74話「夜の終わりに」
流れる雲が、一時光を遮る。
何が良くないことが起きる前兆とでも言うが如く。
闇を纏う廊下の先に、何らかの気配が漂う。
ソレが動くと床がギシリと音を立てた。
アリーシアスは無言で右手を上げる。
アルコイリスが頷き、静かに階段を降りていく。
続けてアリーシアスはレイディルへと視線を向けた。
「近づきましょう」という合図に、レイディルも黙って頷き返した。
極力、足音が鳴らぬよう、床板を選びながら歩を進める。
気配との距離が徐々に縮まっていく。
やがて、廊下の先に人影が浮かび上がった。
魔道ランプの弱々しい明かりに照らされていたのは、一人の男。
大きな革袋を肩に担ぎ、床を引きずっていた。
姿を見られた男は、一瞬驚いた顔を見せた。
が、すぐに表情を殺した。
「人の声みたいなもんが、聞こえると思ったが……こいつらか……」
男は低く呟くと、すぐさま踵を返した。
「残念でしたわね」
男が振り向きかけた先には、回り込んだアルコイリスが立ち塞がった。
「泥棒さんですね?」
アリーシアスが淡々と質問をする。
「……」
男は答えない。
「答える必要もありませんしね」
男の沈黙など意に介さず、アリーシアスは一歩詰め寄る。
「お縄についていただきますわ」
アルコイリスの言葉と同時に男は、彼女の方へと床を蹴った。
しかし、アルコイリスに隙はない。
向かってくる男を捕まえるべく、迎撃の体勢を取った。
矢先。
男は袋に手を突っ込み、何かを取り出し、アルコイリスに向かって放り投げる。
アルコイリスは視界を遮られ、咄嗟に飛んできたモノを払い除けようとした。
「ちょっ!」
しかし、払い除けようとした彼女の手は止まった。
次の瞬間、アルコイリスは飛来したモノへ手を伸ばす。
飛来したモノは、彼女の手の中で一度跳ね、お手玉のように二度、三度と宙を舞う。
アルコイリスはモノを落とさぬよう、一歩、二歩とステップを踏むようにバランスを取った。
そうしてようやく、彼女は舞い込んできたソレを両手でしっかりと抱え込んだ。
だが、勢いまでは殺しきれず、そのまま床へと尻もちをついた。
「ハッ、その目の良さが命取りだな!」
男はそう言いながら、アルコイリスの横を素早くすり抜けた。
男を追いかけるべく、アリーシアスたちが走り出す。
「なにやってんですか!」
「だって、これは魔獣の頭骨……学院の骨格標本ですのよ!? 貴重品ですわ!」
アルコイリスは、そっと頭骨を廊下の端へと置いた。
走る勢いは殺さぬまま、アリーシアスが手を差し伸べ、アルコイリスを起こす。
「……ともあれ、あれは学院の備品。これで泥棒に決定ですね」
男……泥棒は軽くなった革袋を担ぎ、廊下を猛烈な勢いで曲がる。
続いてレイディルたちも後を追う。
直線の廊下が続く。
「おいおい……マジか……!」
走りながらレイディルが、言葉を漏らす。
それもそのはず、鍛えているレイディルでさえ、あの泥棒には追いつけないでいた。
それどころか、少しずつ距離が離されていく。
「とんでもない速さ……ですわね」
レイディルの後に続く、アルコイリスとアリーシアス。
「お、お前ら……速すぎる」
そして最後尾にダリオ。
アリーシアスは軽く振り返り「なぜ?」という顔をした。
その表情を察してダリオが口を開く。
「が、学院の……はぁ……物、取られてるんだから……ぜぇ……追いかけるのは当たり前だろ……」
息を切らしながらも彼は懸命に走った。
「放っておいた……オレにも……責任、あるだろぉ!」
アリーシアスは、必死に走る彼に声をかけるわけでもなく、ただ頷き、前を見据えた。
泥棒が左手の階段へと差し掛かる。
彼は曲がり、勢いを落とすことなく跳び上がる。
十数ある階段を全段飛ばして、踊り場へと着地し、更に次の段も全て飛び越した。
続くレイディルも同じように跳躍し、踊り場へと降り立つ。
「ぐっ……!」
鈍い衝撃が足へと伝わった。
しかし、彼はその痛みを無視し、すぐさま次の階段へと跳躍する。
アリーシアスは数段ずつ飛び越えながら、軽やかに階段を駆け下りる。
そうして一階へと、降り立ちすかさず右手へと走る。
しかし、泥棒との距離は依然、差は歴然のまま。
泥棒は角を一つ曲がり、レイディルたちも後を追う。
泥棒は一階階段前を左へと曲がり、出口へと続く廊下へ飛び込む。
(このまま外に出られると、撒かれる!)
アリーシアスは直線に続く廊下の壁を、窓を、そして雲を確認した。
「レイディル!」
前を行くレイディルに、アリーシアスは渾身の力を込めて追いつく。
「い、今も一応……わたしたちは……遊撃隊ですよね!?」
唐突な質問にレイディルは困惑する。
しかし、アリーシアスがこのタイミングで聞くには、何か意味があるのだろう。
そう思い、彼は答えた。
「ああ」
理由を聞き返すこともなく、最低限の答え。
「リーダーは……決まってないか……」
彼女は息を切らしながら、独りごちる。
「この際……レイディルがリーダーでいいです!
一言『特殊事例魔術使用許可』の命令をください!」
通常、街中での魔術使用は禁止されている。 その制限を、遊撃隊の権限で一時的に解除しようとしていた。
問答している暇などない、レイディルはすぐさま判断を下した。
「『特殊事例魔術使用許可』を発令する!」
レイディルの号令と共に、アリーシアスも声をあげる。
「イリス! ダリオさん! レイディルにウィンド・クレストを!! レイディルは止まって!」
「はぁ!?」
さすがのレイディルも、思わず素っ頓狂な声を漏らした。
「レイディル。あなたの魔力量……そして、この場所とタイミングを信じます!」
そう一言だけ言うと、走る速度を緩めるレイディルを抜き去り、アリーシアスは続けて指示を飛ばす。
「校舎を傷付けるわけにはいきません!
レイディルを押し出す形で!」
その言葉で、ダリオはアリーシアスの狙いを悟った。
「あ、ああ──理解した! 殺傷力は無しで……だな」
「なんだかわかりませんが、わかりましたわ!」
アルコイリスとダリオは走りながら実行言語を紡ぐ。
「天井の高さ、泥棒との距離に気をつけて下さい!」
レイディルとの距離を詰めた二人は、その背へ手を添えた。
泥棒とアリーシアスはどんどんと距離が離されていく。
二人の魔術構築が完了する。
「それではレイディル。鳥になっていらっしゃい!」
アルコイリスの言葉と共に、二つの風が解き放たれる。
「ぐあっ!」
レイディルの声が廊下に響いた。
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泥棒は、出口まであと十数メートルのところまで差し迫っていた。
廊下に並ぶ魔道ランプが、その行く手を淡く照らしている。
先程までの雲は晴れ、進むべき道を照らすかのように廊下に差し込んでいる。
「残念だったな、学生さんたちよ!」
余裕たっぷりに泥棒は振り返り、彼女らを見やった。
その時である。
風が泥棒の頬を撫でる。
と、同時に猛烈な勢いに押され、レイディルが宙を舞い飛んできた。
「うわぁぁぁぁ!」
「ぬ、ぬおぉぉ!?」
レイディルと泥棒の悲鳴が混じり合い木霊する。
泥棒は慌てて身を捻り躱した。
レイディルは泥棒の前方へ、頭から突っ込んだ。
古い床板がギシギシと音を立ててレイディルを受け止めた。
「ハ……ハハッ! 外れだ!」
頬に冷や汗を浮かべながら、泥棒は倒れたレイディルを一瞥し、その横を抜けていく。
「あー! 惜しい!」
アルコイリスが声をあげるが、ダリオは冷静に前を見据えていた。
「いや……外れてもいいんだ……」
泥棒が、再び前方へと視線を戻した。
突如、その目に輪郭のぼやけた人影が飛び込んできた。
「な、何!?」
彼は慌てて足を突っ張り、ブレーキを掛ける。
だが、すぐに「止まることは下策」と判断し、再加速をするため床を蹴ろうとした。
だが、その一瞬の戸惑いが致命的な隙となる。
「逃がすか!」
飛来の衝撃は、咄嗟に張った防御壁で和らげていた。 鼻先を赤くしながらも、レイディルは倒れた勢いのまま身体を捻る。
次の瞬間。
地を薙いだ脚が、泥棒の足首を正確に刈り払った。
「ぐっ!!」
泥棒はグラりと体勢を崩すも、何とか持ちこたえ、更に逃げようとする。
が、一手遅い。
(目標約二十メートル……射程内!)
走り追いすがった、アリーシアスが両手を前に突き出した。
「アイシクル・コラム!!」
力ある言葉が解き放たれる。
泥棒の足元へ冷気が収束する。
逃げようにも体勢を立て直しきれていない。
下から突き上げる氷柱は、泥棒を勢いよく持ち上げ、天井に叩きつけた。
「ぐぇっ!」
泥棒の短く掠れた叫びが走った。
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気を失った泥棒を床に下ろし、レイディルがその身体をロープで拘束する。
「まさか、泥棒を捕まえるのにあんな手があるとは思いませんでしたわ」
「レイディルの魔力量に感謝です」
アリーシアスとアルコイリスが笑い合う。
背後では、ロープを締め終えたレイディルが、その場へ腰を下ろして息を吐く。
鼻先はほんのり赤く、先ほどの強引な作戦を物語っていた。
「ほんと、むちゃくちゃするな……」
レイディルは呆れ顔でボヤいた。
「いや、まさか……条件揃えてあの人影すらも利用するなんてな……」
ダリオがフラフラついた足取りで歩み寄ってくる。
「あの場所にも出るかは賭けでしたが……それにしても、ダリオさんはいち早く気付いてくれましたね。さすが一人で解明しただけはあります」
アリーシアスは少しだけ口角を上げ、彼の目を見た。
「……ああ……まぁな」
返事をしながら、自然と肩の力が抜けていく。
(嫌味でもバカにしてる訳でもない、か)
目の前の少女、その瞳には、ただただダリオを称賛する光が灯っていただけだった。
「さて、泥棒さんのせいで、先程言いそびれてしまいましたが……」
アルコイリスが両腕を抱いて一歩前に出る。
ダリオは彼女の真っ直ぐな視線に気圧され、一歩後ろに下がってしまった。
「確かにあのままでは、望む結果へと到達はしないでしょう」
彼女はキッパリと鋭く告げる。
ダリオはその言葉に、肩を落とし、そして顔を下げた。
「けれど、貴方が培ったものは、決して無駄ではない。そう思いますわ」
アルコイリスもまた、真っ直ぐにダリオを見やる。
「求めた結果には届かなくても、違う用途であれば活かせる可能性があると私は思いますわ」
彼女はそう告げた。
「最も、別の形とやらを探すことが貴方の次の目標になると思いますけれど」
「応用か……どうだろう。オレなんかにできるかな……」
ダリオは自信なさげに言葉を漏らす。
「さぁ、どうでしょう? でも考え方、見る角度の違い一つで如何様にも変わるもの……やりよう次第ですわ」
アルコイリスはダリオの言葉に、そう返した。
「例えば、泥棒さんを捕まえるのだって、色んな方法がありますものね」
アルコイリスはレイディルへと振り返り、にっこりと笑う。
「……いやさすがに、人を吹っ飛ばすのはどうかと思うぞ?」
鼻をさすりながら、レイディルが苦笑する。
「いえいえ、そのおかげで無事泥棒を捕まえられたんじゃないですか。わたしたちの手で!」
アリーシアスはニッと笑ってみせる。
そう言いながら、彼女はグッと握りこぶしを作った。
「……わたしたちか」
ダリオの視線が、アリーシアス、レイディル、アルコイリスへと順に向けられる。
三人の顔を見終える──
「ええ、そうです。わたしたち四人です」
ダリオは目を丸くした。
そんな彼にレイディルはウインクし、笑って見せた。
「ははっ……ははは」
ダリオは声を上げて笑う。
夜の静かな校舎に笑い声が響き渡った。
アリーシアスもまた「ふふっ」と笑った。
その背後でも笑い声が聞こえた。
憲兵に泥棒を引渡し、それぞれが帰路に着く。
エングラム家では、フェリシアが二人の帰りを待っていた。
「おかえりなさいアリーシアス、レイディル君。
何事もなくて良かったわ」
フェリシアはほっとしたように、息をついた。
「ただいま。うん、無事校舎を壊すことなく終わったよ」
アリーシアスの言葉にフェリシアの頬に冷や汗が一雫。
(魔術を使わなかった……とは言わないのね)
そんな考えが過ぎったが、母はあえて口にすることはなかった。
アリーシアスの隣では、レイディルが困ったように笑っていた。
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一夜明け。
レイディルとアリーシアスは学院へと赴く。
途中、通学路でアルコイリスと合流した二人はアルコイリスを伴い職員室へ向かった。
「よし、先生方には報告終わりだな。後は生徒たちに噂の真相を話すくらいか」
職員室を後にし、前を歩くアリーシアスにレイディルが声をかける。
「でもよろしいんですの? 赤い目のことは嘘の報告で」
人影の正体と発生条件。赤い目はそれに付随する光の屈折現象によるものだと説明。
そして、条件のどれか一つでも崩せば現象は成立しなくなること。
魔道ランプの配置を変える、床への魔力蓄積を防ぐなど、今後同様の現象を起こさないための対処も伝えていた。
そして泥棒が侵入していたと報告を済ませた。
アリーシアスがピタリと足を止め、振り向いた。
「んー、中途半端に説明した場合、ボロが出る可能性もありますからね……いっそ嘘言っといた方がマシってもんです」
アリーシアスはあえてダリオのことは説明しなかった。
その必要は無いと思っていた。
そうして三人はまた廊下を歩き始めた。
「そういや、あの泥棒の身体能力には驚かされたな」
レイディルが苦笑いをする。
あの後、憲兵から聞いた話によれば、男は各国を渡り歩く盗賊だった。
元は傭兵で、その身のこなしや脚力もそこで培われたものだという。
普段は紛失に気付きにくい安価な物ばかりを狙っていたが、この街を離れる前夜と決めていたため、最後の一仕事として高価な標本にも手を伸ばしたらしい。
革袋の中には、他にもいくつか価値のある物が入っていたという。
「結構色んな国でやってたらしいですよ。大手柄ですね」
そんな話をしているアリーシアスとレイディルとアルコイリスの前に、一人の生徒が立っていた。
「やあ……お三方」
少しバツが悪そうな顔をしたダリオだ。
その顔には、普通の眼鏡が掛けられていた。
「あら、ダリオさん。眼鏡を掛けたのですわね」
「ああ、もう別に隠す必要もないからな」
アルコイリスの言葉に、彼はそう答え、眼鏡のツルを一撫でした。
「それで職員室になんの用ですか?」
アリーシアスは首を傾げて問いかける。
「いや……許可をな。貰いに行こうと思ってさ」
ダリオは視線を泳がせながらそう告げた。
「お前ら優等生に言われっぱなしじゃ、癪だからな。ちゃんとした手順であの研究を利用してみせるさ」
彼の口調は、昨夜よりも柔らかかった。
「凡人の積み上げたもんを証明してやるさ」
「ふふっ、凡人を名乗るには、少々努力が過ぎますね」
アリーシアスがクスリと笑った。
ダリオは一瞬目を丸くする。
そうしてダリオは返答もせず、三人の横をそそくさとすり抜けた。
途中、レイディルが彼の横顔を見やった。
ダリオの横顔は少しスッキリしたように見えた。
そこには昨晩、劣等感を叫んでいた生徒の姿など、どこにもなかった。
レイディルは彼の顔をみて、一人口元を緩めていた。
ダリオと別れ、廊下を歩く三人。
するとアリーシアスが再び足を止めた。
一階の階段前。
昨日、泥棒を捕まえた付近だ。
なんとなしにアリーシアスは泥棒が逃げていた廊下を見やる。
昨夜の魔術による校舎への影響は見当たらなかった。
(その為の無茶な作戦だったし……)
彼女は安堵に胸を撫で下ろした。
ふと、掃除をしている一課程生の生徒たちが目に止まる。
アリーシアスは彼らが、朝の日課として掃除をしているのかと思っていた。
しかし、どうも様子がおかしい。
「?」
アリーシアスはそろりと近づく。
床が濡れている。
以前は雨漏りかと思っていた。
しかし、昨日は雲こそ出たが、一日中晴れだった。
(そもそも、一階が雨漏りっておかしい)
「あの……」
アリーシアスは掃除をしている一課程生に声をかける。
「何をしてるんですか?」
「何って……毎朝ここ濡れてるから、毎日交代で掃除してるんだよ」
モップを持っている生徒は「変だよね」とボヤいていた。
アリーシアスはゆっくりと視線を床へと落とす。
「……」
その濡れ跡は、人の足跡のようにも見えた。
彼女はソフィの証言を脳内で再生する。
「どうした?」
「レイディル……昨日、笑ってました、よね?」
アリーシアスは振り返らず、その一言だけを発した。
「……いや? アリシアやダリオ君は笑ってたけど……」
「私も声に出して笑ってはいませんわね」
「……そう、ですか」
アリーシアスはなおも俯き、顔を上げようともしない。
その視線は床へと固定されたままだ。
「おいおい、大丈夫か?」
「いえ、単に……事象は三つではなく……四つだった……」
口から音を漏らすかのように、途切れ途切れに言うアリーシアス。
「あぁ……これ……本物……」
その言葉を最後に、彼女は口を閉ざしてしまった。
意味もわからずアルコイリスは首を傾げていた。
ただ一人。
アリーシアスだけが、青ざめていた。
彼女は背中を伝う冷たい感覚に、立ち尽くしていた。




