65話「リグレア魔術学院」
エルミナの朝は、爽やかな空気に包まれていた。
住宅街を抜けると、昨日は人通りの少なかった通りにも朝の気配が広がり、行き交う人々の足音や店を開く物音が静かに響いていた。
朝日に照らされた白い街並みの中を、レイディルとアリーシアスは並んで歩いていた。
物珍しいのか時折キョロキョロと辺りを見渡すレイディル。
そんな彼の様子を意に介さず、アリーシアスは話題を切り出す。
「……そういえば」
不意に、アリーシアスが口を開く。
「先程、母さんを見ていましたよね」
「んん!?」
レイディルは一瞬、なんのことを言われているのか理解できなかった。
「そりゃあ見送りに来てくれてたし……」
その返答にアリーシアスはすかさず言葉を出す。
「いえ……胸ですよ、胸!」
「ぶっ!?」
とたんレイディルは盛大にむせた。
「な、なにを……!」
「別に責めてません。見ていたのは事実ですし」
出かけ間際にアリーシアスが言った「……まぁ、許してあげましょう」とは、このことだったのか、とレイディルは思い至る。
「いやその、すぐに……すぐに目は逸らした……!」
しかし、彼は弁明した。
せずにはいられなかった。
見てしまったこと自体は事実だ。
だが、だからといって食い入るように見ていたわけではない。
そこは違う。違うのだ。
だが、その弁明はアリーシアスにとってはなんの意味ももたなかった。
どころか──
「なんでしっかり見ないんですか!」
なぜかレイディルは怒られた。
「ちょ、ちょっと待て! そんなこと出来るわけないだろ!?」
レイディルは慌てて周囲を見回した。
幸い辺りに人通りはない。
「大丈夫です。ちゃんと人がいないことくらいわかって喋ってますよ」
「何も大丈夫じゃないが!?」
そもそもがそんな話は外ですることではない、とレイディルは付け加えた。
「いや、家の中でもするこっちゃないが……」
レイディルの言葉にアリーシアスは、これみよがしに大きくため息をつく。
「はぁ~、勿体ない、実に勿体ない……あんな立派なものをしっかり目に焼き付けないなんて……」
「無茶苦茶言ってるぞ……」
どうやら彼女的に、フェリシアは余すことなく自慢できる母のようだった。
その後もしばらく、アリーシアスは母親の良さを延々と語っていた。
二人がそんなやり取りをしながら歩いていると、周囲には同じ格好をした若者たちの姿がちらほらと増えてきた。
外套のような短い濃紺のケープに、首元には丸い宝石をあしらったリボンタイ。
中にはベストと白いシャツを着込み、その袖口には学院生であることを示すカフスが取り付けられている。
服装自体は統一されているものの、下はズボンだったりスカートだったりと多少の違いはあるようだ。
レイディルが彼らの服装を興味深そうに眺めていると、アリーシアスが反応した。
「あぁ、あれはリグレア魔術学院の制服ですね」
「へぇ、じゃあアリシアもアレを着てたのか」
「着てましたよ。流石に毎日服を選ぶのは面倒ですし」
そう言いながら、アリーシアスは制服姿の学生たちへ視線を向ける。
「学院の門は広いので、逆に年齢を重ねてから学びに来る者もいます。そういった方々は、やはり大人が制服を着るのは恥ずかしいらしく……」
様々な事情から私服が認められている、と彼女は説明した。
「まぁ、それはちょっとわかるかもな……」
レイディルたちが学生の流れに混ざるように歩いていると、後ろから聞き覚えのある声が飛んできた。
「おーい!」
振り返ると、そこにはノエルとルナの姿があった。
二人とも先日まで着ていた修道服ではなく、今は学院の制服に身を包んでいる。
「おはようございます!」
「おはよう……アリーシアスさん、レイディルさん……」
元気の良いノエルに対し、ルナは眠そうに挨拶をしていた。
駆け寄ってきた二人へ軽く手を挙げ返しながら、レイディルはどこか新鮮そうに目を細める。
「へぇ、二人とも制服似合ってるな」
「えへへ、ありがとうございます!」
ノエルが嬉しそうに笑う横で、アリーシアスはふと二人の胸元へ視線を向けた。
「あ、第一課程ですね」
「はい! わたしたちつい最近入学したばかりなんです!」
ノエルが元気よく答える。
「なので、アリーシアスさんとはちょうど入れ違いですね」
ルナがそう付け加えると、アリーシアスは「あぁ」と小さく頷いた。
「どおりで見たことないと思いました」
アリーシアスはどこか納得したような表情を浮かべる。
「まるで全生徒の顔を覚えてるみたいな口ぶりだな」
レイディルは軽く笑いながらそう言った。
「こんな賑やかな二人なら、一度見ればってやつです」
「なるほどな、それは言えてる」
レイディルはそこで、先ほどから気になっていたことを思い出した。
「で、その第一課程ってのは、何で判断したんだ?」
「印ですよ」
アリーシアスは二人の胸元へ視線を向けた。
「ケープ留めの意匠で、どこまで課程を修了しているかがわかるんです」
「へぇ……」
「リグレア魔術学院は、年齢ではなく修了課程で区分されています」
そう説明され、レイディルは改めて周囲の学生たちへ視線を向ける。
「ん、ここを通る人たちはノエルとルナが付けてるヤツと同じか」
レイディルが二人と学生を見比べて言う。
「はい、あれが第一課程の印です」
「基本は六課程で、だいたいの人は一年で一課程ずつ修了していきますね」
「じゃあ普通は六年か」
「そうですね。もっとも、実力次第で短縮も留年もありますので、一概には言えませんが」
よくよく見ると、通る学生の中には見た目の年齢とケープ留めの意匠が一致していない者もちらほら見受けられた。
「まぁ、全員が卒業まで残るわけではありませんし」
「あー……ウェリティアがそうか」
レイディルは昨日ウェリティアが言っていたことを思い出した。
必要な魔術や資格だけを取得し、途中で学院を去る者も少なくない。
「ちなみにカフスですが、優秀な成績を納めた者には特別な物が授与されるんです」
アリーシアスはそう言いながら、自分の袖口辺りを軽く指で示した。
「生徒はここにつけているので、見比べてみるのも面白いかもしれませんよ」
その言葉にノエルはニコニコとした顔で答えた。
「私たちも貰えるといいねー」
ルナは隣で「うーん……そうだね……」と小さく、眠そうに呟いた。
そうして歩いていると、やがて前方に大きな門が見えてきた。
白い重厚な門柱。
その奥には、幾つもの尖塔を備えた壮麗な建物が並んでいる。
リグレア魔術学院。
王国屈指の魔術教育機関は、遠目からでも圧倒的な存在感を放っていた。
「さて」
アリーシアスがふと口を開く。
「ここから少し気を引き締めてください」
至極、真面目な顔で。
そして極めて真剣に言葉を漏らす。
「……お、おう」
レイディルは思わず背筋を伸ばした。
(さすがは王都が誇る由緒ある魔術学院……生半可な気持ちで門をくぐることは許されない、ってことか!)
レイディルは気を引き締めながら、校門へと歩みを進める。
すると、近くを歩いていた学生たちが、ふとこちらへ視線を向け始めた。
「アリーシアスちゃん……!?」
「えっ、マジで?」
「戻ってきてたの!?」
ざわり、と周囲の空気が揺れる。
学生たちの視線はほとんどがアリーシアスに集中しており、レイディルの方は特に見られてもいないようだった。
次の瞬間、周囲の学生たちが一斉に押し寄せてきた。
「うおっ!?」
あっという間に人垣ができる。
レイディルは押し流されるように後方へ追いやられ、そのまま完全に人波へ呑み込まれた。
「ぬわっー!?」
気付けば視界いっぱいに制服。
誰かの鞄が肩にぶつかり、さらに横から押される。
揉みくちゃにされながら、断末魔を上げながら群衆に沈んでいく。
「アリーシアスちゃん卒業したんじゃなかったの!?」
「今なにしてるの!?」
「背ちょっと伸びた!?」
口々に飛び交う声。
そして、その中心にいるアリーシアスは──
「みなさん、落ち着いてください」
慣れた様子で言った。
「まず足元のレイディル……その人の上からどいてあげてください」
その瞬間、「あっ」と言う声と共に周囲の学生たちが一斉に下を見る。
そこにはヒキガエルのように潰されているレイディルの姿があった。
……
…………
………………
「し、死ぬかと思った……」
ようやく解放されたレイディルの前へ、アリーシアスがしゃがみ込む。
「レイディルってよく人に弾き飛ばされますよね。大丈夫ですか?」
どこかしみじみとした口調で、アリーシアスが呟く。
「幸い一命は取り留めた……」
レイディルはぐったりしたまま答えた。
周囲を見渡せば、未だ大量の学生たちに囲まれている。
「……有名人、なんだな」
「ええ。王都とは逆ですね」
アリーシアスはどこか得意げに言う。
「この場においては、私のほうが有名人です」
「……しかし意外だ」
レイディルは、ついそんな声を漏らしてしまった。
「なんですか。私に友達がいないとでも思ってたんですか」
アリーシアスを見ていたレイディルは、バツが悪くなり、視線を逸らした。
そんな彼をジトっとした目が追撃する。
「いや……すまん」
いたたまれなくなり、つい謝るレイディル。
そして次の瞬間、妙に周囲が静かなことに気付いた。
恐る恐る見回せば、学生たちの視線が一斉に自分へ向いている。
学院の有名人に付き添う謎の人物。
そんな存在を前に、学生たちはヒソヒソと何かを推察し始めているようだった。
「先輩のみなさーん、ごめんなさい通してくださーい」
そんな空気を切り裂くように、声を上げながら人混みをかき分けて、ノエルとルナがアリーシアスの元へとやってくる。
「凄いですねアリーシアスさん、話には聞いていましたがこれ程とは……おかげで眠気も飛びました」
ルナがノエルの後ろから現れ、マイペースに言った。
「謎の男に一課程生……その人脈の広さ、さすがだわ」
生徒の一人がアリーシアスに向けて言う。
「なにがさすがなのかわかりませんが──みなさん、ともかく今日は私用があって来ただけですので、お話は後ほど……」
アリーシアスが周囲の生徒たちに簡単な事情を説明し解散を促した。
「それに、あまりここでわたしに構っていると遅刻しますよ」
遅刻という言葉を聞いた途端、生徒たちは「やばい! 忘れてた」「あと何分!?」と言った声を上げながら、必死の形相で講義室へと走り去っていった。
「遅刻は重いですしね!」
とノエル。
「いや、二人は何を悠長に静観してるんだ……」
先輩たちの背中を棒立ちで見ている、そんなノエルとルナにレイディルの言葉が刺さる。
「いっけなーい」
微塵も感情の籠らない声を発し、ルナはノエルを引っ張って講義室へと駆けて行った。
その姿をアリーシアスとレイディルが見送る。
「嵐の様だったな……」
残されたレイディルはそう呟くのだった。
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学生たちと別れた後、アリーシアスは学院の敷地内を先導するように歩き始めた。
校門を抜けると、まず出迎えてくれたのは本校舎へ続く石畳と並木の道だ。
その奥、本校舎の前には、噴水があり、周りにベンチが並んでいる。
「お昼はここで食べる学生も多いですね」
道案内がてら、観光ガイドのように説明をするアリーシアス。
本校舎横の脇道へと折れ曲がり進む。
すると校舎に隣接するように大きな建物が見えた。
「ここは食堂と売店ですね」
そう言いながら、道を更に奥へと進む。
学院の敷地を奥へ進む度、喧騒が遠のいていく。
やがて広い中庭が顔を出し、その向こうには実習用と思われる訓練場が見えた。
「広いな」
レイディルは辺りを見回しながら感心半分驚き半分といったように述べる。
「アルバンシアが力を入れてる場所ですからね」
そうして歩くことしばらく。
二人は本校舎から少し離れた別棟へと辿り着いた。
別棟は二階建ての平べったい印象を与える建物だ。
「んじゃ、ちょっと行ってくる」
「ゆっくりとどうぞ。その間にこちらも行ってくるので」
二人はそれぞれの目的へと別れた。
……
…………
………………
解析魔術の免許更新は三十分で終わった。
レイディルが別棟の扉を開けると、正面のベンチに座り本を読むアリーシアスの姿があった。
「ずいぶん早かったみたいですね」
彼女は本をパタリと閉じ、そう問いかける。
「まぁ講習だけだったからな。ってか早かったってのはこっちのセリフだ」
そう言うレイディルに対し、アリーシアスはしばし視線を泳がせながら、口を開いた。
「学院長室まで行ったんですけど……留守でした」
「留守か……タイミング悪かったのかな」
「いえ、ちゃんと面会の旨は取り付けてあったんですが、どうにも急用らしく……」
学院長室を訪ねた際、対応に出た補佐からそう説明を受けた。
二、三日ほどで戻る予定とのことで、改めて日を取り直して欲しいとのことだったらしい。
「なるほど」
「しかし、妙ですね……いえ、学院長はそりゃあ暇な人ではありませんが、予定全て蹴ってまで学院を離れている理由とは……」
アリーシアスは顎に手を当てブツブツと呟いていた。
そうして思い出したかのようにレイディルに向かって質問を投げかける。
「それで解析魔術免許の更新とは、どんな感じだったんですか?」
急な話題転換だったが、レイディルは意にも介さず答えた。
「危ない使い方はやめましょう、とか。
ルールを守りましょう、とか。そんな感じの説明を受けただけだな」
解析魔術は使い方を誤れば命を落とす危険すらある魔術だ。
免許制度は、その危険性を理解した者だけに使用を許可するためのものでもある。
「毎回やたら怖い事故話を聞かされるんだが……」
「事故話……ですか」
アリーシアスがゴクリと唾を飲み込む。
「『制御に失敗した術者がどうなったか』とか、そんな感じの話だ」
慣れた調子でレイディルは答えた。
「まぁ、無茶な使い方をさせないための免許と講習ってとこだな。
“安全に扱える”って信用の証明みたいなもんだ」
アリーシアスはその言葉を聞き、眉を寄せる。
「……あの……レイディル……」
「なんだ?」
「よく解析魔術で血を流してますよね? そういった使い方は良いんですか?」
アリーシアスが思い出しながら放った言葉に、レイディルは一瞬体をビクリと震わせた。
「まぁ……必要なこと……だからな……」
歯切れの悪い言葉、視線を合わせない目。
「あとカーネスの街の人たちやウェリティアは、倒れる前提で使ってましたけどアレは……」
なおもアリーシアスから言葉が出る。
「……たまにはあぁいうアクシデントもある……」
レイディルの額にじわりと汗が滲む。
「ついでにもうひとつ、レイディルは幼少期から解析魔術使ってましたよね? その頃免許は……」
「……両親監修の元です……」
まるで取り調べでも受けているかのように、レイディルは肩を落としながら答えた。
「ちゃんと“父さんか母さんが見てる前”で、“簡単な物限定”って決まりはあったんですよ……はい。だから違反ではない……はずです」
次々と来る質問に対しとうとうレイディルは敬語になってしまった。
「まとめると解析魔術使う人はみんなどこかおかしい……と」
「まとめなくていいです……」
レイディルは遠い目をした。
「信用とは一体……」
解析魔術免許の在り方についてアリーシアスは訝しげな顔をしていた。
しばし、時間は流れ中庭に風が吹く。
木々は揺れ、太陽が徐々に真上へと登ろうかという時間。
何限目かの授業の終わりを知らせる鐘が、学院中に響く。
ゴォーンゴォーンという重い音だが、生徒たちにとっては憩いの到来を告げる音か。
「とりあえず、目的も済んだので、少し付き合ってもらっていいですか?」
と、アリーシアス。
レイディルはどこへ行くのかと思いきや──
「部外者が勝手に入っていいものか……」
「まぁ硬いこと言わず……わたし元生徒ですし」
魔術学院の校内。
床は木材を基調としている一方、壁は古い石造りとなっている。
長い年月の中で増築や補修を繰り返してきたのだろう。
場所によっては木材や石の色味すら異なっていた。
さらに壁には最新の魔道ランプが備え付けられている。
華美な枠から、小型のクリスタルムが突き出た構造をしており、光を放っている。
レイディルがランプへと視線を向ける。
「おっ、最新型か」
「最近増設されたんですよ、それ」
アリーシアスが答える。
「天井に付けた方が照らす範囲は広いと思うんですけどね」
「んー、多分クリスタルムの交換しやすい位置を取ったんだな」
レイディルはそう推察した。
「しかし、なんというか、新旧入り交じった不思議なカンジだな」
「学院は建て直しが難しいらしくて……結果、変わった見た目になっちゃったみたいです」
アリーシアスはそう言いながら、木造の階段を上がる。
レイディルは建物の作りを観察しながら後に続いた。
やがて三階へとたどり着くと、アリーシアスは、一つの講義室の前で足を止めた。
「ここです」
そう言って、壁に据え付けられた窓越しに講義室の中を覗き込む。
講義室の床は緩やかな階段状になっており、前方の教卓を見下ろすように長机が並んでいた。
すると、休憩時間を満喫していた一人の女生徒がアリーシアスに気付いた。
彼女は勢いよく窓を開ける。
「あっ、アリーシアスちゃん! 朝方ぶり!」
そう言った後、続けて声を潜めた。
「……アルコイリスさんは不在よ」
その言葉を聞いたアリーシアスは、軽く胸を撫で下ろした。
「みなさんお変わりなく」
「そんな短い期間で変わらないよ」
など、会話に花を咲かせていた。
そうしていると講義室中の生徒が次々と集まってきては、会話に参加していく。
(ふーん、いや、なんていうか友達多いな)
レイディルはどこか嬉しい気持ちになりつつ、同時に今朝自分が抱いていた印象を少し反省していた。
この講義室にいる者は、皆、六課程生だ。
全ての生徒がアリーシアスよりも年上ということになる。
本来なら、六課程修了まで学院へ残る者がほとんどだ。
しかしアリーシアスは、卒業課題として提出した調査とその実績を評価され、通常より早く学院を修了していた。
それでも生徒たちは妹を可愛がるように、または気兼ねなく、アリーシアスと接していた。
「そう言えば──」
一人の生徒が話題を切り出した。
「アリーシアスちゃんが卒業してからなんだけど、この学院に不穏な噂があってね……」
神妙な面持ちで告げる。
その言葉を聞いた生徒たちが「自分も聞いた!」「知ってる知ってる!」と、次々にまくし立て始めた。
その様子を、一歩引いて壁際に身体を預けていたレイディルが聞き耳を立てる。
「みなさん揃って随分盛り上がってますね……なんの話です?」
アリーシアスが訝しげな顔で生徒たちを見やる。
「実はね……」
女生徒の一人が窓枠越しにアリーシアスへと、ヒソヒソと耳打ちをした。
途端、アリーシアスの顔が強ばる。
「わたしがここにいた時には、そんな話聞きませんでしたが……」
「そう、つい最近なの」
レイディルは何の話かと、少し身を乗り出した。
よく見るとアリーシアスの頬に冷や汗が垂れている。
(珍しいな)
「でも、見間違いということも……ありますし……」
なにやらアリーシアスの歯切れが悪いことを、レイディルは気付いた。
あの輪の中に入るのは気が引けたが、聞き耳だけでは内容はわからない、とレイディルは意を決し近づく。
「……何の話してるんだ?」
レイディルがそう尋ねる。
すると生徒たちは「あっ」と声を漏らし、続けて好き勝手に声を上げた。
「朝アリーシアスちゃんと一緒にいた人だ」 「校門で潰されてた……」 「謎の男!」
「最後の言い方やめろ」
レイディルはいつものクセで、思わずツッコミを入れてしまった。
「……失敬、えーっと、オレはレイディル・フォードウェル……まぁアリーシアスと一緒に行動してた……的な……整備士だ。
あと、潰されてたっていうか、潰したのはキミらだからな……」
「なんですか、その下手くそな自己紹介は……」
アリーシアスのツッコミに、レイディルは小声で答えた。
「仕方ないだろ……バカ正直に全部言う訳にもいかないし……」
レイディルは身体を屈め、アリーシアスへだけ聞こえるよう小声で続ける。
しかし、あまりにも要領を得ない自己紹介だったためか、生徒たちは揃って怪しげな視線をレイディルへ向けていた。
そんな空気に、アリーシアスはやれやれと息をつく。
「彼は、わたしが卒業課題として行った調査で一緒になった方です。 凄く解析魔術が得意なお兄さんですよ」
その説明を聞いた生徒たちは、例の調査の……と、納得したように声を漏らす。
「まぁ、得意すぎてたまに血を流してますけど」
「それは言わなくていい……」
レイディルは目を伏せ、あえて我慢した。
「……で、何の話なんだ?」
「いえ……信じ難い話なんですが──」
アリーシアスにしては珍しく歯切れが悪い。
次の言葉を躊躇うかのように言い淀んでいる。
よく見れば、その口はごにゃごにゃと動いていた。
「勿体ぶるなよ」
レイディルは催促するように言った。
その言葉に、アリーシアスはしばし視線を泳がせる。
「……出たらしいんです」
その割に、まだ言葉をぼかす。
レイディルは無言で続きを促すようにアリーシアスを見つめた。
アリーシアスは「うぅ……」と小さく呻くと、やがて最後の言葉を口にする。
「……オバケが……」




