84話「汽笛は鳴り、残響は蒼海へ」
天候は晴天、波穏やか。
エルバルト港に、バーグレイ将軍の声が響き渡る。
「──説明は以上……これから先行隊には、このエンブレイス号に乗り込んでもらう」
港桟橋前。
騎士たちが集まり、渡航の時を待っていた。
前方の海にはエンブレイス号が停泊している。
その巨船は、動かずとも確かな存在感を放っていた。
エンブレイス号を背に、バーグレイ将軍が最後の確認を終える。
その右後方には機動馬車が停められ、その前にはシエナ姫やダイレル、遊撃隊の面々が立っている。
言葉を切ると、バーグレイ将軍は騎士たちの正面から外れるように機動馬車の方へと退いた。
すると、機動馬車から、ヴァルストルムがゆっくりと立ち上がる。
灰銀の巨躯は、騎士たちの前へと移動した。
その両手に支えられるように、ケイオン王が立っていた。
騎士たちはゴクリと唾を飲み込む。
『あー……これ本当に声大きくなるのか?』
拡声器を手に、王がボソリと呟いた。
しっかりと大きく響き渡る声に、王は慌てて取り繕うように咳払いをする。
『ゴホン……皆、よく集まってくれた』
拡声器を通した声が、港いっぱいに響き渡る。
先ほどまでとは違う。
ざわめきもなくなり、騎士たちは皆、王の次の言葉を待っていた。
『まずは、今回の作戦に応じてくれたこと。そして遠く離れた地へ向かってくれることを感謝する』
ケイオン王はまっすぐな目で、集まった者たちを見た。
『故郷を離れ、海を越え、見知らぬ土地で戦うのだ。それは決して容易な戦いではない』
王は拳を握り、言葉に力を込めた。
『それでも君たちは、この戦いに赴くことを決めてくれた。
君たちは誇りある騎士だ。
そして今は、アルバンシアのためだけではない。苦しむ人々を解放するために戦う、解放軍でもある』
ケイオン王はゆっくりと視線を動かし、改めて騎士たちの顔を見ていった。
『自分たちの隣を、今一度見て欲しい』
王の言葉に、皆がそれぞれ隣を見る。
『君たちの隣には、同じ志を持つ仲間がいる。
決して、一人ではない』
自分の横には仲間がいた。
歳も性別も違う様々な騎士たちが。
『君たちこそが、国が送り出す勇気ある者たちだ』
歩んできた道も、騎士たる矜持も違うだろう。
だが一つだけ、確かなことがあった。
この場に集った者たちは皆、同じ思いを持っているのだと。
『だからこそ、私は君たちを信じている。
アルバンシアの未来を――いや……この世界の命運を、君たちに託す』
ケイオン王は持っていた拡声器を下げる。
そして──
「どうか、生きて帰ってきてくれ!
そして、その手で未来を切り開いてほしい!
頼んだぞ、我が騎士たちよ!!」
頭を深々と下げ、自らの声を港へと響き渡らせた。
ケイオン王の言葉に大きな歓声をあげるものは誰一人いなかった。
ただただ、静かに拍手が鳴った。
そこには様々な思いが籠っているのだろう。
拍手の中、ヴァルストルムはゆっくりと膝を着き、腕を下ろした。
ケイオン王が手のひらから慎重に地面へと降り立つ。
「ふぅ……中々高いところはスリリングなもんだのう」
そう言って、腕で汗を拭う動きをして見せた。
王の演説が終わった。
しかし、一団はまだ動かない。
騎士たちが不思議そうに顔を見合わせていると、ヴァルストルムが静かに立ち上がった。
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「さて王の演説のことですが──」
まだ騎士たちが港へと集まる前。
朝のこと。
出港を前に打ち合わせをしていたダイレルがケイオン王に切り出した。
「そこまで堅苦しいものではないが……」
「王が宜しければ、ヴァルストルムの手の上から、言葉をかけて頂きたいと思います」
ダイレルの提案に、ケイオン王は機動馬車に目をやった。
「その方が皆に見えるか」
ダイレルは頷く。
その後も幾つかの打ち合わせを経て、出航の段取りがついた。
「というわけで、将軍よろしく頼みます」
「うむ」
ダイレルの言葉に解散かと思われたが、レイディルが一歩前に出た。
「あら、レイディルどうしたの?」
シエナ姫が首をかしげてレイディルに問いかけた。
「ええ、実は少しだけ時間を貰いたくて──」
彼は真っ直ぐな瞳でシエナ姫を見やった。
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立ち上がったヴァルストルムは、移動するわけでもなく、ただそこに佇んでいた。
騎士たちが何事かと眉をひそめていると……
おもむろにヴァルストルムの胸のハッチが開いた。
その奥から、一人の青年が姿を現した。
集まった騎士たちからどよめきの声が上がった。
レイディルは操縦席から出て、ヴァルストルムの手のひらに立つと、一度、眼下を見渡した。
めいっぱいの空気を胸に吸い込む。
「はじめまして、オレはレイディル・フォードウェルといいます!」
ヴァルストルムを通した声ではない、堂々としたレイディルの地声が響き渡る。
騎士たちがザワザワと騒ぎ出した。
「んー、この反応、さすがに好意的な感じばっかじゃないっぽいね」
アリーシアスの隣に立っていたウェリティアが、辺りをキョロキョロと見渡しボソリと呟いた。
その言葉を聞いたアリーシアスは、レイディルをじっと見つめている。
「あっ、前にリオ山道前で名前は言ったような気がしますし……トレルムの野営地でオレを見たことある人がいるかもしれませんが、ともかくこうして顔を見せるのは初めてです!」
いまいち締まりのないレイディルの言葉に、アリーシアスはつい眉を下げて苦笑する。
「確かにあの顔……以前、野営地で見かけたな」
騎士の一人が目を細めながら言った。
その言葉を皮切りに「自分も見た覚えがある」と声が広がる。
そのざわめきの中、一人の騎士がレイディルの地声に反応した。
「あっ! あの声……そうだ、覚えがある!」
レイディルはそのざわつきを気にすることもなく続けた。
「えー……今回、こうして顔を出したのは、皆さんにオレを知ってもらいたいからです。
それに知らない土地で戦う騎士の皆さんと、しっかりと顔を合わせたかった」
何のために顔を見せるのか、何のために言葉を紡ぐのか。
正直、自分はそんなに器用にはできない。
だけれど、しかし──
遠征前の今だからこそ、これは必要なことだ。
レイディルは胸にその思いを抱きながら、言葉を続けた。
「きっと苦しい戦いになると思います。
でも、オレの知っている皆さんなら、それを乗り越えられる」
レイディルはそこで言葉を一度切った。
目を伏せ、呼吸をひとつ。
やがてゆっくりと目を開く。
そして次の言葉を紡いだ。
「なにより、皆さんが窮地に立たされた時──」
そして、彼は騎士たちに届かせるように、はっきりと言い切った。
「ヴァルストルムは……いえ、オレたち遊撃隊は、必ず助けに行きます!」
レイディルの言葉が終わる。
しかし、騎士たちのざわめきは収まらなかった。
そのざわめきの中、一人が小さく呟いた。
「本当にあの青年で大丈夫なのか」と。
しかし、その懸念に、隣にいた筋骨隆々の騎士が声を上げた。
「あいつは……この港を奪還する時に中型ギガスを全部倒すっつってやり遂げやがった。
オレは、あいつを信じるぜ!」
粗野だが、熱い言葉が騎士たちの間を走る。
その声の方向に、レイディルは目をやった。
そこには以前、治療の場で声を荒らげていた男の姿があった。
レイディルは、その姿に口元を綻ばせていた。
男の言葉が、騎士たちの中に広がっていく。
そして──誰からともなく、拍手が沸き起こった。
歓声が、鳴り止まぬ拍手が、港を包む。
レイディルは照れくさそうに手を振っていた。
(私は以前、あなたに顔を見せる必要はないと言ったけれど……)
シエナ姫が腕を体の前に置き、光景を目に焼きつけるようにじっと見ていた。
あの時、レイディルの顔を見せなかったのには理由があった。
ヴァルストルムという圧倒的な力を持つレイディルの姿を、騎士たちが直接見る。
それは、自らの力を鍛え、戦場で命を懸けてきた彼らにとって、決して良いことばかりではない。
自分たちが鍛錬の末に身につけてきた力とは異なる、機械による圧倒的な武力。
そこに、レイディル自身の努力がどれほど介在しているのかを、騎士たちは知る由もない。
それでも、その力を持つ者を意識すれば、嫉妬や妬み、羨む者が現れるかもしれない。
そして、一度その考えが|頭をよぎれば、それは騎士たちの士気にも影響する。
だからこそ、シエナ姫はレイディルの顔を見せなかった。
極力、影響を及ぼさぬ形で。
騎士たちを守るために。
(でも、今は違うわ)
シエナ姫は遠目からレイディルの顔を見る。
(己を晒さない者に、真の信頼は得られない。
そう彼は考えたのね……いえ、もっと直感的なものかも)
灰銀の騎士の上で手を振るレイディルを見て、彼女は一人微笑むのだった。
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出航の時が迫る中、蒸気船の汽笛が港に響く。
エンブレイス号の前では、各々が別れの時を惜しんでいた。
既に準備を終えたレイディルたちは桟橋にて、出航まで港の様子を眺めていた。
「いよいよ……ですね」
多くの人でごった返す港を見やり、隣のレイディルへとアリーシアスが呟く。
「やっぱり緊張するか?」
「そういうわけでも……ないですけど……
それでも心は平常というわけでもありませんね」
素直ではない彼女の言葉に、レイディルはやれやれと息をつく。
そして、ふと前方へと視線を向けた。
すると、人混みの中にきょろきょろと辺りを見渡しながら、誰かを探している女性の姿を見つける。
その女性は傍らにメイドを従え、不安そうな顔をしていた。
フェリシアだ。
フェリシアが娘を探しているのだろう。
レイディルは何を言うわけでもなく、アリーシアスの腰に手を添え、前へと押し出した。
「わわっ」
レイディルの方へと顔を向けながら、一歩二歩と進むアリーシアス。
そんな彼女にレイディルは顎で前方を指し示した。
その視線を追うように、アリーシアスが顔を向ける。
やがて彼女はフェリシアを見つけ、ゆっくりと近づいていく。
フェリシアが娘を抱き締めた。
強く、強く。
「ああ……アリーシアス……本当に行ってしまうのね」
フェリシアから漏れ出す声は、不安と心配と哀情の籠った声だ。
アリーシアスは答えるように母の背中に手を回した。
「大丈夫、母さん。わたしは大丈夫。
根拠はないけど……それでもなんとかなるから。
わたしが決めたことだもん」
嗚咽にも似た声を上げる母に申し訳なく思いながら、アリーシアスはその背をさする。
「まあ、レイディルもいるし……必要なときはちゃんと頼るから」
アリーシアスはそう言って、母の体を離した。
「それに、わたし強いから。大抵はなんとかしちゃえるしね」
涙に濡れる母の顔をじっと見つめ、アリーシアスはニコリと笑って見せた。
そして彼女はすぐ側で見守っていたダイレルの姿を見つける。
彼は黙ってアリーシアスとフェリシアを見ていた。
アリーシアスは母の頭を撫で、少し離れると、ダイレルに身体を向け、両手をいっぱいに広げた。
「ん……」
「……!」
ダイレルが目を見開いた。
アリーシアスは真っ直ぐに彼を見つめる。
戸惑うようにダイレルは歩をすすめ、アリーシアスへと近づいた。
ダイレルは娘を力いっぱい抱き締めた。
娘は父を抱きとめる。
「決して……無理はするな」
「うん、無理はしない」
「絶対に……死ぬな……!」
「うん、絶対死なない」
絶対などという言葉は保証できない。
それでも娘は、絶対と約束した。
父はまぶたをぎゅっと閉じ、その腕に力がこもる。
父の瞳の縁には、溢れるものがあった。
答える娘の目にも、淡く雫が滲んでいた。
レイディルは遠巻きに、アリーシアス親子を見守っていた。
周りを見れば、他の騎士たちも別れを惜しんでいる。
「あっ、レイラさん……」
左に視線をやると、兄にキツく抱きしめられやや困った様子のレイラが見えた。
「あらあら、大変ね」
いつの間にかマリーが、レイディルの後ろに立っていた。
レイディルは視線をアリーシアスに戻すと、今度はアルコイリスと別れの挨拶をしていた。
なにやらアルコイリスはアリーシアスを思い切り力の限り抱き締めていた。
潰されそうな勢いで抱きしめられるアリーシアス。
そんな彼女は眉間に皺を寄せているが、さすがに好きなようにやらせてあげよう。そんな顔をしていた。
その様子をレイディルとマリーは笑って見ていた。
ひとしきり笑ったあと、マリーがレイディルの方を見る。
「……ディルくんはお見送りとかないの?」
その質問に、レイディルは意外そうな顔をした。
「うーん……イリスやダイレルさんはアリシアの関係者ですし、ベイルやリヴィアは一緒に行きますしね……
となると、オレの見送りってないんじゃないですかね」
レイディルはそう言って苦笑してみせた。
「自分のこと、ずいぶんドライなのね」
「そうですかね……そんなもんなんじゃないですか?」
レイディルはそれが当たり前だと言うように、あっけらかんと言い放つ。
「んじゃさ、私が見送ったげるよ」
傍観していた二人に気だるげな声がかかる。
レイディルが視線を横に向けると、ウェリティアが立っていた。
とてもダルそうに頭をかいている。
「ウェリティ──」
レイディルが言い終わる前に、背中をグイグイと押され港の方へと行く。
少し進んだところで、彼女は振り返り、ポカンと見ていたマリーに声をかけた。
「お姉さんも、こっち」
促されるまま、マリーは押されていくレイディルの後について行った。
レイディルが押されて行った先には、シエナ姫やケイオン王、そしてリオルドやバーグレイ将軍が待っていた。
「なんです? 揃いも揃って……」
「……作戦一番の要のお主らを見送らんでどうする?」
レイディルのすっとんきょうな言葉にバーグレイ将軍は眉間を押さえた。
「ウェリィ、二人を連れてきてくれてありがとう」
シエナがウェリティアに向かってにこりと微笑んだ。
「予想通り、『自分たちは関係ありません』みたいな顔してたよ」
「そういうわけじゃない……はず……」
反論しようにも、自信はややなさげだった。
そんなレイディルへと、ケイオン王が手を差し出した。
「プレッシャーを与えたいわけではないが……レイディル君、君の力を頼りにしているぞ」
レイディルは遠慮がちに王の手を握った。
すると、力強くケイオン王はガッチリとレイディルの手を握り返す。
「私は私で、自分なりの戦いをするつもりだ」
「あ、えっと、王もご無理はなさらず」
ややぎこちなくレイディルは言葉を返す。
ケイオン王は次に、マリーへと手を差し出す。
「お身体に気をつけて」
マリーは短くそう告げると、王の手を握った。
「俺やバーグレイのおっさんは後続の船に乗るから、見送りとは厳密には違うかもしれんが……」
リオルドが一歩前に出てレイディルの肩を叩いた。
「まぁ、船には大隊長殿が二人も乗ってんだ。
自分にできないことは、人を頼りな」
言いながらニッと笑い、肩をバンバンと叩いた。
「さて、締めは私かしら?」
シエナがきょろきょろと辺りを見渡しながらいたずらっぽく笑った。
「んー、私もまだだけど?」
「時間も限られているし、チャッチャとやっちゃいましょうか」
ウェリティアの言葉にそう答えるシエナ姫。
「見送りってチャッチャとやるものなのか……」
「もう、レイディルってば細かいわね」
シエナ姫は口を尖らせて文句をたれた。
「私は、向こうの大陸になんか行く用事ないし、技術開発局の人間でもないからホント、なんて言うかな、レイディたちとは接点はなくなるんだけど……」
ウェリティアは腕を組み、少し考えるように言葉を選んだ。
彼女の視線が泳ぐ。
「それでも、なんか私の作ったものがレイディたちの役に立つ日がくるかもしれないから……」
右へ左へいっていた視線を、正面へと戻し言葉を続けた。
「まぁ、頑張って」
ウェリティアは頬をかきながらそう言った。
「みんなが頑張れとか気をつけてとか言ってるし、私からは、そうね……」
ウェリティアに続けてシエナ姫が口を開いた。
「姫としてではなく、友達として──」
そう言いかけて、ジッとレイディルを見つめる。
「あれ、友達でいいのよね……?」
「いいんじゃない?」
「なんというか、王様の前で言うのも憚られるけど……友達で」
ウェリティアはサックリと答え、レイディルはチラリと王を見て恐る恐る答えた。
ケイオン王はその視線に気づき、ニヤリと歯を見せて笑っていた。
「じゃあ、友達として……期待してるから」
シエナはそう言いながら、レイディルの両手を掴み、ブンブンと振った。
「か、肩が抜ける!」
「ふふっ」
シエナはレイディルの顔を見て笑った。
「さて、私たちはこれでおしまい。
やっぱりあとは、あの人たちに締めて貰うことにするわ」
手を離し、シエナ姫がレイディルたちの後ろを指さした。
そこにはダイレルたちが佇んでいる。
「姫と情熱的なお別れしてましたね」
と、アリーシアスが半目になって聞いてくる。
その口はやや口角が上がっている。
「アリシアこそ、イリスと情熱的だったぞ」
レイディルも負けじと言い返した。
「じゃれあいもそこまでだ。時間が無くなる」
ダイレルが二人の間に割って入るように、歩を進めた。
そしてダイレルに促されフェリシアが、レイディルの前へと移動すると──
そのままレイディルを抱きしめる。
ふわりと優しい香りがレイディルの鼻をくすぐった。
「レイディル君、アリーシアスを……お願いね……」
それだけを言うと、彼女はゆっくりと離れる。
続いてダイレルがレイディルの肩をガシリと掴む。
「……お前には言いたいことは山ほどあるが……」
指先に力がこもっているのをレイディルは感じた。
「アリーシアスを絶対に死なせるなよ」
ダイレルは力強く言い放つ。
「はい」
レイディルは短くそう答えた。
ダイレルの放った言葉に込められた様々な思いは、しっかりとレイディルにも伝わっていた。
アリーシアスを死なせないということは、レイディルにも生きて戻れと言うことだ。
ダイレルはそれだけを伝えると、レイディルに背中を向けてしまった。
「……照れてますね」
アリーシアスが呟く。
「言わなくていいことを言うな」
ダイレルは振り向きもせず、そう答えた。
「あとは──」
アリーシアスが視線を飛ばす。
アルコイリスはきょとんとした顔で彼女を見やった。
「え、私ですの……?」
「なんで予想外の顔してるんですか……レイディルをちゃんと見送るんでしょう?」
「突然……ですわね……」
そう言われ、アルコイリスは少し落ち着かない様子を見せた。
「ま、まぁ、アリーシアスの見送りをしたので、それでおしまいと思っていましたわ……」
「つれないですね……レイディルも共に学院の騒動を収めた仲だというのに」
「言われてみれば……そうですわよね。レイディルもちゃんと見送らないと……」
様子のおかしいアルコイリスに、アリーシアスは呆れ、レイディルは首をかしげた。
「いえ、あの、なんだか大勢の方が見ていますでしょう? なんだかわかりませんが照れくさくって……」
「わたしにしてた見送りの方が恥ずかしかったですよ!?」
モジモジとしていたアルコイリスの背中をアリーシアスはグイッと押した。
彼女は少しだけたたらを踏み、レイディルの前へと押し出される。
「えーっと……」
アルコイリスは言葉を探すように視線を泳がせる。
やがて、レイディルへと視線を戻した。
「いずれ……また」
簡単で短い言葉だった。
それは焚き付けたアリーシアスが驚くほどに。
アリーシアスは、思わず拍子抜けしてしまう。
しかし、アルコイリスの口は次の言葉を紡ぎ出していた。
「そう……いずれまた──貴方たちの元へ、馳せ参じますわ」
「……!」
予想外の言葉に、アリーシアスが目を見開く。
それは、また会いたいという願いだけではない。
自分から、会いに行く。
そんな強い意思さえ感じられる言葉だった。
可能か不可能かはさておいて。
アルコイリスは、それが当然であるかのように微笑んでいた。
「ああ、楽しみにしてる」
レイディルは彼女にそう答えた。
彼もまたアルコイリスが実際にエノヴァテール大陸に来るとは思ってはいない。
だけれど、それでもレイディルはそう答えた。
「じゃあ……わたしも楽しみにしといてあげますよ」
アルコイリスの背中からアリーシアスの声が聞こえた。
アルコイリスとレイディルからは彼女がどんな顔をしているかはわからない。
それでもその声は少し楽しそうだった。
「あっ、クラウス博士」
ウェリティアの不意の声に、一同が桟橋の方に視線をやった。
クラウス博士はのらりくらりとした足取りで、船体から桟橋へと続く階段を降りてくる。
彼はレイディルたちに気がつくとそのまま近づいてきた。
「やぁ、ようやく機動馬車の積み込みが完了したよ。固定もちゃんとしたし準備はOKというところだね」
クラウス博士は面々をぐるりと見渡した。
「おや……見送りかい?」
クラウス博士の言葉にレイディルがこくりと頷いた。
「いやはや、これは出遅れた……かな?」
そう言って苦笑し、頭をかいた。
そんな博士の脇にウェリティアが、そろりと近づいた。
「はいはい、博士は私が見送ってあげますよ」
ウェリティアはそう告げると……
「んじゃあ、博士も行ってら」
と、軽く手を振った。
「うーん、このぞんざいさ」
クラウス博士がハハッと笑うと、その場にいた者たちも皆、くすりと笑った。
------
ボォォォォーッ!
エンブレイス号の低く長い汽笛が、穏やかな港に響き渡る。
それは、別れの時を告げる音のように、新たな出発を告げるかのように木霊する。
船はゆっくりと桟橋を離れ始めた。
船上では多くの者たちが下を見下ろし、手を振っている。
アリーシアスやクラウス博士もまた、大きく手を振り、家族や友人に別れを告げていた。
レイディルもまた、静かに手を振っていた。
フェリシアやウェリティアがそれに答えるように手を振り返す。
ダイレルだけは手を振らずに、船上の娘をジッと見ていた。
エンブレイス号は、徐々に港を離れる。
ゆっくりと、ゆっくりと。
見送る者たちの姿が次第に小さくなっていく。
アリーシアスはダイレルたちが見えなくなろうとも、手を振り続けていた。
やがて港は見えなくなる。
陸すらも水平線の彼方。
手を振り続けていたアリーシアスは、手をスッと下ろす。
所在なげなその手は、行き場を見失っていた。
「離れ……ましたね」
「離れたな」
ザブンザブンと船が波をかき分ける音。
辺りは全て海。
視線の先にあるであろう港を見つめたまま、アリーシアスは呟いた。
レイディルはその横顔を黙って見ていた。
船は行く。
大海原へと。




