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鋼騎のヴァルストルム  作者: 小春ささら
王都・魔術学院編
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64話「名前を呼ぶ理由」

 扉の向こうに立っていたのは、一人の女性だった。


 アリーシアスとよく似た顔立ち。

 だが、その印象は少女とは大きく異なった。


 柔らかい。

 一目見てレイディルはそう思った。


 白く長い指。腰まで伸びた艶やかな銀の髪。

 屋敷の来客を迎えるにしては随分と軽装だったが、不思議とラフな印象はない。

 装飾の類はない落ち着いた家着姿ですら、どこか品の良さを感じさせた。


 身体を冷やさないためか、薄手のストールを両腕に添えるように掛けている。



 アリーシアスが鋭さを感じさせる美貌なら、こちらは穏やかさを纏った美しさだった。


 その印象を決めているのは目だ。

 アリーシアスよりもわずかに目尻が下がっているだけなのに、受ける印象は随分違う。


 薄く口元を緩めるだけで、張り詰めていた空気がふっと和らぐ。


「おかえりなさい、アリーシアス」


 静かな声だった。

 しかし、どこか弾んだ声。

 その声は耳へ心地よく残る。


「ただいま、母さん」


「聞いていた人数よりも、少ないのね」


 母さんと呼ばれた女性は柔らかな笑みを浮かべながらそう告げた

 アリーシアスは、マリーやクラウス博士たちは別の場所へ泊まることになったのだと、軽く身振りを交えながら説明する。


「そうなのね」


 アリーシアスの母は少し残念そうにしながらも、思い出したように言葉を発した。


「あら、いけないわ。ここは長話をするところじゃあなかったわね。自己紹介は中でしましょう。さぁ、皆さんどうぞ」


 そう言い、扉を大きく開き、客人を招き入れる。


 二の足を踏むレイディルとウェリティアに、アリーシアスが「遠慮せずどうぞ」と、目配せをした。


 アリーシアスと母親を横切るように二人は進む。

 玄関をくぐる際、ウェリティアがチラリと母親を見た。


「おー……」


 彼女はついそんな声を漏らす。


(何が「おー」なんだ?)


 レイディルには、ウェリティアが何に感嘆したのか分からなかった。


 釣られるように、レイディルも横を通る際アリーシアスの母へ視線を向けた。


 その瞬間、彼女は視線に気付きニコリと微笑んだ。


「っ……」


 不意に目が合い、レイディルは思わず視線を逸らす。


「母さん美人ですからね」


 不意に背後からそんな言葉が飛んできた。


 レイディルが振り向くと、ジトっとした目と半笑いの口元のアリーシアスが後ろに立っていた。


「この子ったら……」


 そんなことを言われ、母の白い肌がほんのりと赤らむ。


「さぁさぁ早く中に入ってください」


「ちょっ……」


 足を止めているレイディルの背中をアリーシアスが、グイグイと押し進める。





 通されたのは、玄関からほど近いリビングだった。


 部屋の中央には、低いテーブルを囲むようにソファと椅子が並べられている。

 どれもクッションが深く、長時間座っても疲れなさそうだ。


 部屋の隅には暖炉。

 その上には風景画が飾られており、傍には最新式の蓄音機も置かれていた。


 壁際には背の高い本棚が並び、魔術書らしき厚い本が隙間なく収められている。


 そして何より目を引いたのは、大きなガラス窓だった。

 庭へ面したその窓からは、夜の庭園灯に照らされた花壇が見えている。

 窓際には、季節の花を生けた花瓶。


 淡い色彩が、落ち着いた室内へ静かな華やかさを添えていた。



「さぁ、どうぞ座ってください」


 アリーシアスの母に促され、レイディルたちはソファへ腰を下ろす。


 母親の隣へは、当然のようにアリーシアスが座った。

 その向かい側へ、レイディルとウェリティアが並んで座る。


 深く沈み込むような座り心地に、レイディルは思わず身体を揺らした。


(うおっ、すご……)


 座るだけで高そうだと分かる。

 そんな彼の様子を見て、ウェリティアが小さく肩を震わせていた。


「改めまして──」


 向かい側で、女性が穏やかな笑みを湛えた。


「アリーシアスの母、フェリシアです」


 その声音はとても柔らかかった。


「あっ、えっと……レイディル……フォードウェルです」


「ウェリティア・リンツェです。本日はお世話になります。よろしくお願いします」


 雰囲気に飲まれたのか、緊張から言葉に詰まるレイディルと、スラスラと言葉を紡ぐウェリティア。

 二人は随分と対照的な態度であった。


「意外にもウェリティアはしっかりしてますね」


 アリーシアスが、感心したようにそう言うと、ウェリティアはフッと一息。


「伊達に各国を留学してないのよ」


 そう言いながら人差し指を立て、左右に振っていた。 


「レイディルくん、そんなに緊張しなくてもいいのよ」


「まぁ……この人はそのうち慣れるよ」


 フェリシアの言葉にアリーシアスが相槌を打った。

 そのやり取りを見ていた母親は、二人を交互に見やると、どこか微笑ましそうにふふっと笑った。



 自己紹介を終え、談笑をしていると、やがて老執事とメイドが部屋の奥の扉を開けて現れた。


 二人は静かに一礼し、慣れた手つきでそれぞれの前へ紅茶を並べていく。


 白磁のカップからは、湯気と共に落ち着いた香りが立ち上っていた。


「奥様、お食事の準備はいかがいたしますか?」


「大丈夫、私が作るわ。二人は下がってもいいわよ」


 短いやり取りだけを交わすと、二人は音もなく部屋を後にした。


「母さん、無理しなくても……」


 そっと立ち上がるフェリシアにアリーシアスが声をかける。


「娘とお友達の食事だもの、母さんに作らせて」


 フェリシアはそう言うと、袖を捲りあげグッと腕を上げるポーズをとって見せた。

 その仕草はどことなくお茶目に見えた。


 そうして部屋の奥の扉を開けて中へと入っていく。


「あっ、わたし手伝ってきます」


 アリーシアスが遅れて言うと、立ち上がり奥へと消えていく。



 しばらくすると──


 フェリシアに背中をグイグイと押され、アリーシアスが戻ってきた。


「二人に良いところを見せたいようだけれど、今日の台所は私専用なの」


 ニコニコとした顔でフェリシアが告げる。


「そういうわけじゃ……」


 すかさずアリーシアスが否定するが、フェリシアが耳元へと顔を近づける。


「ふふっ、わかってるわ。

本当はカッコつけたいのは母さんなの。

だから、今日は頑張らせて。ね?」


 そう小さく告げ、フェリシアはアリーシアスの背を優しく押した。



「追い出されたか」

「追い出されたねぇ」


 レイディルとウェリティアはその様子を楽しむように笑っていた。

 当のアリーシアスはやれやれと息を着いていた。




 しばらくして、レイディルたちは食堂へと案内をされた。


 部屋の中央にはテーブルクロスのかけられた長テーブル。

 その上には花を生けた花瓶が飾られている。

 それ以外──キャンドルやナプキンリング、テーブルランナーといった物は見受けられなかった。

 あくまでも家庭。

 客人が余計な気を使わないための気遣いだろう。


 隅にはグラスやカトラリーが入った収納棚が設置されていた。


 レイディルたちは、それぞれ椅子の前へと案内される。

 すると老執事が静かに椅子を引いた。

 こういう場には慣れていない。  レイディルは少し居心地悪そうに身体を滑り込ませる。

 そのまま静かに椅子が押され、着席した。


「母さん、そこまでしなくても……」


 アリーシアスが小さく苦笑する。


「お嬢様。それでは我々の仕事がなくなってしまいます」


 老執事は穏やかにそう返した。


「ふふ、だそうよ」


 フェリシアは両手でお皿を運びながら、困ったように口元を緩めた。


 料理を並べ終わると、フェリシアも静かに席へ着いた。


 リビングの時と同じように、席は二対二に分かれていた。


 メイドがグラスに静かに水を注ぐ。


「このグラス綺麗」


 ウェリティアがそう呟いた。

 薄い青色をした透明感のあるグラスだ。


「気に入ったグラスがあると、つい買ってしまうんです。趣味……みたいなものかしら」


 フェリシアはチラリと棚に視線を向け、少し照れながら告げた。


「さて、それじゃあ冷めないうちに召し上がれ」


 テーブルにはサラダ、オムレット、クリームソースのかかった魚のムニエル、そして緑色のスープが並んでいる。


 オムレットには鮮やかなトマトソースがかけられている。

 ソースの赤と卵の黄色が互いを引き立てていた。


「お口に合うといいのだけれど──ちなみに本日のスープはアスパラのポタージュよ」


「そんな日替わりランチみたいに……」


 隣でアリーシアスが半目になりながらツッコミを入れている。


 そんな彼女をよそに各々料理を口に運んだ。

 一口食べた瞬間、レイディルの表情が変わる。


「ん!」


 優しく暖かく、そしてどこか懐かしい味だ。

 レイディルはそう感じながら次々に料理を食べる。


「慌てなくても大丈夫だから」


「レイディルは気に入った料理があるとあんな感じなの。ほっといてあげて」


 アリーシアスがそう言いオムレットを口へと運ぶ。


「あっ、わたしの好きなキノコとチーズの……」


 彼女は目を輝かせ嬉しそうに口元を緩めた。


「今日はちゃんと上手くいったのよ。

いつもだとキノコが飛び出ちゃっていたから」


 娘の反応にフェリシアも上機嫌に顔を綻ばせていた。


「あー、なんかわかんないけど……すごい手間かかってる味する……」


 ウェリティアもまた、料理の奥にある手間をなんとなく感じ取っているようだった。



「それにしても、レイディルは本当に美味しいとき夢中で食べますね」


 無言で料理を頬張るレイディルを見て、アリーシアスがどこか楽しそうに言った。


「ん……むぐっ……」


 突然の言葉にレイディルは喉を詰まらせかける。


「あっ、無自覚でしたか」


「……ケホッ……アリシアみたいに綺麗な食べ方じゃなくて悪かったな……」


 少しむくれたように返しながら、レイディルは慌てて水へと手を伸ばした。


「あら、アリーシアスはよく見てるのね」


 フェリシアが嬉しそうに目を和らげた。


「……別に普通だけど?」


 母の反応に、アリーシアスは当たり前のように言い返した。

 

 その様子を見ていたウェリティアが、ふと首を傾げた。


「んー……そういえば」


 スープを口に運びながら、いつもの調子で少し気だるげに言う。


「レイディは“アリシア”って呼ぶのに、フェリシアさんは愛称では呼ばないんですね」


 その言葉に、レイディルは水を飲む手を止めた。


「それはそうです。両親が付けてくれた名前ですから。

両親には、ちゃんとそのまま呼んでほしいんです」


 アリーシアスはそう言いながら、静かにグラスへ手を伸ばした。


「この場合、魔術師にとってではなく、娘として名前は大事です」


 その言葉に、フェリシアはどこか嬉しそうに目を細める。


「そう言ってもらえると、母さんは嬉しいわ」


 自分たちが贈った名前を、娘はちゃんと大切にしてくれている。

 そんなことが伝わる言葉だった。



「じゃあ……レイディは特別?」


「……えっ?」


 不意にそんなことを聞かれ、アリーシアスは一瞬思考が止まった。


「あー……どうでしょうね……うん……」


 ウェリティアに聞かれ、アリーシアスは反射的に目を逸らした。

 その手元はフォークを遊ばせるかのように料理をつついている。


 そんな娘の反応を見て、フェリシアは小さく目を細めた。


「でも、マリーさんもアリシアのことあだ名で呼んでるよな?」


 黙って聞いていたレイディルが、思い出したように横から話を振る。


「あっ、そうですよ。マリーさんもです」


 彼女は「それです」と言わんばかりに勢いよく頷いた。


「へぇ……」


 ウェリティアはわずかに口角を上げると、ムニエルをひと口。


「このムニエル美味しいですね」


 話を変えるように、フェリシアへ感想を述べていた。



 その後も雑談を交えながら、しばらく食事が進む。

 フェリシアがいつの間にか席を立ち、キッチンへ戻っていた。


 ウェリティアは料理を口に運びながら、何かを思い出したように小さく唸り始めた。


「あー……そういや、頼まれごとあったな ……でもそんなに都合よくはなぁ……」


 ぶつぶつと呟きながら、グラスに注がれた水面を見つめている。


「……?」


 アリーシアスとレイディルは彼女が何を悩み出したのか、不思議そうに見ていた。


 そんな空気を切り替えるように、フェリシアが柔らかな声を響かせキッチンから戻ってくる。


「食後にジェラートはいかがかしら?」


 運ばれてきたのは、小さな小皿に乗った白とピンク、二色のジェラート。

 その横には、半分に切られたマロングラッセが、断面を見せるように少しずらして添えられていた。

 三角形の小皿が、デザートをより洒落たものに見せている。


 アリーシアスとレイディルはジェラートのスッキリとした甘さに舌鼓を打つ。


「バニラとストロベリーか」


 レイディルはチラリとアリーシアスを見た。

 その視線に気づくアリーシアス。


「ん? あぁ、どちらの味も好きですよ。

まぁ、嫌いな味のジェラートはありませんが」


 彼女の好物かどうか確認するために、レイディルがこちらを見たのだと理解していた。


 一方、何やら悩み始めたウェリティアも、唸りながらジェラートを口に運ぶ。

 一口食べては口を綻ばせ、また唸る。


「考えごとは食べ終わってからすればいいのに……」


 呆れ顔のアリーシアスだが、レイディルが口を挟んだ。


「もしこれが魔術のことだったら、アリシアもこうなるだろ?」


 その言葉にアリーシアスは「あぁー」と声を上げる。


 やがてウェリティアが添えられたマロングラッセへと辿り着いた。

 一口で半身を頬張ると、甘さが口いっぱいに広がったのか、嬉しそうに笑顔をこぼした。


「コーティングされた砂糖と栗の自然な甘さとの……調和?」


 どう表していいのか、言葉を選びながらも感想を述べる。


「中は柔らかいんだ……」


 と、呟いた途端、彼女はガタッと椅子を押しのけ立ち上がる。


「あー、これなら行けそう」


 その顔は難問を解いたかのように晴れ晴れとしていた。


「何かわからないけど、解決したようでよかったな」


 レイディルは苦笑しながらも、ひとまず解決したらしい彼女に声をかけた。


「上手くいくかはわからないけど、そのうち二人にも結果教えてあげるね」


 ウェリティアはそんなことを言い、残りのデザートを楽しむため、再び着席するのであった。




 食事を終えると、メイドが静かに食器を片していく。

 その動きは実に手際よく、淀みがない。


 一方、老執事は食後の飲み物を準備していた。


「紅茶にコーヒー、ジュースなどをご用意できます」


 そう告げた後、老執事はどこかおどけたように付け加える。


「おっと、奥様はお飲みになりませんので、お酒だけは置いておりませんがね」


 四人はそれぞれ用意された飲み物へと手を伸ばし、一息つく。



「さて、それでは、次はお風呂ですね」


 アリーシアスがそう言って立ち上がる。


「ウェリティア、案内します。行きましょう」


 食堂の出口まで進み、くいくいと手招きをする。


「なに、一緒に入るんだ?」


「その方が時間短縮です。ウチのお風呂はそれなりに広いので」


 アリーシアスはウェリティアと共に食堂を後にした。

 しかし、すぐに扉からひょいと顔を出す。


「あ、レイディルは部屋にでも行ってて下さい。用意してもらってるので」


 それだけを言い残すと、アリーシアスは再びウェリティアを連れて風呂場へ向かっていった。



 残されたレイディルは言葉通り、席を立とうとする。


 しかし──


「あっ、レイディルくん。良ければ少しお話しない?」


 フェリシアがレイディルを引き止めた。


「え、あー、はい、構いませんけど──」


 少し言い淀むレイディル。


 相手はアリーシアスの母親だ。

 だが、ああいう落ち着いた年上の美人と二人きりという状況は、どうにも緊張してしまう。


 レイディルは気持ちを落ち着けるように、小さく息を吐き、改めて椅子へ座り直す。


「あの……お身体は、大丈夫ですか?」


 レイディルの問いに、フェリシアは少し意外そうに目を瞬かせた。


「えーっと、だいぶん前に少し身体が……と、聞いたもので」


「えぇ、最近は調子が良いのよ。エルミナの空気が合っているのかしら」


 フェリシアはズレたストールを直しながらそう答えた。


「それでも、身体は冷やさないようにって、あの子によく怒られてたわ」


 そう言って、フェリシアはどこか嬉しそうに目を細めた。

 しかし、その表情はすぐに少しだけ翳った。


「優しい子なの。

……だからこそ、心配でね」


 フェリシアは静かにレイディルへ視線を向ける。


「それで──アリーシアスはあなたに迷惑をかけていないかしら?」


「えっ……あー……」


 不意の問いに、レイディルは言葉を詰まらせる。


「アリシア……いや、アリーシアス……さんは、はい。大丈夫です」


 呼び慣れた呼び方を反射的に口にしかけ、慌てて言い直す。

 だが、今度は他人行儀すぎた気もして、レイディルは余計に居心地が悪くなった。


「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。呼び慣れた呼び方で、ね?」


 そんなレイディルを見て、フェリシアは苦笑混じりに答えた。


「あー、そうですね……アリシアは、大活躍です」


 まだ少し気恥ずかしさは残っていたが、先ほどよりは幾分話しやすかった。


「グレナウの時も、トレルムの時も──上げていったらキリがないですけど……アリシアがいなきゃ上手くいかなかったことばかりだと思います」


「……そう」


 レイディルの言葉を聞き、フェリシアは安堵した顔を見せる。


「本当は……活躍なんかしなくてもいいから、怪我をしないでいてくれるだけでいいのだけれど……」


 フェリシアは物憂げに視線を落とし、ぽつりとそう漏らした。

 レイディルはフェリシアを安心させようと次の言葉を捻り出した。


「あっ! あの……オレ、実は魔術が下手くそだったんですけど、アリシアのおかげで使えるようになったんですよ!」


 レイディルは身を乗り出し、力説する。

 しかもそれに何度も助けられた、と付け加える。


「つまり、えっと、アリシアはオレの魔術の先生なんです」


「あら、あの子が……」


 フェリシアは目をぱちくりさせながら、聞き返した。


「えぇ、そりゃあもう……教え方も上手いですし、オレが出来るまで付き合ってくれるんです」


 フェリシアを安心させるため、懸命に言葉を紡ぎ出すレイディル。


「レイディルくんは優しいのね」


 フェリシアはどこか安心したように笑顔を見せた。


「もしかしたら……あの時、うちへ来ていたら、こういう風にはならなかったのかもしれないわね」


「……え?」


 レイディルは思わず聞き返す。


「実はね。あなたのご両親が亡くなった時、うちで引き取ろうかって話が出ていたの」


 その言葉に、レイディルは目を丸くした。


 もしそうなっていたなら──

 ダイレルは義父となり、アリーシアスは義妹になっていたのだろう。


「でも……ふふっ……そうしなくて結果的によかったのかもしれないわね」


 フェリシアは意味深な笑みを湛えながら、レイディルを見つめていた。


 その笑顔の真意が読み取れず、レイディルは当惑した顔でそっと席へと座り直した。



 ふと気づくと、背後から視線を感じていた。


 レイディルは振り向き、チラリと背後の扉を見やる。

 するとドアの隙間から、じーっと見慣れた半目がこちらを覗いていた。


「お風呂、次どうぞ」


 アリーシアスは食堂には入らず、そのままそう告げた。


「何を話してたかは知りませんが、まぁ、随分と楽しそうでなによりですね」


 そう言い残すと、扉の隙間から覗いていた半目が、すっと奥の闇へと引っ込んでいく。


 数秒ほど、静寂だけが残った。


「……なんなんだ?」

「あら、私が楽しそうにしすぎたのかしら?」


 フェリシアはどこか楽しそうに笑っていた。

 レイディルは釈然としないまま、老執事に案内され浴場へ向かうのだった。





 次の日。


 レイディルは早朝に目を覚ました。


(朝のランニングと行きたいところだけど……)


 今は人の家。

 勝手に玄関を通るのも気が引けたので、とりあえずアリーシアスが起きるまで、この寝心地の良いベッドを楽しむことにした。



 しばらくダラダラと過ごしていると、ドアをコンコンとノックする音が聞こえた。




 それから少しして──


 昨日の食卓に、今はアリーシアスとレイディルだけが座っている。


 「簡単なもので」というアリーシアスのリクエストに答え、老執事がパンを用意してくれた。


 そのパンを頬張りつつ、二人は予定を話し合っている。


「とりあえず、今日はレイディルの免許と学院長に会うため、学院に出向きましょう」


「わかった。免許はそんなに時間かからないだろうから──」


「終わるまで待ってますよ」


 レイディルはこくりと頷いた。


「そういえばウェリティアは?」


「あの人は、ねぼすけさんってところですね。

どっちにしても目的はわたしたちとは別ですし、好きなだけ寝させておきましょう」


 そう言いながら、アリーシアスは手早くパンを口へ運び、横目で柱時計を見る。


「んー、ちょうど通学してた時と同じ時間……なんだか久しぶりな感じです」


 そう一人で呟いている。

 レイディルもまたパンを食べ終える。


 軽く身支度を整えると、二人は揃って玄関へ向かった。



 食堂を出る際、老執事とすれ違う。

 レイディルは軽く頭を下げ、朝食への礼を告げた。



 二人が玄関の扉に手をかけ、外へと出ようとした時。


 奥の廊下からパタパタと慌てるような足音が響いてきた。


「ま、待って〜!」


 その声に二人は足を止める。

 少し遅れて姿を現したのはフェリシアだった。


「はぁ……良かった……お見送りに間に合ったみたいで……」


 どうやら急いで来たらしく、肩で小さく息をしている。

 昨夜とは違い、今は淡い色合いのパジャマ姿だった。


「昨日、久しぶりにアリーシアスが帰ってきたのが嬉しくてはしゃいでたら……ついねぼすけさんしちゃって……」


 彼女は困ったように笑いかける。


「アリーシアスが出る時は、いつもお見送りしてるものね」


 フェリシアの言葉にアリーシアスは静かに頷いた。


 そう言ってフェリシアは、乱れた銀髪を耳へとかき上げる。

 その拍子に、緩めの部屋着越しでもわかる胸元の存在感がふわりと揺れた。


「……!」


 レイディルは一瞬だけ視線の置き場に困り、思わずスッと目を逸らす。


(……あぁ、これか)


 昨夜、玄関でウェリティアが妙な反応をしていた理由を、彼は今さら理解した。


 そんなレイディルの様子を、アリーシアスがジトっとした半目で見上げている。


「……まぁ、許してあげましょう」


「えっ、なにが?」


「別に?」


 アリーシアスはそっぽを向きながら答える。


「なにせ、わたしの未来は約束されていますからね」


「……?」


 意味が分からず首を傾げるレイディルを見て、フェリシアが「あらあら」と小さく笑った。


「それじゃあ、行ってきます」


「えぇ、気を付けてね」


 フェリシアは柔らかく手を振る。


 朝の柔らかな陽射しの中、レイディルとアリーシアスはエングラム家を後にした。

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