第6話 遠回りを選ぶ
南雲は、開いたままの端末を八人の中央へ向けた。
画面の白い光が、土と泥の残る靴先を狭く照らす。大崎は太い根を背にして座り、痛めた脚を前へ伸ばしていた。榎本もその少し横で壁に肩を預け、歩き通してきた脚を休めている。三田村は大崎の固定に触れたあと、開いた応急用品を数え直した。
相沢の靴には、低地を抜けたときの泥が濡れたまま貼りついていた。康一の肩と腕にも、大崎を支えてきた重さが残っている。立ち止まっていても、八人が同じ条件で休めているわけではない。
久我だけは端末の光へ近づかず、曲がり道の暗さと横道の奥へ交互に視線を送っていた。装備が擦れる小さな音の向こうで、低地側から続く水音が遠く聞こえる。
「まず、通常帰還路からお願いします」
藤堂は大崎と榎本の呼吸を見てから、南雲へ言った。
「距離は外周側より短いです。標識が多く、管理側に残っている経路情報も多い。私たちも、相沢さんたちも通行経験があります」
南雲の指が、現在地から出入り口側へ伸びる太い線をなぞった。
「正式救援隊も出入り口側から接近中です。こちらが通常帰還路を進めば、互いに近づく方向になります」
「平常時なら、こちらを選ぶ条件ですね」
藤堂が確認する。
「はい。負傷者がいるなら、距離が短くて標識の多いことは、なおさら利点になります」
南雲はそこで言葉を切り、同じ線の手前に記録された地点を順に示した。
「ここからは、今日確認したことです。接敵回数は通常より増えています。移動方向と配置も揃っていません。いま抜けてきた低地区画では水が広がり、乾いた通行幅が狭くなっていました」
「その先も同じだと確認できているわけではない」
相沢が大崎の横から画面を見る。
「確認できたのは、私たちが実際に通った範囲と、共有された接敵地点までです。通常帰還路そのものが通行不能になったという情報はありません。先の低い区画の水と、現在の配置は未確認です」
南雲は、確認済みの地点と、その先の線を指で分けた。地図の上ではつながった一本の道でも、分かっている範囲まで同じではない。
「短い道の利点は残ってる」
久我が暗がりから言った。視線は端末ではなく、曲がりの奥へ向いたままだった。
「ただし、相手が強いか弱いかだけで見る話でもない。接敵が一度なら、止めて抜くやり方はある。何度も続いて、しかも来る向きが読みづらいとなれば、そのたびに隊形を作り直すことになる」
久我は片手を上げ、八人の中央を示した。
「大崎を一人で支えれば一人の手が塞がる。足場次第で二人つけば、さらに減る。榎本は自分で歩けても、接敵した瞬間に走って場所を空けることはできない。乾いた幅の狭いところで、回避と戦闘と大崎の安定を同時にやるのは、人数ほど余裕がない」
大崎は黙って聞いていた。座っている今も、痛めた脚の位置を変えるときには、いったん息を止めてから手で膝を支えている。
「通常帰還路が危険で、通れないと言っているわけじゃない」
久我は続けた。
「平常時なら俺もそっちを選ぶ。今日の八人で接敵を繰り返したとき、短さの利点をそのまま使えるか分からないってことだ」
藤堂はうなずき、南雲へ外周側の表示を求めた。
端末の地図が切り替わる。通常帰還路から離れ、外周寄りを回り込む細い線が拡大された。
「既知の迂回路です。通常の営利探索では、帰路にあまり使いません。通常帰還路より長く、根、倒木、段差のある区画を通ります。足場も均一ではありません」
「今日の通行情報は?」
「少ないです。通行不能という連絡はありませんが、全区間を今日確認したという情報もありません」
南雲は線の一部を広げ、現在までに記録された接敵位置と水系の悪化地点を重ねた。
「現在確認できている接敵地点と、低地側の悪化地点との重なりは、通常帰還路より少ないです。ただし、外周側にモンスターが少ないことや、水の影響がないことを示す情報ではありません。記録が少ない区間も残ります」
長いこと、足場が悪いこと、当日の情報が少ないこと。外周側の線は、避けられるものだけではなく、増える負担と未確認の部分も一緒に示していた。
「大崎を支える側から見ます」
藤堂が相沢へ声をかけた。
相沢はすぐには答えず、大崎の足元と、そこから外周側へ続く曲がりを見比べた。自分の靴底についた泥を地面へ擦り落とし、低地を通ったときの感触を確かめるように一度踏み込む。
「平らな場所なら、一人で片側を支えられます。段差や根を越えるところでは二人必要です。止まって足を置く位置を作らないと動かせない場所もあると思います」
「距離が延びる分は?」
「支える時間が長くなります。交代も休止も増やす必要があります。外周側を選べば、搬送が軽くなるわけではありません」
相沢はそこで大崎へ向き直った。
「いまの固定と支え方で、痛みは増えているか」
「立ち止まってからは変わってない。支えてもらえば進める。ただ、長くなるなら、平らな道より休ませてもらう回数は増えると思う」
大崎は自分が歩けると言い切る代わりに、必要になる条件を答えた。
「榎本さん。事故地点までに、外周側へつながる区画の様子は見ていますか」
藤堂が尋ねる。
「外周側までは見ていません」
榎本は壁から肩を離したが、立ち上がらずに答えた。
「俺たちが事故地点へ行くまでに見た範囲でも、モンスターの位置は普段どおりじゃなかったです。でも、それを外周側まで同じだとは言えません。俺自身は歩けます。走れないのと、段差で遅くなるのは変わりません」
三田村はその返事を聞きながら、固定材の端と残りの応急用品を確かめていた。経路がどちらでも、大崎の脚と榎本の歩き方が元へ戻るわけではない。
藤堂は端末だけを見て話を進めなかった。大崎と榎本、支える相沢と康一、応急対応を続ける三田村、警戒を外さない久我まで順に見てから、二本の線へ視線を戻す。
短く、標識と情報が多く、救援隊と近づく方向の通常帰還路。そこには、今日すでに確認した接敵の増加、配置の不安定、低地の増水と狭くなった乾いた幅が重なる。
長く、足場が悪く、当日の情報が少ない外周迂回路。確認済みの接敵位置と水系悪化地点との重なりは相対的に少ないが、先に何があるかは分からない。
どちらか一方を、安全な帰還路として選べる材料はなかった。
*
康一は、南雲の端末に並ぶ二本の線を見比べた。
通常帰還路には、何度も通った記憶がある。距離だけでなく、目印の位置も、曲がりの先がどう続くかも知っている。正式救援隊がこちらへ近づいていることも大きい。大崎と榎本を早く管理側へ渡すなら、平常時には迷わず選ぶ道だった。
外周側は遠い。足場が悪ければ、大崎の補助に二人必要になる。榎本の歩みも遅くなり、休止と交代が増える。今日の情報が少ない以上、曲がり角の先に何もいないとは考えられない。
それでも、通常帰還路へそのまま入れば、すでに起きている悪化が八人の弱いところへ重なる。大崎を安定させる手、走れない榎本、狭くなった乾いた幅、向きの読めない接敵。その一つだけなら対処できても、同じ場所で重なれば、短い距離を短いまま使えるとは限らなかった。
康一は肩を回した。大崎の体重を受けていた側が鈍く張っている。外周側へ行けば、この負担を抱える時間は長くなる。それも、画面の線から消していい条件ではない。
「外周迂回路を選ぶのがいいと思います」
声にすると、久我の視線が一度だけ康一へ動いた。藤堂は答えを急がせず、続きを待つ。
「安全だと分かったからではありません。通常帰還路の短さと、標識、管理情報、救援隊と近づく方向は利点です」
康一は、太い線から細い線へ目を移した。
「ただ、通常帰還路には、今日確認した接敵の増加と配置の乱れ、水で狭くなった場所が重なっています。大崎さんの補助で手が塞がり、榎本さんが走れない状態では、狭い場所で接敵を繰り返す負担が大きい。外周側は長くて足場も悪く、未確認の区間も多い。それでも、いま確認できている悪化との重なりは少ない。現時点では、外周側を選ぶ方が合理的だと思います」
「分からない危険より、分かっている危険の方が大きいと見るのか」
久我の問いは、反対ではなく、康一の置いた比較の位置を確かめるものだった。
「そこまでは言い切れません」
康一はすぐに答えず、外周側の暗い曲がりへ目を向けた。灯りの先は途中で切れ、その向こうは見えない。
「分からない方が小さいとは限らないです。外周側の未知を軽く見るつもりもありません。ただ、確認済みの問題が、いまの八人の動きに重なることは分かっています。未来の危険を比べるんじゃなく、今持っている材料で、重なり方を比べています」
久我はしばらく康一を見たあと、曲がり道の警戒へ視線を戻した。
「それなら分かる」
康一の案が出ても、藤堂はまだ決定を口にしなかった。
「南雲さん。外周側について、管理情報から言える限界をもう一度お願いします」
「既知の経路で、現時点で通行不能の連絡はありません。確認済みの接敵位置と水系悪化地点との重なりは少ないです。一方、今日の全区間は確認できていません。モンスター、水、足場の現在状態は、進みながら確かめる必要があります」
「正式救援隊との関係は?」
「通常帰還路を外れる分、同じ線上で近づく形ではなくなります。選択経路と現在位置を内部連絡拠点へ送り、救援隊側にも共有してもらいます。合流までの距離がどう変わるかは、この場では確定できません」
通常帰還路の利点を削らず、外周側の情報不足も隠さない答えだった。
「久我さん。実戦面では」
「どっちも楽じゃない」
久我は足元を変えずに答えた。
「通常帰還路は、接敵位置と狭い区画が重なる。大崎を止めて、安定させて、榎本の退く場所を作って、それから戦うことになる。配置が読みにくいまま連続すれば、切り替えの回数が増える」
久我の灯りが、外周側へ入る分岐を短く照らした。
「迂回側は長さと足場が問題だ。そこで接敵しない保証もない。今ある記録と八人の状態だけで選ぶなら、俺も迂回側だ。ただし、進めないと見たらそこで止める」
「相沢さん」
藤堂は最後に相沢へ向き直った。相沢は大崎の隣に膝をつき、三田村が確認した固定を自分でも目で追った。
「大崎を一人で支えられる場所は一人で進めます。根や段差では二人つけます。伊東さんだけに固定せず、俺と三田村も交代に入る。休止を先送りしないなら、外周側で進めます」
「通常帰還路と比べても、その判断ですか」
「はい。距離が増える負担は俺たちの班にもあります。それでも、狭い場所で接敵と搬送を重ねるより、今は外周側を選びます」
相沢は藤堂へ判断を預けきるのではなく、自分の班の条件として答えた。
「大崎さん。外周側は長く、足場も均一ではありません」
「分かってる」
大崎は根に手をつき、上半身を起こした。
「一人でいけるところは一人でいい。二人必要なところと、止まるところは任せる。補助があれば進めるが、無理になったら言う」
「榎本さんは?」
「速度を合わせてもらえれば歩けます。段差で遅れたら伝えます。」
榎本の最後の一言に、相沢が短くうなずいた。できないことを曖昧にしない方が、八人で動くには役に立つ。
藤堂は南雲、久我、相沢を順に見たあと、大崎と榎本へもう一度目を向けた。誰も外周側の安全を保証していない。通常帰還路を選ぶ理由も消えていない。それでも、全員が持つ材料を重ねたとき、いまの八人に対して選ぶ理由が残ったのは外周側だった。
「外周迂回路を使います」
藤堂が決定した。
「安全が確認された道ではありません。現在位置と選択経路を共有し、状態確認と警戒を続けます。進行が難しいと判断したときは、予定に固執せず止まります」
南雲は端末を自分へ戻し、現在位置と外周迂回路を選択したことを内部連絡拠点へ送った。短い送信音が鳴り、地図上の進行線が細い外周側へ切り替わる。
その音を合図にしたように、休止していた八人が動き始めた。
三田村は大崎の固定が緩んでいないことを確かめ、応急用品をすぐ取り出せる位置へ戻す。相沢は大崎の腕を取り、立ち上がる前に足を置く場所を空けた。大崎は健側の足を引き寄せ、根へついた手に力を入れる。
榎本も壁から背を離した。急に立たず、膝を一度伸ばしてから、自分の荷物の肩紐を締め直す。相沢は大崎だけでなく、榎本と三田村の準備まで見てから、自分の武器の位置を確かめた。
久我は外周側の分岐へ半歩出て、灯りを低く振った。曲がり角の先まで届かないことを確認し、藤堂へ手で待機を示す。安全が見えた合図ではない。八人が向きを変える前に、いま見える範囲を確かめているだけだった。
康一は肩に食い込んでいた荷物を持ち上げ、背中へ重さを戻した。大崎を支える側の腕を開け、相沢と立たせ方を短く確認する。休んでいるあいだに薄れかけていた張りが、腕を上げるとまた肩へ戻った。
「立ちます」
三田村の声に、大崎がうなずく。相沢と康一が両側から支えると、大崎は健側の足と上半身を使ってゆっくり腰を上げた。榎本もその後ろで立ち、痛めた脚へ急に体重をかけない位置を選ぶ。
藤堂は八人の配置を見渡し、先頭の久我へ進行準備を返した。南雲が端末を閉じ、後方を確認する。
通常帰還路で何が起きたかは、もう確かめられない。外周側の先に何があるかも、まだ分からない。
八人は保証のない選択をしたまま、外周迂回路の分岐へ身体の向きを変えた。




