84話・幕間「とあるメイドの出立」
夕日がエングラム邸を照らしていた。
真っ赤に染まった太陽の光が窓に反射し、キラリと輝く。
エングラム家のメイド、レコンは買い物袋を抱え玄関のドアを開く。
つい先日まではアリーシアスが一時的に帰宅し、レイディルやウェリティアといった客人もいたため、邸宅はいつになく賑やかだった。
その三人も既に王都に帰って行った。
しかし、レコンはつい食材を買いすぎてしまった。
「ゴルディスさんが沢山食べてくれると助かるんですが」
笑顔もなく、ただ淡々と呟くレコン。
「いえ、さすがに私も歳なのでそこまで食べられませんね……」
邸宅を入ってすぐ、応接間の扉の傍に立っていた執事、ゴルディスが突っ込みを入れる。
全く表情を変えずレコンは「残念」と一言呟き、キッチンへ向かおうとした。
その時。
邸宅の呼び鈴が鳴る。
「おや、このような時間に来客……ですか」
ゴルディスが白手袋をはめた手で、顎を撫でながら言う。
「私が」
レコンは一言そう言って、くるりと回り扉の取っ手に手をかけた。
彼女は素早く、それでいて静かに扉を開け放った。
そこに立っていたのは、つい先日エルミナを発ったはずのウェリティアだった。
「おや……?」
レコンは首を僅かに傾げる。
対面のウェリティアは気まずそうな表情をして口を開いた。
「あー、メイドさん、こんにちは……フェリシアさん、いる?」
食堂の机に紅茶が置かれる。
鼻をくすぐる良い香りが部屋に漂う。
手渡された手紙を一読するとフェリシアは、向かいに座るウェリティアへと声をかけた。
「事情は……わかったわ。ウェリティアさん、こちらに来るのは大変だったでしょう?」
「えぇ……まぁ、急なことでしたから……」
ウェリティアは疲労が滲んだ表情を浮かべ、紅茶を一口啜る。
「それで、どうですか? あ、予定とか……」
フェリシアは手紙を折り畳んで封筒の中へと戻す。
「ええ、でも……そう……アリーシアスは、遊撃隊として戦いに行くのね」
ウェリティアから手渡された、ダイレルの手紙にはアリーシアスが遊撃隊に参加すること。
準備が出来次第、王都を出発することが記されていた。
フェリシアの表情に影が落ちる。
少し視線を落とし、やがて彼女は前を向いた。
「それじゃあ明日、お世話になりますね」
手紙にはこうも書いていた。
『だからお前も一度王都に戻り、出立を見送るように』と。
フェリシアはウェリティアへと視線を向けた。
「あー、あとアルコイリス……さん? にも声をかけないといけないんですが、住所わかりますか?」
「あら……?」
なぜアルコイリスにも声をかける必要があるのか。
フェリシアは不思議そうに首を傾げた。
「なんでも……『その方が特訓の効果が高くなるだろう。なので連れて来て欲しい』と執政官から、伝言を預かっているんです」
どうやら学院長宛の手紙はその許可を得るためのものらしい。
その言葉にフェリシアは、やはり首を傾げたままだった。
フェリシアの隣に立っていたレコンが、右手を軽くあげた。
「それでしたら私が今から伝言と手紙を渡してまいります」
軽く言い放つレコンに、ウェリティアは頷き一つ。そのメイドに伝言を伝え、手紙を渡した。
「では」
短く告げると、メイドは黒髪を靡かせ軽やかに夜の街を駆け出した。
「ふむ、今日の夕食は私が担当交代ですかな」
ゴルディスは腰の後ろに手をやり、レコンを見送るのだった。
レコンは足速に街を駆ける。
人混みの間を、街の建物の隙間を縫うように。
ほどなくして、彼女は学院へと辿り着くとしずしずと廊下を歩いた。
(……まぁ、廊下を走るのはお行儀が悪いと散々言われましたし)
レコンは昔を思い出しながら学院長の部屋へと向かった。
学院長へと手紙を渡すと、彼は快く手紙の内容を了承する。
「では、アルコイリス君の王都行きは課外授業ということにしておこう。どうやら大隊長直々にコーチをしてもらえるそうじゃないか。
これは滅多に無いことだ」
学院長はそう言い笑っていた。
レコンは学院長の笑いにも表情を変えることなく、スンとした顔をしていた。
彼女は部屋の壁掛け時計をチラリと見やる。
(もうそろそろ夕食時ですね……で、あれば食事中にお伺いするのも無粋……)
レコンはそう考え、学院長の方へと視線を向ける。
「では、アルコイリス様にはそのようにお伝えします」
「よろしく頼むよ。レコンフォール君」
レコンは一礼をするとツカツカと、部屋の窓へと歩き出し、そのまま窓を勢いよく開いた。
「む……?」
学院長が不思議そうに見る。
「少々時間が押していますので……お行儀は悪いですが、これにて失礼」
レコンはそう言うと、そのまま窓から飛びだしていった。
きっちりと夕食前にストラーク家の屋敷に到着したレコンは、アルコイリスにことのあらましを告げた。
彼女はその内容を聞くと、みるみるうちに笑顔になっていった。
(この少女も、アリーシアス様が好きなのですね……わかります)
レコンは声には出さず、首だけをカクカクと縦に振っていた。
「では、明日の朝お迎えに──」
「いいえ、そのような手間は取らせませんわ。
大丈夫。しっかりと行きますので」
レコンの申し出をアルコイリスは断る。
「そうですか、そうですね。では、明日の朝は街の入口に来ていただければ」
レコンはそう告げ、エングラム邸へと戻った。
翌朝。
街の入口には二号車が待機していた。
その傍には、相も変わらず上着を着崩したウェリティアが目印のように立っていた。
フェリシアと連れ立って歩いてきたレコンは
二号車を見て目を丸くする。
正確には、まるで表情が変わらないので傍から見ても彼女の驚いた様は全くわからないのだが……
「ずいぶんと、変わった形ですね」
レコンは独りごちた。
「近頃の馬車は、お馬さん……いないのね」
二号車を見たフェリシアが不思議そうな顔をした。
「奥様、これは恐らく……ネジ巻き式ですね」
「ネジ巻き式?」
フェリシアが首を傾げる。
レコンは自信満々に続けた。
「はい。機械については過去に少々勉強しました。ネジを巻いて時計を動かす機構があるとか、ないとか」
「……これは時計なの?」
「いえ、馬車です」
レコンの返事にフェリシアは難しい顔をしていた。
ほどなくしてアルコイリスが二号車の元へと到着する。
ウェリティアは集まった面々を確認すると、キャビンの扉を開け、中へ入るよう促した。
キョロキョロと車内を見渡しながら、適当な席に腰をかけるフェリシアとアルコイリス。
レコンはフェリシアの隣へと腰を下ろした。
ウェリティアは三人が座るのを確かめてから操縦席へと移動する。
「そういえば、あの執事さんは?」
ウェリティアはふと気になったので、質問を飛ばしてみた。
「昨日、買った食材を腐らせるのも勿体ないので、ゴルディスさんはお留守番です」
レコンがそう答える。
「ん……執事さんは、食材処分係?」
「全部食べてもらおうと思っています」
ウェリティアは彼女の言葉が、どこまで冗談か判断がつかなかったので、とりあえずそういうことにしておいた。
王都への道はつつがなく進む。
出発時こそアルコイリスが大きな声で喜んでいたが、時間が経てば彼女も落ち着いて来た。
しかし彼女は二号車が走っている間、最新の機械が珍しいらしく、ずっとウェリティアに質問を投げかけていた。
その質問の一つ一つにウェリティアは律儀に答えていた。
やがて話題は名前の話へ。
「貴女のこと……そうねウェリィと読んでいいかしら? 私のことはイリスと呼んでくださいまし」
「私のこと自分からあだ名で呼んでくる人、めずらしーね。まぁいいよ、イリス」
機械の話から始まった会話は、いつの間にか互いの距離を縮めていた。
そのきっかけを作ったのは、アルコイリスの人懐っこさだった。
そんな二人を見てフェリシアは微笑んでいた。
「若いっていいですね」
レコンは何故か達観した者の立場で、言葉を吐いていた。
やがて二号車は王城へと到着する。
ウェリティアは到着時間を特に伝えていなかったが、城の前ではダイレルが出迎えてくれていた。
彼は二号車から降りるフェリシアへと、手を差し伸べエスコートをする。
「ありがとう」
微笑むフェリシアにダイレルは少々申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「無理をさせてすまないな……それとアリーシアスを止めることも出来なかった」
フェリシアは首を横に振った。
「うん、あの娘はきっと止められない。
それは多分、レイディル君がいることで、もっと難しいんだと思う」
「……ああ、見事にしてやられたよ」
告げる二人をじっと見つめる瞳。
「……レコンか……ゴルディス殿は……留守番だな」
見られていたことに照れがあるのか、ダイレルはレコンへと言葉を振った。
「照れ隠しですね」
「余計なことは言わなくていい……」
そんな二人のやり取りが一段落したところで、アルコイリスが二号車から降りてくる。
「初めまして、ダイレル様。私アルコイリス・メイルバッハ・ストラークと申します」
アルコイリスはスカートの端を摘み、淑女の如く挨拶を告げた。
「ああ、初めまして。私はダイレル・エングラム。今回は急な呼び出しですまない」
「事情は聞いております。それに滅多に体験出来ない物にも乗せていただけたので」
アルコイリスは二号車をチラリと見やった。
操縦席にはハンドルにもたれかかり疲労しているウェリティアが見えた。
「とりあえず──今日は遅い。アルコイリス、君には、アリーシアスたちを私の屋敷に呼んできてもらいたい」
ダイレルはそう言うと、視線を少し逸らしながら続けた。
「私がいるとあの娘は戻ってこないだろうが……まぁどうせ私はしばらく仕事にかかりきりだ。『今日は忙しいから、帰らん』と、伝えておいてほしい」
「旦那様、それはもしかして港でお嬢様をお見送りするため……ですか?」
レコンが首をかしげながらダイレルへと問う。
「……ああ、ラディオにも強く勧められたよ。
ということで、私とラディオは仕事を全て片付けた上でエルバルト港へと赴くつもりだ」
ダイレルの言葉を聞いたフェリシアは、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「いつも忙しそうにしているアナタが、ね……ふふっ」
フェリシアは口を手で隠して笑う。
その言葉にダイレルは恥ずかしそうにそっぽを向いていた。
「それじゃあ、今日の夕飯は私が作ろうかしら」
「奥様、お身体の方は……」
レコンが心配そうな雰囲気で、フェリシアを見つめた。
「うん、大丈夫。だから少し無理をさせてね」
寄り添うレコンの手をフェリシアはぎゅっと握りしめる。
「無理をさせる私が言うことじゃないが……無理はほどほどにな」
ダイレルの言葉に、フェリシアは微笑みで答えた。
「……仕方ありません。でしたら、奥様の折角の手料理。後ほど執務室にお届けに参ります」
ダイレルはその言葉が意外だったのか、目を丸くした。
「デリバリーです」
「あ、ああ、よろしく頼むレコン」
そう言うダイレルに彼女は指でVを作り、答えた。
ウェリティア、アルコイリスと別れた二人は、先にダイレルの屋敷へと戻る。
「何年ぶり……かしらね」
「随分と長い間離れていましたから」
フェリシアとレコンが屋敷の門へと近づくと、既に話は通してあったらしく、一人の執事が二人を出迎えた。
屋敷の中へ入ると、メイドや執事が二人を取り囲む。
メイドたちと執事が口を揃えて「奥様、おかえりなさい」と告げていた。
若干、距離が近いがフェリシアがそう望んでいたため、屋敷の使用人たちは気軽に接している。
「どうも皆、私たちを忘れてはいないようです」
と、レコン。
「レコン様のその無表情さは、忘れたくても忘れられませんよ」
メイドの一人が笑ってそう告げる。
それを皮切りに、レコンはしばらく弄られていた。
フェリシアが台所に立つ。
食材は屋敷の者が予め用意していてくれたようだった。
「奥様、共同作業と行きましょう。なにせ夕食まで時間がありません。下ごしらえは私が」
レコンはそう言うと、フェリシアの隣に立ちまな板へと向かう。
フェリシアはお鍋など器具の準備を始めた。
隣からはリズミカルな包丁の音が聞こえる。
鍋を持つ手が僅かに震えた。
(気付かれちゃってたかな)
フェリシアはゆっくりと息を吐き、深く吸い込んだ。
レコンは時間を理由に、さりげなく気を回してくれていた。
やがて食材を切り終わる。
レコンは次の作業に取り掛かった。
フェリシアが具を炒めはじめる。
「レコン」
「なんでしょう奥様?」
食器を用意するレコンは動きを止めず、フェリシアの声に答える。
「アリーシアスといる時は『普通の日』として接したいの」
その言葉にレコンはピタリと動きを止めた。
(ああ──)
レコンは天井を仰ぎ見る。
「……はい。わかりました」
レコンには、フェリシアの言いたいことは分かっていた。
もうすぐアリーシアスは遠征へ向かう。
だからこそ、アリーシアスと共に過ごす時間は特別な日にしたくない。
いつもと変わらない日常を、いつも通りに過ごしたかったのだ。
「後ほど、アルコイリス様にもコッソリ伝えておきます」
「ええ、コッソリとね」
レコンの言葉に眉を下げフェリシアは笑って返した。
その夜は賑やかだった。
アリーシアスがいて、レイディルがいて、アルコイリスもいて、レイラがいる。
フェリシアは疲れなど忘れ、食事を楽しんだ。
次の日。
レイディルは新兵器の試射を見るためシエナ姫とどこかへ出かけていた。
アリーシアスはというと……
「大変ね」
フェリシアが娘に向かって心配そうに声をかける。
アリーシアスはぎこちない動きで、ギギギと体を動かしていた。
同時にアルコイリスも同じ様な動きをしていた。
筋肉痛である。
「それでは……今日もまた精進して参りますわ」
彼女たちはそう言って家を後にした。
扉を開けたまま二人を見守るレコンとフェリシア。
「だ、大丈夫かしら……」
「痛みはその内慣れます」
心配するフェリシアをよそに、レコンは当たり前のように言ってのけた。
その日の夜、地面に突っ伏した二人をレコンが回収しに行ったのは言うまでもなかった。
次の日。
アリーシアスはレイディルらと共に王城へと足を運んでいる。
レイラの特訓はどうやら終わりを告げたようで、アルコイリスは優雅に朝のティーを嗜んでいた。
すると、ダイレルが屋敷へと戻ってきた。
家に入るなり、上着を脱ぎポールハンガーへと掛ける。
「すまんが、洗濯を頼む」
近くにいた使用人にそう言うと、ダイレルは急いで着替えを済ませた。
「あら、あなた、おかえりなさい。そんなに急いで……せめてシャワーでも浴びればいいのに」
「シャワーは城で事足りる。が、着替えは持って行ってなかったんでな……すまんが今日も帰れん」
「それはまた、どうしてでしょう?」
フェリシアとダイレルの会話に、隣にたっていたレコンが口を挟んだ。
「普段ならラディオに仕事を任せることもできるが……今回は私たち二人だ」
「と、言いますと?」
ダイレルはバツが悪そうに口を動かし、やがてゆっくりと開いた。
「思ったよりも仕事が多くてな……長期間、城を離れることが現状できん。
しかし、ラディオが絶対に見送りに行くと言った。さらに私にも念を押された。つまりだな、今ある仕事、それを片した上で当面の分をやりきらねばならん。
そう、それはもう何もしなくていいようになるくらいまで、だ」
ダイレルは大きく身振りをし、やや早口で捲し立てる。
彼の慌てぶりを見て、フェリシアは笑みを零した。
レコンもまた──
表情こそ変えなかったが、「ふふふふ」と笑いだけが口から漏れていた。
「というわけだ。これから仕事に戻る」
ダイレルは執事が用意した着替えを持つと、そそくさと早足で屋敷を出て行ってしまった。
まるで嵐のような男に、部屋の奥でアルコイリスが目を丸くしていた。
その夜。
帰宅したアリーシアスが、フェリシアとアルコイリスに挨拶を交わした。
そして彼女は父のことを扉の近くにいるメイドへと聞く。
答えは「今日も帰って来ない」だった。
フェリシアの後ろに立つレコンはその様子を粛々と眺めていた。
彼女はアリーシアスの一挙手一投足に目をやる。
するとアリーシアスがフェリシアとアルコイリスへと向き直り、呼吸をひとつ。
「えー、明日、出立することに決まりました」
そう言葉にした。
「寂しくなるわね。気をつけて」
「早いものですわね」
フェリシアもアルコイリスも実に淡白な言葉しか口に出さなかった。
意外そうなアリーシアスの顔。
しかし、近くに立っていたレコンには見えていた。
アリーシアスが言葉を発した瞬間、僅かながらに同様の色が走った二人の表情。
あるいはレコンだからこそ、気付けたのかもしれない。
改めて声に出された言葉。
それはわかっていたとしても、フェリシアにとってショックは大きいものだった。
しかし、フェリシアもアルコイリスも、何気ない反応しか返さなかった。
(お見事です……)
レコンは二人の努力を心の中で労った。
鉄面皮のメイドはそっと目を閉じる。
あと少しでアリーシアスは遠くへ行ってしまうだろう。
これまでもアリーシアスは遊撃隊として、国内各地を駆け回っていた。
けれど、今度は海を越え、別の大陸へと向かう。
これまでとは違う遠さを、レコンは感じていた。
それはレコンにとっても寂しいことだった。
それでも、彼女はこの何気ない時間を、フェリシアやアルコイリスと共に味わうことにした。




