寺は言った。


「禁止だけで終わらせれば、行政から見えない場所へ人と物が流れる。登録制度は入れる人を増やすためだけでなく誰が入り、何を持ち帰り、どのような責任を負うのかを見える形にするためでもあります」


「登録できなければ今の仕事もできなくなるんですか」


医療機器会社の女性が尋ねた。


「いいえ。既存の委託、派遣、研究参加を直ちに探索者制度へ統合するものではありません。公的管理下の補助業務と独立した探索活動は別に扱います」


川瀬はそこで初めて制度の輪郭を正確に理解した。


今までの仕事を否定するのではない。


同じ危険な場所に立ちながら別の責任を持つ人間を新しく定義するのだ。


「ならやめるべきだという意見もある」


今度は壇上脇にいた公的調査員が言った。


川瀬はその顔を知っていた。


八月に第六号北関東ダンジョンで第四中継点へ戻った責任者だった。


久保田誠。


「慎重側が心配しているのは、国が登録証を配ることで危険を安全に見せてしまうことです。推進側が心配しているのは制度を作らないまま現場の必要だけで無資格の補助参加が広がることです」


敵と味方の話ではなかった。


どちらも死者を出さない方法を考えている。


ただ危険を減らすために止めるのか。


危険を管理するために制度を作るのか。


立っている場所が違っていた。


午後の意見交換では企業側の担当者も発言した。


「探索者本人の資格にするなら会社の業務命令との関係を整理してほしい」


「会社が登録を持つ従業員へ本人の同意なく入場を命じる運用は認めません」


小野寺が答える。


「一方で探索者が企業に所属して活動する形まで否定するものでもありません。雇用、請負、共同事業のどれを選ぶかは今後の検証対象です」


「事故が起きた場合、国は責任を負わないのか」


「国に責任がないとは申し上げません。開放する区画を選び、基準を設け、監督し、危険情報を提供する責任があります。ただし登録を受けた本人と雇用または契約する企業の責任もなくなりません」


「全部これから決める?」


「決まっていない部分は決まっていないと明示します。その状態で大規模に始めるのではなく、少人数の試行で確かめます」


制度担当官が不完全さを認めたことで川瀬はかえって信用できる気がした。


知らない危険を前に完成した制度が突然現れるはずはない。


休憩時間、川瀬の隣に座っていた男が話しかけてきた。


「若林圭介。建設設備です」


三十四歳。


公的調査隊の内部拠点で仮設床と照明設備の設置に関わっていたという。


「能力が手に入るかもしれないって本当なんですかね」


「例はあるらしいです」


「欲しくないですか」


川瀬は少し考えた。


「あれば助かることはあるでしょう。でも何をすれば得られるのかも分からない」


「戦えば可能性はある」


若林の声には興奮より焦りがあった。


会社の工事部門が縮小され次の配属先が決まっていないのだと後で知った。


何かを得なければならない。


そう考える理由は川瀬にも理解できた。


説明会の最後に同意書が配られた。


川瀬はすぐには署名しなかった。


自分で進める制度だと思っていた。


実際には自分で止まる責任まで引き受ける制度だった。


その日の夜由紀の言葉を思い出しながら川瀬は名前を書いた。


正式登録ではない。


制度検証のための試行参加。


それが最初の一歩だった。


2014年11月~12月


ダンジョン管理省・東部安全研修施設


最初の講習で教官は黒い入口の写真を映した。


「外から中へ連絡する方法は、現在まで確立していない」


無線、映像、位置情報による外側とのやり取りは境界を越えた瞬間に途絶える。


ただし内部へ完全に入った機器は動作し、内部にいる者同士の通信は成立する。


もっとも電子制御された自走車両や自走機械は自力では境界を越えられない。境界面を通過している間に電子機器が停止するためだった。


完全に内部へ搬入されれば機器は再び動作する。そのため入口が広いダンジョンでは人力で車両を押し込むほか、動力部を外側に置いた搬送装置を設け車両や大型機材を内部へ送り込んでいた。


だが第六号北関東ダンジョンの入口は狭く、その設備を設置できない。ここで使用できるのは人力で扱える台車や分解して運び込める機材が中心だった。


「外にいる人間は皆さんの異常を見つけてくれません」


教官は言った。


「予定時刻を過ぎるまで何が起きたかさえ分からない。だから帰還時刻は目標ではなく行動を逆算する基準になります」


午後は標識の設置だった。


自立式の反射標識を数メートルごとに置く。


未知の植物や壁面へ勝手に固定しない。


方位磁石、歩数、経過時間を記録する。


先頭だけでなく最後尾も標識列を確認する。


川瀬にとっては見慣れた作業だった。


だが今度は運ぶだけではない。


どこへ置くか。


見失う可能性はないか。


帰路で回収するのか残すのか。


判断の理由まで記録させられた。


「面倒ですね」


若林が記録用紙を埋めながら言った。


「面倒だから誰がやっても同じ結果になる」


川瀬は答えた。


「書かなければ次の班は俺たちの頭の中を使えない」


負傷者搬送の訓練では担架を持つ順番を変えながら狭い通路と斜面を往復した。


模擬装備は次第に重くなった。


照明が落とされた。


予定していた通路が閉鎖された。


一人が足を負傷したという条件が加えられた。


成果を持ち帰る余裕はすぐになくなった。


訓練の記録は失敗した班ほど細かく検討された。


誰が最初に異常へ気づいたか。


誰へ伝えたか。


その時点で帰還まで何分必要だったか。


捨てた装備は何か。


持ち帰ろうとして判断を遅らせた物は何か。


「正解を覚える訓練ではありません」


教官は言った。


「同じ条件は二度と来ない。必要なのは何を根拠に決めたかをあとから他人が確認できることです」


川瀬は物流の事故報告と同じだと思った。


荷崩れが起きたとき担当者を叱るだけでは次の事故を防げない。


固定方法。


重量。


路面。


確認手順。


原因を分け記録し別の現場でも使える形へ変える。


未知の世界でも人間ができることは意外なほど地味だった。


「回収箱は」


教官が尋ねる。


「置いていきます」


「中身は希少資源かもしれない」


「人を運ぶ方が先です」


川瀬が答える。


「記録して、次の回収計画を立てます」


教官は何も褒めなかった。


ただ評価表へ印をつけた。


別の日には密閉容器に入った小さな金属片が机へ置かれた。


候補者が順番に手袋越しで触れる。


川瀬の頭に短い言葉が浮かんだ。


薄明鉄。


意味は分かる。


それ以上は分からない。


「名称を認識できた者」


全員が手を挙げた。


「では安全性が分かった者」


誰も手を挙げなかった。


「正しい反応です」


講師は容器の蓋を閉じた。


「名称は効能書きではありません。毒性も強度も加工法も価格も教えてくれない。名前が分かったことで理解した気にならないでください」


回収訓練では正体の分からない物を見つけてもその場で容器を開けて調べなかった。


位置を撮影する。


周囲の状態を記録する。


接触前の容器を準備する。


決められた量だけ採取する。


封印番号を読み合わせる。


帰還後は隔離区画へ渡し勝手に持ち帰らない。


「自分で回収した物なら自分の物になるんじゃないんですか」


候補者の一人が尋ねた。


「内部で確保しただけでは日本国内で自由に処分できる所有物としては確定しません。帰還時に申告し危険物や禁止物、国家管理対象でないことを確認した後探索者の取得物として扱われます」


小野寺は答えた。


「その後公的買取や民間取引へ進めます。危険物や管理対象は個人で自由に処分できない場合があります。権利が生まれるから管理の義務も必要になります」


川瀬はその説明を自由についての二度目の訂正として受け取った。


所有できることと隠してよいことは違う。


探索用の武器も、内部へ入れば自由に扱えるというものではなかった。


日本側では保管と運搬が管理され、許可された武器だけが入場時に確認または貸与される。


帰還後には返却、再封印、保管確認を受ける。


探索者証だけで強力な武器を無条件に持てるわけではない。


モンスターについても同じだった。


開放された区画でのモンスター討伐は、登録探索者に認められた活動に含まれる。


モンスターは日本国内の人間や野生動物誰かの所有物として扱われない。


ただし研究や安全管理のために攻撃を制限された区域や対象まで自由に倒してよいわけではなかった。


訓練用映像に映った、灰色の皮膚を持つ四足の生物。


現場では岩犬と呼ばれている。


だがそれは外見から付けた通称にすぎない。


見ただけで生体名も能力も分からない。


倒せば黒い粒子となって消える。


何かが残る場合もある。


何も残らない場合もある。


「通常モンスターは倒してから概ね二、三時間後に同じ区画かその周辺へ再発生します」


教官は映像の時刻表示を進めた。


「倒した個体が生き返るわけではありません。現れる位置や数には幅があります。さっき排除したから安全だとは考えないでください」


ボス撃破後にダンジョンの活動が停止している間は、通常モンスターの再発生も止まる。


活動が戻れば再発生も再開する。


「戦闘へ参加した者が能力を得たとされる例はあります」


教官はそこで映像を止めた。


「しかし取得を目的に予定外の戦闘を行うことは禁止します。条件も確率も個人差も分かっていません。能力は報酬として計画に組み込めるものではない」


講習が進むほど候補者の会話は減った。


未知の場所へ入るという言葉から余分な光が剥がれていった。


十二月の実技確認を前に神谷徹が参加を辞退した。


四十一歳。


医療機器会社の保守担当で入口施設と浅い区画での作業経験があった。


点検も記録も正確で筆記の確認では常に上位だった。


「暗所訓練で判断が遅れました」


神谷は候補者たちの前で自分から話した。


「二度目です。家族にも反対されています。今の自分が中へ入れば誰かに判断を任せることになる」


若林が目を伏せた。


誰も引き止めなかった。


小野寺は神谷から参加証を受け取った。


「辞退を記録します。会社の委託業務へ戻ることに不利益は生じません」


神谷は頭を下げた。


「申し訳ありません」


「謝る必要はありません」


小野寺ははっきりと言った。


「入らないと決められることも、私たちが確認したかった適性です」


川瀬はその言葉を覚えておこうと思った。


進む者だけを選ぶ制度ならいずれ進んではいけない人間まで選ぶ。


その後試行班は四人に絞られた。


川瀬。


若林。


元調査補助員の秋山奈緒。


警備会社で救命講習を担当してきた野口達也。


試行探索には久保田を含む公的調査員二人が安全担当として同行する。


それは制度開始前の検証措置だった。


小野寺は説明のたびに当面、試行、初期という言葉を付けた。


今ここで決めたものが、そのまま未来の探索者を縛らないようにするためだった。


年末の最終確認で川瀬は撤退条件を読み上げた。


現在位置を確認できない。


帰還経路を維持できない。


予定時間を超えるおそれがある。


負傷者が出た。


視界が確保できない。


残存物資が基準を下回った。


目的外の戦闘が続く。


「全部何かを持ち帰る前に決めるんですね」


若林が言った。


「何かが起きてから考えると欲が混じるからだろ」


川瀬は答えた。


自由とは好きな方へ行くことではない。


誰かの命令がなくても戻るべき線を守ることなのだと少しずつ分かり始めていた。


2015年1月


日本・第六号北関東ダンジョン


探索者登録制度・第一次試行


入場前の確認は委託作業のときより長かった。


身元。


健康状態。


装備番号。


携行物。


予定経路。


帰還時刻。


回収予定物。


四人の候補者と二人の安全担当がそれぞれ声に出して確認する。


試行の目的は入口から約六百メートルの第四中継点まで進み、反射標識を交換し、経路の状態を記録すること。


帰路に指定地点で薄明鉄の小片を二つだけ回収すること。


そして予定時刻までに全員で戻ること。


深く進む計画ではない。


ボスを探す計画でもない。


既に何度も調査された浅い区画で、将来の登録探索者を想定した手順が機能するかを確かめる。


それがすべてだった。


「今回俺たちは指示するために同行するわけではない」


入口の前で久保田が言った。


「危険が切迫した場合は介入する。だが経路確認、時間管理、撤退判断は試行班で行う」


川瀬は自分の胸元を見た。


委託会社の入場札ではない。


試行参加者と記された仮証票だった。


まだ探索者ではない。


だが荷物の届け先だけを示す札でもなかった。


境界を越える。


谷を流れる水音が聞こえた。


最後尾の秋山が全員の通信を確認する。


内部同士の無線は正常だった。


川瀬は先頭で古い反射標識を一つずつ確かめた。


汚れたものを交換し位置と時刻を記録する。


若林は歩数と方位を読み上げる。


野口は残存物資と四人の様子を見ていた。


第四中継点まで問題は起きなかった。


標識を交換し周辺の岩棚を撮影する。


経過時間は予定より二分早い。


川瀬は帰還開始を告げた。


その直後標識列の外側で石が転がった。


灰色の四足獣が岩陰から姿を現した。


犬に似ていた。


ただし背中は重なった石板のような皮膚で覆われている。


現場で岩犬と呼ばれているものによく似ていた。


同じ種類かどうかは分からない。


一体。


距離、二十メートルほど。


こちらを見ている。


久保田は武器へ手をかけたが、前へは出なかった。


試行班の判断を待っている。


「標識列を維持。ゆっくり後退」


川瀬が言った。


六人が間隔を保ったまま下がる。


四足獣も動いた。


低い姿勢から地面を蹴る。


「来る!」


若林が叫んだ。


先頭に出た野口が盾を構えた。


衝撃。


金属が鳴り野口の身体が半歩下がる。


秋山が長柄の先で四足獣の進路をそらす。


若林が側面から打ち込んだ。


一度。


二度。


四足獣は石板のような背を向け野口の盾へ再びぶつかった。


川瀬はその瞬間露出した腹部へ試行探索用に支給された槍を突き込んだ。


手応えがあった。


四足獣の動きが止まる。


輪郭が崩れ黒い粒子となって消えていった。


地面には何も残らなかった。


川瀬の身体にも特別な変化はなかった。


「負傷確認」


野口の左手首に腫れがあった。


動かせる。


痛みはある。


装備の破損は盾の留め具一つ。


そのとき別の鳴き声が岩棚の向こうから聞こえた。


小さな影が一つ奥へ走る。


若林が顔を上げた。


「もう一体いる。今なら追える」


「追わない」


「ここで戦闘の記録を増やせば評価材料になります。能力取得の可能性だって」


若林は槍を握ったまま影の消えた方を見ていた。


「何も持ち帰れなかったら制度が失敗だと思われる」


川瀬は腕時計を見た。


現在位置、第四中継点から帰路へ三十メートル。


経過時間、予定より六分遅れ。


薄明鉄は未回収。


医療品は使用可能。


野口に軽傷。


視界は岩棚で遮られている。


標識列は背後。


逃げた個体の先に何体いるか分からない。


試行の目的。


標識確認。


記録。


少量資源の回収。


時刻までの帰還。


全員生還。


「評価されるのは獲物の数じゃない」


川瀬は言った。


「野口が負傷した。予定から六分遅れた。退路は見えている。ここで外れる理由はない」


「でも、薄明鉄は」


「回収を中止する」


若林が川瀬を見た。


納得していない。


それでも反対を続ければさらに時間を失うことは分かっていた。


「……了解」


川瀬は久保田へ視線を向けた。


安全担当は何も命じなかった。


ただうなずいた。


六人は標識列に沿って戻った。


川瀬は何度も後ろを確認した。


別の影は現れなかった。


入口の黒が見えたとき安堵より先に帰還時刻を確かめた。


二分前。


全員が境界を越える。


外側の音が戻った。


職員たちが人数を数え仮証票と入場記録を照合する。


野口は医療区画へ運ばれた。


軽い捻挫だった。


試行班が持ち帰ったのは交換済み標識の記録と映像、戦闘記録だけだった。


予定していた薄明鉄はない。


能力を得た者もいない。


回収物の欄には中止と書かれた。


続く事情聴取では戦闘を美化する質問は一つもなかった。


最初の個体を回避できた可能性。


警戒の開始が遅れた理由。


野口の盾へ負荷が集中した経緯。


川瀬が槍を使った位置。


黒い粒子となって消えるまでの時間。


何も残らなかったこと。


別個体らしい影を目撃した方角。


追跡しなかった理由。


六人の証言は細部で少しずつ違った。


評価者はそれを責めず映像と時刻記録を重ねていった。


一人の記憶を正解にしないためだった。


報告会で若林は自分から発言した。


「追跡を提案しました。成果を残さなければ選抜に残れないと思ったからです」


小野寺は責めなかった。


「今はどう考えていますか」


「追わなくてよかった」


若林は野口の固定された手首を見た。


「追った先で二体、三体と出たら戻れなかったかもしれない」


久保田が評価票を机へ置いた。


「試行の成果は十分です」


「資源は回収していません」


川瀬が言うと久保田は首を振った。


「標識交換は完了した。経路記録もある。予期しない戦闘を記録し負傷者を増やさず時間内に帰還した」


小野寺が続けた。


「制度が必要としているのは、最も多く倒した人ではありません。目的を理解し記録を残し仲間と一緒に戻れる人です」


八月川瀬は第三中継点の線を越えられなかった。


あのときは権限がなかった。


今は自分の判断で第四中継点から戻った。


進めることより戻れることの方が資格に近かった。


2015年2月


日本・ダンジョン管理省探索者登録窓口


探索者登録制度は静かに始まった。


窓口の前に英雄を歓迎する垂れ幕はなかった。


番号札を持った人々が本人確認書類と記録票を抱えて並んでいる。


入口の案内板には登録対象は二十歳以上に限ると明記されていた。


川瀬の番が来た。


職員が身元を確認する。


勤務歴。


内部入場歴。


試行講習。


実技確認。


第一次試行探索の記録。


健康診断の結果。


一つずつ書類と照合された。


「登録はすべてのダンジョンへの入場許可ではありません」


職員は説明した。


「当面は開放対象となるダンジョンと登録上認められた活動範囲に限られます。立入禁止区画、入退場記録、回収物の申告、未知物や危険物の管理に従ってください」


「はい」


「今回の登録は制度開始直後の初期運用です。今後記録を基に基準が変更される可能性があります」


完成した制度ではない。


そのことを国も隠してはいなかった。


次の窓口では回収物の扱いを説明された。


公的買取を利用する場合、班内分配後、探索者個人が受け取る金額に二十パーセントの分離課税が適用される。


所得税と住民税を含む固定税率だった。


手続きは簡単で代金の支払いも早い。


一方民間企業への販売も認められている。


ただし契約、帳簿、品質保証、税務を自分たちで負う。


高く売れる可能性と重くなる責任は同じ側にあった。


東央搬送サービスは川瀬の登録後も雇用を続けると決めていた。


ただし会社の委託作業と登録探索者としての活動は契約を分ける。


会社の荷物を運ぶ日。


探索班の一員として計画へ参加する日。


同じ入口へ向かっても責任の根拠は同じではない。


事業部長は探索者証の交付予定を聞いたとき少し困ったように笑った。


「主任より上の肩書きができたな」


「会社の役職ではありません」


「分かってる。だから扱いが難しい」


「俺もまだ分かっていません」


「それでいい。分かったつもりで始める方が怖い」


会社もまた新しい職業との付き合い方を覚える途中だった。


「国家機関への所属手続きではありません」


最後に職員が言った。


「この資格に基づいて活動する際は、国家機関の補助要員ではなく独立した探索主体として扱われます。認められた範囲で、探索、戦闘、資源回収を職業として行う登録探索者です」


机の上へ一枚の証票が置かれた。


探索者証。


氏名。


登録番号。


本人写真。


許可範囲を確認するための識別情報。


川瀬はそれを手に取った。


重くはない。


持っただけで力が湧くこともない。


危険が消えたわけでもない。


国が生還を約束してくれたわけでもない。


好きな場所へ好きなように入れるわけでもない。


それでも委託作業員の入場札とは違った。


誰かの指示で荷物を運ぶための札ではない。


自分の経験と判断に自分の責任を結びつける証明だった。


帰宅して探索者証を見せると由紀は表と裏をゆっくり確かめた。


「これで自分で決められるの?」


「認められた範囲なら」


「断ることも?」


川瀬はうなずいた。


試行で戻ると決めたときより、その答えははっきりしていた。


「行かないことも途中で戻ることも俺の判断になる」


由紀は証票を返した。


「じゃあ毎回ちゃんと決めて」


「そうする」


大げさな約束はできなかった。


必ず帰るとは言えない。


それでも帰るための判断を誰かへ預けないことは約束できた。


数日後。


川瀬は再び第六号北関東ダンジョンの入口に立っていた。


同行するのは秋山と野口そして若林だった。


野口の手首は回復している。


若林は入場前記録を二度確認し回収目標の欄へ線を引いた。


「予定外は追わない」


誰に言うでもなくそうつぶやく。


管理職員が探索者証を一枚ずつ確認した。


端末へ登録番号が入力される。


入場時刻。


開放対象。


許可区画。


活動目的。


予定帰還時刻。


すべてが記録された。


「確認を」


川瀬は仲間を見た。


通信機器。


標識。


医療品。


記録装置。


回収容器。


退路。


帰還時刻。


四人の声がそろった。


かつての川瀬は指定された荷物を運び決められた線で止まった。


今も線はある。


規則もある。


守るべき時間も申告すべき物もある。


だがその線の内側で何を確認しどこで戻るかを決めるのは自分たちだった。


川瀬は探索者証を胸元へ収めた。


黒い境界の前で歩調を合わせる。


人類は未知を安全な場所へ変えたのではない。


危険を消せないままそこへ入る責任の形を作った。


川瀬は右足を前へ出した。


仲間とともに職業としてその境界を越えた。



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