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鋼騎のヴァルストルム  作者: 小春ささら
王都・魔術学院編
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76/76

69話曇天―くもりぞら―

 夜の魔術学院は、昼間とはまるで別の顔を見せていた。


 あんなに晴れていた空も、雲が覆い月光を隠す。


 校舎の窓から漏れる灯りはほとんどなく、静まり返った敷地には風の音だけが響いている。


 昼間は大勢の生徒で賑わっていた石畳も、今は誰一人として歩いていない。


 門をくぐったレイディルは思わず周囲を見回した。


「昼と全然違うな……はははっ、これじゃ学院というより、お墓みたいだ……」


 レイディルが冗談めかして、乾いた笑いを出す。


「やめてください」


 アリーシアスが即座に返した。

 アルコイリスは無言を貫いている。


 一行は直進し、そのまま校舎の中へ。


 暗さのせいか、雰囲気のせいか。

 湿気を伴ったじっとりとした生暖かい空気が、身体に纏わりつくかのように感じた。


 木材の床は歩みを進める度にギッギッとなっている。


 校舎の中は薄暗く、新設されたという魔道ランプが頼りない明かりを落としていた。


 レイディルは自前の魔道ランプを片手に下げ、辺りを照らす。


 道すがら、彼は何気なしに講義室の中を覗き込んで見た。 


 真っ暗な講義室は当然人の気配など無く、ただ静かに明日の授業開始を待つのみだ。


 講義室の壁に掛けられた時計は午後九時を指していた。


「みんなが幽霊を見たってのは、この時間辺りか……?」


 普通に喋ることもできるはずだが、レイディルは周りの雰囲気に流され、声を押し殺すように話す。


「『気が付けば』と言っていた方が多いので……詳しい時間は分かりませんが……」


 レイディルの身体を盾にするように、その影に隠れるアリーシアス。


 更にアリーシアスの背後にはアルコイリスがぴたりと張り付いていた。


「歩きにくいんだが……」


 レイディルはそう言葉を漏らす。


「恐らく、これが今一番の完璧なフォーメーションですわ」

「この場に限っては同意ですね……」


 彼女ら二人の謎の力説により、レイディルの苦言は無きものとされた。



 やがて上階へと続く階段の前へとたどり着く。


 ただ上へと続く階段も、夜の校舎ではそのまま闇へ飲み込まれるのではないかと思うような、影へと繋がっている。


 レイディルが一段上がる度、その袖が後ろへ引かれる。


 どうやらアリーシアスが掴んだまま離していないらしい。


(せめて階段上がる時は離してほしいんだが……)


 レイディルはそう思ったが、離すと二人とも進みそうに無いので黙認しておくことにした。



 一行はゆっくりと二階へと上がる。


 静まり返った廊下には三人の足音だけが響いていた。


 外では風が吹いてきたのか、窓がカタカタと震える。

 どこかに隙間でもあるのだろう。ヒューヒューと、まるで誰かの呼吸のような風音が廊下を通り抜けた。


「……イリス……後日、用務員さんに隙間風が入っていると伝えておいてください」

「ええ、承知しましたわ……」


 そんな不気味さから意識を逸らすように、二人は軽口を叩いていた。



 アリーシアスが不意に足を止める。


「やっぱり変です……」


 彼女は辺りを見回しながら呟いた。


「どうした?」


 レイディルが振り返る。


 アリーシアスは辺りを恐る恐る見渡す。


「夕刻に見た上階でも感じたんですが……なにかが、おかしいんです」


 そう言って廊下の奥へと目を向ける。

 しかし答えは見つからない。


「なにか分かったんですの?」


 アルコイリスが尋ねる。


「いえ……全く……」


 即答だった。

 アリーシアスは小さく息を吐く。


「あぁ、こんなことなら昼間にここへ来ておくべきでした……」


 そう呟く彼女だが、その表情はどこか浮かない。


 だが、それ以上に。

 もし昼間のうちに違和感の正体を掴めていれば、今頃はもっと話が早かったかもしれない。


 彼女はそんな気配を漂わせていた。


「来なきゃ幽霊も見られないだろ」


 諦めろと言わんばかりに、レイディルは軽く肩を竦める。


「それは……そうなんですけどね……」


 アリーシアスは苦々しい顔で返した。

 被害生徒たちの証言だけでは分からないこともある。

 実際に現場へ立つ。

 彼らと同じ時間、同じ場所を見る。

 それが調査には必要だ。

 頭では理解している。


 理解しているのだが、感情はまた別問題だった。


「……大丈夫ですわ」


 アルコイリスが弱々しく胸を張る。


「もし本当に幽霊が出たら、レイディルさんが何とかしてくださいます」


「……なんでオレなんだ」


「だって一番前ですもの」


「オレは生贄か……」


 レイディルは呆れたように返す。

 しかし二人は当然と言わんばかりの顔をしていた。

 結局、隊列は変わらないまま。

 三人は被害生徒たちが目撃したという場所へと向かうのだった。





 三階、階段前へとたどり着く。


 相も変わらず風で窓が揺れている。


 レイディルの影からアリーシアスが顔を出し、周りを注意深く見つめている。

 ただし目は閉じ気味で……それでも薄く開き眉間に皺を寄せながら見ていた。


「……別段……変わったところはありませんね……」


 何も無いと分かると、彼女はレイディルの後ろから少しづつ出てくる。


「い、今何もないからといって、このままとは限りませんわ」


 アルコイリスの言葉にアリーシアスはビクッと一瞬身を震わせた。


 レイディルは左右に伸びる廊下へと目を凝らす。

 廊下は真っ直ぐ暗闇へと続いている。

 途中には講義室の扉が並ぶだけだった。


(フィンくんの証言通り、か……)


 そして二人から離れ、前方へと伸びる廊下へと踏み出す。


 背後で「ああっ」という声が聞こえた気がした。


「変わりなし……」


 レイディルはお手洗いの前まで進み、後ろを振り返る。


 締め付けが悪いのか、フィンから聞いた通り水滴が落ちる音がしていた。


 そうしているとアリーシアスとアルコイリスが、小走りでレイディルの元へと駆けつけた。


「か、勝手に動いて何かあったらどうするんですか」


「いや……特に危険はないみたいだ……」


 レイディルは顎に手をやりながら床、壁、天井と見渡していた。

 壁には魔道ランプ。


「夜だから明るさは落としてるんだな」


 校内が微妙に薄明るいのはそのためだろう。


 レイディルは講義室の中を見る。


「九時二十分……」


 何も起きない。

 待ち人ならぬ待ち幽霊は現れず、暫し待つこととなった。

 もちろんアリーシアスは不満な顔をしていた。



 九時半。 十時……


……


…………



 どれくらい待ったのか。

 レイディルは階段正面のお手洗い横の壁で、背を預けるように待機している。


 アリーシアスとアルコイリスは、その正面。

 窓の横にそれぞれ立っていた。


「何分経ったかしら……」


 被害生徒の証言した現場で、待ちぼうけ状態。

 アルコイリスは痺れを切らしたのか、十分(じっぷん)置きに時間を聞いてくる。

 その度に、レイディルは階段前の右廊下の講義室の前へと移動し、時計を確認する。


「今、十時半だな」


「今日はもう、出ないんじゃないですかね」


 であれば無駄な時間だ、と言わんばかりのアリーシアス。


 レイディルは腕を組み、薄暗い廊下を見渡した。


「フィンくんの証言通りなら、この辺りのはずなんだがな……」


「何も起きませんわね……」


 アルコイリスは胸を撫で下ろしていた。


 しばしの沈黙。


 やがてレイディルは階段の奥へと続く廊下へ視線を向けた。


「うーん、少し場所を変えてみるか」


「「えっ」」


 即座に二人が反応する。


「別にここだけに出ると決まったわけじゃないだろ。離れすぎない程度に周りも見てみたほうがいいかも」


「いえ、十分(じゅうぶん)待ちましたし……見える範囲にも出てませんし……」


 アリーシアスが渋る。


「廊下の奥とか、暗くて良く見えてないだろ?」


「んぐ……」


 魔道ランプがあるとはいえ、廊下の先は闇。

 加えて空は厚い雲に覆われており、月の光の助けも望めそうになかった。

 階段前のここからでは闇の中は確認のしようがない。



「はぁ……」


 不服そうにしながらも、結局アリーシアスは意を決し、レイディルの後をついて行くことになった。


 三人は階段前を離れ、右側の廊下へと足を向ける。


 講義室の扉が並ぶ廊下はどこまでも静かだった。


 足音だけが木の床へ響いている。


 やがて廊下の突き当たり付近まで辿り着いた。



……


…………



「うーん、出ないな……」


 突き当たりの壁の前でレイディルが口を開く。

 相変わらず何も起きない。


 廊下を風が抜けた。 窓がカタリと鳴る。


 彼から数歩離れた位置、講義室の扉の向かい側の壁に立つアリーシアスは僅かに安堵しながら息を吐く。

 その隣ではアルコイリスが腕を組み、人差し指をトントンとしていた。


「今、何時だ……?」


 彼は壁から背を離し、講義室へ視線を向けた。


「あ、私が見てきます」


 アリーシアスが先に口を開いた。



 講義室は目の前だ。

 わざわざレイディルが確認するほどでもない。


「そうか?」


「ええ、近いですし」


 そう言ってアリーシアスは数歩だけ前へ出る。


 講義室の中は薄暗く、机と椅子の影が整然と並んでいた。


 アリーシアスは扉の小窓から中を覗き込む。


「十一──」


 言いかけたその時。


 ふいに廊下が明るくなる。


「!」


 突然の光にアリーシアスは思わず息を呑む。

 雲の切れ間から月光が差し込んだのだ。


「な、なんだ……雲が晴れただけ……ですか」


 不意打ちのような晴れ間だった。

 窓から差し込む月の光に、アリーシアスは安堵に胸を撫で下ろした。


「明るければ怖くありません……いえ、怖いわけじゃないです、断じて」


 そう言い訳じみた言葉を呟いた瞬間。



 視界に影が横切った。




 アリーシアスはゆっくりと確かめるように、首を左へと振る。

 離れた二人は何も言っていない。

 だがその顔は先程までとはうって変わっているようだ。



 左へと向き終えたアリーシアス。


 その視界には──




 顔。


 青白い。


 その顔がアリーシアスのすぐ横にある。


 至近距離だと言うのに、その輪郭は朧気で定かではない。

 目は? 鼻は? 口は?

 それら全てがあやふやだ。


 永遠にも似た数瞬。


「ひっ……!」


 瞬間、鼓動が跳ね上がる。


 叫びたいが上手く声が出ない。

 逃げ出したいが足が動かない。


 彼女は一歩後ろへ下がろうとして。

 足がもつれ、よろめく。


 倒れそうになった寸前。

 その何かが腕へ触れた。


 ドタッという音が廊下に響く。


()っ……!」


 尻もちをついた衝撃でアリーシアスは思わず固く目を閉じた。


 そして、なにが起こったのか。

 なにが()()のか。


 それを確認するため恐る恐るゆっくりと、薄く右目を開いた。


「……」


 居ない。


 先程までは確かにいたはずだ。

 だが今はいない。

 文字通り影も形も。



 アリーシアスが呆然としていると、レイディルとアルコイリスがそれぞれ駆け寄ってくる。


「大丈夫か!?」

「お、おおお怪我はありませんの!?」


 二人のその声色は焦りを含んでいた。




 アリーシアスは幽霊と接触したであろう、自身の右腕を見やる。


「……」


 アリーシアスの元へと来たレイディルが辺りを見回している。

 アルコイリスは心配げに見つめていた。


「あ、ええ……なんともないです」


 幽霊が接触した場所は、特に変わった様子も無かった。

 アリーシアスは早鐘を打つ心臓が落ち着くのを待ち、アルコイリスに差し出された腕を掴み立ち上がる。


 彼女はアルコイリスに短くお礼を告げると、不思議そうな顔をしていた。


「ゆ、幽霊……いた、んですよね?」


 そう呟くと、アリーシアスはレイディルたちへと視線を向けた。


「……二人には、どう見えましたか?」


 二人を交互に見比べ、そう問いかけた。


「そうだな……透けてたな……向こう側のアリーシアスが見えるくらいには」


 レイディルは腕を組みながら答える。


「えぇっと、あの……ええ、そう、一緒……一緒ですわ!」


 アルコイリスはなにやら舌が回りきっていない様子だ。


「カルムくんの証言だと、後々(あとあと)赤くなったらしいから、しばらくは様子見の方がいいか」


 レイディルはアリーシアスの腕に目をやり、そう告げる。


 アリーシアスは返事もそこそこに、視線を周囲へと巡らせていた。


 先程まで何も無かった。

 だというのに、幽霊は突然現れた。


(ただの神出鬼没か、それともなにか切っ掛けがあった?)


 そう思考を巡らせながら、辺りを観察する。


 だが、いくら目をこらしてもなにかが変わった様子はなかった。


「ア、アリーシアス?」

「あ、はい」


 アルコイリスの声に、ハッと我に返る。


「……なにか分かりまして?」

「いえ……なにも……」


 その後も粘ってみたものの、幽霊は再び現れず、レイディルたちは結局、日付が変わる頃には学院を後にした。



……




 夜道を一人で帰らせるわけにもいかず、まずはアルコイリスを自宅へと送り届ける。


 彼女の家はエングラム家以上の屋敷だった。

 屋敷の前には数名のメイドと執事がお嬢様の帰りを待っていた。


「収穫はほとんどありませんでしたけれど……一応、幽霊は見られましたわね」


 アルコイリスはそう言うと、小さく肩を震わせた。


「できれば、あまり見たいものではありませんでしたけれど……」


 その顔は少し青ざめている。

 どうやら幽霊を見た衝撃は、時間が経っても消えてはいないらしい。


「ですね……」


 アリーシアスも疲れたように息を吐いた。


「それでは、お二人とも。また明日」


 アルコイリスはそう言って一礼する。

 その言葉にアリーシアスは一瞬だけ眉をひそめた。


(明日もかー……)


 そんなことを思ったが、口には出さない。


「ああ、おやすみ」


 レイディルが軽く右手を上げる。


「おやすみなさいませ」

「……おやすみなさい」


 三人はそれぞれ挨拶を交わした。

 そしてアルコイリスは、待ち構えていた使用人たちと共に屋敷の中へと戻っていく。


 その背中を見送った後、レイディルとアリーシアスもまた帰路へとつくのだった。




 アリーシアスの家に着くと、フェリシアが玄関で出迎えてくれた。

 娘を見てホッとしたような顔をしている。


 レイディルたちは帰宅の挨拶を済ませ、そのまま屋敷の中へと入った。


 レイディルたちが学院へ行っている間に、どうやらウェリティアは戻ってきていたらしく、今は部屋で休んでいると老執事が教えてくれた。


 その日は軽くお風呂を済ませ、レイディルたちは就寝で一日を終えた。






 次の日の朝。

 鳥が鳴き始め、日が顔を出しかけるそんな早朝。


 白き街エルミナには、まだ影が落ち、白く染まりきってはいない時間。


 メイドに見送られ、レイディルは朝の日課をこなすため街へと出た。


 もっとも、優雅な散歩ではない。


 いつも通りのランニングである。


 門を出て、繁華街へ。

 昨日、訪れた繁華街は、どの店もまだ開いていない。


 露店も準備前。

 通りを歩く人影もほとんどない。


 朝早くから仕事をはじめているパン屋から漂う焼き立ての香りを横目に、レイディルは一定の速度で走り続ける。


 繁華街を抜け、学院前の通学路を横切る。


 やがてジルベルトが宿泊する宿の前を通る。

 流石にこの時間では宿も静かなものだ。


 レイディルはチラリと窓を見る。

 あのどれかひとつにジルベルトがいる。

 王都暮らしの自分たちが、離れたエルミナにいると考えると不思議な感じがした。



 宿を後にし、さらに走る。



 そうして教会へと続く道に辿り着く。


 レイディルはそのまま足を向けた。


 朝焼けを反射し、夕方とは違った装いを見せる鏡面水盤。

 その傍を箒を持った少女が懸命に掃除をしていた。


 もとい少女、ではなくカトレアだ。


 小柄な女性は朝早くから落ち葉を掃いている。

 そうして彼女はレイディルに気がつくように、顔を上げた。


「あら、随分と早いのね」


「おはようございます。カトレアさんこそ、こんな早朝に一人で掃除ですか?」


 レイディルの言葉にカトレアは微笑み、おはようと返して続けた。


「そうね、責任者たるもの、いの一番に起きて一番遅く寝る。そして全てをこなす。それが当たり前だもの」


 彼女の返事にレイディルは大変だ、と声を漏らした。

 しかし、その声にカトレアは悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「フフッ……ウ・ソ。本当は自分の教会はいつ来ても綺麗に見てもらいたいから、というところかしら」


 朝から祈りに訪れる者や観光に来る者、その来訪者たちのために彼女はこの時間から掃除をしているという。


「もちろん教会には掃除当番のシスターもいるけれど……自分でしたいから」


 拘りだとカトレアは言う。


「どちらにしろ立派ですね」


 そんな彼女にレイディルは感心していた。


「あら、その感心はキミに返すわ。

キミも早朝の運動で立派だもの」


 カトレアは口に手を当て、クスリと笑った。


「ところで、別に祈りを捧げに来た、という訳でもないのでしょう?」


「ええ、運動がてら裏に停めてあるヴァルストルムの様子を見に来ました」


 そう答え、教会を見上げた。

 朝日が青い屋根を照らし、爽やかな彩りを周囲に広げていた。


「いや、祈りを捧げるのも悪くない、か?」


 彼はそう呟いた。

 カトレアは首を傾げて不思議そうな顔をしている。


「何かお困り?」


「困るって言うほどのことじゃないんですけど──」


 レイディルは学院で起こっているお化け騒動について簡単に説明した。


「へぇ幽霊、ね……」


「聖職者的に、なにかわかりますか?」


「いいえ、そう言った事例は特に聞いたことがないわね……」


 カトレアは腰に手を当て考え込んでみるも、心当たりは無さそうだった。


「聖職者と言っても幽霊の専門家ではないもの」


 カトレアは肩を竦めた。


「聞いても怪談話とか、その程度ね」


 昨夜の出来事がなければ、レイディルも同じことを言っていただろう。


「まぁ、もし何かあれば私かマリーに声をかけて頂戴。

……そうね、マリーなんかは喜んで手伝ってくれると思うわよ」


 カトレアの言葉にレイディルは頷いた。


「ありがとうございます、もし必要ならお願いします」


 そう礼を告げると、レイディルは教会の裏手へと向かう。

 後ろではカトレアが手を振って見送ってくれていた。



 教会の裏には変わらず機動馬車があった。

 その上に鎮座するヴァルストルム。


 変わりなき愛機にレイディルは、ひとつ頷いた。


 すると荷台の上、ヴァルストルムの足元だろう、そこからガチャガチャと音がした。


 レイディルは確認のため、荷台横に添え付けられた梯子を登り、上へと上がる。


 ヴァルストルムの足下ではクラウス博士が魔道ランプの明かりを頼りに、整備をしていた。


「こんな朝早くにメンテナンスの続きですか?」


 急に声をかけられ、クラウス博士の背中がビクッと震える。


「うわっ、びっくりした……レイディル君か……」


 そう言いながら振り向き、工具を足元へと置く。


「ほら、走ってる時に整備してただろう? 今はより細かい部品の交換をしててさ。こればっかりは揺れてない時じゃないとね」


 博士は笑いながら頭を掻く。


「もちろん機動馬車は揺れなんてほとんどないけどね!」


 自分の自信作をこれでもかと誇った。


「しかし、君も早起きだねぇ……」


「まぁ日課をチョット」


「トレーニングかい?」


 レイディルの頬を伝う汗を見て、クラウス博士はそう推察した。

 正解、とばかりにレイディルは頷いた。


「僕の方は、昼は忙しくてね。

ヴァルストルム君を万全にしておきたいと思ったらこんな時間しか空いてなかった、というわけさ。

もっとも、自分のスケジュール管理が甘いと言うか、案件が重なったというか、そんな感じなんだけどさ」


 博士のその言葉は若干の不満が含まれていた。


「時間はいくらあっても足りないねぇ」


 そうボソッと呟いている。


「そういえば、博士の用事ってなんなんです?

ウェリティアも忙しそうでしたけど」


 昨日ウェリティアが遅くに帰ってきたことを思い出し、レイディルは博士に問いかけた。


「んー、港の戦いがあっただろう?」


 レイディルは黙って頷いた。


「昨今のギガスは鎧を装備している。加えて大型ギガスには効果が薄い。ついでに射程の問題もある」


 博士は指をひとつ、またひとつと立てていく。


「つまり現状の兵器じゃ足りないってことさ。まったく、問題点を並べるのは簡単なんだけどねぇ……」


 博士は口を尖らせながら続ける。


「……ということで、だ。新兵器の開発をしろって言われたのさ。それも早急に……おかげで技術開発局のみんなは大わらわ……ハァ~」


 そうしてクラウス博士は、深いため息をひとつついた。

 博士はなおも「時間があればねぇ」と呟いている。


「兵器……なにか案はあるんですか?」


 レイディルのその言葉にクラウス博士は待ってましたと言わんばかりに目を輝かせた。


「ああ、もちろん! 具体的にはまだ勿体ぶってたいから言わないけど、魔術との合わせ技的な兵器さ!」


「勿体ぶってたい……」


 レイディルは半目になり、その言葉を反芻した。


「いや、技術者的には、ほら……完成品を見せて驚かせるのが本懐なところあるし……」


 博士は取り繕うように言葉を吐いた。


「まぁ、偉い人らには経過報告しなきゃなんないんだけどさ……レイディル君は完成品見せたら欲しい反応くれるもんだから……それが楽しくって」


 と、クラウス博士は申し訳なさそうに頬を掻いている。


 レイディルは自分がそんな反応をしていたのか、と腕を組み唸る。 

 思い返してみれば、博士の発明品を見るたびに驚かされていた気がする。


「確かに博士の開発したものは全部凄いですね……」

「だろう!?」


 博士は満面の笑みで答える。


「そういえば兵器といえば、ちょっと相談が」


「んん、なんだい? 改まって」


 突然のレイディルの言葉に博士はきょとんとした顔で聞き返した。


「実はヴァルストルム(こいつ)に非殺傷武器は付けられないかと……」


 レイディルはヴァルストルムを見上げ、そう言った。

 クラウス博士は直ぐに意図を察し、頷いた。


「前の戦い……リオ参道で、人間相手に躊躇してる間に逃げられかけたんで、何とかできないもんかと」


「なるほどね、ヴァルストルム君の力じゃ相当気を使わないと、人間を握ることも難しそうだ」


 レイディルは首を縦に振った。


「んー、直ぐには難しいかもだけど、隙間時間でなにか考えておくよ」




 レイディルは荷台から飛び降りクラウス博士と別れる。


「じゃあ、博士無理しないで下さいね」


「君もね」


 そう言葉を交わし、レイディルは教会を後にする。


 冷たい朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、再び走り出した。

 太陽はようやく地平線から顔を覗かせ始めたところだった。


 白き街エルミナは、ゆっくりと夜の色を脱ぎ捨てていく。

 建物の白い壁が朝日を受けて淡く輝き始める。

 石畳にも柔らかな光が落ち、長く伸びた影が静かな街並みに横たわっていた。


 開店準備を始める店。

 朝食の支度をする家々。

  少しずつ人の気配が増え始める。


 街は静かに目を覚まし始めている。


 レイディルは一定の速度を保ったまま、街の外れへと向かった。




 街外れにある広場、その一角に辿り着く。


 すると奥の方、木々の間から何かが飛ぶのが見えた。


「ん?」


 レイディルは足を緩める。


 それは水の魔術だった。

 泡のように宙へ浮かび、ふわふわと揺れながら進んでいく。


 やがて前方の的へと当たる。


 泡はパチン、と小さな音を立てて弾けて消えた。


 レイディルは魔術が飛んできた方角を見やる。


 すると見慣れた縦ロールが見えた。




「ふぅ……」


 アルコイリスが一息つく。

 そんな彼女にレイディルは声をかけた。


「朝から魔術の訓練だなんて、立派だな

ここは魔術使ってもいい場所なのか?」


 声を掛けられたアルコイリスは振り返る。


「あら、レイディルさん」


 そこにいた人物を認めると、彼女は小さく微笑んだ。

 昨日の制服ではない。

 動きやすさを重視した薄手の上着に細身のズボン。

 装飾も最低限で、運動に励むような格好だった。


 それでももみあげを縦ロールに整えている辺りは、いかにもアルコイリスらしい。


「ええ、学院管理の訓練場ですわ。授業でも使いますし、申請すれば生徒も利用できますの……ちょっと離れていますけれど」


 そう説明すると、彼女は首を傾げた。


「レイディルさんこそ、朝のお散歩ですの?」


「ランニングだな」


「お話の通りですのね……まぁ、ご熱心ですこと……」


 アルコイリスは昨日のことを思い出し、口に手を当てながら感心したように呟く。


「熱心なのは、お互い様だな」


「ふふっ、そうかもしれませんわね」


 アルコイリスは楽しそうに笑う。

 レイディルもつられて口元を緩めた。


 それからレイディルは空を見上げる。


 太陽は既に昇り朝食頃の時間になっていた。


「それじゃ、オレはそろそろ行くかな」


 そう言うと、彼は踵を返す。


「あら、もう行かれますの?」


「日課の途中だからな」


 レイディルはそう答えるなり走り出した。


「あっ、レイディルさん」


 背後からアルコイリスの声が飛ぶ。

 レイディルは速度を落とさず、軽く振り返った。


「申し訳ありませんけれど、本日は授業がありますの。

ですので、お昼の捜査にはご協力できませんわ」


 アルコイリスの声が朝の広場に響く。


「アリーシアスにもよろしくお伝えくださいな!」


 レイディルは前に向き直ると、そのまま右手をひらりと上げた。

 分かった、とでも言うように。


 そのまま彼の背中は朝日に向かって遠ざかっていく。


 アルコイリスはそんな姿を見送り、小さく微笑んだ。


「まったく、本当にご熱心ですこと」



------




 レイディルが屋敷へ戻ると、ちょうどアリーシアスも出発の準備を終えたところだった。


「おはようございます」


「おはよう」


 レイディルは軽く手を上げる。


「そういえばさっき、アルコイリスさんに会ったぞ」


「イリスに?」


 アリーシアスは少しだけ目を丸くした。


「学院の訓練場で魔術の練習してた」


「ああ……彼女も早朝の鍛錬は好きですからね」


 いつものことだと、呟く。


「今日は授業があるから、捜査には来られないらしい」


「……そうですか」


 アリーシアスは短く答えた。


「優等生が、連日授業抜けるわけにもいきませんしね」


 アリーシアスは小さく肩を竦める。

 学生が学業を優先するのは当然だ。


「なんだ、寂しそうだな?」


 レイディルが意地悪く言った。


「まさか。静かになっていいくらいですよ」


 そう返したものの、彼女はどこか腑に落ちない顔をしていた。


「では、行くとしましょうか」


 気持ちを切り替えるようにそう言って、アリーシアスは歩き出した。


 空はどんよりとしていた。


 どうやら、一雨来そうだ。

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