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五十歳、聖女候補です。(他薦)  作者: あゆと


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5/8

三人目 黄金の施し手、ヴィオラ・ローゼン①

「三人目です」

セリアは、三枚目の聴取録を神官長の前に置いた。


黄金の施し手、ヴィオラ・ローゼン。

新興伯爵家ローゼン家の令嬢。


ローゼン家は、古い家門ではない。

王都の薬草商から伯爵位を得た家だった。


だが、神殿や孤児院にとって、ローゼン家の名は軽くなかった。


冬の薪が届く。

薬草が届く。

破れた寝具が替わる。

鍋に入れる麦が増える。


祈りでは届かない場所に、物資を届けてきた候補者だった。


神官長は、聴取録の末尾を見た。


マルタ。


三枚目にも、その名があった。


「三人続けて、同じ名ですか」

「はい」


セリアは答えた。


「三人とも、次代聖女になる意思があります。三人とも、他候補との申し合わせを否定しています」

「それで、三人とも候補者名簿にない人物を推薦している」

「はい」


神官長は、三枚目の聴取録へ視線を戻した。


「三人目からは、通常の推薦理由として扱えませんでした」

「続けてください」


セリアは、聴取録を開いた。



聴取室へ入ってきたヴィオラ・ローゼンは、金色の髪を低く結っていた。


淡い蜂蜜色の上着に、深い緑の帯。

派手ではないのに、布のよさは隠せない。


椅子に座る前、ヴィオラは深く頭を下げた。

椅子へ戻る背筋は、少しも縮まなかった。


セリアは、確認票の一行目に指を置いた。


「ヴィオラ・ローゼン。あなたは、次代聖女になる意思がありますね?」

「ございます」


返答は早かった。


「理由を聞かせてください」

「わたくしには、差し出せる私財と、用いるべき家名がございます」


ヴィオラは、まっすぐセリアを見た。


「薬草は、祈りだけでは増えません。薪も、寝具も、粥場の麦も、必要です。ローゼン家の名で扉が開くなら、わたくしはその名を使うべきだと存じます」


セリアは、次の確認へ移った。


「家門から、聖女になるよう求められていますか?」

「求められてはおります」

「それは、あなたの意思と反していますか?」

「いいえ。家の望みである前に、わたくし自身の望みです」


「他候補から、辞退や推薦を求められたことはありますか?」

「ございません」

「特定の人物を推薦するよう、誰かから頼まれたことは?」

「ございません」


セリアは、最後の欄へ移った。


「他に、次代聖女にふさわしいと思う人物はいますか?」


ヴィオラは、そこで初めて黙った。

それまで淀みなく出ていた言葉が、止まった。


「...ございます」


「誰ですか?」


「マルタ先生です」


セリアは、すぐに次の質問へ進まなかった。


「確認します。聖イリア孤児院の、マルタ院長ですね?」

「はい」


セリアは、確認票を伏せた。


「ヴィオラ様。ここから先は、通常の推薦確認ではありません」


ヴィオラが、わずかに顔を上げた。


「どういう意味でしょうか」

「同じ名が三度目です」


聴取室の空気が変わった。


「一人目も、二人目も、本命候補でした。どちらも聖女になる意思がありました」

「その二人が、最後に同じ名を出しています」


ヴィオラは、すぐには答えなかった。


「……わたくしで、三人目なのですね」

「はい」


セリアは続けた。


「しかも、マルタ院長は候補者名簿にいません。この回答は、あなた一人の個人的な推薦では済まなくなります」


ヴィオラは、黙って聞いていた。


「あなたがこの名を正式に残せば、あなた自身が聖女に選ばれる可能性を狭めることになります。それでも、マルタ院長を推薦しますか?」


「推薦いたします」


今度の返答は、すぐだった。


「あなた自身が聖女になりたいという意思は、変わりませんね?」

「変わりません」

「そのうえで、マルタ院長を推薦するのですね?」

「はい」


ヴィオラの声は、震えていなかった。


「そのうえで、マルタ先生です」


セリアは、確認票を開き直した。


「理由を聞かせてください」


ヴィオラは、少しだけ息を吸った。


「わたくしが初めて、自分の名で聖イリア孤児院へ寄付をした日のことです」


「寄付ですか?」

「はい」


ヴィオラは、自分の手袋を見下ろした。


「食事を用意しました」



十三歳のヴィオラは、父の隣で馬車を降りた。


聖イリア孤児院の前庭には、白い布をかけた長机が置かれていた。

小麦袋、薬箱、毛布、石鹸。


それから、食事の皿。


白パン。

肉入りのスープ。

果物。

王都の菓子店に頼んだ乳菓子。


普段の孤児院では出ないものばかりだった。


その日は、朝から暖かかった。

庭に立っているだけで、首の後ろに汗がにじむ。


神殿職員が、ヴィオラに深く頭を下げた。


「ローゼン家のご慈悲に感謝いたします」

「本日は、お嬢様のお名前でのご寄付と伺っております」

「まことに、聖女のようなお心でございます」


十三歳のヴィオラは、背筋を伸ばした。


足りない場所へ、足りない物を届ける。

家の名を、人のために使う。


それは、正しいことだと思っていた。


庭の端には、子どもたちが並んでいた。


一番前の子は、白パンを見ていた。

その後ろの子は、果物の皿から目を離せない。

もっと後ろの子は、乳菓子の皿を見て、小さく喉を鳴らした。


みんな、いつもよりきれいな服を着せられていた。

髪も濡らして撫でつけられている。


ヴィオラは、その姿を見て満足した。


今日くらいは、全員が同じものを食べればいい。

今日くらいは、腹いっぱいになればいい。


神殿職員が、子どもたちへ笑いかけた。


「では、皆さん。ローゼン家のお嬢様へ、お礼を申し上げましょう」


子どもたちは、一人ずつ礼を言った。


同じ言葉が、列の前から順番に流れていった。


ヴィオラは、一人ずつうなずいた。

そうするのが礼儀だと教わっていた。


受け取る者は礼を言う。

差し出す者は、驕らずに受け止める。


それが正しい形だと思っていた。


列の後ろで、小さな子が腹を鳴らした。


隣の子が、その子の手をつかんだ。

食事の皿へ走らないように止めているのだと、ヴィオラにも分かった。


ヴィオラは、胸が少し痛んだ。


早く食べさせてあげたい。

そう思った。


けれど、式はまだ続いていた。


神殿職員の挨拶。

父の短い言葉。

孤児院側の礼。

子どもたちの合唱。


長机の上では、乳菓子の白い皿が陽に照らされていた。


当時、マルタはまだ院長ではなかった。

聖イリア孤児院の寮母長だった。


マルタは、食事の皿を見ていた。


「乳を使った菓子は、先に中へ入れます」


神殿職員が、やわらかく笑った。


「もう少しだけお待ちください。式のあとで皆さんへお配りしますから」

「この陽気です」

「すぐ終わります」


マルタは、もう一度だけ皿を見た。


「小さい子と病み上がりの子は、量を分けます」

「もちろん、寮母の皆さんで見ていただいて結構です」


神殿職員はそう答えた。

だが、皿は長机の上に残された。


ヴィオラは、そこで口を挟まなかった。


差をつけたくなかった。

せっかく用意したのだから、みんなに同じように喜んでほしかった。


神殿職員が、最後に手を打った。


「それでは、皆さん。ローゼン家のお嬢様からの食事をいただきましょう」


子どもたちが動いた。


白パン。

スープ。

果物。

乳菓子。


皿は次々に渡された。


小さな子どもは、乳菓子を両手で持ってかじった。

病み上がりだと聞いていた子も、隣の子と同じ皿を受け取った。


マルタは、配られた皿を見ていた。


「その子は半分で」

「でも、同じ皿がいい」

「半分です」


マルタはそう言った。


別の子が、菓子を口いっぱいに詰め込んだ。

マルタが水を持って近づく。


「急がなくていいです」

「なくなる」

「なくなりません」


子どもは信じない顔をした。


ヴィオラは、そのやり取りを遠くから見ていた。


足りないものを持ってきたのだ。

今日は、なくならない。


そう思っていた。


神殿職員が、ヴィオラへ笑いかけた。


「皆、大喜びでございます」

「よかった」


ヴィオラは、そう答えた。


本当に、よかったと思っていた。



聴取室で、ヴィオラはそこで言葉を切った。


セリアは、続きを急がなかった。


「王都の店に頼みました」

「食事を、ですね」

「はい。費用も惜しみませんでした。父も、神殿職員も、よい手配だと言いました」


ヴィオラは、少しだけ息を吸った。


「子どもたちは、喜んでいました」


セリアは、返事をしなかった。


「白パンを両手で抱えている子がいました。果物を見て笑っている子もいました。乳菓子を頬につけたまま、隣の子に見せている子もいました」


ヴィオラは、自分の白い手袋を見た。


「わたくしは、誇らしかったのです」


「よいことをしたのだと、本気で思っておりました」


ヴィオラは、そこで黙った。


「その夜、孤児院で食中毒が起きました」

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