42話・幕間「嵐前、兵は静かに」
──レイディル達がカーネスを立つ少し前。
風がそよぐ。
街はまだ眠りの底にあり、東の空の光はかすかに海を染め始めたばかりだ。
帝国元帥、アーヴィング・アルマディスは部下を伴うこともなく、一人だけ海を眺めていた。
潮の匂い。遠くで鳴く海鳥。
その静寂こそが、彼にはよく似合っていた。
若き兵は、戦いの兆しを前にしてなお静かだった。
「……」
この水平線の向こう──あの“機械の騎士”がいる。
瞳に宿るのは警戒か、期待か。
表情は読めない。ただ、揺らぎのない意志だけがそこにあった。
「何を思う、アーヴィングよ」
声に振り返る。
気配すらなく背後に立っていたのは、帝国皇帝ガンディール・ヴァルディウス。
「陛下、護衛も付けずとは……不用心ですな」
アーヴィングは口の端を吊り上げた。
皇帝に護衛など無意味──
そう言外に語る、不敵な笑みである。
「何を思うかと問われれば、色々と……ですね。
そういえばエルバルト港の防衛は誰が?」
「ロデリック、と言いたいところではあるが、ヤツは二度大型ギガスを破られた為、謹慎を言い渡している」
「謹慎……ですか」
アーヴィングは小さく息を吐く。
それは呆れでも侮りでもなく──同じ“元帥”だからこそ抱く複雑な感情だった。
「しかし、ヴァルストルムの強大な力の前では敗れるは必然」
「うむ、わかっている。だが……あの男は己を律しすぎる。
放っておけば自らを削り落としかねん。少し、間を置かせた」
皇帝の耳にも報告という形でロデリックが自爆覚悟で戦い抜いた話は聞こえている。
「なるほど……“謹慎”という名の休暇、というわけですか」
アーヴィングの口元がわずかに緩む。
「ヤツは必ず戻る。武人としての芯は折れておらぬ。
ならばいずれ、また戦場で使える」
アーヴィングは静かに頷く。
この皇帝が最も信頼をしているのはロデリックだ。
彼にもそのことは十分に分かっていた。
「して、アーヴィング、進捗は如何に?」
「八割と言ったところですが──我が新しき力、ヤツにどれほど通用するか、私は知りたい」
アーヴィングはそう言い、拳をグッと握り込む。
「そうか、そこまで物にできたか。
クックックッ、見事使いこなしてみるがいい」
ガンディールの声は静かだ。しかしその静寂は、まるで深海の圧のように重い。
「再び相見える刻は近い、そう考えると自ずと震えが走ります」
「武者震い、か。やはりお前も変わり者のようだな」
アーヴィングはわずかに視線を落とし、短く息を吐いた。
「……変わり者、ですか。そうなのかもしれません」
そしてゆっくりと言葉を継ぐ。
「なにしろ私は一度あの“騎士”に敗れていますがヤツはまだ強くなる、そう思っているのですから」
「ほう?」
「あの騎士、ヴァルストルムに乗っている操縦者です。
彼は若く未熟、しかし、彼が心身共に強くなった時、あの騎士はもう一段階高みに行くでしょう」
アーヴィングの言葉に皇帝は何も言わず、ただ口角を上げるのみだった。
「そして、あれほどの武に出会うのは、生涯に一度あるかどうか……あれを倒すためなら、この身などいくらでも焼き尽くして構いません」
アーヴィングは拳を握ったまま、視線を海へ戻した。
その横顔に宿るのは、臣下のものではなく一人の戦士としてのものだ。
「つまり貴様は、まだ満ちておらぬのだな」
「はい。ヴァルストルムと私、未だ頂きには達してはいない」
「頂き、か」
アーヴィングの返事にガンディールは笑ったかどうか、判別がつかないほどの微細な動きを見せる。
だが確かに、海風より冷たい気配が広がった。
「アーヴィングよ。私はな……強き者が好きだ」
「存じております」
「だが、より好むのは“強くあろうとする者”だ。
たとえ敵であれ、な」
アーヴィングはゆっくり頷いた。
「お前の言う操縦者、果たして“強くあろうとする者”か“流される者”か……」
重い声が海辺に落ちる。
「──私は期待しています。
彼、レイディルと……あのヴァルストルムに」
ガンディールはその答えに何も言わなかった。
ただ、海を照らし始めた朝の光が、二人の影を長く伸ばしていた。




