パラマス号⑬レイナと光希の日常
「退屈ね」
ケサキレイナがトレーニングルームから、漆黒の外界に目を向け独り言のように呟いた。
静謐な宇宙は何も語ってはくれない。ただただ優雅に、均衡を保ち続ける。そして、その空間を維持し続ける。
その均衡の海を泳ぐパママス号もまた静謐を受け入れる者としての役割を果たすのみであった。横島田光希が汗で蒸れたウエアから張りのある胸板を覗かせて、ケサキレイナの前に座った。調整ドリンクの結露が伝ってテーブルに滴を作った。
「レイナちゃん、運動にサイコキネシス使ってるでしょ」
顔を紅潮させ、光希のはだけた場所に視線を避けながら、戸惑いだけが虚空をさ迷っている。光希の鈍感さに苛つき自身のファスナーを上まできっちりと上げた。
そして、光希に、はだけたファスナーを上げるように静かに促した。
「光希くん、暑いのは分かるんだけどファスナー上げてくれない、なんか集中できないから」
光希はレイナの言う通りファスナーを上げ背筋を伸ばした。
「力は使ってるわよ」レイナはあっさりとそう言った。
「レイナちゃんにとって運動と力は同じ価値なの?」光希は窺うようにレイナを見つめる。
「私は人間のような細胞は無いから、基本的には老いることもないの、運動はただの力の調整なんだよね」
「そうなんだ、じゃあ疲れもしないってことか……」
「そうよ、驚いた?」
「いや、もうレイナちゃんには、たくさん驚かせてるから」光希は微笑してそう言った。
「私はまだまだ、光希くんのことあまり知らないわ」
「俺だって、まだまだレイナちゃんのこと知らないよ」
光希とレイナは、無言のままテーブルのドリンクを飲んだ。重い空気と時間だけが、似た者同士の二人の間に沈黙を作った。
オレンジ色の培養液(加塩ソーダ重液)のカプセルの中に浮かぶように横たわり、ケサキレイナの身体は、まるで神秘の湖の底で眠るお姫様のようであった。その様子をメカニック技師、小森達夫は父親のような眼差しで見ていた。頑なに入ることを拒み続けていた培養液に、数日前、自らの意思で入ると申し出た。
光の粒子を具現化して作られた物体、科学世界で生まれた現影魂が宿ることで、形作られたケサキレイナだが、その魂は精神に近い感情を持ち、人間的なものに変化がみられた。
「悪くないわ」
カプセルから上がったレイナはお気に入りのキャラクターが刺繍されたバスガウンに身を包んでいた。色艶を帯びて濡れた髪を乾かしもせず、達夫の特製ドリンクを口に運ぶ。そして、どこか不機嫌そうに呟いた。
「どうした?光希くんと何かあったのか?」
「どうして、そういうこと聞くの?」
「いや……。何か朝とは様子が違うから」
「関係ないわ。それよりこの刺繍可愛いわ」
「レイナがお気に入りみたいだから、付けてみたよ」
「うん、大好きなの。ありがとう……」そう言うと、レイナは、達夫に自然と抱きつき、その胸に顔をうずめた。
達夫は不意を突かれ、みるみる無骨な顔が赤くなった。
腕の中に感じるバスガウンの湿り気と、現影魂のものであるはずの、確かな少女の体温。
それはまるで父親と娘のそれであるような、レイナの素直な感情と無防備な抱擁だった。
一方、横島田光希はトレーニングで全身をいじめ抜いた肉体と、余りある若さを発散させるように、お気に入りの仮想空間に浸りながら、薄暗い部屋の片隅で一人、ただ右手を上下させていた。
おわり




