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鋼騎のヴァルストルム  作者: 小春ささら
王都・魔術学院編
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68話「夜を待ちながら」

 ソフィの家を後にした三人は、次の被害生徒を訪ねるため繁華街を歩いていた。


 昼下がりの陽光が石畳を照らし、人々の話し声や荷車の音が通りに響いている。


 少し遅めの昼食として、レイディルは歩きながらサンドイッチを齧る。


 香ばしく焼かれたベーコンの香りが鼻をくすぐる。

 みずみずしいレタスとトマトを挟んだそれは見た目以上に食べ応えがあり、塩気と酸味が程よく調和していた。


 隣ではアリーシアスがフルーツサンドを食べている。

 パンでイチゴと生クリームを挟んだ、なんとも甘い香りの立つ一品だ。

 一方のアルコイリスは、手のひらほどもあるミートパイを頬張っていた。

 焼き立てらしく、肉汁と香辛料の香りが辺りへ漂っている。


「歩きながら、というのは中々背徳感がありますわね」


 アルコイリスはそう上機嫌に話す。


「同意……ですが、ゴツイもの食べてますね……」

「むしろアリーシアスはそれで足りるのかと心配になりますわ」

「私は省エネなので」


 などと、二人はやり取りをしている。


「んで、繁華街まで戻ってきたが、次はどこへ行くつもりなんだ?」


 サンドイッチを平らげた、レイディルが包み紙を丸めながら尋ねた。


「ええっと……」


 アリーシアスはフルーツサンドの包み紙を丁寧に折りたたみ、上着のポケットへとしまい込む。

 代わりにメモを取り出し、視線を落とした。


 残る被害生徒は三人。


 その時だった。


「でしたら次は医術院ですわね」


 不意にアルコイリスが口を挟んだ。


「ずいぶんと詳しいですね」


 アリーシアスが尋ねる。


「ええ」


 アルコイリスは当然と言わんばかりに頷く。


「言われてみれば、学院を休んでいる生徒を見舞うとか言っていたな」


 レイディルは先ほどの話を思い出した。


 三人は繁華街を抜け、街の中央の医術院へと向かう。






 エルミナ医術院。


 白い街並みの中にあって更に白い。

 装飾は少なく、直線を基調とした四角い造りだ。

 華やかさこそないが、その無機質さがかえって清潔感を感じさせていた。


 中へ足を踏み入れると、ほのかに薬草の香りが漂っていた。

 待合室には数人の患者が腰掛けており、白衣姿の医術師たちが忙しなく行き交っている。

 壁際には薬品棚や診察室へ続く扉が並び、外観同様に無駄な装飾は見当たらない。

 実用性を重視した空間だが、それだけに隅々まで清掃が行き届いていることがよく分かった。


「さて、ここにイアンさんがいるらしいですが……」


 アリーシアスが待合室をキョロキョロと見渡す。

 目的は五課程生の男子生徒だ。


 程なくして、レイディルが制服を着た生徒を見つけた。

 男子生徒は今まさに診察室から出てきたところだった。


 レイディルは周囲の邪魔にならないよう歩み寄った。


 背後でアリーシアスの「あっ」という声がした。



「あの、イアンさんですか?」


 レイディルが尋ねると、彼は驚いたように目を見開いた。


「いや、オレはイアンって人じゃない」


 いきなり知らない者の名を尋ねられたので、驚いたようだ。

 よく見れば彼のケープ留めは赤い宝石があしらわれていた。


「三課程生ですわね。五課程生はピンクの可愛らしい色ですわ」


 追いついてきたアルコイリスがレイディルに耳打ちをした。


 男子生徒はアルコイリスのケープ留めを見やり、上課程生と知るやいなやかしこまった態度を取る。


「あ、先輩……でしたか。オレはカルムって言います。イアンって人は知らないです」


 その名前を聞き、アリーシアスとアルコイリスは顔を見合せた。


「偶然と、言うべきかしら」

「ちょうど良いですね」


 ほぼ同時に漏れた二人の言葉に、カルムは首を傾げる。







「あぁ、学院の幽霊の事調べてるんですか……」


 院内の隅の長椅子に腰を掛け、カルムはダルそうに言葉を零した。

 アリーシアスら三人は対面の椅子に横並びに座っている。


「オレが幽霊を見たのは十日前だったかな?」


「十日前か……一週間前がフィンで……確かソフィは三日前……最古の証言ってことか」


 レイディルはアリーシアスからメモを見せてもらい、ぽつりと呟いた。


「あぁ、一課程生の女の子も見たらしいですね?

怖かっただろうな。オレだって怖かったですもん」


 彼はそう言い、身振り手振りを加える。


「最初は透けた人影。次に見た時は、赤い目をギョロリとしていた」


「他の方と一緒ですね……なにかこう、全体像は見えなかったんですか?」


 変わらぬ証言に、少しでも違いを見出そうとアリーシアスは質問を投げかけた。


 カルムは額に人差し指を当て、目を瞑って深く考え込む。


「月が出てる夜だったと思うけど……雲が多くて、たまに明るくなる感じで……正直よく見えなくて……」


 彼は自信なさげに呟いた。



「何かを引きずるような音はどうですの?」


 腕を組んだアルコイリスが質問をする。


「うーん……それは聞いてないと思います……」


 その言葉にアリーシアスは顎に手をやり熟考する。

 するとカルムの腕に包帯が巻かれていることに気がついた。


「あの、その包帯は? もしかして幽霊を見た時に怪我を?」


「あぁ、これ? 実はさ……」


 カルムは右腕を上げ、三人に見えるように包帯を見せた。

 そして言いにくそうに続ける。


「なんて言えばいいかな……逃げようとした時に、すれ違ったんだけど、幽霊に触れた気がしたんだよ」


 カルムは言葉を探すように少し考え込んだ。


「その時は何ともなかったんだけど、しばらくして腕が熱くなってさ」


 今思い返しても不思議なのだろう。 彼は困ったように眉を下げる。


「見たら、痕ができてたんだ」


 見せようか?と付け加える彼の言葉に、三人は是非と返した。


 包帯を取ったそこには、赤い痕が残っていた。

 火傷にも打撲にも見えない奇妙な痕だった。


「不思議な痕ですわね……」


 アルコイリスは小さく首を傾げていた


「まぁ、痛みは無いんですけどね……」


 カルムはアルコイリスに弱々しく笑ってみせると、慣れた手つきで包帯を巻き直した。




 その時、カルムの背後から声がかかる。


「なんだ、カルムじゃないか……お前も医術院に来てたのか……」


 アリーシアスらがカルムの後ろに視線をやると、そこには学院の生徒が立っていた。


「紫……っていうと何課程生だ?」


 レイディルが隣のアリーシアスへと、こっそりと耳打ちをする。


「六課程、最上級生ですね」


 と、アリーシアス。

 彼女に続き、アルコイリスが付け加える。


「と、言っても(わたくし)たちのクラスではなく、お隣ですわね」


 なんと言っても生徒の数は多い。

 一課程一クラスでは溢れる生徒が出てくるだろう。


「あっ、ダリオ先輩。

先輩も来てたんですね」


 カルムは振り返ってそう返事をした。


「アレを見てから具合が悪くてさ……診てもらいにきたんだ……」


 ダリオはそう言って力なく笑ってみせた。

 


「ダリオ──と、言えば」


 彼の名前にアルコイリスが反応した。

 すかさずアリーシアスはメモを開いた。


「被害生徒にその名前、ありますね」


 二人の反応に、片眉を釣り上げるダリオ。


「なんだ、幽霊騒ぎを調査でもしてる奴がいるのか……」


 彼はそう言うと、アルコイリスの袖に視線をやった。

 ダリオは一度目を伏せ、目元を軽く揉むと、改めて三人の顔を見た。


「月煌章……へぇ、キミが()()アルコイリスか」


 一体どんな噂が立っているのか、レイディルは少しだけ気になった。

 ダリオの視線はさらに隣へと移る。


「銀の髪……と、なるとこっちはアリーシアス・エングラムってわけか。有名人が二人揃ってこんなとこにいるなんてな」


「えぇ! この二人が例の!?」


 ダリオの言葉にカルムが驚きを見せた。

 どうやら気付いていなかったらしい。


 カルムはアリーシアスに対して失礼をしたと言わんばかりに、手を合わせ頭を下げる。


 アリーシアスは「お気になさらずに」と手を振っていた。



「で、カルム。お前はどこを悪くしたんだ?

その包帯か?」


 ダリオは首をかしげる。


「いえ、これは問題ないです。

ただ、ちょっと学院の先生から自身の魔力検査してもらってこいって言われて……」


 カルムはそう返した。



「お話中申し訳ありませんが、ダリオさん。

少しお話よろしいかしら?」


 アルコイリスが二人の会話に割って入る。

 このまま放っておくと、いつまでも雑談をしていそうな雰囲気だったからだ。


「ああ……」


 彼はそう言うと、カルムの横に腰を下ろした。


「オレの証言なんかが役に立つなら、なんでも聞いてくれ」


 ダリオは両手を握り、質問を待った。


「では……あなたが幽霊を見たのはいつ頃ですか?」


 アリーシアスが切り出す。


「そうだな……あれは四日前だ」


 ダリオは当時の出来事を語り始めた。


 内容そのものはカルムやフィンたちの証言と大きく変わらない。


 夜の学院。

 透ける人影。

 そして赤い目。


「他にはなにかありませんでしたの?」


 変わらない証言に、アルコイリスが何かないかと問いかけた。


「んん……」


 ダリオはしばし思案し、やがて口を開いた。


「宙をスーッと何かが移動してた気がするな…… あれは人じゃなかったと思う」


 ダリオは肩をぶるっと震わせた。


「オレはもう夜のあの場所には近づきたくないな……」


 そう言い(こうべ)を垂れた。

 その姿は、あの夜のことを恐怖しているようにも見えた。

 こころなしか、額には脂汗が浮かんでいるようだった。


「オレも……そう思います」


 隣のカルムも頷き、同意している。


「幸い、先生たちも夜の学院は立ち入り禁止にしたみたいだし……」


 ダリオの言葉にアリーシアスが質問を返した。


「立ち入り禁止……ですか。それはいつから?」


「噂が学院中に広まってからだから──」

「……つい二日前だな」


 カルムの言葉を継ぎ、ダリオが補足した。


「そういえばノエルとルナは、今日学院が休みだって言ってたっけ」


 レイディルは昨日(さくじつ)のことを思い出す。




 その後もいくつか質問を重ねたが、新たな情報は得られなかった。


「ありがとうございました」


 アリーシアスが頭を下げる。


「いや、役に立ったならいいんだが」


 ダリオはそう言って苦笑した。


「オレも検査結果聞いてくるんで」


 カルムも軽く手を振る。

 三人は二人に別れを告げ、医術院を後にした。


「結局、イアンさんには会えませんでしたね」

「診察が終わって帰ったのかもしれませんわね」


 アリーシアスの言葉にアルコイリスが深く息を吐いた。


「家を尋ねてみるか?」


 レイディルが提案をする。


「どうでしょうね……イリス、イアンさんは学院を休んでるんですか?」

「いえ、彼は登校しているそうですわ」


 レイディルは顎に手をやった。


「だとすれば、向かうなら学院か……」


 三人が中央通りにかかる橋を歩いていると、前方から一人の生徒が歩いてくる。

 その歩き方は右足を庇うように動かしていた。


 そのケープには桃色の宝石が、陽の光を浴びて光っている。


「……彼がイアンかしら」


 アルコイリスが、前方を見つめる。


「決めつけるのは早計じゃないか? 生徒なんて沢山いるんだし……」


 レイディルがそう言っていると、前方の男子がこちらに近づいてきた。


「すんません、オレのこと呼びました?」


 どうやら彼がイアンのようである。


「……まぁ、そういうこともあるよな」


 レイディルは一人呟いていた。





 三人はイアンに聞き取りを行った。


 イアンが幽霊を目撃したのは五日前。

 学院内で噂が広まり始めた頃のことだった。


「多分、他の人らの言ってるのと同じっすよ」


 イアンは頭を掻きながら答える。


「透けた人影とか、赤い目とか……そういうのは見ました」


「他には?」


 アリーシアスが尋ねる。


「あー、なんか白っぽいものがスーッて動いたような気がしたっすね」


「白っぽいもの?」


「いやー……正直、見た瞬間怖くて逃げようとしたんで、あんまり覚えてなくて……」


「そうですか……」


 アリーシアスはメモへと書き込んだ。


「では、その足についてお聞きしてもよろしいかしら?」


 アルコイリスの視線は、イアンの庇うような足へと向けられる。


「ああ、これっすか……怪我してるってよくわかりましたね」


 イアンは苦笑した。


「幽霊見た日にできた怪我なんですけど、何で切れたのかはよく分かんないんすよね」


「切れた?」


 レイディルが聞き返す。


「逃げる時に転んだんすけど……転んだんじゃ、こんなスパッと切れないだろうって、医術師は言ってたっすね……」


 そう言って彼は肩を竦める。


「なるほど……」


 アリーシアスは小さく頷いた。

 彼女の思案中もイアンは「いやあアレは本当に怖かったっす」や「もう二度とあんな目には合いたくないっすね……」などとペラペラと喋っていた。


(お喋りな人だな)


 レイディルはなにか無いかと、そのお喋りに意識を集中していたが、結局それ以上のことは何も出てこなかった。


 イアンはひとしきり喋ると「時間なので」と言って医術院へと向かった。



「かれこれ30分は話してたんじゃないですかね……」


 アリーシアスの顔に疲労の色が見える。


 それもそのはずで、なんとイアンは一人で喋り続けていたのだ。

 それも他愛もない雑談ばかりだった。


 アリーシアスは、タイミングよく話を切り上げようと試みるも、言葉の濁流とも言うべき勢いに流され、上手く終えられなかった。


「いやぁ、激しかったな」


 レイディルは額の汗を拭う。


「見事な弁舌でしたわね……」


 勢いよく喋ることなら負けていないだろうアルコイリスも、イアンの前ではかたなしだったようだ。


「さて、聞き込みをしたとはいえ、結局証言だけじゃわからないことばかりだな」


 レイディルが仕切り直しとばかりに、口を開いた。


「……わたしとしては、安楽椅子探偵と洒落こみたいところですが」


 レイディルの言わんとしていることを察知してか、アリーシアスは提案する。


「この場合、現場に行かないとわかんないだろ……あとちゃんと幽霊をこの目で見ておきたいが……」


 アリーシアスはその言葉に途端に嫌な顔をした。

 レイディルがアリーシアスの隣のアルコイリスを見る。


 ……無表情だ。


 少し間を置いてスっと視線を逸らした。


 しかし、レイディルは問答無用とばかりに歩き出した。


「とりあえずは許可を取らないとな」


 夜の学院は現在立ち入ることを禁止されている。

 責任者に目的を話し、許可を貰う必要があるだろう。


 アリーシアスとアルコイリスは、しぶしぶレイディルの後ろを歩いた。






 三人は許可を得るため、学院長室へと赴いた。

 やはりというか、当然学院長は不在である。


 代わりに対応に出た学院長補佐へと、許可を求めた。


 優等生のアルコイリス。

 そして最年少最速卒業生のアリーシアス。

 この二人の名を持ってしても、補佐は何があるかわからないと許可を出さなかった。

 在校生であるアルコイリスに、まだ若いアリーシアス。補佐も簡単には首を縦に振れなかったのだろう。


 しかし、レイディルがヴァルストルムの操縦者であることをアリーシアスが告げると、補佐はしばし考え込み、最終的には夜間調査を許可した。



 三人は学院長室を出て、廊下を歩く。

 日が傾き、橙の光が廊下を照らしている。


「意外でしょうね。噂の英雄サマが、まさか学院にくるだなんて」


「英雄様はやめろよ……」


 アリーシアスは楽しそうに口元を緩め、先頭を軽やかに歩く。

 レイディルは慣れない呼ばれ方に不服そうだ。


(わたくし)も驚きましたわ。

レイディルさんがこの国を救った機械騎士の操縦者だっただなんて、存じませんでしたわ………」


「いや、別にオレ一人の力じゃないし」


 レイディルの隣を歩く、アルコイリスが両の手を合わせ、感嘆の声をあげる。

 レイディルはやはりどことなく居心地が悪そうだった。


 ふと、アリーシアスが足を止める。


「っと! どうした?」


 レイディルがアリーシアスにぶつかりそうになりながらも、なんとか踏み止まった。


「いえ、なんでしょう……ここ……

なにか違和感が」


 半目になりながら、そう言い辺りを凝視する。


「んー、オレはここに詳しくないからわからないけど……なんかあるのか?」


 レイディルはそう言ってアルコイリスの方を見やる。

 彼女はわからないと両手を上げ首を振った。


「被害生徒が……幽霊……を見たという場所というわけでもないですわね……」


 学院長室のあるこの階は、本校舎の最上階だ。 教室は存在せず、学院長室や会議室といった関係者以外立ち入ることのない部屋が並んでいる。

 被害生徒が幽霊を見たという場所よりも、三階も上にある。


「なにかある……というよりは──なにか物足りない、という感じでしょうか……」


 アリーシアス自身、覚えた違和感を言語化することに迷っているようだった。


 結局、違和感の正体がわからないまま、三人は学院を後にした。




「夜まで時間あるな」


 夕食の買い出しで賑わう、繁華街へとたどり着いた三人。

 一度解散しようという流れになった。


 その時、横から声がかかる。


「あら、アリーシアス?」


 振り返れば、そこには買い物カゴを腕に下げ、傍にはメイドをつき従えているフェリシアが立っていた。


「今ちょうど夕飯の食材を買いに来ていたの」


 ニコニコとするフェリシア。

 アリーシアスはなんとなく嫌な予感がした。


「母さ──」

「お友達も夕食ご一緒にどうかしら」


 アリーシアスが釘を刺すよりも早く、フェリシアはウキウキとした声でアルコイリスを夕飯へと誘っていた。


「初めまして、そしてお招きいただきありがとうございます。喜んでお受けいたしますわ」


 アルコイリスは自身のスカートの両端をひらりと持ち、会釈をする。

 その振る舞いは絵に書いたような貴族だった。


「まぁ、礼儀正しいお嬢さんね」


「ありがとうございます、お母様」


 互いに和やかな笑みを浮かべる。


 解散できると思ったアリーシアスは、短く息をついていた。







「素晴らしい夕食でした。

こう……ホワホワっとした感じで。それでいてふわーっとした……」


 要領を得ないアルコイリスの感想を右から左へ流しつつ、アリーシアスは紅茶へと口をつける。


「学院のお化け調査……それに今から行くのね」


 フェリシアが口を開く。


「今から、というかもう少ししてからね……」


 アリーシアスの言葉の端々には、気の進まなさが滲み出ている。


「なんにしてもあまり危ないことはして欲しくないわ」


 夜遅くに出歩く。親としては当然の反応だろう。

 例え、娘が二級魔術師の肩書きを持つとはいえ、だ。


「本当に危ない時は、校舎を壊してでもなんとかするから」


 と、アリーシアス。

 フェリシアは眉を下げ困ったように微笑んだ。


「ご安心を、お母様。(わたくし)もいますわ!」


 アルコイリスは胸をドンと叩いた。


 しばらく、食後の穏やかな時間が流れる中、レイディルはふと辺りを見回した。


「そういえば、ウェリティアはまだ帰ってきてないのか?」


 その問いに答えたのは、食器を片付けていたメイドだった。


「はい。何でも博士に用事があるとのことで、お昼前には出て行かれました」


「博士に?」


 レイディルは首を傾げる。


(そういえば博士の目的聞きそびれてたな……)


 少し気にはなったが、今ここで考えても仕方がない。



 レイディルは残っていた紅茶を飲み干し、空になったカップをソーサーへ戻した。


 それから腰を上げる。


「あら、なんですの?」


 アルコイリスが不思議そうに尋ねる。


「朝できなかったからな。ちょっとトレーニングしてくる」


 そう言って軽く肩を回した。


「時間までには戻るよ」


「行ってらっしゃい」


 アリーシアスが本を読みながら軽く手を振る。


 レイディルもそれに応え、屋敷を後にした。




 紅茶を飲み終えると、食卓を後にしアリーシアスとアルコイリスは応接間へと移動した。


 大きなソファへ腰を下ろしたアルコイリスは、先ほどの話を思い出したように口を開く。


「レイディルさんはどこへいったのかしら」


「街中走ってるんだと思いますよ」


 アリーシアスは本棚へ向かいながら答えた。


「言ったでしょう? レイディルは鍛えてるって」


 そう言いながら一冊の本を取り出す。


「ヴァルストルム。あの機械騎士の力を十全に引き出すには、自分自身も強くなければならない──それが彼の考えなんです」


 アリーシアスは本を抱えたまま肩を竦めた。


「本当は朝も走るつもりだったみたいですけどね。人様のお屋敷ですし、勝手に出歩くのはどうかと思ったらしくて」


 そして少しだけ考えるように目を伏せる。


「走るだけじゃなくて、筋力訓練をしたり剣の訓練したり……まぁ、詰め込みすぎな感じではありますが」


 その表情は諦めの色を孕んでいる。


「加えて魔術の勉強もしてますけどね」


 アルコイリスは感心したように目を丸くした。


「帝国を退けるほどの強大な力は、それ相応の努力の上に成り立っているということですのね」


「相手も強大ですから……」


 アリーシアスは短くそう返した。


 そして本を抱えたままソファへと腰を下ろす。


「さて、私も少し本を読みます」


 本を開きながら、彼女は視線も上げずに続けた。


「イリスは、まぁ自由にしててください」


 そう言うなり、アリーシアスは読書を始めてしまう。


 アルコイリスはしばし考えた後、静かに立ち上がった。


 そしてソファの後ろへ回り込むと、アリーシアスの肩越しに膝の上に置かれた本を覗き込む。


「……」


 アリーシアスは何も言わない。

 どうやら追い払う気はないらしい。


 アルコイリスはそのまま興味深そうに本へ視線を落とした。


 開かれたページの上にはメモ帳が重ねられ、そこには細かな文字がびっしりと書き込まれている。

 あちこちからは付箋が覗いていた。


 アリーシアスはペンを取り出し、慣れた手つきで何かを書き加えていた。


「相変わらず……貴女も努力を続けてますのね」


 その声はどこか感心した、好意のこもった声だった。




 やがてレイディルがトレーニングを終えて帰宅する。



 街に夜の帳がすっかり降り始めた頃。


 三人は再び魔術学院へと向かった。

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