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現代ダンジョン ―世界は今日も世知辛い―  作者: AIやすし
プロローグ

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第6話 蠢き出した世界

2011年11月13日 午後8時42分

(日本時間 11月14日 午前10時42分)



アメリカ合衆国・ワシントンD.C.



会議室の中央に設置された大型画面には一本の黒い構造物が映っていた。


東京都千代田区。


日比谷公園。


画面の端には日本政府から送信された資料の番号が並んでいる。


映像記録。


大気測定結果。


内部で採取された土壌状物質と植物状試料の概要。


携帯端末、照明、撮影機器、無線機の作動状況。


入口の境界を越えた通信が成立しないこと。


内部では衛星測位を利用できないこと。


そして調査隊員が防護服と空気呼吸器を着用し、黒い構造物の内側へ進入する映像。


室内には軍服姿の者よりも濃紺や灰色の背広を着た者の方が多かった。


国防、情報、科学技術、外交、国家安全保障。それぞれの分野を代表する者たちが同じ映像を見ていた。


画面の中で先頭を進む日本の調査隊員が足を止める。


その先には森に類似した環境が広がっていた。


木々。


草。


青空。


そして鳥に似た生物。


画面が停止された。


「編集の痕跡は」


上座に座る男が尋ねた。


白髪の混じった情報機関の責任者が手元の資料を確認する。


「現時点では確認されていません。映像の送信経路も日本政府の正式な外交回線です」


「日本側が誤認している可能性は」


「否定できません。ただし同様の構造物は我が国でも確認されています」


画面が切り替わった。


荒涼とした大地。


乾いた風。


周囲を軍用車両が取り囲んでいる。


その中央に同じような黒い構造物が立っていた。


映像は遠距離から撮影されたものだった。


日比谷公園のものより幅が広く見える。


ただし撮影角度も距離も違う。


同一の形状かどうかは分からない。


「国内では何か所だ」


「確認済みが八か所です。通報段階のものを含めればさらに増える可能性があります」


「一般市民の映像は」


「すでに出回っています」


「削除は」


「現実的ではありません」


短い沈黙が落ちた。


誰も驚いた様子を見せなかった。


それが不可能であることは室内にいる全員が理解していた。


スマートフォン。


動画投稿サイト。


報道機関。


民間衛星。


情報を完全に消すには世界はすでにつながりすぎていた。


「日本は何を求めている」


外交担当者が資料をめくる。


「各国で確認された同様事象の有無。外部測定結果。有人調査を実施した場合その概要。危険性が判明した場合の緊急共有です」


「こちらの情報をすべて渡せと?」


軍人が低い声で言った。


「すべてとは書かれていません」


「書く必要がないだけだ」


別の男が言った。


「日本は先に内部へ入った。その事実自体が交渉材料になると分かっている」


「少なくとも彼らは調査結果を送ってきた」


科学技術担当者が口を挟んだ。


「大気、通信、映像、試料。現時点で秘匿することもできたはずです」


「公開可能な範囲だけかもしれない。公開されていない試料や測定結果が存在する可能性も考慮すべきだ」


「それでもゼロよりは多い」


議論が止まった。


上座の男は停止した映像を見た。


黒い境界の向こうにある名前のない森。


「日本へ返答する」


彼は言った。


「我が国も同様の構造物を確認している。情報共有と共同研究の必要性を支持すると伝えろ」


外交担当者が頷いた。


軍人は何も言わなかった。


「同時に」


上座の男は続けた。


「国内の調査は独自に進める。安全保障上の情報は区分する」


「共有範囲は」


「相手が出したものと同程度だ」


室内の何人かが小さく頷いた。


協力はする。


だが先に手札を見せるつもりはなかった。


会議が終わり出席者たちが席を立つ。


科学技術担当者が資料を抱えて出口へ向かう。


その背後で制服を着た男が部下へ低く告げた。


「現場の警戒段階を上げろ」


「有人調査は」


「日本が帰ってこられたからといって我々も帰ってこられるとは限らない」


扉が閉まる。


廊下へ出た外交担当者は待機していた職員へ言った。


「日本へ協力の意思を伝えてくれ」


その頃。


別の階では国内に出現した黒い構造物に関する報告書が最高機密の区分へ変更されていた。



2011年11月14日 午前5時56分

(日本時間 11月14日 午前10時56分)



ロシア連邦・モスクワ



まだ夜の残る窓の外に街灯の光が並んでいた。


厚い机の上には三つの資料が置かれている。


日本政府から送られた報告書。


国内軍管区からの報告書。


情報機関による各国の反応予測。


男は日本の映像を最初から最後まで無言で見た。


調査隊員が黒い境界を越える。


通信が途切れる。


しばらくして帰還する。


映像には内部の森と飛翔する生物が記録されていた。


「本物か」


男が尋ねた。


「映像自体に不自然な加工は確認されていません」


「日本人が見たものが本物かという意味だ」


答えはすぐには返らなかった。


「現段階では判断できません」


「分からないものを分からないと報告した点は評価できる」


男は資料を閉じた。


「国内のものは」


「十二か所で確認されています。うち三か所は軍の管理区域に近接しています」


「偶然か」


「配置に規則性は確認されていません」


「現時点ではだろう」


「はい」


軍関係者が一枚の地図を広げた。


国土の各地に赤い印が付けられている。


都市。


森林。


永久凍土。


採掘地域。


軍事施設から遠い地点もあれば近い地点もある。


「一か所で小動物に命綱を装着し、境界内へ進入させました」


科学部門の責任者が言った。


男の視線が動いた。


「反応は」


「境界を越えた後、通信、映像、生体情報はすべて途絶しました。ただ命綱は内部へ引き込まれ続けたため生体反応が維持されている可能性も考えられました」


「回収は」


「一定時間後に命綱を回収しました。戻ってきたのは血痕の付いた命綱だけで小動物本体は確認できませんでした。原因も分かっていません」


「日本側には」


「知らせていません」


男は椅子へ深く腰を沈めた。


「知らせるな」


「情報共有には応じますか」


外交担当者が尋ねた。


「応じる」


返答は早かった。


「これはロシアだけの問題ではない。各国の情報が必要だ」


「では小動物の件も」


「それは我が国の失敗だ」


男は言った。


「失敗を先に差し出して他国が成功を渡してくれると思うか」


外交担当者は答えなかった。


「日本には共同調査と情報共有を支持すると伝えろ。国連での協議にも応じる」


「国際的な枠組みの設置については」


「反対する理由はない」


軍関係者がわずかに眉を動かした。


男はそれを見逃さなかった。


「国際組織ができれば他国の調査結果を得られる」


「こちらの情報も求められます」


「求めることと得られることは違う」


男は立ち上がった。


「表では協力する。裏でも調査する。それだけだ」


会議が終わる。


外交部門は協調を示す文章を準備した。


軍は国内の黒い構造物を潜在的な戦略対象として分類した。


科学者たちは血痕が付着した命綱を調べ始めた。



2011年11月14日 午前10時18分

(日本時間 11月14日 午前11時18分)



中華人民共和国・北京



窓のない会議室に紙の資料が積み上げられていた。


壁面の画面には日本から送られた映像が映っている。


その隣には国内で撮影された別の映像。


山間部。


工業地帯の外れ。


乾燥した平原。


都市近郊の空き地。


黒い構造物の形状はそれぞれわずかに違って見えた。


幅。


高さ。


地面との接し方。


周囲への影響。


しかし光を反射しない黒い表面だけは共通していた。


長机の中央に座る男は映像ではなく報告書を見ていた。


一枚目。


確認地点。


二枚目。


周辺住民の避難状況。


三枚目。


インターネット上への流出状況。


四枚目。


国外報道機関による問い合わせ。


「国内の投稿は」


男が尋ねた。


「主要なものは削除しています。ただし転載が続いています」


「国外へ流出した映像は」


「完全な回収は不可能です」


国家安全部は国外への流出経路と国外から向けられた情報収集の動きを並行して調べていた。


その言葉に誰も反応しなかった。


不可能なものを不可能ではないと言い換える者はいなかった。


「現場の管理は」


「すべて軍および地方政府の管理下へ移行中です。住民の避難も進めています」


「死傷者は」


「確認されていません」


「内部調査は」


一瞬報告者が言葉を選んだ。


「無人機による進入を一部で実施しています。日本側の報告と同様境界通過時に通信が途絶しました」


「内部映像は」


「現時点では取得できていません。原因を調査中です」


男はそこで初めて顔を上げた。


「日本へ送ったか」


「まだです」


「なぜだ」


「国内調査の途中であり確定情報ではないためです」


説明としては正しい。


だがそれだけではないことを室内の全員が知っていた。


日本がどこまで情報を持っているのか。


アメリカは何を確認しているのか。


ロシアは何を隠しているのか。


先に公開した国が必ずしも有利になるとは限らない。


むしろ他国に利用される可能性がある。


外交担当者が口を開いた。


「日本政府は国際的な情報共有を求めています。アメリカ、欧州諸国も原則として協力姿勢を示すものと思われます」


「原則として」


男はその言葉を繰り返した。


「はい」


「では我々も原則として協力する」


外交担当者は頷いた。


「日本へ返答しろ。同様の構造物を国内で確認している。事象の解明には各国の協調が必要であり、情報交換に応じる用意があると」


「共有する情報は」


「公開済みの映像。外部測定値。人的被害が確認されていないこと」


「内部映像は」


「取得できていない」


「無人機の調査結果は」


男は数秒黙った。


「現段階では報告できる確定情報がない」


出席者たちは表情を変えなかった。


表向きには協力する。


それは嘘ではなかった。


未知の現象が国境を越えて発生している。


一国だけで情報を抱え込むことが危険なのも事実だった。


しかし協力することとすべてを明かすことは同じではない。


「もう一つ」


男が言った。


「国内報道の表現を統一しろ」


「名称はどうしますか」


「政府発表では黒色異常構造物とする」


「インターネット上では別の呼称が広がっています」


報告書の中にはその言葉も記されていた。


ダンジョン。


男は一度だけ文字へ目を落とした。


「政府が使う必要はない」


「承知しました」


会議終了後。


外交部門は国際協力を支持する声明案の作成を始めた。


同じ建物の別の区画では無人機調査の通信記録が外部接続を遮断された端末で解析されていた。



2011年11月14日 午前8時12分

(日本時間 11月14日 午後4時12分)



フランス共和国・パリ



映像が終わると最初に口を開いたのは政治家ではなく物理学者だった。


「空間の接続だと考えるのが最も単純です」


「これが単純に見えるのか」


内務部門の出席者が言った。


「他の仮説よりはという意味です」


学者は答えた。


「構造物自体に厚みが確認できない。境界の向こうには外部から観測できない空間が存在する。内部では電子機器が作動するが境界を越える通信は成立しない。既存物理学で説明できない点は多いですが観測事実そのものは整理できます」


「異世界という言葉を使うつもりか」


「科学者がですか」


学者はわずかに笑った。


「まだ使いません」


長机の上には日本の報告書のほか国内の大学や研究機関から寄せられた意見書が並んでいた。


素粒子。


地質。


生物。


感染症。


宇宙物理。


宗教史。


専門分野が違えば問いも違う。


内部の太陽は何か。


植物状試料は地球上の生命と同じ構造を持つのか。


境界の向こうにある空間の大きさは。


時間の流れは外部と同じか。


放射線は。


重力は。


病原体は。


「日本へ研究者の派遣を提案します」


学者が言った。


「現時点で受け入れるとは思えない」


外交担当者が答えた。


「ならば試料の共同分析を」


「それも難しいでしょう」


「では国際的な研究組織を作るべきです」


「組織を作れば日本が試料を出すと?」


「日本だけではありません」


学者は画面へ目を向けた。


国内で撮影された黒い構造物が映っている。


「すでに複数の国が独自の試料を得ている可能性があります。一国では意味を持たない小さな差異も比較すれば規則性が見えるかもしれない」


外交担当者は黙って資料へ視線を落とした。


正論だった。


そして正論だけで国が動かないことも理解していた。


「政府としては国際協議を支持します」


会議の責任者が言った。


「ただし研究成果の取り扱いについては事前に規則を設ける必要があります」


「特許ですか」


「資源かもしれない」


「生命かもしれない」


「兵器かもしれない」


誰かが言った。


室内が静かになった。


未知のものはまだ何の価値も持っていない。


価値がないのではない。


価値を測る基準すら存在しない。


だからこそ各国は恐れていた。


自分たちが理解するより先に他国が理解することを。



2011年11月14日 午前7時31分

(日本時間 11月14日 午後4時31分)



イギリス・ロンドン



雨が窓を叩いていた。


執務室に集まった者たちは日本から届いた資料と国内で確認された四つの黒い構造物について議論していた。


「日本の調査は早すぎる」


軍関係者が言った。


「結果的には成功している」


科学顧問が答えた。


「結果が成功だったからといって判断まで正しかったことにはならない」


「では我々はどうする」


首相は二人の間へ問いを置いた。


派手な身振りはなかった。


感情を表す必要もなかった。


出席者たちはそれぞれの立場を知っている。


「独自調査を進めます」


軍関係者が言った。


「ただし有人進入は急ぐべきではありません」


「科学者の意見は」


「日本が採取した試料の提供を求めるべきです。可能なら共同分析を提案します」


「日本が応じると思うか」


「こちらも国内の測定結果を出せば」


情報機関の責任者が小さく首を振った。


「日本が欲しいのは我々の結果だけではありません。アメリカ、中国、ロシアの情報も欲しい。二国間交渉だけでは限界があります」


「国連か」


首相が言った。


「はい」


「国連がこの種の現象を扱えると?」


「現時点では扱えません」


責任者は答えた。


「だから新しい枠組みが必要になるかもしれません」


科学顧問が資料をめくる。


「この現象は国家ごとに性質が違う可能性があります。日本の内部環境が森林だったからといって我が国のものも同じとは限らない」


「なぜそう思う」


「黒い構造物の大きさが一致していません。周辺の温度変化にも差があります」


室内の空気がわずかに変わった。


「その情報を日本へ送ったか」


「まだです」


「送れ」


軍関係者が首相を見た。


「よろしいのですか」


「相手から情報を得たいならこちらも何かを出す必要がある」


「すべてではありませんね」


「もちろんだ」


首相は窓の外へ目を向けた。


雨で街が霞んでいる。


「だが全員が何も出さなければ全員が暗闇の中に残る」


その日のうちにイギリス政府は日本へ測定結果の一部を送った。


黒い構造物の周囲でごく小さな磁気の乱れが観測されたこと。


ただしすべての出現地点で共通しているわけではないこと。


そして国際的な科学調査体制の設置を支持すること。


送信された資料には記載されなかった情報もあった。


国内の一地点でスライム系のモンスターが生物だけでなく調査機材や金属工具、標識まで捕食・分解したこと。


観測機材と調査設備の損耗事故が発生し、当該ダンジョン固有の性質として調査方法の見直しが進められていた。



2011年11月14日 午前9時03分

(日本時間 11月14日 午後5時03分)



ドイツ連邦共和国・ベルリン



会議室の壁には表と数値だけが映されていた。


映像はすでに確認済みだった。


必要なのは印象ではない。


比較可能な情報だった。


日本の測定値。


国内三地点の測定値。


気温。


湿度。


気圧。


放射線。


磁場。


音響。


電波。


構造物の推定寸法。


周辺地盤への影響。


「測定方式が統一されていません」


技術担当者が言った。


「当然だ」


政府関係者が答えた。


「各国とも未知のものに既存の機器を向けているだけだ」


「だからこそ統一規格が必要です」


技術担当者は資料を指した。


「同じ数値でも測定位置と機材が違えば比較できません。日本は内部でも測定していますが別の国は外部しか測っていない。これでは情報を共有しても判断を誤ります」


「何を提案する」


「最低限の測定項目と記録方式を国際的に統一することです」


「誰が決める」


「国際機関です」


出席者たちの視線が集まった。


「既存の組織で対応できるか」


「保健分野だけなら既存の機関で対応できます。軍事、安全保障、科学、資源、国境管理を同時に扱う組織はありません」


「新設には時間がかかる」


「時間をかけている間にも各国は別々の方法で内部へ入ります」


技術担当者は淡々と言った。


「事故が起きても原因を比較できない可能性があります」


その言葉は政治的な主張より強かった。


事故。


死者。


未知の感染。


持ち帰った何かによる汚染。


可能性を否定できる者はいない。


「日本の報告に対する返答へ測定規格の統一を提案する文言を加えろ」


政府関係者が言った。


「国連にも送る」


「国内調査は」


「継続する。ただし有人進入は保留だ」


技術担当者は頷いた。


「内部試料の国外提供は」


「現段階では認めない」


協力すること。


標準化すること。


そして試料を渡さないこと。


三つは矛盾しなかった。



2011年11月14日 午後1時27分

(日本時間 11月14日 午後7時27分)



アフリカ東部・某国



冷房の効かない政府庁舎で古い扇風機が回っていた。


机の上には日本政府の報告書を印刷した紙が置かれている。


一部のページは印刷が薄く文字がかすれていた。


画面に映る日本の調査隊員は全身を防護装備で覆っている。


室内の男たちはその装備を自国でそろえられるか考えていた。


答えは考えるまでもなかった。


国内で確認された黒い構造物は一つ。


首都から離れた乾燥地帯。


近隣の村ではすでに噂が広がっている。


神の門。


悪魔の口。


死者の国への入口。


そして別の噂。


中には水がある。


作物がある。


金がある。


「軍は封鎖しています」


地方担当者が言った。


「いつまで維持できる」


大臣が尋ねた。


「分かりません。周辺住民が集まり始めています」


「なぜだ」


「雨が降らないからです」


それだけで十分だった。


今年の降水量は少ない。


井戸の水位も下がっている。


家畜が死に始めている地域もある。


黒い構造物の内側にもし緑があるなら。


もし水があるなら。


危険だと説明しても人々が近づかない保証はない。


「日本は内部へ入った」


若い官僚が言った。


「装備が違う」


軍関係者が答える。


「ですが何も分からないまま封鎖し続ければ住民が勝手に入ります」


「入れば死ぬかもしれない」


「入らなくても生きられない者がいます」


誰もすぐには答えられなかった。


大国にとって黒い構造物は安全保障上の脅威だった。


科学技術上の競争でもあった。


この国にとってはもっと単純な問題になり得た。


生きるために使えるのか。


使えないのか。


「国連へ支援を求める」


大臣が言った。


「WHOにも照会する。調査装備と専門家、周辺住民への物資支援が必要だ。周辺の友好国にも協力を求めろ」


限られた外交経路を通じ国際支援を得るための要請が同時に動き始めた。


「日本への返答は」


「情報共有を支持すると伝えろ」


「こちらから出せる情報はほとんどありません」


「それでも出せるものは出す」


大臣は日本の映像を見た。


森に類似した環境。


青空。


鳥に似た生物。


「我々だけでは中へ入れない」


それは国益を飾る言葉ではなかった。


助けが必要だという単純な事実だった。



2011年11月14日 午前10時36分

(日本時間 11月15日 午前0時36分)



アメリカ合衆国・ニューヨーク


国際連合本部



緊急会合の開始予定時刻はとうに過ぎていた。


それでも席に着いていない代表がいる。


通訳が行き交う。


職員が資料を運ぶ。


廊下では各国の外交官が小声で言葉を交わしていた。


日本政府から送られた報告書はすでに多くの国へ届いている。


だが各国が何を把握しているのかは分からない。


国内で確認された黒い構造物の数。


有人調査の有無。


無人機調査の結果。


死傷者。


採取試料。


報告されている数字が本当にすべてなのか。


誰も確信を持てなかった。


会議が始まる。


壇上に立った国連の責任者は各国代表を見渡した。


表情は穏やかだった。


声も静かだった。


だが読み上げる文章は慎重に選ばれていた。


「過去数日間世界各地において性質の不明な黒色構造物が確認されています」


通訳を介し同じ意味の言葉が各国代表の耳へ届く。


「現時点においてこれらが同一の原因によるものか、相互に関連しているのかは確認されていません」


断定しない。


推測を事実として扱わない。


日本政府の発表と同じ姿勢だった。


「しかしこの現象が複数の国家と地域にまたがって発生していることは明らかです」


会場内の視線が壇上へ集まる。


「未知の現象に対する調査が各国で独自に始められています。このことはそれぞれの国民を守るために必要な措置です」


一度言葉が切れた。


「同時に一国で得られた知見が他国の人命を守る可能性があります」


日本代表の前には厚い資料が置かれている。


アメリカ代表。


中国代表。


ロシア代表。


イギリス代表。


フランス代表。


それぞれが壇上を見ていた。


「本会合では各国が確認した事実を可能な範囲で共有し、今後の調査、安全管理、人的被害の防止について協議したいと考えます」


最初に発言したのは日本代表だった。


日比谷公園で実施された二度の有人調査。


内部で電子機器が作動したこと。


内部同士の無線通信が成立したこと。


境界を越える通信が遮断されたこと。


衛星測位が利用できなかったこと。


内部環境の安全性は確認されていないこと。


すでに各国へ送信した内容が改めて説明された。


「日本政府はこの現象について一国だけで十分な調査と対応を行うことは困難であると考えています」


日本代表は言った。


「各国が保有する情報を共有し調査方法と安全基準について協議することを提案します」


次にアメリカ代表が発言した。


「我が国も国際的な情報共有の必要性を支持します」


国内で複数の黒い構造物を確認していること。


外部測定を進めていること。


現時点で重大な人的被害は確認されていないこと。


それ以上には触れなかった。


中国代表も続いた。


「各国の主権と国内法を尊重した上で適切な情報交換を進めるべきです」


国内で確認された地点数は明かさなかった。


無人機調査の詳細も口にしなかった。


ロシア代表は短く述べた。


「未知の現象に対し政治的対立を持ち込むべきではありません。我が国は共同研究の可能性を検討します」


小動物を進入させたことは語らなかった。


イギリス代表は測定結果の一部を提示した。


フランス代表は試料の共同分析を提案した。


ドイツ代表は測定項目、測定方法、記録方式を国際的に標準化し、各国の結果を比較可能にするよう求めた。


小国の代表は調査装備と専門家の派遣を求めた。


島国の代表は構造物が沿岸部に出現した場合の避難計画について質問した。


紛争地域を抱える国の代表は武装勢力による占拠の危険性を訴えた。


感染症対策の専門機関は内部試料の持ち出しに国際的な検疫基準が必要だと主張した。


航空関係者は空域への影響を尋ねた。


海運国は港湾に出現した場合の対応を問題にした。


同じ黒い構造物を前にしても恐れているものは国ごとに違った。


軍事利用、病原体、資源の独占、難民、宗教対立、物流停止、食料不足、情報格差。そして、他国に先を越されること。


議論はまとまらなかった。


まとまらないまま続いた。


それでもすべての国に共通する認識が一つだけあった。


この現象は終わっていない。


明日別の場所に新たな黒い構造物が現れるかもしれない。


次に内部へ入った者が帰ってこないかもしれない。


持ち帰った試料が災害を引き起こすかもしれない。


そしてその結果が一国の中だけで収まる保証はなかった。


休憩に入る直前。


国連の責任者が発言を求めた。


「本日の議論で各国の立場が一致していないことは明らかです」


会場が静かになる。


「しかし立場が一致していないからこそ対話を継続する枠組みが必要です」


アメリカ代表が資料へ目を落とす。


中国代表は表情を変えない。


ロシア代表は腕を組んでいる。


「既存の機関だけではこの現象が持つすべての問題を扱うことは困難です」


科学、安全保障、公衆衛生、資源、国境、災害対応。どれか一つでは足りない。


「本日ここで新しい組織の設立を決定することはできません」


責任者は言った。


「ですが常設の協議機関を設けるための準備会合を速やかに開始することを提案します」


今回設けるのは新しい組織そのものではなく、その設立条件を協議するための準備会合だった。


すぐに拍手は起こらなかった。


各国代表は自国政府へ持ち帰る言葉を考えていた。


新しい国際組織。


そこへ参加すれば他国の情報を得られる。


同時に自国の情報提供も求められる。


参加しなければ国際的な調査基準から取り残される可能性がある。


参加すれば他国に監視される。


参加しなければ他国が何をしているのか分からない。


最初に賛成を表明したのは小国の代表だった。


自国だけで調査する能力を持たない国にとって国際組織は必要だった。


続いて複数の国が支持を表明した。


欧州諸国。


日本。


アメリカ。


中国。


ロシア。


言葉の強さは違った。


条件も違った。


それでも反対する国はなかった。


表向きには。


会合終了後。


各国代表は記者たちの前へ出た。


「国際協力が必要です」


「人類共通の課題です」


「情報共有を進めます」


「安全確保を最優先とします」


同じような言葉が何度も繰り返された。


世界中の報道機関がそれを伝えた。


人類は未知の現象を前に協力へ向かい始めた。


そう報じられた。



2011年11月14日 午後3時51分

(日本時間 11月15日 午前5時51分)



国際連合本部・会議室



記者たちが去った後も建物の中では会話が続いていた。


アメリカ代表団は廊下の一角で短い打ち合わせを行っていた。


「準備会合には参加する」


代表が言った。


「主導権は渡さない」


中国代表団では通訳を介さず母国語で指示が飛んでいた。


「国内情報の提供範囲を再検討する」


「他国の調査方式はすべて収集しろ」


ロシア代表は電話越しに短く報告した。


「国際組織の設立は避けられません」


相手の返答を聞き、続ける。


「利用できる部分は利用します」


欧州の代表たちは測定規格と検疫基準の文案について話し合っていた。


支援を求めた国々は専門家と装備が本当に届くのか確認していた。


日本代表団は会合で得た各国の断片的な情報を整理していた。


誰もすべてを語ってはいなかった。


それでも昨日までよりは多くの事実が集まっていた。


各国に同様の構造物が出現している。


大きさや形状には差がある。


周辺環境への影響も一様ではない。


通信遮断には共通点がある可能性が高い。


内部の環境はすべて同じとは限らない。


一国の調査だけでは見えなかった輪郭がわずかに浮かび始めていた。


会議室の壁には世界地図が表示されていた。


各国から報告された出現地点へ赤い点が付けられている。


北アメリカ。


南アメリカ。


ヨーロッパ。


アジア。


アフリカ。


オセアニア。


報告の少ない地域にも存在しないとは限らない。


発見されていないだけかもしれない。


政府が公表していないだけかもしれない。


赤い点はこれからも増える。


誰もがそう考えていた。


国連職員の一人が準備会合の仮資料を机へ置いた。


表紙にはまだ正式名称のない組織について記されていた。


設立目的。


参加国。


権限。


情報共有。


安全基準。


共同調査。


試料管理。


予算。


人員。


どの項目も空欄が多かった。


何一つ決まっていない。


それでも紙は作られた。


会議の日程も仮に設定された。


各国へ出席要請を送る準備も始まっていた。


世界は同じ判断をしたわけではない。


同じ未来を望んだわけでもない。


互いを信頼したわけでもなかった。


それでも一国だけでは未知に向き合えないという一点で各国の利害は重なった。


誰もが自国だけでこの未知を解明できるとは思っていなかった。


だからこそ各国は同じ机へ向かい始めた。


信頼のためではない。


善意のためでもない。


未知の前で自国だけが暗闇に取り残されないためだった。


人類は初めて同じ机を囲もうとしていた。


その机の下ではそれぞれが違う札を握りしめていた。


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