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鋼騎のヴァルストルム  作者: 小春ささら
王都・魔術学院編
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74/77

67話「第一の証言」

 学院から北西へ。


 繁華街を抜けて程なくすると、学生寮が見えてくる。


 学院の敷地からは離れた場所に建てられており、入寮した生徒なら初日に誰もが思うだろう。


 なぜ学院の近くに建てなかったのか、と。


 道すがらアルコイリスが説明を始めようとしたが、すかさずアリーシアスにその役目を取られていた。


 彼女曰く、生徒に少しでも運動をさせるため。


 意外にシンプルな理由だった。


 また、歴史ある学院校舎とは異なり、学生寮は比較的新しい建物である。


 何でも数年前に建て直されたそうだ。


 学生寮は淡い灰色の石材で建てられており、その壁には上部を緩やかな弧で描いたアーチ窓が規則正しく並んでいた。

 その奥が、生徒たちへ割り当てられた部屋だった。


 屋根には朱色の瓦が用いられ、全体的にモダンな印象を受ける。


 その外観は生徒たちからも好評のようだ。


 入口には大きな両開きの扉が設けられており、その向こうには広い玄関ホールが続いていた。


 男子寮と女子寮に分かれ、その中央を繋ぐ通路には大きな食堂があった。



 中へ入れば、内装もまた新しい。


 一階は談話室になっており、夕刻ともなれば授業を終えた生徒たちで賑わう。


 椅子や丸いテーブルが並べられ、試験前には即席の勉強会が開かれることも珍しくない。


 そこから少し奥へと入ると、各階へと続く階段があった。


 朝、生徒たちで溢れかえっても良いように、その幅は非常に広い。


 人が優に六人は横並びで通れるほどだった。


 そんな学生寮、男子棟の四階。


 ひとつの部屋の前で、三人は立っていた。


 目的の部屋へ辿り着くと、アリーシアスは扉を二度ほど叩いた。


 トントン。




------




 二度目のノックの後、やはり部屋は沈黙したままだ。


「反応、なしか」


 レイディルが呟くと、少し思案した。


「被害生徒は今怖がって寮に籠ってるんだよな?」


 その言葉にアルコイリスがコクリと頷く。


「ちょっとメモ貸してくれ」


 彼はそう言うと、アリーシアスからメモを受け取る。


「四課程生……か」


 レイディルはアリーシアスへと返す。


 そしてアリーシアスとアルコイリスを交互に見比べる。


「じゃあアルコイリスさん、声をかけてあげてください。あ、自分の名前も添えて」


「──あら」

「なるほど」


 二人はほぼ同時にレイディルの意図を理解した。


 学院でも名の知れた優秀な生徒が様子を見に来たとなれば、閉じこもっている相手も多少は安心するだろう。


 さらにアルコイリスは現役の在学生だ。


 卒業して間もないとはいえ、アリーシアスよりも今の学院生にとっては近しい存在だろう。


 ただそれだけの単純な理屈だったが、アリーシアスはどこか不服そうに半目で口を尖らせていた。



 トントンとアルコイリスがノックをする。


「六課程生のアルコイリスですわ。休んでいるという貴方のことが心配でお見舞いにきましたの。大丈夫かしら?」


 お化け騒動の話をいきなり切り出さず、お見舞いという形で声をかけたのは、彼女なりの気遣いなのだろう。


 三人が耳をすませていると、部屋の中からガタリと僅かな音が聞こえた。


 しばらくして、扉がゆっくりと開く。


 恐る恐る。


 その言葉が実に似合う開き方だった。



 扉の隙間から顔を覗かせたのは、青白い顔色の少年だった。


 怖々とした表情だったが、アルコイリスとアリーシアスの顔をみると、少し安堵の色を見せる。

 それと同時に、その後ろに立つレイディルへ当惑した視線を向けた。



「急に押しかけてしまってごめんなさいですわ」


 アルコイリスが柔らかな笑みを浮かべる。


「お加減いかがかしら?」


「は、はぁ……まぁ……」


 少年は緊張した様子で頷いた。


 それから改めてレイディルを見る。


「あの……そちらの方は?」


「ああ、この人は教会の方から来た人です」


 アリーシアスはさらりと言ってのけた。


「とても優秀ですよ」


(……確かに教会『の方』から昨日来たが……)


 レイディルが内心呟いた。

 加えて彼女はレイディルの何が優秀かと具体的に答えはしていない。


(なんだか詐欺みたいだな……)


 彼は口には出さず、応対は二人に任せることにした。


「そうですか……」


 選んだ単語が功を奏したのか、少年は少し安心したようだった。



「あ、立ち話もなんですし、中へどうぞ……」


 部屋の扉が開き切り、三人は中へと招き入れられた。


 室内は学生用の個室らしく質素な造りだ。


 机の上には数冊の本とノートが積まれ、壁際には本棚と衣装掛けが置かれている。


 その一角へ何気なく視線を向けたレイディルは、掛けられた制服をちらりと目に留めた。


 几帳面な性格なのだろう。

 制服はシワひとつなく、衣装掛けへきっちりとかけられている。


 机の上には小さな箱が置かれ、その中には制服から外したのであろうカフスが丁寧に収められていた。



「あ、失礼します」


 やはり体調が優れないのだろう。


 三人を部屋へ招き入れると、フィンはすぐ近くの椅子へ腰を下ろした。


 さすがに来客用の椅子など置いてないため、レイディルたちは立ったままだ。


「無理はなさらないでくださいまし」


 少年の顔色を見て、アルコイリスが声をかける。


「ははっ……ま、まぁ大丈夫です」


 そう答えたものの、あまり大丈夫そうには見えない。

 乾いた笑みを浮かべる少年へ、アリーシアスが小さく会釈した。


「えーっと、四課程生のフィンさん、ですね」


「は、はい、アリーシアス先輩」


 フィンは一層緊張した面持ちで答えた。


「私の方が年下なので、先輩と敬語はやめましょう」


「いえ、それはちょっと……」


 少年は困ったように視線を泳がせた。

 どうやら譲れない部分らしい。


 アリーシアスは仕方なく流すことにした。


「それで──」


 彼女は話題を切り替える。


「あなたの具合の原因でもある、例のお化け騒動についてお聞きしたいんですが」


 その瞬間。

 フィンの顔から血の気が引いた。


 青白い顔がさらに白くなる。



 少年は唾を飲み込んだ。

 震える手を握りしめる。


「……あ、その……あれは……」


 フィンは少し間を置いて、ぽつりと言った。


「……一週間ほど前の夜のことです」


 そうして彼は、ゆっくりと語り始めた。




~~~~




 その日、彼は日がどっぷりと暮れるまで三階の図書室に残っていた。


 調べ物に夢中になっていたせいで、帰る時間が遅くなっていたのである。


 学院内に他の生徒の姿はなく、残っているのはフィン一人だけだった。


 シーンと静まり返る校舎。


 昼間は賑やかな廊下も今は物音ひとつ聞こえない。


 フィンは遅くなり過ぎると寮の食堂が閉まることを危惧し、広げた本の後始末を始めた。


 やがて片付けを終えると、図書室を後にする。


 窓の外では風に揺れた木々がざわりと枝を鳴らしていた。


 既に先生方も帰ったのか、備え付けられた魔道ランプも最低限しか灯っておらず、頼りない明かりが長い廊下を弱々しく照らしている。

 その先は薄暗く、どこまで続いているのか判然としない。


 学院は古い建物だ。


 誰もいない夜ともなれば、僅かな風だけでも木材が軋む。


 ギシリ。


 足を踏み出す度に、古い床板が不気味な音を立てる。


 カタカタカタ。


 風に煽られた窓が震えた。


 分かっている。

 どちらも何の変哲もない音だ。


 それでも静寂に包まれた夜の校舎では、その一つ一つが妙に気になってしまう。



 やがて彼はお手洗いの前までやってきた。

 ここを抜けると階段だ。



 ぽたり……ぽたり……


 誰かが蛇口をしっかりと閉めていないのだろうか。

 水滴の滴る音が響く。


 ただの水音だ。

 何も怖がることはない。


 フィンは自分にそう言い聞かせながら進む。



 ずるり。


 どこかで何かを引きずる音がした。



 風の音でもない。

 水の音でもない。


 フィンは思わず足を止めた。


 耳を澄ます。


 だが、聞こえるのは蛇口から落ちる水滴の音だけだった。


 気のせいだろうか。

 そう思った、その時だった。


 ヒタ。

 遠くの廊下から足音が聞こえた。

 誰かいる。

 フィンは少しだけ安堵した。


 こんな時間まで学院に残っているのは、自分だけではなかったのだ。


 だが──


 ヒタ。

 ずるり。

 ヒタ。

 ずるり。


 その音を聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。


 歩いている。

 誰かが歩いている。


 けれど、その足取りは妙だった。

 まるで重たい何かを引きずりながら歩いているような……


 音は階段の方から聞こえていた。


 寮へ戻るには、あの階段を下りなければならない。


 フィンは唾を飲み込んだ。

 こんな時間だ。

 教師かもしれない。用務員かもしれない。


 そう自分に言い聞かせながら、足を進める。


 ヒタ……ずるり。


 音は続いている。


 やがて階段前の廊下へ辿り着いた。


 左右へ伸びるT字路。

 その時だった。


 ふいに、人影が横切った。

 右の廊下。


 階段の向こう側を、誰かがゆっくりと歩いていく。


 フィンは思わず息を呑んだ。


 月明かりに照らされたその姿はどこかぼんやりとしていて、輪郭が曖昧だった。


 制服を着ているようにも見える。

 だが、それ以上はよく分からない。


 その姿は音もなく廊下を横切る。


 そして、すうっと右の曲がり角の先へ消えた。


 何の音もなく、ただ静かに。


 まるで最初からそこにいなかったかのように。



 消えた。


 フィンの喉がごくりと鳴る。


 今のは何だ……誰だ。


 こんな時間に生徒がいるのか。


 いや──いたとしてもあんな風に歩くだろうか……


 彼は恐る恐る右の廊下へ視線を向けた。


 誰もいない。


 廊下は真っ直ぐ暗闇へと続いている。


 途中には講義室の扉が並ぶだけだった。


 扉が開いた形跡は無い。

 もし誰かが入ったなら、古い扉は音を立てたはずだ。


 冷たいものが背筋を伝う。



 その時──


 ぞわりと首筋を撫でるような感覚が走った。


 誰かに見られている。


 そんな確信だけが胸の奥に湧き上がる。


 フィンはゆっくりと振り返った。



 そこに──いた。



 階段脇の薄暗がり。

 いつから立っていたのか分からない。


 人影が一つ。

 じっとこちらを見ていた。


 魔道ランプの明かりがわずかに反射する。

 大きく丸く見開かれた赤い目。


 人のものとは思えなかった。

 全身から血の気が引く。



 声も出ない。

 動けない。

 

 影は一歩だけ前へ出た。

 ギシリ。

 床板が軋む。


 その瞬間。


 フィンの中で何かが切れた。

 逃げなければ。

 そう本能が叫んだ。




~~~~




「正直、そこからは無我夢中で……よく覚えていません……」


 そこで言葉を切ると、フィンは青ざめた顔のまま視線を落とした。

 膝の上で握られた手が小さく震え、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

 顔色は先程よりもさらに悪くなっていた。


「気がついたら、寮のベッドで布団に包まっていました……これで以上です」


「ありがとう、悪いな。無理させたみたいで」


 フィンが話し終わると、レイディルは彼に言葉をかけた。

 そして、ふとアリーシアスへと視線を向ける。



 すると、彼女は口を固く結び、指で耳栓をしていた。


「……それだと聞こえないだろ……」


「いえ……聞いていました。これは最後に……最後だけこういうポーズをしただけです」


 彼女が一点を見つめながら言う。

 ここでツッコミを入れるのも無駄なので、レイディルは彼女の隣へと視線を逸らした。


 そこには下唇を噛みながら、冷や汗を顔中に滴らせているアルコイリスがいた。


「……え、こっちもなのか……?」


 アルコイリスの予想外の反応にレイディルは戸惑う。

 しかし、すぐさま思考を切り替えた。


「えっと、フィンくん! 助かったよ! キミが安心して学院に通えるよう真偽を確かめてくるからさ!」


 優等生二人の醜態を誤魔化すため、レイディルは必要以上に力強く、そして不自然なほどさわやかに言い放った。

 本人にとってそれは苦し紛れに他ならなかった。


 フィンは一瞬だけ呆気に取られ、


「は、はい……」


 と曖昧に頷いた。




------




 次に向かうのは住宅街だ。

 メモの順番でいえば、次の聞き込み相手は一課程生の少女だった。

 道すがら、レイディルはふと口を開いた。



「そういえば机の上にあったカフス……銀色だったけど、アレも特別なものか?」


 フィンの部屋で見かけた小箱を思い出しながら尋ねる。

 銀色の星と水の印。


「あれは星水章(せいすいしょう)ですね。

属性で優秀な者に送られるカフスです。

月は実技。星は学術と覚えて貰えれば」


 先程までの彼女はどこへやら。

 普段と変わらぬ様子でアリーシアスが答えた。


「へぇ」


 レイディルは感心したように頷く。


「じゃあ、もしかして金色って相当凄いんじゃ」


「ええ! 煌章は複数属性において優秀と認められた者へ贈られるものですわ!」


 待ってましたと言わんばかりにアルコイリスが身を乗り出した。


「各煌章を与えられる者は、学院にそれぞれ一人ですもの!」


 彼の言葉に、アルコイリスが自慢たっぷりにそう答えた。


「とはいえ、今年度の星煌章はまだ誰も取得してはおりませんが」


 「月煌章は(わたくし)ですけれど!」アルコイリスは、そう言いたげにカフスがよく見えるよう腕を上げる。


「星煌章も目指していますわよ!」


 自信満々に言い切るアルコイリス。

 その言葉に、アリーシアスは星煌章の評価項目を思い浮かべた。


「筆記……は余裕そうですね。でもなぁ、口頭試問がなぁ……」


 顎に手を当て、そうブツブツと呟いていた。

 そうしてアルコイリスの方を見やると、一言。


「まぁ、頑張ってください……」

「ふふん、陽煌章も狙いますわよ」


 アリーシアスの何か言いたげな視線を気にも止めず、アルコイリスは高らかに宣言するのであった。


「陽煌章?」


 聞き慣れない名前にレイディルは首を傾げる。


「いちばん凄いやつって覚えとけばいいです」


 アリーシアスはそう答えつつ、メモに視線を落とした。


「あっ」


 突如として声を上げる。


「あら、どうしましたかしら?」


 どこか妙な言葉遣いだったが、アリーシアスは慣れた様子で受け流した。


「次に向かうソフィさんなんですが……」


 そう言って二人にメモを見せた。


 そこには彼女の元クラスメイトが、親切丁寧に追記を残している。


〈一課程生のソフィちゃんは、人見知りだから出来れば彼女のクラスメイトを連れていった方がいいよ〉


「もう少し早く気づいていれば良かったんですが……」


 アリーシアスが申し訳なさそうに眉を下げる。


「今から学院に戻るのも手間ですわね」


 アルコイリスも腕を組み眉を寄せている。


 住宅街までは既にそれなりの距離を歩いてきている。

 今から学院へ引き返せば、それだけで時間を取られてしまうだろう。


「なら、ひとっ走り行ってくるぞ」


 レイディルがあっさりと言った。

 二人が揃って彼を見る。


「多分、オレが行くのが一番早いだろ」


 レイディルは軽く屈伸をする。


「ですが、部外者がいきなり行って、着いてきてくれる一課程生はいるものですかね」


 学院において有名な自分とアルコイリスならいざ知らず、だ。

 アリーシアスが首を傾げる。


「そこは、大丈夫」


 レイディルは軽く笑う。


「心当たりがあるから」


 その言葉にアリーシアスは少しだけ考え込んだ。

 彼が学院へ来たのは今日。

 それでも心当たりと言える相手がいるらしい。


「そういうことなら……」


 彼女はすぐにメモへ視線を落とした。


「一課程生の講義室は東棟一階です。入口から入って左手の廊下を進んだ先ですね」


「おう!」


 レイディルはそう言って軽く手を振ると──

 次の瞬間には駆け出していた。


 レイディルの姿はみるみるうちに遠ざかり、あっという間に通りの向こうへ消えてしまった。


 アルコイリスはその背中を見送りながら、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。


「あら……随分お速いこと……」

「レイディルは鍛えてますから」


 何故か少し誇らしげにアリーシアスが答えた。


「あなたが自慢げなのですの?」

「……別に自慢してませんよ?」


 そう言いつつも、彼女はどこか満更でもなさそうだった。




------



 レイディルが走り出してから十分ほど。

 

 学院の門が見えた。



 レイディルは門を潜り、中へ入る。

 学院ももうじき昼なのだろう。中庭のベンチでお弁当を広げる者、休む者が見受けられる。


 食堂がある建物からは賑やかな声が聞こえていた。


 レイディルはアリーシアスの言う通り、東棟へと向かう。


 校内に入るとすぐに目的の講義室が見えた。


 すると、講義室入口の扉の上をマジマジと見つめる一人の女生徒の姿が目に入る。


「なにしてるんだ? ノエル」


 急に声をかけられたノエルは身体をビクリと震わせ、声の方向へ顔を向けた。


 声の主が分かると、彼女は安心したように表情を緩めた。


「あ、レイディルさん。これは扉にトラップが仕掛けられてないか確認しているんです」


 レイディルは彼女の隣へ立ち、同じように講義室の入口を見上げた。


「トラップって言うと、あの黒板消しの?」


「はい! 講義室に入る時はいつも見てます!」


「いつも……面倒くさくないか?」


「安心と引替えですよ!」


 レイディルは彼女が昨日お玉を両手に持っていたことを思い出す。


「お玉を二つ持っていたのは……」

「はい! 予備です!」


 どうやら彼女は慎重派のようだ、とレイディルは思った。


(慎重派というには、変わってるけど……)



「おっと、そうだ。ノエルは一課程生だよな?」


 レイディルは気を取り直して問いかける。


「はい、途中編入ですけど一課程生です!」


 ノエルは朗らかに答えてくれた。


「ソフィって()知ってるか?」


「年下の()ですけど、友達ですよ!」


 ノエルによれば、ソフィは十三歳。途中編入で十六歳の彼女とは三つほど年が離れているらしい。


「よし、思った通りだ」


 クラスメイトというだけでも十分だが、友達なら心強い。


「昼休みが潰れることになるけど、ちょっと頼まれてくれないかな?」


 ノエルは口に人差し指を添えながら、上を見上げしばし考える。


「んー……ルナちゃんも一緒でいいですか? 放っておくと、何も食べずにいるので」


 レイディルは一瞬だけ考え込んだ。


「どういうことだ?」


「んと、見ればわかると思いますよ」


 ノエルはそう言い、講義室の扉を開いた。


 講義室の中にはほとんど生徒はいない。

 皆、昼食を食べに出かけているのだろう。

 または昼休みを満喫するためにだろうか。


 そんな講義室の片隅。

 一番後ろの席に座り、外を見つめている少女がいた。


「ルナちゃん! ルナちゃん!」


 ノエルが大きな声をかける。

 しかし、返事はない。


「という感じです」


「あれはもしかして──」


「そうボーッとしてるんです!」


 レイディルは自分の顎をさすった。


「んん……間違ってたら悪い。

あの()が掃除に時間がかかる理由は、アレか?」


「はいボーッとしてるからです!」


 そうノエルに答えられ、レイディルは呆気にとられた。


(クールってわけじゃなかったんだな……)


「ルナちゃん」


 だが返事はない。


「ルナちゃん」


 だが反応はない。


「ルナちゃん!」


 三度目でようやく少女の瞳がゆっくりと動いた。


「……ん?」


「お昼だよ。何見てたの?」


「んー、自分の……まつ毛?」


 どうやら本当に気付いていなかったらしい。

 レイディルは思わず額を押さえた。


「一度スイッチ入っちゃうと、ルナちゃんはこうなんですよ」


 と、ノエルが明るく笑っていた。






 レイディルは事情を説明しながら、二人を連れて校舎を出る。


「なるほど……ソフィちゃんのところへ行くんですね」


「そういうことだ。昼なのに悪いな」


 レイディルは申し訳なさそうに、両手を合わせた。


「大丈夫です! 昼食を持ってきているので」


 ノエルはそう言うと、懐から縦長のパンを取り出した。


「ルナちゃん」


「ん」


 なんの疑問も持たずに、ルナが口を開いた。


「はい」


 ノエルはそう言いながらルナの口へとパンをねじ込む。


「むぐ」


「やっぱりぶどうのパンだよね!」


 満足そうに頷きながら、ノエルも自分のパンをかじる。


(なんだこれ……)


 二人のやり取りを横目で見ながら、レイディルは親鳥が雛に餌をやる光景を思い出していた。




------





 レイディルたちが住宅街へ戻ると、アリーシアスとアルコイリスはそれぞれ塀に背を預けていた。

 しかし、二人の距離感はなんとなく離れているようにも思えた。


 二人がこちらに気付く。


「お戻りになられましたわね」

「あぁ、連れてきたのはその二人でしたか」


 アルコイリスは待ちくたびれた様子も見せず、いつも通り優雅に微笑んだ。

 アリーシアスは納得したように頷く。


「お待たせしました! アリーシアスさんと……」


 ノエルが振っていた手をピタリ止めた。

 そしてアルコイリスをマジマジと見つめている。

 初対面だ、言葉を選んでいるのだろう。

 やがて何かに気づいたのか、口を開いた。


「どうも初めまして! 私はノエルです!」


 続けて彼女は両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。


「六課程生の縦ロールと言えば、私たちの間でも有名です!」


 あまり上課程生と関わり合いのない一課程生の間でも、アルコイリスの存在は知られているようだった。

 有名人に会ったという興奮がノエルの瞳を輝かせている。


「特に話題は縦ロールでもちきりです!」


「あら、(わたくし)はやはり有名ですのね!」


 アルコイリスは上機嫌にそう答える。


(縦ロールが有名なのか……)


 レイディルはそんな考えが頭を過ぎった。



 そのノエルの隣では、ルナがもぐもぐとパンを咀嚼している。


 アリーシアスの視線がルナの口元で止まった。

 口からはまだパンが半分ほど飛び出している。


 ルナは手も添えず、口だけでパンをカジカジと食べ進む。

 パンが徐々に口の中へと運ばれていた。


「か、変わった食べ方ですわね……」


 アルコイリスも思わず目を瞬く。


「昨日見た感じと……なんだか、違いますね」


 アリーシアスは動揺を隠せない。


「オレたちは本当のノエルとルナを知らなかったんだ……」


 レイディルはどこか遠い目でそう答えた。


「ノエルさんも、ですか……」


 アリーシアスの疑問に、彼は黙って首を縦に振った。



「?」


 アルコイリスは、意味が分からないといった様子で首を傾げていた。


「……まぁいいです。それじゃあ行きましょうか」


 アリーシアスは小さく息を吐く。


 一行は改めてソフィの家へ向かうのだった。





 ノエルとルナを連れた一行は、ソフィの家に着いた。

 ドアノッカーを叩き、家の者を呼ぶ。


 母親が応対の為に出てきたが、大人数を前に少々困惑していた。


 友達であるノエルとルナが、お見舞いに来たと言うと、母親は快く中へと案内してくれた。


「ソフィちゃん、私、ノエルとルナだよ。お見舞いにきたよ」


 ノエルがそう声を掛ける。

 すると、


「……ノエル、ちゃん?」


 部屋の奥から控えめな声が返ってきた。


「うん、ルナちゃんもいるよ」

「いる」


 その声に少し安心したのか、部屋の空気が僅かに和らぐ。


 そうしてノエルとルナは先に部屋へと入っていった。


 中では、ノエルが「それでね、あのことで実は他にも来てる人がいて」と説明しているようだ。

 ソフィの「あっ……」という声が聞こえた。


「大人数で押しかけてしまい申し訳ありません。部屋の隅にいますので、お話だけでも聞かせていただけないでしょうか」


 部屋の外からアリーシアスが声をかける。


「大丈夫、幽霊の真相を暴いてくれるらしいから」


 中ではルナがそう説得していた。


「あ、お話し、だけなら……」


 ソフィはそう言い三人を中へ招き入れた。


 彼女の部屋の中は中々に広く、六人居ても余裕だった。

 可愛らしい色使いのチェストや机が壁際に設置されており

 窓の傍にベッドが備え付けられている。


 そこにソフィは座り込んでいた。

 アリーシアスとほぼほぼ同じ程の体躯の少女だったが、雰囲気はとても大人しそうだった。


 ノエルとルナのお願いで中へと人を入れたとはいえ、落ち着かないのか、布団で口元を隠していた。

 視線もちらちらとノエルたちへ向いており、アリーシアスたちとはあまり目を合わせようとしない。


 レイディルは少女の部屋にずかずか入り込むのも気が引けたのか、扉の横へ控えるように立った。


 その様子を横目で見ていたアルコイリスは、どこか感心したようにレイディルを見た。



「それで、ソフィちゃん。あの夜のことなんだけど──」


 ノエルが切り出した。

 ソフィは布団をぎゅっと握りしめ、話し出した。



……

…………

………………



 ソフィの証言は、ほぼフィンと変わらないものだった。

 透けた人影。赤く大きな目。


 ただ何かを引きずるような音は聞いていないという。


「でも……うん。すごく怖かったから、もしかしたら思い出したくないだけかも」


 自信はないと告げる。


「だって、風で揺れる葉っぱの音も笑い声みたいに聞こえちゃってたし……水滴の音なんか、足音みたいに聞こえてたし……」


 当日のことは恐怖で記憶が混乱しているという。


 風の音が笑い声。 水滴が足音。


 壁際に立つアリーシアスは小さく顎に手を当てていた。



「参考になりました」


 怯えるソフィを前に、アリーシアスは少しだけ口調を和らげた。


「怖いのに、思い出させちゃってごめんね」


 そう続けると、彼女は優しく微笑んだ。

 珍しい言葉使いにレイディルもアルコイリスも、目を丸くしていた。


「お話、ありがとうございました」


 アリーシアスはソフィへと一礼をする。


「さぁ、次へ行きますよ。二人とも」


 二人の反応を澄ました顔でスルーし、アリーシアスはソフィの部屋を後にした。





 ソフィの母親にも礼を述べ、一行は家を後にした。


 ノエルとルナは最後に少しだけソフィと話していくと言い、部屋へ残った。


 アリーシアスはメモに視線を落とす。


「次は──」


 言いかけていると、玄関の扉が開く。


「待ってくださーい!」


 後を追うように、ノエルとルナが家から出てきた。


「どうした?」


 レイディルが振り返る。


「ソフィちゃん、私たちと話したら少し元気が出たみたいです!」


 ノエルは嬉しそうにそう言った。


「おっ! それは良かった!」


 レイディルも自然と笑みを浮かべる。

 その隣でアリーシアスも小さく口元を緩めていた。


「誘ってくれて、ありがとうございました」


 ルナがぺこりと頭を下げた。


「いや、オレたちの方こそ助かったよ」


 レイディルがそう返すと、ノエルもルナもどこか嬉しそうに笑った。


 その時だった。


 ゴーン──


 遠くから鐘の音が響いてくる。

 昼休みの終わりを告げる鐘だった。


「あっ……やばい!」


 ノエルの顔色が変わる。


「急ぐよルナちゃん!」


「えー……もう手遅れだし……」

「よくないの!」


 ノエルはルナの手を掴むと、そのまま学院の方へ駆け出した。


「あー」


 ルナの間の抜けた声だけが残る。


 二人の姿はみるみるうちに遠ざかっていった。

 その様子を見送りながら、アリーシアスは隣のアルコイリスへ視線を向ける。


「なんですの?」

「お昼休み、終わりましたよ」

「終わりましたわね」


 アルコイリスはあっさりと頷いた。

 そしてアリーシアスの意図を察し、彼女は重ねて言った。


「安心してくださいまし。許可は取ってありますので!」


 得意げに胸を張るアルコイリス。


「……そうですか」


 アリーシアスは小さく肩を落とした。

 傍ではレイディルが苦笑している。


 そうして三人は、次の被害生徒のもとへ向かうのだった。

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