前へ目次 次へ 73/95 14-2 また、後に光孝天皇(こうこうてんのう)の息子の源定省(みなもとのさだみ)が同じように源姓を与えられていたのに皇位を継承した(宇多天皇(うだてんのう))のですが……陽成院(ようぜいいん)は彼が館の側を通りがかったときに、「あれは私の臣下であったものであろうがっ!」と批判したと言われています。 融(とおる)の後継者発言に陽成院(ようぜいいん)が関わっていたかどうかは謎ですが、基経(もとつね)と陽成院(ようぜいいん)の仲の悪さがここで見えるような気もしますね。 さて、それはともかく、河原左大臣(かわらのさだいじん)と言われた彼はとても贅沢で優雅な暮らしをしていたようです。