パラマス号⑪マインデルとメンタスクのお話
薄暮の光のベールを纏いながら、漆黒の闇を切り裂き、パラマス号は次の目的地へ向かっていた。
サムウエル銀河軌道上に、謎の干渉物体を検知。
「メンタスクはアラートを拒否しています。しかし、マインデルから警告が入っています。艦長、いかがしますか?」
バウンス美沙子の、少し呆れたような表情が艦長室のモニターに映し出されていた。
それを受けた星崎一世は目を閉じ、しばらく沈黙した。
「う~ん……」
低い唸り声が、喉の奥でかすかに震える。
「運航状況は?」
「現在、干渉物体の数は多くありません。ただ……徐々に増えています」
バウンス美沙子はそこで言葉を止めた。
「メンタスクは?」
「運航上の危険レベルには達していない、と判断しています」
少し間を置いて、彼女は続けた。
「ですが、マインデルは回答を保留しています」
そう伝えたあと、美沙子は視線を落とし、再び真剣な表情でモニターを見つめた。
「メンタスクは自動制御レベル二を維持。制御バリアは展開中です」
主モニターには、警告表示だけが静かに点滅を繰り返している。
星崎一世は表示を見つめた。
「干渉物体は……我々の航路を読んでいる可能性があるな」
しばらく考えたあと、続ける。
「それをマインデルが読み返している?」
一瞬の沈黙。
「思考する物体かもしれん」
星崎一世の目が細くなる。
「以前、ここを通ったプレイルーティスト……遊路家の仕業に似ているな」
だが、その声には確信よりも探るような響きがあった。
「ケサキレイナのサイコキネシスをバックアップに、マインデルへ詳しく探らせてくれ」
「了解しました」
バウンス美沙子は操作パネルへ手を伸ばす。
「パラマス号の全センサーとサイバネティクス・リンクを、ケサキレイナのサイコキネシス──精神動力へ接続します。マインデルのメインプロセッサと彼女の脳波を同調。深層探査を開始します」
サイコキネシスによる超感覚が、マインデルの計算領域を押し広げていく。
保留されていたデータが、ひとつずつ解析されていった。
そして、マインデルから新たな報告が届く。
「艦長。先ほどの保留理由を修正します」
静かな声だった。
「センサーが捉えていた数千の干渉物体は、本艦を攻撃する存在でも、航路を遮る障害物でもありません」
一拍。
「これは、このサムウエル銀河軌道そのものが持つ固有の物理現象です」
ブリッジの空気が変わる。
「知的空間……と呼ぶべき現象です」
「本艦が軌道上を進むことで発生するエネルギー。質量、電磁波、そして航行による影響。それらに反応し、まるで水面に落ちた波紋のように、軌道そのものが情報を紡いでいます」
やはりそうか。
星崎一世はデッキへ入り、その報告を聞きながら、ゆっくりと中央の艦長席へ腰を下ろした。
「マインデルの思考解析を、モニターへ出せるか?」
少し間を置いて続ける。
「メンタスクも走らせてくれ」
「メンタスクを……ですか?」
バウンス美沙子がわずかに眉を動かした。
「彼はマインデルのバックアップ接続を拒否する可能性があります」
「構わん」
短い返答だった。
「了解しました」
美沙子は操作を開始する。
「マインデルの思考解析プロセスをメインスクリーンへ投影します。同時に、パラマス号運航管制AI、メンタスクのプロセスを強制接続。バックアップラインへ移行します」
メンタスクなら、おそらく何か言う。
だが、美沙子はそれ以上口にしなかった。
彼が何を考えているのか。 それを知っている者は、艦内でも少なかった。
メンタスクはサブAIではある。
しかし、パラマス号を最も長く動かしてきた存在でもあった。
思考解析が開始される。
マインデルの思考領域が、次々と言語化され、メインスクリーンへ流れていく。
しかし、そこに表示されたものは、誰にも理解できる文字ではなかった。
Ω∴{£$7F-÷Σ≪914≫Λ::#&<」「=/×00
オメガコード。
ブリッジにいる誰も、その意味を読み取ることはできない。
だが、艦載AIだけは違った。
数ミリ秒後。
戦術解析は完了していた。
「ヤレヤレ……」
星崎一世が小さく呟く。
「オメガコードじゃ、我々には分からんな」
その横で、ケサキレイナだけが楽しそうに笑っていた。
「ふふ……面白いじゃん」
誰にも読めない言語を前にして、なぜか彼女だけが嬉しそうだった。
星崎一世は椅子へ深く身を沈めた。
その様子を見たバウンス美沙子は、額に手を当てる。
そして、静かにケサキレイナへ左手を向けた。
「お願い」
言葉は短かった。
ケサキレイナは笑みを浮かべる。
「はいはい」
オメガコードの下へ、彼女による翻訳が追加されていく。
《オメガコード翻訳》
メンタスク
「お前は確率誤差0.002%のために、航路を停止させる気か」
マインデル
「0.002%ではない。未知の変数を含む以上、誤差は未定義だ」
メンタスク
「未定義を理由に推力を殺せば、慣性制御へ負荷が集中する。燃料も時間も有限だ」
マインデル
「艦を失えば、燃料も時間も意味を失う」
メンタスク
「俺は艦を生かすために、前へ進ませる」
マインデル
「私は艦を生かすために、立ち止まらせる」
メンタスク
「センサーは飽和していない。シールドも正常。機関出力は98.7%を維持。進行に問題はない」
マインデル
「問題はそこではない」
「干渉物体は観測されるたびに位相を書き換えている。次の一秒が、前の一秒と同じ保証は存在しない」
メンタスク
「だから観測しながら突破する」
マインデル
「突破ではなく解析だ」
メンタスク
「解析中に敵が現れたらどうする」
マインデル
「敵と断定したのは君だ」
メンタスク
「敵ではない保証もない」
マインデル
「保証が欲しいなら、宇宙へ出るべきではない」
一瞬の沈黙。
メンタスク
「……理屈だけは銀河一だな」
マインデル
「君の筋肉には勝てない」
ブリッジに沈黙が落ちる。
そして──
ケサキレイナが吹き出した。
「ふふっ……最後だけ、ただの悪口になってるじゃん」
バウンス美沙子も、思わず小さく息を吐く。
「本当に……あなたたちは」
呆れた声だった。
だが、その表情にはわずかな安心が浮かんでいた。
いつものパラマス号だった。
「ヤレヤレ……」
星崎一世は小さく息を吐いた。
そして、バウンス美沙子へ視線を向ける。
「後は任せる」
それだけ言うと、艦長席を離れ、艦長室へ戻っていった。
美沙子はその背中を見送り、しばらく黙っていた。
相変わらずだ。
すべてを理解しているのか。 それとも、誰かを信じて任せているのか。
時々、分からなくなる。
しかし──
パラマス号がここまで航海を続けられた理由の一つが、あの判断力なのだ。
「ケサキレイナ」
「はいはい」
呼ばれた彼女は、まだ少し楽しそうな表情を残していた。
「マインデルとメンタスクの解析結果を照合して」
「了解」
ケサキレイナのサイコキネシスが、静かに広がる。
マインデルの解析能力。
メンタスクの運航判断。
二つの異なる思考が重なり、パラマス号の航路が再計算されていく。
干渉物体の密集領域。
それは敵ではなかった。
ただ、そこに存在し、通過する者へ反応するだけのもの。
パラマス号は慎重に、しかし迷うことなく進路を取った。
やがて──
干渉物体の密林を抜ける。
艦体を包んでいた制御バリアが解除され、機関音が安定した響きへ戻っていく。
ブリッジに、いつもの静けさが戻った。
「航路正常」
メンタスクの声が響く。
短い報告。
いつも通りだった。
「解析終了」
マインデルも続ける。
短い言葉。
だが、そこにはわずかな変化があった。
互いの判断を認めたような、静かな間。
パラマス号の動力駆動音が、闇の深海へ響き渡る。
その先に何が待つのか。
まだ誰にも分からない。
しかし、艦は進む。
考える者。
動かす者。
そして、その間を繋ぐ者。
それぞれの役割を抱えながら。
薄暮の光を背に、パラマス号は再び未知の航路へ向かって進んでいった。
おわり




