40話「草原を越えて、最善を問う」
馬車の運転を博士と交代し、レイディルたち三人はキャビンで揺れに身を任せていた。
草原を機動馬車は駆け抜ける。
起伏の多い場所も、勾配がある坂も、改良された馬車は難なく走破する。
ほどなくして、窓の向こうに小さな村が見えてきた。
建物の煙突からは白い煙が立ち上り、生活の気配を漂わせている。
それはまるで「問題なし」と告げているようだった。
帝国軍が撤退したことは、遠目にもはっきりと分かった。
「うん……あの、煙、出てますね。……あれ、平和なやつです……あ、いや、えっと……生きてる感じがして」
レイラが気のゆるい声でつぶやく。
馬車の揺れが心地いいのか、それとも座席が快適なのか──彼女は、いつになく力が抜けているようだった。
もっとも、リオ山道に着けばまた戦いが待っている。
(気を抜ける時に緩めておく、大切なことですね)
アリーシアスはそう思案し、レイラの言葉を訂正するでもなく、本へと視線を落とす。
彼女の隣では、腕を組んだレイディルが珍しく船を漕ぎ、小さな寝息を立てていた。
(この人は……休めるチャンスがあるなら寝ておいた方がいい……かな?)
そう思った矢先、馬車が揺れた。
「──ッ!」
さすがの改良型の衝撃吸収機構でも、揺れを完全には消せなかったらしい。
レイディルが小さく跳ねて、頭がアリーシアスの肩にこつんと当たる。
彼は一瞬むにゃりと眉を寄せたものの、すぐにまた静かな寝息へ戻った。
(……鈍いというか、図太いというか……それだけ疲れているってことなのかな)
アリーシアスは小さくため息をつき、それ以上動かすのも面倒だったのか、そのままにして本へ視線を戻した。
そんな二人を後ろから見守るマリーが小さく「あらあら」とつぶやき微笑む。
徐々に荒れる道をものともせず、馬車は軽快にリオ山道へと向かっていった。
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やがて馬車は、リオ山道へ通じる手前の平原に差し掛かると、速度を落とした。
山道の攻略に備え、アルバンシア軍がそこに陣を築いている。
陣の入口で機動馬車は停まり、博士が見張りの兵へ軽く挨拶を交わす。
そして再び馬車を進め、陣の中心部へと入っていった。
「みんな、お疲れ。──到着だよ」
博士が振り返り、キャビンの四人に告げる。
ぞろぞろと馬車を降りる中、レイディルは少し眠そうにしながら肩を回し、身体をほぐしていた。
一番に馬車を降りたレイラが振り返り、静かに頭を下げる。
「それじゃあ……みなさん、短い間でしたが──あ、ありがとうございました……」
ここからは再び、大隊長としての任務が待っているのだ。
「お、思い返せば、私としても……珍しい、任務だったと……思います……アリーシアスさんの魔術……とても頼りになりました。
それにマリーさんのご飯……美味しかった、です。毎日とても幸せな、食事でした」
その言葉にアリーシアスは軽く笑みをこぼし、マリーはにこやかに微笑み返す。
「え、えーと……」
レイラは博士をチラリと見やり、しばし戸惑う。
「無理に言葉を出さなくてもいいよ。
僕なんか後で合流しただけだからね」
クラウス博士は苦笑しながら、手をパタパタと振る。
「あ、でも、馬車……とても凄かったです。
……ありがとうございました」
「ははは、何よりの言葉だ」
博士は満足気に笑い返した。
「ま、街を奪還する作戦で……なんというか不謹慎かも……知れませんけど、良い思い出になったと、思います……」
本心からの言葉なのだろう、レイラはこの場を離れるのが名残惜しそうだった。
「あ、えーっと」
レイラが何か言いたそうにアリーシアスを見る。
それを察したのかアリーシアスから彼女に声をかけた。
「レイラさん、もし戦いが終わったら、年齢差気にせず一緒に出かけませんか? 今度はお仕事抜きで」
「あ、ありがとうございます! 是非!」
レイラは顔を赤らめ、慌てて言葉を繋いだ。
そして少し考えるように、アリーシアスを見つめる。
「アリーシアスさんって……十五歳なんですよね? なのに、すごく落ち着いてるというか、いつも冷静というか……私、見習いたいくらいです」
「そんなふうに見えますか? まぁ、常にそうあるべきと心がけてますので……中身は案外、普通の少女ですけどね」
アリーシアスは小さく笑い、どこか照れくさそうに髪を耳にかけた。
その様子に、レイラもつられて微笑む。
(うーむ……オレの知らないうちに、ずいぶんと打ち解けたんだな)
二人のやり取りを見ながら、レイディルは小さく感心した。
自分がいないところで、この二人が仲良くなる──意外だったが、面白い光景だと彼は思った。
レイラは一歩下がり、ふとレイディルへ視線を向けた。
「レイディルさんもいろいろ、お世話になりました。解析魔術……とても助かりました」
「いや、オレのほうこそ。剣のこととか、教わることだらけでしたよ」
「あの、訓練のほう……ちゃんと続けてくださいね。あれ、きっと力になりますから。
でも、適度に……適度にお願いしますね」
レイラに念入りに注意されレイディルは苦笑で返した。
「な、なるべく頑張ります……」
「出来れば……遵守でお願いします。
無理して倒れられたら、私がアリーシアスさんに叱られちゃいますからね」
レイラは少女をチラリとを見て笑った。
アリーシアスは一瞬きょとんとした顔を見せたが、やがて自分のいつものレイディルへの態度を思い出し笑い返した。
「で、では……」
そう言って、レイラは軽く頭を下げる。
その笑顔は、戦いの後に街で見たどんなものよりも穏やかだった。
──静かな別れの空気が流れる。
一同がレイラを見送っていると、遠くから同じ騎士大隊長のエリオスがレイラの元へ駆けてくる。
どうやら「温泉はどうだった?」「泉質は良かったか?」と、質問攻めしているようだった。
レイラは困ったように笑いながら、それに答えている。
そのやり取りを見て、レイディルたちは自然と笑みをこぼした。
レイラと別れた一行は、作戦本部のあるテントへと向かう。
テントの垂れ幕を開け潜り、中へ入るとグレオールとリオルドがいた。
最終の打ち合わせをしているようだった。
二人が入ってきたレイディルたちに気付き顔を向ける。
「よっ! おつかれ、上手くやったようだな!」
リオルドは満面の笑顔で労ってくれた。
「お疲れ様です。将軍はいま部隊を見に行っていますよ」
グレオールが軽く挨拶をする。
彼の言うとおりテント内にバーグレイ将軍の姿はなかった。
「さて皆さんにも作戦概要を──と言いたいところですけど……」
グレオールは少し間をあけ、続く言葉を出す。
「……あっ、そうだ。レイディル君にちょっとだけ“報告”がありましてね」
その声色は淡々としているのに、どこか探りを含んでいた。
まるで反応を見定めるような口調だった。
急に名指しされたことにより、レイディルは一瞬身を固くし警戒する。
テント内の空気が、ほんの僅かに張りつめた。
「ヴァルストルムのことですが、僕の方で解析魔術を使える兵を何人か見繕いました」
グレオールは持っていた資料を机に置き、淡々と告げる。
紙の乾いた音が、妙に耳についた。
彼の言いたいことはつまり、予備の操縦者を検討していた、ということだ。
その言葉にレイディルは不意打ちを食らったかのようにきょとんとし、アリーシアスは眉間に皺を寄せている。
「そして君が以前、そこのクラウス博士に報告した通りの操縦方を学ばせようと思ったんですが──」
一息置き、肩をすくめ続きを言う。
「僕は解析魔術なんて使えませんけど、いやぁ……難しい、というか“頭おかしい”って感じみたいですね。
あれを平然とこなす君の神経、見習いたいくらいです」
彼は苦笑を浮かべていたが、その目は笑っていない。
「お前なぁ……」
グレオールの棘混じりの言い方に、隣のリオルドも呆れた声を出す。
「なんかヤな感じですね……」
レイディルの一歩後ろに立っていたアリーシアスが小声でぼやいた。
「さてさて、カーネスの街のことはレイラ大隊長の報告書で把握していますので、あえて他に報告がなければ、次に進みましょう」
グレオールは机上の資料をちらと一瞥しながら言った。
「とはいえ、細かい打ち合わせは将軍が戻ってからの方が都合がいいですね。
それじゃ、それまで休憩でもしててください。
後で呼びますので、あまり離れないようにお願いしますよ」
軽い調子でそう言い放つ。
その言葉を受け、一同はとりあえずテントを後にした。
テントを少し離れたところで、レイディルが足を止めアリーシアスに声をかける。
「小声とはいえ、さすがにストレートに言いすぎだぞ……」
呆れたように言うレイディルに、アリーシアスは振り返りすぐに言い返した。
「レイディルは、なんとも思わないんですか?」
「そりゃあ、あの人がオレのこと好きじゃないってのは、わかるけど……」
「そうじゃないですよ。勝手に予備の操縦者を用意しようとしたことです」
アリーシアスは感情を露わにして、珍しく語気を強める。
「とは言っても、必要なことだとは思う……」
「違います、違うんですよ……わたしが聞きたいのは……」
彼女は一度息を吐き出して言葉を続ける。
「ヴァルストルムさんの操縦者を取られるかもしれない、それをなんとも思わないんですか、ってことです」
ハッキリと言われ、ようやくアリーシアスの聞きたいことがわかった。
それと同時に、彼は自分の気持ちが曖昧なことに気づく。
「……どうだろうな、うーん……結局上手くいかなかったみたいだし」
言葉を探しながら、レイディルは視線を地面に落とした。
踏みしめた土がかすかに音を立てる。
「……最善を考えたら、予備を立てるのは当然のことだし……」
そう言いつつも、言葉の末尾がどこか弱々しかった。
グレオールの“予備の操縦者”の計画を聞いた時、一瞬心に動揺が走った。
しかし、それが結局うまくいかなかったと聞いて、胸の奥がほんの少しだけ軽くなった気がした。
その理由を考えるのはどこか気が引けて、すぐに思考をそらした。
最善があるなら、それが一番に決まっている。
そう言い聞かせて、その感覚にはそれ以上触れないようにした。
「……皆が助かるなら、それが一番だと思う」
理屈ではそう言える。
けれど心のどこかで、何かが引っかかっていた。
それが何なのか、彼自身まだ言葉にできないでいた。
その顔は、僅かに曇っていた。
(あぁ──この人は……レイディルは“最善”という言葉で気持ちに蓋をしているんだ)
アリーシアスは静かにそう理解した。
それは、彼自身の善性でもあった。
嫌だと思う感情を、我儘だと断じて。
“こうあるべきだ”と無意識のうちに押し殺している。
「なんにしても──ヴァルストルム君は君の相棒だ。少なくとも僕はそう思う。
それを忘れちゃいけないよ」
黙って見守っていたクラウス博士が口を開いた。
「確かに、予備の操縦者がいたらディル君ばっかり頑張らなきゃ! って気持ちも楽になるかもしれないわね。
もしかしたらグレオールさんが望むような戦い方をする人が現れるかもしれないわ」
ヴァルストルムの力で敵兵を薙ぎ払う、あるいはラディアント・ブラスターを迷いなく撃つかもしれない。
そうすれば、味方の犠牲も減るだろう。
その場合、正式な操縦者はその人物に代わる可能性もある。
だがそれは今のパーティの解散を意味する。
「でも、私も嫌ね。ディル君に頑張れと押し付けたいわけじゃないけど……この四人でいることが楽しいもの」
マリーの言葉はアリーシアスの気持ちを汲んだものだった。
「そもそも、レイディルはもう『ヴァルストルムさんの力で蹂躙はしたくない』ってワガママを言ってるんですから、嫌なものは嫌って言えばいいんですよ。
少なくともわたしたちには、ですけど」
自分たちには言いたいことを言っていいとアリーシアスは言う。
皆の言葉にレイディルはわずかに目を見開いた。
「そうかな、そうなのかもな……」
レイディルは改めて己の内に問う。
(ヴァルストルムに乗ったのは、成り行きだけど、使命感だとか、義務だとかそんなの抜きにして──)
そんな大層な言葉じゃなくて、もっとずっと小さくて、情けないほど個人的な気持ちが浮かび上がる。
「……わからないけど、うん……オレはヴァルストルムの操縦者でありたい、かな」
そう言いながら、遠くに置かれた巨躯の騎士のことを思い浮かべた。
「まぁ今はそれで良しとしましょう」
今はそれが彼の精一杯の返答なのだろう。
アリーシアスはそう結論付けた。
背後から声がかかる。
「おっ、思った通りまだ近くにいたな」
テントからリオルドが出てきて声をかけた。
「さっきのアレだけどな、アイツなりの嫌がらせみたいなもんだ」
あんまり気にすんなと付け足す。
「……ディル君に“予備を立てるぞ”なんてわざわざ言うの、あの人なりの圧なのかもしれないわね……」
マリーは半目で視線を横にし、腕を抱えるようにして言う。
「“手緩い操縦をするな”って、遠回しに釘を刺したつもりなんでしょうね」
「レイディルは良くやっています。手抜きなんて一切してませんよ」
マリーの言葉に頬を膨らませアリーシアスが反論をした。
「おいおい……冷静にあろうと心がけてるんじゃなかったのか」
先程アリーシアスがレイラに言った言葉を思い出し、レイディルが突っ込みを入れる。
「まぁ、オレのことで怒ってくれて……あー、サンキューな」
少し照れながらも礼を述べる。
「この場合だと、必要なら迷わずぶっ叩け──って類のほうだろうな。
グレオールのヤツは常に兵の消耗気にしてるからな」
兵の消耗を減らす。
それは以前からグレオールがヴァルストルムに求めていたことでもあった。
「まっ、とりあえずそこら辺ブラブラしとけよ。気分転換になるだろ」
リオルドはそう言いレイディルの背中をバシンと叩いて再びテントに戻って行った。
「そうだな……じゃあオレ、ちょっと歩いて来ます」
レイディルは三人にそう告げ歩いていった。
その後ろ姿はどことなく覇気がなく、小さく揺れる影が心の迷いを物語っていた。
「うーん、大丈夫かな?」
博士が心配そうな顔で彼の後ろ姿を見送る。
「大丈夫でしょう。帰ってきても難しい顔してたら、わたしがばーんと何か言いますよ!」
アリーシアスは腕を腰に当て、鼻息を荒くした。
陣の入口付近。
慌ただしく山道攻略の準備をする兵を知り目に、レイディルは遠くを物憂げに見つめる。
何をするわけでもなく、かれこれ十数分。
(グレオールさんの言うこともわかる……けど、それはそれとして、自分のことが一番わからないな)
レイディルは心の中でそう自重し、ぼんやりと時間をやり過ごした。
しばらくして、自分に喝を入れるように両頬を手で叩く。
「よし! そろそろ戻るか」
難しく考えるのは一旦置き、気持ちを切り替える。元来た道を歩き始めた。
レイディルが陣の中ほどに着く頃、背後から声がかかる。
「あー、そこの人、すいません」
辺りを見渡しても他に人はいない。
どうやら自分に呼びかけられたらしい、とレイディルは理解し、振り向く。
「オレですか?」
自分を指さして問い返すレイディルに、少女は気だるげに応じた。
「そです、そこのキミ」
視線の先には、一人の少女が立っていた。
気だるげな表情とは裏腹に、その瞳はどこか鋭く深く、レイディルをじっと見つめていた。




