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現代ダンジョン ―世界は今日も世知辛い―  作者: AIやすし
プロローグ

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第8話 届かなかった場所

2012年10月


日本・東京都内

ダンジョン管理省資源研究センター



高梨真理は薄暗い観察室の中で透明な容器を見つめていた。


容器の中央には親指の先ほどの黒い石が置かれている。


表面は不規則に割れ光沢はない。


見た目だけなら河原で拾った石と変わらなかった。


だが石の下に置かれた測定器は一定の間隔で数値を変えていた。


温度。


電圧。


磁場。


放射線量。


既知の計測項目が並んでいる。


石そのものの温度は変化していない。


周辺の空気にも目立った変化はない。


それでも石を特定の金属板へ接触させると微弱な電流が流れた。


再現性はある。


原理は分からない。


「また上がりました」


隣の研究員が言った。


「条件を変えましょう」


真理は端末へ目を移した。


「湿度を下げて接触面を研磨した試料と比較します」


「今日中に終わりますか」


「終わらせる必要はありません。正しい結果が出るまで続けます」


研究員は疲れた顔で頷いた。


容器の中の石はダンジョン内部でモンスターが倒された直後、その場に残されたものだった。


モンスターの身体は黒い粒子となって崩れ跡形もなく消えた。


代わりに残ったのが、この石だった。


回収した隊員が触れた時、頭の中に一つの言葉が浮かんだという。


魔石。


最初にその報告を読んだ研究者の多くは疲労や暗示を疑った。


だが別の国でも同じことが起きた。


異なる言語を使う者が同じ意味の名称を認識した。


名称は分かる。


効果は分からない。


何のために存在するのかも分からない。


分かっているのは既存の石とは異なる性質を持つことだけだった。


国際ダンジョン管理機構――IDMOが設立されてから三か月。


国際的な調整と情報交換の仕組みはようやく動き始めていた。


IDMOへ集まるのは各国が公式に確認したダンジョン数。


重大事故の統計。


境界や検疫に関する注意情報。


他国へ危険が及ぶ可能性のある事象。


そして同じ事故を繰り返さないための最低限の安全情報だった。


各国の研究成果がすべて集まるわけではない。


内部地形。


深層構造。


モンスターの能力。


戦闘映像と戦術。


ドロップ内容。


魔石解析。


未知の素材候補。


能力取得状況。


国家利益や安全保障に関わる情報はそれぞれの国が保持していた。


日本も例外ではない。


国内で得られた研究成果や重要情報が国外へ自由に公開されることはなかった。


IDMOへ提出するのも国際的な安全確保と事故防止に必要な範囲に限られていた。


真理が扱えるのは日本国内で回収された試料と公開論文、二国間で開示された一部資料、IDMOが配布する統計・安全情報だった。


魔石。


ポーションと認識された液体。


製造者も製造工程も不明な装備。


用途不明の固有素材。


国内のダンジョンだけでも説明不能な物品は増え続けている。


倒した個体ごとに何も残らない場合もあれば複数の物品が残る場合もある。


同種と思われるモンスターでもダンジョンが違えば残す物品の傾向が異なることがあった。


反対に異なる姿のモンスターからよく似た魔石が回収された例もある。


世界中の研究機関がそれぞれの限られた試料と観測記録を調べていた。


論文になる前の暫定報告。


再現性が確認されていない観測。


公開範囲を制限された資料。


結論を書けないまま蓄積される測定値。


真理の仕事は手元にあるものを分類し、比較し、次の実験へつなげることだった。


大学では材料工学を学んだ。


金属やセラミックスの構造を調べ性質の違いを説明する仕事に就くつもりだった。


ダンジョンが現れるまでは。


これまで人類が確認していなかった物質が次々と持ち込まれる。


研究者としてこれ以上ない機会だった。


同時にこれほど自分の無知を突きつけられる仕事もなかった。


「IDMOの月次集計が届きました」


研究室の扉が開き職員が薄い資料を持ってきた。


真理は手袋を外し書類を受け取った。


公式確認数。


重大事故の件数。


負傷原因の分類。


検疫上の注意。


安全基準の改訂案。


国名や施設名を伏せた事例も多い。


「研究資料はありませんか」


「ありません。各国ともそこは出していません」


真理はページをめくった。


IDMOは情報を集中的に管理する組織ではない。


調整する。


交換の窓口を作る。


統計を集約する。


最低限の安全情報を共有する。


加盟国が提供していない情報をIDMOが強制的に開示させる権限はない。


共有されるのは各国が選んだ範囲の情報だけだった。


それが役割だった。


各国は協力している。


同時に競争している。


新しい資源。


新しいエネルギー。


新しい素材。


未知の医薬品。


兵器への転用。


どの国も可能性を理解していた。


だからこそ手札のすべては見せなかった。


各国は国家安全保障、軍事的優位、資源確保、技術優位、外交上の利益を優先した。


非公開にするだけではない。


公開する範囲を限り、一部だけを出し、順序を変え、詳細を伏せる。


断片だけを見た他国が誤った推測へ進むこともある。


それが意図的な誘導かどうかを外から確かめることはできない。


だがそうした可能性も否定できなかった。


それでも事故の概要や共通の測定項目がそろうだけで以前より比較はしやすくなった。


他国の報告が実験条件を教えてくれることはない。


だが避けるべき危険を知らせることはある。


真理は資料の注意書きで手を止めた。


魔石は一定量の反応を示した後沈黙する場合がある。


回復条件は未確認。


それ以上の記述はなかった。


「使い切りではない?」


「そこまでは分かりません」


隣の研究員が言った。


「条件も試料も公開されていません」


「なら手元の試料で確かめます」


「数が足りません」


その言葉で真理は黙った。


研究を進めるためには試料が必要だった。


試料を得るためには誰かがダンジョンへ入らなければならない。


そしてこれまでにない物を得るにはまだ誰も踏み込んでいない場所へ進まなければならなかった。


2013年2月


日本・東京都内

ダンジョン管理省資源研究センター



研究棟の廊下に新しい棚が増えていた。


棚には国内の探索報告、公開論文、IDMOの統計・安全資料が並んでいる。


数か月で資料の量は何倍にもなった。


研究員も増えた。


大学。


民間企業。


国立研究機関。


医療機関。


自衛隊。


それぞれの組織から人員が派遣され、空いていた部屋が次々と埋まっていった。


それでも分析待ちの資料は増え続けた。


真理の机には三つの容器が置かれている。


一つは魔石。


一つは傷を塞ぐ作用を示した液体。


もう一つは銀色の短剣だった。


短剣は薄く軽い。


刃には実戦で使われた痕がある。


触れた回収者が認識した名称はただの「短剣」。


効果は分からない。


金属組成は既知の合金に近い。


だが同じ組成を再現しても同じ性質にはならなかった。


「組成だけではない」


真理は顕微鏡画像を拡大した。


結晶構造。


内部の応力。


微細な不純物。


考えられる要素は多い。


どれも決定的な説明にはならなかった。


「魔法の金属ということですか」


若い技術員が冗談めかして言った。


「分からないものに名前を付けても分かったことにはなりません」


「でも魔石って呼んでいますよね」


「本人がそう名乗ったので」


技術員は笑った。


半年前なら研究室で魔法という言葉が出れば誰かが眉をひそめていた。


今では完全に否定する者は減っている。


既存科学で説明できない現象が再現性を伴って存在していた。


科学の外へ追い出しても現象が消えるわけではない。


必要なのは説明できないことを認めた上で測定可能な部分から積み上げることだった。


「回収傾向の比較表が届きました」


別の研究員が端末へ資料を転送した。


日本国内で確認された複数のダンジョン。


入口からの移動距離。


内部滞在時間。


遭遇したモンスター。


消滅時の観測。


残された物品。


負傷者。


使用弾薬。


真理は数値を追った。


同じダンジョンでは遭遇するモンスターや回収物に一定の偏りがある。


岩石に似た外殻を持つモンスターが多い場所では硬い素材と防具が多い。


高温の区画を持つ別の場所では火に耐える素材と赤い魔石が繰り返し回収されていた。


ただし例外もある。


法則と呼ぶには事例が少なすぎた。


「ダンジョンごとに一つの傾向があるように見えます」


技術員が言った。


「環境が生物を決めているのか、生物が環境を作っているのか」


「回収物も含めて最初から組み合わされている可能性は」


「可能性ならいくつでもあります」


真理は比較表を閉じなかった。


傾向がある。


その事実だけは記録しておく価値があった。


別の報告には違う意味で扱いに困るダンジョンが記されていた。


人類が確認できた範囲では入口から約十メートルで構造が途切れている。


モンスターもボスも確認されていない。


ドロップも採取可能な特殊資源も見つかっていない。


有毒物質や崩落、異常気象などの危険も現時点では確認されていなかった。


外見上は完全な行き止まりだった。


「調査は終わったのですか」


技術員が尋ねた。


「現在実施可能な内部確認は終わっています」


「では何を研究するんです」


真理は報告書を見た。


記録上の構造は単純だった。


得られるものもない。


少なくとも今の調査方法では。


それでも黒い入口の向こうに約十メートルだけの空間が存在している。


何のために存在しているのか。


なぜ何もいないように見えるのか。


現在の研究では説明できなかった。


「存在理由です」


真理は答えた。


研究者たちは便宜上それを空のダンジョンと呼び始めていた。


危険だからでも利益があるからでもない。


何も確認できないこと自体が未解明の事実だった。


日本国内の探索記録へ画面を戻す。


進入回数は増えていた。


入口付近で得られるものは集まり始めている。


問題はその先だった。


地形は複雑になる。


モンスターは強くなる。


補給に時間がかかる。


境界を越えて外部と直接通信することはできない。


負傷者を運び出すだけでも多くの人員が必要になる。


「アメリカは未踏領域へ進み続けているそうです」


技術員が言った。


「どこまで」


「正確な距離は非公開です。ただ補給能力を拡張したことだけは公式発表に出ています」


真理は画面の地図を見た。


軍人。


研究者。


医療スタッフ。


技術者。


予算。


装備。


輸送能力。


日本とは規模が違う。


世界の軍事力を支えてきた仕組みがそのままダンジョン探索へ向けられ始めていた。


戦う者だけではない。


物資を送り続ける者。


負傷者を治療する者。


記録を分析する者。


装備を改良する者。


失敗の後に次の計画を組む者。


アメリカはそれらを世界最大規模で動員できる国だった。



2013年7月


スイス連邦・ジュネーブ

国際ダンジョン管理機構



会議室の壁一面にIDMOが集約した統計と最低限の安全情報が表示されていた。


国内の魔石分類と国際比較を担当していた真理は日本代表団の技術担当として初めてIDMOの会議施設を訪れていた。


設立時の仮事務局から部署も職員も増えている。


それでも仕事の方が早く増えていた。


「次の議題へ移ります」


議長が言った。


「未踏領域調査に関する共通課題です」


画面に国名と部隊編成を伏せた損耗統計が映された。


負傷。


死亡。


装備損失。


撤退。


行方不明。


報告様式は統一され始めていたが、数字の意味は国ごとに違う。


軍人を中心に調査する国。


警察組織が担当する国。


国営企業へ委託する国。


大学や研究機関に許可制で調査隊の編成を認める国。


制度はばらばらだった。


共通しているのは前へ進むほど人が足りなくなることだった。


「調査員の訓練には時間がかかります」


アメリカ代表が言った。


「戦闘訓練だけでは不十分です。測定、採取、記録、救護、補給の知識が必要になる」


「それだけの技能を一人に求めるのは現実的ではない」


ドイツ代表が言った。


「だから専門別のチームを組む」


「チームが大きくなれば補給負担も増える」


「小さくすれば一人欠けただけで行動不能になる」


議論は続いた。


装備を作る技術者が足りない。


回収物を調べる研究者が足りない。


負傷者へ対応する医療スタッフが足りない。


入口を警備する人員が足りない。


周辺住民へ説明する行政職員が足りない。


現場の報告を翻訳し、分類し、他国の事例と照合する職員も足りない。


ダンジョンの数は増えている。


一つのダンジョンに必要な人員も増えている。


だが人材は短期間では育たない。


「共同訓練制度を設けるべきです」


ある国の代表が提案した。


「教材と事故記録を共有する。少なくとも同じ失敗を繰り返さないために」


「軍事技術の共有につながる」


別の国が反対する。


「救護や採取まで機密扱いするのですか」


「境界を決める必要があると言っています」


設立から一年。


IDMOは国際調整と情報交換の場として機能していた。


同時に設立時からの限界も明確になっていた。


各国の主権と安全保障は維持される。


ボス戦、戦術、ドロップ、魔石解析、深層構造、未知の素材候補、能力取得状況などは通常の共有対象ではない。


IDMOが持つのは統計、安全上の注意、事故の概要、協議の窓口だった。


支援を協議する窓口はある。


だが支援に回せる人員そのものが足りない。


最低限の安全基準はある。


だが基準を満たす装備も訓練者も足りない。


休憩中真理は自動販売機の前で紙コップを受け取った。


隣に立ったアメリカ人研究者が同じ画面を見ていた。


四十代ほどの男で軍の研究機関に所属していると紹介された。


「日本の魔石報告を読みました」


男が言った。


「接触金属による出力差の研究です」


「まだ結論は出ていません」


「結論が出ている研究はここにはほとんどありません」


男は苦笑した。


「そちらはかなり先へ進んでいると聞きました」


真理が言うと男は紙コップへ目を落とした。


「進んではいます」


「何か問題が」


「進むほど必要なものが増える」


男は指を折った。


「兵士。弾薬。医療。補給。整備。研究。輸送。それに、帰ってこなかった者の代わり」


最後の言葉だけが少し重かった。


「それでも続けるんですね」


「続けます」


男は即答した。


「止めてもダンジョンはなくならない」



2014年3月


日本・東京都内


ダンジョン管理省資源研究センター


アメリカが国内のダンジョンで大規模な深層探索を続けているらしい。


研究センターへ届いていたのはその程度の情報だけだった。


IDMOへ提出される定期報告にも作戦計画は含まれていない。


内部地形。


部隊編成。


兵器と装備。


補給拠点。


遭遇したモンスター。


いずれもアメリカの国家機密だった。


IDMOが受け取るのは国際的な危険へつながる事象と事故防止に必要な最低限の安全情報だけである。


作戦がどこまで進み、何を目標としているのか。


日本の研究者にもIDMOの職員にも分からなかった。


「何かあれば発表するでしょう」


若い研究員が言った。


「何もなければ」


「何も発表されません」


真理は端末を閉じた。


推測で埋められる空白ではなかった。


研究室ではいつも通りの仕事が続いた。


試料を測る。


国内の探索記録を比較する。


事故情報を安全手順へ反映する。


アメリカがどこまで進んでいるのかを確かめる方法はなかった。


2014年4月18日


日本・東京都内


ダンジョン管理省資源研究センター


午前六時を少し過ぎた頃、緊急連絡網が作動した。


真理は自宅で電話を受けた。


「何が起きましたか」


『危険事象ではありません。世界初の事例です。すぐに来てください』


研究センターの会議室には早朝にもかかわらず職員が集められていた。


正面の画面にはアメリカ政府がIDMOと各国政府へ同時に通知した短い文書が表示されている。


米国政府は国内の一ダンジョンにおいて世界で初めてボスの撃破に成功したことを確認した。


匿名情報でも反応を見るための観測気球でもない。米国政府が責任を負う正式通知としてIDMOと各国政府へ外交・行政ルートで送られたものだった。


ボス認定と活動停止には既存の重大事象確認手続に沿った最低限の裏付けも添えられていた。


作戦部隊は対象個体が黒い粒子となって完全に消滅したことを確認した。


撃破後、交戦区画の壁面と周辺構造を調査したが、進行可能な経路は確認されなかった。


さらに撃破後、当該ダンジョンでは通常モンスターの活動が停止した。


これらを総合し、米国政府は対象個体を当該ダンジョンのボス、交戦区画をその時点で確認された最深部と判断した。


最深部であることは入場時や到達時に事前判明したのではない。撃破後の構造調査と活動停止によって事後的に確認されたものだった。


完全な検証はできなくても国家間の正式通知として扱うに足る裏付けがあった。


公表情報が限定されていることと通知そのものが虚偽であることは同じではない。


虚偽であれば、米国政府が外交的信用を大きく失う性質の発表だった。


IDMOと各国政府へ限定共有されたのはその認定に必要な概要までだった。


一般に公表されたのは死傷者が出たこととその人数、そしてボスを撃破したという結果だけだった。


戦闘映像はない。


ボスの姿も能力も部隊編成も戦術も明かされていない。


使用した兵器と攻略方法、回収されたドロップ、魔石の解析、未知の素材候補、参加者の能力取得状況も非公開だった。


「詳細資料は」


職員が尋ねた。


「ありません」


「限定共有も」


「認定に必要な概要以外は提供されていません」


真理は通知を読み返した。


IDMOは各国のダンジョンを管理する組織ではない。


各国の軍事作戦や研究成果を接収する権限もない。


加盟国が国家機密とした情報は、その国に残る。


この扱いはアメリカだけのものではない。


日本を含む主要国が同じ線を引いていた。


画面が切り替わり、アメリカ政府の記者会見が映った。


『米国は本日国内のダンジョンにおいてボスの撃破に成功したことを発表します』


フラッシュが焚かれる。


『作戦では死傷者が発生しました。人数については公表資料のとおりです』


記者たちの手が一斉に上がった。


『ボスはどのような個体だったのですか』


『作戦上の情報に当たるため、回答できません』


『戦闘映像は公開しますか』


『公開しません』


『何を回収したのですか』


『回答できません』


『どのように倒したのですか』


『回答できません』


同じ答えが繰り返された。


それでも発表の意味は揺らがなかった。


人類はボスを倒せる。


その事実だけが国境を越えた。


報道画面に同じ言葉が並ぶ。


世界初のボス撃破。


アメリカ成功。


詳細は非公開。


会議室で一人が拍手した。


やがて周囲も続いた。


真理も手を叩いた。


日本ではない。


方法も分からない。


それでも人類が一つの結果へ届いたことだけは確かだった。


2014年5月末


日本・東京都内


ダンジョン管理省資源研究センター


アメリカ政府によればボス撃破後のダンジョンは活動停止状態を維持していた。


通常モンスターの活動は確認されなくなり、米国政府からの公式通知では、活動停止状態が四十日以上続いていた。


アメリカから追加の技術資料は届かなかった。


戦闘映像。


ボス能力。


部隊の戦術。


ドロップ内容。


魔石解析。


深層構造。


攻略方法。


未知の素材候補。


能力取得状況。


研究者が知りたい情報はすべて非公開のままだった。


「これでは追試も比較もできません」


若い研究員が言った。


「国家機密を公開するための組織ではありませんから」


真理は答えた。


IDMOが集約するのは各国が公式に確認した件数、事故統計、越境危険、検疫上の注意、最低限の安全情報である。


各国が共有可能な範囲を持ち寄って協議する場所ではあっても、各国の手札を保管する場所ではない。


研究に利用できる情報はほとんど結果だけだった。


ボスは倒された。


だがどのようなダンジョンで、どのような敵を、どう倒したのかは分からない。


真理たちは自分たちの試料と記録へ戻るしかなかった。


2014年6月3日


日本・東京都内


ダンジョン管理省資源研究センター


午後三時十二分。


IDMOから最高優先度の安全情報が届いた。


発信元はアメリカ合衆国。


四月にボス撃破が発表されたダンジョンで、活動の再活性化を確認。


各国へ共有された内容は今回も結果と安全上の注意だけだった。


映像はない。


再び確認された通常モンスターの種類も再活性化の確認方法も対応部隊の行動も明かされていない。


それでも意味は明白だった。


ボスを倒してもダンジョンは終わらない。


「……活動が戻った」


真理が言った。


若い研究員が画面を見たまま呟く。


「ボスもですか」


「そこまでは公表されていません」


確認されたのは通常モンスターを含むダンジョン活動の再開だけだった。


撃破後、四十日以上にわたって確認されていた活動停止は終わった。


ボス自体の再出現はこの時点では未確認だった。


アメリカ政府はその日のうちに記者会見を開いた。


『四月にボス撃破を確認したダンジョンで再活性化が確認されました』


『攻略成功という発表は誤りだったのですか』


『ボスを撃破したという事実に変更はありません』


『ではなぜ再び活動しているのですか』


『分かりません』


その言葉が世界へ流れた。


分かりません。


ダンジョンが現れた日から人類が何度も口にしてきた言葉。


真理は四月と六月の公表資料を並べた。


ボス撃破成功。


ダンジョン再活性化確認。


どちらも結果だけだった。


詳細は公開されていない。


それでも二つの結果は矛盾しない。


人類はボスを倒せる。


だがそれだけではダンジョンを終わらせられない。


一つの答えへ届いたと思った直後、未知は再び形を変えた。


2014年6月下旬


スイス連邦・ジュネーブ

国際ダンジョン管理機構



緊急会合が開かれた。


議題はボス撃破後のダンジョン再活性化。


「今後ボス撃破をダンジョンの完全攻略とは扱わない」


議長が提案した。


「活動停止が一時的である可能性を前提とする必要があります」


「一時制圧」


誰かが言った。


「一時攻略では」


「用語は技術委員会で検討します」


四十日以上の停止期間は、ボス撃破を「一時攻略」と整理する根拠の一つになった。


重要なのは名称ではなかった。


少なくともボスを一度倒しただけでは終わらないダンジョンがある。


停止期間を利用すれば、従来より安全に資源回収を進められる可能性がある。


内部調査も同様だった。


ただし確認例はまだ一つしかない。


周辺の危険も低下する可能性がある。


ボス撃破には大きな価値がある。


一定期間の後、再び人員を投入しなければならない可能性がある。


一つのダンジョンを管理するだけでも多数の人間が必要になる。


入口の警備。


浅い区画の調査。


未踏領域の探索。


資源回収。


試料分析。


負傷者の治療。


装備開発。


物資輸送。


記録管理。


ボスとの戦闘。


停止期間中の調査。


再活性化後の再封鎖。


それを何度も繰り返す可能性を前提に備えなければならない。


世界の公式確認数はすでに数百か所に達していた。


ただし各国が公表していない地点や確認中の報告もある。


日本国内でも複数地点の管理が続いていた。


新たに確認されるダンジョンも後を絶たない。


「軍だけでは維持できません」


ある国の代表が言った。


「我が国では通常任務に影響が出ています」


「警察も同様です」


「研究機関も分析待ちの試料を抱えています」


「医療従事者が足りない」


「装備の整備員もです」


「地方行政が対応しきれない」


会場の各所から同じ問題が挙げられた。


人が足りない。


公開情報だけを見てもアメリカは世界初のボス撃破までに長い準備期間と少なくない犠牲を払っていた。


同じ規模の作戦をすべてのダンジョンで繰り返さなければならない可能性を無視することはできない。


まして他国の多くにはアメリカと同じ軍事力も予算もなかった。


真理は技術担当者席でその議論を聞いていた。


研究センターでも同じだった。


資料は増える。


試料は増える。


求められる成果も増える。


だが扱う人間は追いつかない。


ダンジョンは軍事問題だけではなかった。


科学だけでもない。


行政。


医療。


産業。


雇用。


教育。


社会のあらゆる場所へ必要な仕事を生み出していた。


そしてその仕事を担う人間が足りなかった。


「既存組織の増員だけでは限界があります」


日本代表が言った。


「ではどうする」


質問にすぐ答える者はいなかった。


軍人を増やす。


研究者を増やす。


医師を増やす。


技術者を増やす。


行政職員を増やす。


通訳を増やす。


輸送と補給の担い手を増やす。


どれも必要だった。


だが育成には時間がかかる。


国家機関だけですべてを抱えることもできない。


民間企業や大学、医療機関の職員はすでに国家機関の指揮、派遣、委託、許可の下で研究や補助業務へ関わっていた。


だが国家機関に直接所属しない者が独立した資格で探索、戦闘、資源回収を職業として担う制度はまだなかった。


会議室の画面には世界地図が表示されていた。


各国のダンジョン。


赤い印。


一つ一つの印の向こうに入口を守る人間がいる。


未踏領域へ進む人間がいる。


帰りを待つ家族がいる。


積み上がった試料がある。


未処理の報告がある。


利益を生む場所がある。


危険だけを生む場所がある。


そして現時点では危険も資源も確認できず目的だけが分からない場所がある。


同じ「ダンジョン」という名前でもその内側にあるものは同じではなかった。


出現するモンスターと何も確認されていない空間。


残されるドロップと何一つ見つかっていない場所。


モンスターとの戦闘後に得られたと報告される能力。


各国が公表し、または最低限共有した不完全な資料はダンジョンごとに固有のまとまりがあることを示し始めていた。


まだ誰もそれを正式な法則とは呼ばない。


後に「テーマ」と呼ばれる概念へ繋がる特徴を人類はまだ言葉にできないまま観測し始めていた。


議長が休会を告げた。


代表たちは席を立たず、それぞれの補佐官と話し始めた。


真理は画面を見つめた。


二年近く前の夏。


世界はダンジョンを巡る国際調整の枠組みを作った。


それから人類は奥へ進んだ。


資源を見つけた。


新しい物質を知った。


国内で蓄積された能力取得例や各国が公表・限定開示した断片の比較も進み始めた。


ボスを倒した。


ダンジョンを沈黙させた。


そして復活を知った。


進歩するたびに仕事が増えた。


知るほどに必要な人間が増えた。


もう一部の軍人と研究者だけで扱える規模ではない。


会議室の後方で一人の代表が小さく言った。


「国家機関の外に独立して探索と資源回収を担う制度を作るしかない」


隣の者が顔を上げる。


「一般人を入れるのか」


「一般人のままではない」


その代表は世界地図を見た。


「入るための制度を作る」


誰もその場では言葉を返さなかった。


だがその考えはすでに一つの国だけのものではなかった。


ダンジョンへ入る者。


モンスターと戦う者。


資源を持ち帰る者。


危険を引き受ける者。


それを国家機関の外にも求める時代が始まろうとしていた。


探索者。


その職業は人類が未知を終わらせたから生まれるのではない。


終わらせられない未知と向き合い続けるために生まれようとしていた。




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