84話・幕間2「とあるメイドの見送り」
翌朝、アリーシアスが起床する前にフェリシアとアルコイリスは起床する。
二人はアリーシアスを起こさないよう慎重に廊下を歩く。
ギシッと少し音が鳴る度に、アルコイリスがビクリと身体を震わせていた。
その後をレコンが足音を立てずについて行く。
「まるで泥棒か暗殺者のようですね、クスクス」
レコンが二人の耳にだけ届くように冗談を飛ばした。
声が笑っていなかったので、ご丁寧に棒読みの笑いをそのまま声に出していた。
アルコイリスはレコンの声の使い方に不思議な顔をしていた。
三人は静かに屋敷を出て、王城へ向かう。
少し眠たげなアルコイリスの肩を、レコンがポンと叩く。
「ファイトです。アルコイリス様」
その言葉にアルコイリスは微笑み、背筋を伸ばした。
王城の前には機動車二号が停まっていた。
操縦席には眠気からか、背もたれに背を預け、口を半開きに天井を見上げているウェリティアの姿が見える。
二号車前には、すでに乗り込む面々が揃っていた。
「将軍に旦那様、そしてラディオ様に……なんとケイオン王まで……錚々たる面子ですね」
レコンは言葉とは裏腹に、特に顔色を変えずに告げる。
「これはこれは……緊張してしまいますわね」
少し困った顔のアルコイリス。
だがその口元は少し楽しそうでもあった。
「朝早くからすまないな、早速だが出発しよう」
ダイレルに促され、一同は二号車に乗り込んだ。
二号車は王都を離れ、徐々にスピードに乗る。
景色が飛ぶように過ぎていった。
ウェリティアは細心の注意を払うかのように、ハンドルにかじりついていた。
「……集中してますね」
レコンの呟きが聞こえたらしく、ウェリティアが口を開いた。
「そりゃそうでしょ……乗ってるの偉いさんばっかだし……」
その声は半ば愚痴にも近かった。
「私のわがままで申し訳ない」
ケイオン王が唐突に謝罪する。
「あぁ──いえ、あー、そういうわけじゃ……技術開発局の人たち忙しいし……私も見送りはしたいですし……」
王相手ではさすがのウェリティアも言葉に詰まった。
「そんなに畏まらんでいいよ。娘の友達だろう? ならば今の私はただのシエナの父、ということで」
「はぁ……」
ケイオンの気さくな態度に、ウェリティアは拍子抜けしてしまう。
「それにしても、こんなに朝早くからとは……何故なのですか?」
フェリシアがふと疑問を口にした。
「うむ、そのことについてはワシの用事もある、あとは──」
「あとは、私の要望だな」
バーグレイ将軍の言葉に、乗っかるような調子でケイオンが割って入る。
「打ち合わせやら、港の復興の観察、確認。とか、向こうに着いてからやることはそれなりにあるものでな……」
「なるほど、お忙しいのですね」
神妙な顔で返答を受け取ったフェリシア。
しかし、ケイオンはまだ何か言いたげにソワソワとしていた。
「実はあとひとつ……」
ケイオンの口からポツリと漏れる言葉。
一同がなんだ?という顔をする。
「エルバルトは、波が良いのだよ」
「波……ですか?」
フェリシアが不思議そうに聞き返した。
「確かに、エルバルトの景色はとても良いと聞きます。かくいう私も、復興の進む街並みを妹に見せたいと──」
「ゴホン!」
「あっ、すいません……」
脱線しそうなラディオをダイレルが止めた。
「しかし、海ではなく波ですかな?」
バーグレイ将軍は引っかかりを覚え、それを口にした。
「ああ、波だ。もちろん海もそれは良いものだ。
しかし、波なのだ」
「ふむ?」
バーグレイ将軍はケイオンの言葉に首を傾げる。
「ははん……波乗り、でございますね」
ケイオンの意を察したように、レコンがサッと呟いた。
「ほう……レコンちゃん、正解だ」
ケイオンは感心したようにニッと笑った。
「あ、あら」
フェリシアが予想外の声を出す。
「は?」
ダイレルが間の抜けた声を出す。
「ぬ、ぬぅ……?」
バーグレイ将軍が困惑の声を出す。
三者三様、ケイオンの言葉にそれぞれの反応を見せた。
「王よ……それは……」
「エルバルトで波乗りする機会など、これを逃したら無いのだぞ!? 仕方あるまい!」
「いえ、あの、仕方がないとかではなく……」
「一応、予定では街の復興と騎士の慰安を兼ねた時間もある。私も自腹で協力するので、見逃してもらいたい!」
ボードは現地で購入する。と付け加えるケイオン。
「というわけで、ウェリィちゃんよ。もっと急いでくれて構わんよ。フェリシアの身体に障らん程度にな」
「……へーい」
気の抜けたウェリティアの返事。
ケイオンは終始、二号車の中でウキウキとしていた。
------
遊撃隊やシエナ姫に先んじて、エルバルト港に到着したフェリシアたち。
「ほう、復興真っ只中ではあるが、街は活気があるな」
「復興のため、一部の騎士が残り作業を続けてまいりましたし、それに復興施策もありますからね」
街路を進む二号車から街の景観を見やるケイオン王にダイレルは答えた。
そのまま二号車は港へ辿り着き、停車する。
王とダイレル、将軍、そしてラディオは仕事のため港へと残ることとなる。
港を離れる際、レコンが告げる。
「それでは、先んじてアリーシアス様とシエナ様を出迎えて参ります」
その言葉を受け、ケイオン王とダイレルは軽く頷いた。
ラディオは早くレイラに会いたいと浮き足立っていた。
「そうですわ。海に来たのですから、海岸に行きたいですわね」
道の途中、アルコイリスが唐突に呟いた。
「えー、人多そうだし、めんどくない?」
「なんでも色々なお店も出ているそうじゃないですか。これは是が非でもアリーシアスも連れて行きたいですわ」
「んー、あの娘、海で遊ぼうって言っても素直にはこなさそう」
歩きながらあーでもない、こーでもないとやり取りをするアルコイリスとウェリティア。
そこにフェリシアが口を挟んだ。
「だったら、内容は伏せて、先に二人が浜に行っておくというのはどうかしら。私があの子にことづけておくから」
ぽんと両手を叩き、名案だと言うようにフェリシアは楽しそうに言った。
「それにね、せっかくの海だから、あの子の持っている水着もちゃんと用意したのよ」
フェリシアの言葉と共に、レコンが水着の入った袋をスッとあげる。
「それじゃあお言葉に甘えて、先に行っていますわ! 水着も選びませんと!」
意気揚々とするアルコイリスに、ウェリティアは「うへー」と答えていた。
その後、フェリシアたちは無事、アリーシアスと合流を果たし、ケイオン王は仕事を一段落させ波乗りへと赴くのだった。
------
翌日。
レイディルを探し回り、街中のあちらこちらを奔走したアリーシアスは、昼には浜辺で項垂れていた。
「お疲れですか?」
パラソルの陰で座り込むアリーシアスに、背後から声がかかる。
レコンだ。
彼女は日傘を持ち、海には不釣り合いないつものメイド服を着ていて、表情を一切崩さないツンとした顔をしている。
アリーシアスは彼女が不機嫌というわけではなく、どこにいようとこんな顔をしていると知っていた。なので、別段不思議には思わなかった。
レコンは前方の海を見やる。
キラキラとした水面と寄せては返す波が、人々の目を引きつけるような浜辺だった。
「ここは、とても良いところです。浜辺も水も綺麗で」
そして視線を海からその手前へと移動させた。
「アルコイリス様は……なんというか、元気……ですね」
昨日に引き続き、海遊びをするアルコイリス。
それに仕方なく付き合うウェリティアの姿。
水を派手にかけ合っている。
いや、よく見ると派手にかけているのはアルコイリスだけで、ウェリティアの水はささやかなものだった。
「ふむ、筋力体力の差が如実ですね」
レコンが二人を見やり納得したように言った。
先程まではアリーシアスも相手をしてあげていたのだが、体力が尽きたらしい。
「まあ……まだ筋肉痛も残ってるし……それはイリスも同じか」
顔を少し上げてアリーシアスが呟く。
「少し、ですか。大したものです」
少しの間続いたレイラの特訓による筋肉痛は、若さ故かもう回復しつつあるという。
「それじゃあ、母さんもここで休ませてもらおうかしら」
アリーシアスの横から、ふいにフェリシアの声がかかる。彼女の両手にはかき氷。
フェリシアはそのまま隣に腰掛けた。
アリーシアスが横目で見ると、泳ぐわけではないのだろうが、母もまた水着の上に薄手の上着を羽織っていた。
「後で、お父さんも来るからゆっくり過ごしましょう?」
彼女はそう言って、片方のかき氷をアリーシアスへと差し出し、微笑みかける。
アリーシアスは「ありがと」と小さく言うと、スプーンでかき氷をすくい、口に頬張った。
浜の暑さと疲れた身体に冷たいかき氷がよく染み渡った。
「美味しそうですね。私も後で買いに行くことにしましょう」
レコンが冗談めかして言う。
いつもの調子に、アリーシアスはなんだか笑いが込み上げてきた。
しばらくするとダイレルもやって来る。
彼は海でどう過ごしたものかわからず、立ち尽くしていたが、レコンに促され、アリーシアスの隣に腰掛けた。
レコンは三人を見やり、ぺこりとお辞儀をして離れた。
三人にとってレコンは家族も同然の存在だった。
レコンもそれはわかっていた。
けれど、あの時間は三人だけのものだ。
彼女はそう考え、一歩引くことを選んだ。
離れた位置で遊んでいたアルコイリスたちもまた、ダイレルとフェリシアを確認すると、頷き合い少し離れた場所へ移っていった。
遊ぶわけでもない。特別なことを言うわけでもない。
何もない時間がゆっくりと過ぎていった。
------
明けて次の日。
本日、いよいよアリーシアス含む遊撃隊が船に乗り出立する。
多くの騎士が港へ集まる中、フェリシアとレコンは集団から離れて見ていた。
レコンがチラリとフェリシアを見やる。
その目の下にはクマを作っていた。
(やはり……眠れませんでしたか……)
フェリシアがどんな思いで、昨日の晩を過ごしたのか。
(それは私が思うより、ずっと重いのかもしれませんね……)
レコンはそんな考えを頭にめぐらせ、やがて視線を前へと戻した。
王の言葉が終わり、レイディルがヴァルストルムから騎士たちに声をかけた。
「あれが、機械の騎士……」
遠くを見やって目を細めたフェリシアが、呟いた。
「他の国では見たことがないものですね」
レコンが記憶を辿り答えた。
やがてレイディルが挨拶を終えると、騎士たちが出航のため、移動しはじめた。
船へ向かう騎士たちと、彼らを見送ろうと集まった人々。
桟橋の周辺は、次第に人で埋め尽くされていった。
別れを惜しむ声や、互いを呼び合う声があちこちから聞こえてくる。
出航を目前に控え、港はにわかに慌ただしさを増していた。
「アリーシアスはどこ……かしら……」
「落ち着いてください奥様。大丈夫です」
フェリシアは辺りをおろおろと見渡し、右往左往する。
レコンはそんな彼女の背に手を当てて落ち着かせていた。
「そ、そうね……慌てちゃいけないわ……」
そう言ったフェリシアの表情にはどこか、焦りの色が見えた。
やがてアリーシアスがフェリシアを見つけ近寄ってきた。
レコンは母と娘が二人きりになれるように静かに一歩下がる。
別れを惜しむ母と娘。
そして、父と娘。
その姿を見て、レコンは別れを噛み締めていた。
次いで、アルコイリスの番となる。
彼女は勢いのままにアリーシアスへと抱きついた。
「アリーシアス、危ないことなどしないでくださいまし……」
「ご、護衛なので、約束はできかねますけど、極力気をつけます」
強まるアルコイリスの腕の力に、くぐもった声をあげるアリーシアス。
「いよいよともなれば、レイディルを頼りますから」
だから力を緩めてくれ。と言いたげな声だった。
(数度、見ただけですが、レイディルさんはどうやらアリーシアス様に頼りにされているようですね)
「少し嫉妬」
レコンは無意識にそんなことを口走っていた。
視線をアリーシアスへと戻す。
すると、彼女は諦めたのかアルコイリスのなすがままにされていた。
しばらくしてアリーシアスは、アルコイリスから開放された。
「父さん、母さん」
アリーシアスが改まって二人に声をかける。
「もちろんレイディルも見送りますよね?」
アリーシアスは、ウェリティアたちと別れを交わすレイディルへと目を向けた。
「その前に……」
アリーシアスが駆けた。
レコンへと。
そしてそのまま抱きつき胸に顔を埋める。
「レコン。行ってくるね」
突然のことに、レコンは言葉を失った。
やがて、静かに口を開く。
「私には勿体ない言葉です」
そう短く告げるレコン。
「今日ばっかりは、そういうの抜きで……お願い」
アリーシアスの真っ直ぐな瞳。
レコンは堪らず目を逸らした。
そして、何を言おうか迷い、視線を泳がせた。
やがて意を決すると、レコンは彼女の髪をひとなでする。
「私の大好きなアリーシアス。無事帰ってきてね」
レコンの変わらぬ表情。
しかし、その瞳はどこか優しさに満ちていた。
------
汽笛の音を鳴らし、ゆっくりと船が進みはじめる。
船上から手を振るアリーシアスへと、フェリシア、アルコイリスが振り返していた。
ダイレルは手を振らず、何も言わずただ娘を見つめるのみだった。
レコンはフェリシアたちから、一歩引いた場所で、小さく手を振っていた。
やがて船が遠ざかり、小さくなっていく。
そして、水平線へと消えていった。
フェリシアは、船が見えなくなってもしばらく手を振り続けていた。
「フェリシア、もう見えないぞ……」
ダイレルがそっと声をかけた。
フェリシアの手が行き場を失い、静かに下ろされた。
フェリシアは深く息を付いた。
レコンがそれとなくフェリシアの顔を横から覗く。
(……少し顔色が優れませんね……)
長旅による疲れか、娘と離れた心的疲労か。
元々、身体が弱かったフェリシアにはこの見送りは些か重かったようだ。
(とはいえ、『では、王都で見送り』となっても奥様も心残りがあるでしょうけれど)
レコンはそう考えながら、ダイレルに一歩近づいた。
「旦那さ──」
レコンがダイレルに声をかけるよりも早く、バーグレイ将軍が口を開いた。
「ダイレル、仕事のほうはどうだ?」
唐突な質問に、ダイレルは一瞬反応が遅れた。
しかし、すぐに気を取り直し答える。
「まだ余裕はありますね」
「うむ、ならば第二、第三陣も見送っていけ」
「もとよりそのつもりですよ」
ダイレルは将軍の言葉に間髪入れず答える。
フェリシアにちらりと視線を送りながら。
その答えに、バーグレイ将軍も満足気に頷いた。
(これで奥様も少し休めそうですね)
レコンは安堵しながら、エルミナに戻るのはもう少し先になりそうだと思った。
(今しばらくゴルディスさんを待たせることにはなりますが……)
レコンは屋敷で留守を守っているゴルディスのことを思い浮かべる。
ふと視線をダイレルに戻すと、彼がフェリシアの身体をさりげなく支えていることに気づいた。
フェリシアの表情が、僅かに緩む。
そしてレコンは、二人を見つめると、口元に指を添え両端を持ち上げた。
「なにしてんです?」
レコンの行動にウェリティアが「?」を浮かべる。
「笑っています」
レコンは指を離すと、フェリシアたちへと近づいた。
その背中を、ウェリティアは不思議そうに見つめていた。




