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現代ダンジョン ―世界は今日も世知辛い―  作者: AIやすし
プロローグ

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第7話 国際ダンジョン管理機構

2012年7月2日 午前9時15分


日本・東京都千代田区


会議室の壁に世界地図が掛けられていた。


前年の十一月には数えるほどしかなかった赤い印が今では各大陸へ広がっている。


北アメリカ。


南アメリカ。


ヨーロッパ。


アジア。


アフリカ。


オセアニア。


海上の孤島や恒常的な居住者がいない地域でも黒い構造物の存在が確認されていた。


公式報告だけで三百か所を超えている。


未確認情報を含めればその数はさらに増える。


地図の前に立つ男は手元の資料へ目を落とした。


表紙には翌週から始まる国際会議の名称が記されている。


ダンジョン事象に関する国際管理枠組み設立会議。


開催地はスイス・ジュネーブ。


参加予定国は七十八か国。


オブザーバーを含めれば百を超える国と地域から代表団が集まる予定だった。


「最終案です」


向かいに座る外務担当者が言った。


「我が国は常設の政府間機関を設ける案を支持します。ただし国際機関が各国のダンジョンへ直接介入する権限は認めません」


「アメリカ、中国、ロシアも同じか」


「表現は異なりますが主権を譲る意思がない点は同じです。欧州は安全基準と査察制度を求めています」


前年十一月日本政府による日比谷公園の内部調査報告が各国へ送られた。


その直後に開かれた国連緊急会合では常設の協議機関を設ける必要性が確認された。


その後各国代表は数か月にわたる準備会合を重ね、ようやく設立会議の開催にこぎ着けていた。


だが必要性が確認されることと組織ができることは違う。


誰が主導するのか。


何を共有するのか。


加盟国へ何を義務づけるのか。


そもそもダンジョンを何と定義するのか。


一つの文章を決めるたびに各国の主張が衝突した。


国連の既存機関へ担当させる案も出た。


保健。


科学。


環境。


難民。


安全保障。


しかしどれか一つの分野だけでは扱えなかった。


ダンジョンは未知の生物と物質を内部に抱えている。


入口は都市部にも、海岸にも、国境付近にも現れる。


人間が何を持ち帰るのか。


内部から何が出てくるのか。


誰にも分からない。


既存機関の権限を組み合わせるだけでは責任の所在が曖昧になる。


ならば新しい組織を作るしかない。


ただしそれを国連の直属機関とすることには複数の大国が反対した。


安全保障に関わる情報をすべての国へ公開することはできない。


ダンジョンから得られる資源や技術を国際社会の共有財産とすることにも同意できない。


結果として国連とは別の条約に基づく政府間機関を設ける案が残った。


国連は交渉を支援する。


だが完成する組織は国連の一部ではない。


加盟するかどうかは各国が決める。


「名称は」


「現在の議長案は国際ダンジョン管理機構です」


外務担当者は英語表記を読み上げた。


「International Dungeon Management Organization。略称はIDMO」


「ダンジョンか」


日本国内でも発生当初はさまざまな名称が使われていた。


黒い門。


黒色異常構造物。


異空間接続体。


だが一般社会では違った。


人々はそれをダンジョンと呼んだ。


日本だけではない。


英語圏でも、欧州でも、アジアでも、同じ意味を持つ言葉が定着し始めていた。


科学的な正確さはない。


だが誰にでも意味が通じた。


男は世界地図を見た。


赤い印の一つが東京の日比谷にある。


世界で最初に確認されたダンジョン。


日本が最初に内部へ入り、試料を持ち帰り情報を公開した。


その事実は国際交渉において日本へ一定の発言力を与えていた。


だが最初であることと最も進んでいることは同じではない。


アメリカはすでに複数の内部拠点を設けているとみられている。


中国とロシアは国内調査の多くを公開していない。


欧州諸国は共同研究体制を整え始めていた。


日本が先行して得た優位も長くは続かない。各国は独自調査を進め、研究を急速に前進させていた。


そして独自の調査能力を持たない国々は国際機関の早期設立を求めている。


「設立された場合日本は理事国入りを求めます」


「求めるのではなく入る」


男は答えた。


「日本で最初に発生した。最初に内部調査を行った。その責任から逃げることはできない」


資料の脇には別の法案要綱が置かれていた。


ダンジョン管理省設置法案。


二月に設立されたダンジョン管理庁はすでに組織の限界へ達している。


封鎖。


調査。


避難。


試料管理。


自治体との調整。


警察、自衛隊、消防との連携。


海外政府との情報交換。


一つの庁で扱うには問題が広すぎた。


「国内体制も国際会議までに形にする」


男は言った。


「ダンジョン管理省の発足を我が国の意思として示す」


2012年7月6日 午前10時00分


日本・国会議事堂


議場に採決結果が表示された。


賛成多数。


ダンジョン管理省設置法は可決された。


傍聴席の記者たちが一斉に動く。


新省設置の必要性。


予算。


人員。


既存省庁との権限分担。


議論は続いていた。


だが反対する側にも代替案はなかった。


発生から約八か月。


全国では通報と有力地点の確認作業が続き、確認数は徐々に増えていた。


それでも政府が正式に確認したダンジョンはまだ数か所に限られていた。


しかしその一つ一つが既存の行政制度では扱いきれない問題を抱えていた。


発見されれば周辺地域は封鎖される。


住民は避難し、交通が止まり、土地の所有者が補償を求める。


研究者が集まり、内部へ入りたいという者も現れる。


偽の内部映像や試料を売る者。


ダンジョンを神の啓示と呼ぶ者。


世界の終わりを唱える者。


反対に人類の未来が内部にあると主張する者。


社会は未知を恐れるだけの段階を過ぎていた。


未知を利用しようとしていた。


採決後。


記者会見場へ現れた担当大臣は用意された原稿を開いた。


「本法の成立によりダンジョン管理庁は今月中にダンジョン管理省へ移行します」


無数のカメラが向けられる。


「政府は封鎖と調査だけでなく、研究、安全基準、国際協力、法制度整備を一元的に進めます」


記者の一人が手を挙げた。


「新省設置はダンジョンが恒久的に存在することを前提としているのですか」


「政府はダンジョンがいつまで存在するのか把握していません」


「ではなぜ恒久組織を」


大臣は一度だけ原稿から目を離した。


「分からないからです」


会見場が静かになる。


「消滅する時期も増加が止まる時期も内部の全容も分からない。分からないものを分かるまで放置することはできません」


別の記者が尋ねた。


「日本は国際機関の主導権を取る考えですか」


「主導権を争う会議ではありません」


大臣は答えた。


「少なくとも表向きには」


誰かが小さく笑った。


だが大臣は笑っていなかった。


「各国にはそれぞれ守るべき国民と国益があります。それを否定しても協力は成立しません。重要なのは立場が違うままでも共有できる最低限の基準を作ることです」


2012年7月9日 午前9時00分


スイス連邦・ジュネーブ


会議場の入口には各国の国旗が並んでいた。


代表団。


通訳。


科学者。


軍人。


法律家。


医師。


制服も言語も考え方も違う人間たちが同じ建物へ入っていく。


壇上に立った議長は各国代表が席へ着くのを待った。


国連の旗は会場の中央にはなかった。


国連はこの会議を支援している。


だがここで設立される組織は国連の一部ではない。


「ただいまよりダンジョン事象に関する国際管理枠組み設立会議を開会します」


通訳を通じ同じ意味の言葉が各国へ伝わる。


「本会議の目的は各国の主権を尊重しながらダンジョンに関する恒常的な国際協力の枠組みを設けることです」


正面の大型画面に世界地図が表示された。


報告済みの出現地点。


公式確認数。


封鎖状況。


内部調査の実施数。


死傷者数。


ただしその数字が完全ではないことを誰もが知っていた。


「各国はダンジョンが一国だけで解決できる問題ではないという認識を共有しています」


議長は続けた。


「同時に保有する情報のすべてを公開することが現実的ではないという認識も共有しています」


会場にわずかなざわめきが起きる。


「完全な情報公開を前提とする枠組みは成立しません。参加国が存在しなければ制度は紙の上にしか残らないからです」


理想だけでは組織は作れない。


必要なのはすべてを共有する制度ではない。


共有しなければ他国の人命に危険を及ぼす情報を定めることだった。


議論はすぐに衝突した。


日本だけが案を持ち込んだわけではない。ドイツは測定規格、フランスは共同研究、アメリカは報告義務の範囲についてそれぞれ文案を示していた。


「未知の病原体や外部へ流出した生物は二十四時間以内に報告されるべきです」


欧州の代表が主張した。


「事故であると判断するのは誰ですか」


中国代表が尋ねる。


「当該国です」


「ならば報告義務の意味がない」


「国際機関による確認制度が必要です」


「査察を認めろということか」


ロシア代表の声は低かった。


「国外の人間が我が国のダンジョンへ立ち入る権限は認めない」


会場の空気が張りつめる。


どこまでを国際報告の対象とするのか。


どこから先を国家機密として認めるのか。


アメリカ代表が発言した。


「他国へ直接的な危険を及ぼす事象には報告義務を設けるべきです。ただし通常の調査結果、内部地形、回収物、技術情報は各国の判断に委ねる」


「危険性が不明な場合は」


日本代表が尋ねた。


「危険性が不明なら報告する」


「それではほぼすべてが該当します」


「その通りではないか」


小国の代表が言った。


「我々には独自に危険性を判断する設備がありません。大国が危険ではないと判断したものが我が国へ到達した後で危険だと分かっても遅い」


設備を持つ国。


持たない国。


内部調査ができる国。


入口を封鎖するだけで精一杯の国。


同じ規則を作ってもその意味は同じではない。


日本代表は修正文案を示した。


「報告対象を二段階に分けます」


第一種緊急報告。


加盟国の領域外へ影響する可能性がある事象。


第二種注意情報。


危険性は確認されていないが他国の安全管理に有用と考えられる事象。


「第一種は義務。第二種は推奨。共有範囲は、全加盟国、限定共有、事務局保管の三段階とします」


議論は昼食の時間を過ぎても続いた。


最終的に第一種緊急報告には一定の義務が課された。


ただし強制的な査察権も違反国への制裁も認められなかった。


設立前から制度には穴があった。


だが穴のない制度を求めれば組織そのものが成立しない。


各国は不完全な規則を受け入れた。


2012年7月10日 午前9時40分


スイス連邦・ジュネーブ


二日目の議題は安全基準だった。


会議場の画面に各国の内部調査映像が映し出される。


防護服。


軍用装備。


簡易な作業服。


酸素ボンベ。


無人車両。


長い棒の先に取り付けられた測定器。


国によって調査方法は大きく違っていた。


十分な装備を持たないまま内部へ入り帰還しなかった者もいる。


帰還後原因不明の体調不良を訴えた者もいた。


「最低限の装備基準が必要です」


ドイツ代表が言った。


「気温、気圧、酸素濃度、有害物質。進入前に確認するべきです」


「既存の測定器が内部で正しく作動する保証はない」


「だからといって測定しない理由にはなりません」


「その機器をそろえられない国はどうする」


再び国力の差が問題になった。


先進国の標準を全世界の義務にすれば、多くの国はダンジョンへ入れなくなる。


それは安全のためとも言える。


同時に資源や研究機会を一部の国が独占することにもつながる。


アフリカの代表が発言した。


「我が国には提示された装備をそろえる予算がありません。しかしダンジョンは我が国にも存在しています」


「安全を犠牲にして入るべきではない」


「その判断を装備を持つ国が決めるのですか」


会場が静かになる。


「我々が求めているのは基準を下げることではありません」


代表は続けた。


「基準を満たすための支援です」


その言葉が議論を変えた。


装備の貸与。


専門家の派遣。


調査員の訓練。


共同調査。


国際機関は基準を作るだけでは足りない。


基準へ到達できない国を支える必要がある。


加盟国による分担金と任意拠出金を組み合わせる案が採用された。


共同調査で得られた物品は原則として所在国に帰属する。


研究成果の扱いは事前に結ばれた協定に従う。


曖昧だった。


だが曖昧でなければ合意できなかった。


2012年7月11日 午後2時08分


スイス連邦・ジュネーブ


三日目。


机の上には分類基準案が置かれていた。


出現地点。


発見日時。


入口形状。


内部環境。


確認された生物。


回収物。


人的被害。


危険度。


「危険度を一つの数字で表すことには反対です」


ある国の代表が言った。


内部生物の攻撃性。


環境そのものの危険。


外部流出の可能性。


調査員の死亡率。


何を重視するかで評価は変わる。


「少なくとも内部危険度と外部影響度は分ける必要があります」


日本の技術担当者が言った。


「項目を増やせば市民には分かりにくくなる」


「この分類は市民向けですか。それとも専門家向けですか」


その問いに会場が止まった。


専門家が比較するための分類と市民へ危険を知らせる分類は同じではない。


結局IDMOが管理する国際技術分類と各国が国民へ公表する警戒区分を分ける方針が採用された。


ダンジョン識別番号は国コード、発見年、通し番号で構成する。


領有権が争われている地域については識別番号が政治的主張の根拠にならないと明記された。


次に生物と物品の名称が問題になった。


同じ種に見える生物にも各国は異なる名前を付けていた。


兵士が呼んだ名前。


研究者が付けた番号。


インターネットで広がった通称。


「学名を付けるには情報が不足しています」


科学者が言った。


「暫定識別番号を付与し通称は参考情報として併記するべきです」


触れただけで名称が分かる物品がある。


そうした報告も複数国から出ていた。


だが何を意味するのかは分からない。


触れた者ごとに同じ名称が得られるのか。


効果まで分かるのか。


再現性のある研究結果はまだ少なかった。


暫定分類。


暫定測定基準。


暫定報告様式。


暫定識別番号。


分からないものを管理する制度は分からないことを前提に作るしかなかった。


2012年7月12日 午前10時16分


スイス連邦・ジュネーブ


四日目。


会議場の画面に組織名称の候補が並んでいた。


国際異常空間管理機構。


国際ダンジョン機構。


国際ダンジョン管理機構。


「ダンジョンという言葉は科学的ではありません」


ある国の代表が言った。


「娯楽作品に由来する通称を国際機関の名称へ用いるべきではない」


「では何と呼ぶのですか」


「異常空間接続構造体」


会場の一部で通訳たちが言葉を確認し合った。


「それは入口を指すのか、内部空間を指すのか」


「両方を含みます」


「含ませているだけでしょう」


フランスの科学者が発言した。


「ダンジョンが科学的に正確でない点には同意します。しかし正確な用語を作れるほど我々は対象を理解していません」


「ならば暫定名称とすべきです」


「組織名を毎年変えるのですか」


イギリス代表が言った。


「世界中の市民、報道機関、現場の調査員がすでにダンジョンと呼んでいます。専門家だけが別の名前を使えば混乱が増える」


中国代表が口を開いた。


「その言葉が対象の起源や性質を定義するものではないと明記するべきです」


日本代表が設立文書案を確認した。


「定義条項へ追加できます」


画面に修正文が表示された。


本協定におけるダンジョンとは一般にダンジョンと呼称される、既知の地理的空間とは異なる内部領域へ接続するとみられる構造または現象をいう。


当該呼称はその起源、目的、構造または性質を科学的に定義するものではない。


名称候補の採決が行われた。


国際ダンジョン管理機構。


賛成多数。


正式英語名称。


International Dungeon Management Organization。


略称。


IDMO。


名称が決まった瞬間何かが理解されたわけではなかった。


ダンジョンの正体は分からない。


なぜ現れたのかも分からない。


どこへつながっているのかも分からない。


それでも人類は初めて同じ対象を同じ名前で呼ぶことを決めた。


名称の次は組織の権限だった。


総会。


理事会。


事務局。


科学技術委員会。


安全基準委員会。


共同調査支援部門。


総会では一国一票。


理事会は地域配分、拠出、ダンジョン保有状況、調査実績を考慮して選出する。


固定の常任理事国は置かれない。


完全な平等ではない。


完全な大国支配でもない。


誰も満足しない代わりに誰も席を立たない制度だった。


「事務局長は加盟国へ情報提出を要請できます」


「命令は」


「できません」


「調査団の派遣は」


「当該国の同意が必要です」


「緊急時も」


「原則として必要です」


IDMOは軍事組織ではない。


加盟国の同意なく武装要員を派遣する権限は持たない。


情報を集める。


警告を出す。


支援を要請する。


共同対応を調整する。


強制力はない。


国際機関としては弱い。


だがその弱さが設立の条件だった。


「機構の目的は世界のダンジョンを直接管理することではありません」


日本代表が言った。


「各国による管理を情報共有、安全基準、共同調査、技術協力を通じて国際的につなぐことです」


管理機構という名称でありながらダンジョンそのものを管理する権限はない。


それでも各国の情報と制度をつなぐ場所は必要だった。


2012年7月13日 午前11時30分


スイス連邦・ジュネーブ


設立文書の最終案が各国代表の前へ配布された。


定義。


目的。


加盟。


総会。


理事会。


情報共有。


安全基準。


共同調査。


技術支援。


主権尊重。


数か月の準備会合。


四日間の交渉。


その裏で行われた無数の二国間協議。


削除された文章。


追加された但し書き。


強制力を失った規定。


代わりに残った最低限の義務。


設立文書は理想から遠いものになっていた。


情報共有は完全ではない。


査察権はない。


武力もない。


制裁もない。


重要な研究成果や回収物の公開は加盟国の判断に委ねられる。


それでも何もなかった昨日とは違う。


事故が起きた時、連絡する場所がある。


似た事例を照合する場所がある。


調査能力のない国が支援を求める場所がある。


最低限の測定項目と安全装備の基準がある。


同じ対象を同じ識別番号で記録できる。


議長が壇上に立った。


「最終案に対する異議を受け付けます」


会場は静かだった。


異議がないわけではない。


すべての国に不満がある。


しかしここで再び条文を開けば合意は崩れる。


「異議がないものと認めます」


木槌が鳴った。


「国際ダンジョン管理機構設立協定を採択します」


数秒遅れて拍手が起きた。


最初は小さかった。


やがて会場全体へ広がった。


各国代表が立ち上がる。


握手を交わす者。


本国へ連絡する者。


書類を確認し続ける者。


設立協定への署名が始まった。


すべての国が署名したわけではない。


参加を見送った国もある。


署名を保留した国もある。


それでも設立に必要な数は満たされた。


International Dungeon Management Organization。


国際ダンジョン管理機構。


IDMO。


世界で初めてダンジョンを専門に扱う政府間機関が生まれた。


記者会見で最初の質問が飛んだ。


「IDMOは各国のダンジョンを国際管理下に置く組織ですか」


設立準備委員会の代表は首を振った。


「違います。各国領域内の入口とそこを通じた入退場・調査は原則として各国が管理します」


「ではIDMOが管理するものは」


「国際協力の枠組みです」


「各国が情報を隠した場合、制裁はありますか」


「現時点で強制的な制裁規定はありません」


会場がざわつく。


「それで機能するのですか」


代表はすぐには答えなかった。


「すべての情報を開示する制度を作ろうとすれば、今日IDMOは設立されていませんでした」


「不完全な組織だと認めるのですか」


「完全な制度を作れるほど我々はダンジョンを理解していません」


記者たちの手が止まる。


「IDMOは完成した答えではありません」


代表は言った。


「答えを探すための場所です」


会見の映像は世界各国で放送された。


国際ダンジョン管理機構設立。


各国の協調。


共通基準。


情報共有。


報道は新しい時代の始まりとして伝えた。


その一方で各国政府の内部では別の指示が出されていた。


アメリカ代表団。


「提出する情報は協定上の最低限に限定する。技術情報の区分は維持する」


中国代表団。


「国内のダンジョン数は現行の公表値を維持する。IDMOからの照会には必要な範囲で回答する」


日本代表団。


「翌週発足するダンジョン管理省に国際調整部門を置きます」


「人員は」


「当面は外務省と兼務です」


「人が足りない」


「どこも同じだ」


書類は完成した。


組織は生まれた。


だが事務局の机も職員も予算もまだ十分にはそろっていない。


国際ダンジョン管理機構は名称だけを先に与えられた巨大な器だった。


これから各国が人と金と情報を持ち寄る。


あるいは持ち寄るふりをする。


どこまで満たされるのかは誰にも分からなかった。


2012年7月17日 午前8時45分


日本・東京都千代田区


新しい看板へ白い布が掛けられていた。


報道陣が集まる。


職員たちが正面玄関前へ並ぶ。


午前九時。


布が外された。


ダンジョン管理省。


黒い文字が建物の入口に現れる。


二月に発足したダンジョン管理庁は設立からわずか五か月で省へ昇格した。


前年十一月。


日比谷公園に正体不明の黒い構造物が現れた。


最初の報告はそれだけだった。


担当部署すらなかった。


警察か。


消防か。


自衛隊か。


自治体か。


誰も正解を知らなかった。


八か月後。


日本にはダンジョンを名に持つ省ができた。


世界にはダンジョンを名に持つ国際機関ができた。


理解が進んだからではない。


分からないことがあまりにも多かったからだ。


式典が終わる。


職員たちは建物の中へ戻っていく。


机には処理を待つ書類が積み上がっていた。


新規出現報告。


封鎖区域の指定。


調査申請。


国外からの照会。


省になったからといって仕事が減るわけではない。


電話が鳴る。


職員が受話器を取った。


「はい、ダンジョン管理省です」


その言葉に一瞬だけ違和感を覚えた。


昨日まで存在しなかった名前。


だがこれからは毎日何度も口にすることになる。


「新たな出現ですか。場所を教えてください」


職員はメモを取る。


すでにいつもの手順と呼べるものが生まれ始めていた。


2012年7月17日 午後6時10分


スイス連邦・ジュネーブ


IDMO仮事務局の一室に各国から届いた報告書が積まれていた。


職員はまだ二十人にも満たない。


外交官。


科学者。


軍出身者。


医師。


行政官。


派遣元も国籍も専門も違う。


壁には仮の世界地図。


その前で一人の職員が新しい報告を確認していた。


日本。


新規出現。


欧州。


鉱物状物質について限定共有の申請。


アフリカ。


共同調査支援を要請。


一枚ずつ識別番号が付けられる。


分類される。


必要に応じて他国の事例と照合される。


以前ならそれぞれの国の中だけで保管されていた報告だった。


今はわずかな一部だけでも同じ部屋へ集まり始めている。


職員が一枚の報告書を手に取った。


危険性不明。


類似事例照会希望。


事務局保管。


公開不可。


ほとんど何も書かれていない。


それでもゼロではなかった。


職員は端末へ登録する。


画面の上部には新しい組織名が表示されていた。


International Dungeon Management Organization。


IDMO。


世界は協力を選んだ。


信頼したからではない。


同じ理想を持ったからでもない。


一国だけではこの未知の全体像へ届かないと理解したからだ。


各国は情報を差し出した。


差し出せる部分だけを。


各国は手を結んだ。


もう片方の手に自国の札を握ったまま。


不完全な規則。


限られた権限。


伏せられた情報。


それでも人類は初めてダンジョンという未知へ向けて共通の窓口を作った。


その日からダンジョンは単なる異常現象ではなくなった。


管理される対象になった。


研究される対象になった。


利用される可能性を持つものになった。


そしてそこへ入る人間たちにもやがて名前と制度が与えられることになる。


探索者。


その職業が生まれるまでもう長くはなかった。



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