第7話 荷車が消えた朝
翌朝、ノルデンの集荷場は異様な静けさに包まれていた。
本来であれば、近隣都市での初回市場に向けた保存食や木工品の積み込みで、馬のいななきと御者たちの声でごった返しているはずの時間だ。しかし、集荷場には木箱が山積みになっているだけで、肝心の輸送用荷車が一台もなかった。
「……見事にやられましたね」
クラウディアは整然と積まれた木箱を見つめながら、静かに呟いた。
王都や近隣都市と結ぶ主要な輸送業者三社が、一斉に契約を破棄しただけではない。彼らは中央系列の巨大商業組合の資金力に物を言わせ、近隣の村々にある予備の荷車や馬まで、相場の三倍近い高値で『期間借り切り』という名目で押さえていた。
ノルデンから荷物を運び出す物理的な手段を、根こそぎ奪い取ったのだ。
「所長」
会計主任のマルタが、焦燥を滲ませて駆け寄ってきた。
「このままでは、隣町の明日の市に間に合いません。製品が届かなければ売上はゼロ。出店料だけが赤字として残り、賠償配当も出せなくなります」
「分かっています」
「非常時です。当区の一般居住区にいる住民たちから、農作業用の荷車を強制的に徴発すべきです。賠償執行事業の維持を大義名分にすれば、特例として通ります」
マルタは非常時の規定集を開いていた。だが、輸送契約の破綻を理由に、住民の農作業まで止めてよいとは思えなかった。
だが、クラウディアは即座に首を横に振った。
「却下します。権力と大義名分を盾に、他人の正当な財産や労働力を強制的に奪う。それでは、一年前の祝賀会で私からすべてを奪った連中と何ら変わりありません」
クラウディアの瞳には、冷たい怒りの炎が静かに灯っていた。
「私たちは、奪われたものを正当に返すためにここを運営しています。手段を違えれば、制度そのものの正当性が崩れる。……マルタ、一般住民と近隣の村へ『公開単価での臨時輸送募集』をかけてください。強制ではなく、王国の規定に基づく適正な市場価格で、手の空いている荷車と馬を募るのです」
「しかし所長、それでは……」
「やってください」
クラウディアの強い意志に押され、マルタは手配に走った。
数時間後。
ノルデンの門の前に集まってきたのは、中央の業者が借りそびれた、あるいは農作業の合間を縫ってやってきた、規格外の小さな荷車や、年老いた馬ばかりだった。数こそなんとか揃ったが、積載量も移動速度もバラバラだ。これをそのまま出発させれば、道中で馬が倒れるか、荷崩れを起こして全滅するのは目に見えていた。
「これでは、夕方までの市場搬入には間に合わないな」
傍らで監査記録をつけていたアルヴィンが、腕を組みながら現実的な見解を述べた。
クラウディアもそれは分かっている。だが、彼女の手元には、まだ使える『手札』があった。
「ダリウス・カイルをここへ」
クラウディアの指示で、道路管理と荷車の班へ配属されていたダリウスが連れてこられた。彼は灰色の作業着姿で、不満げに周囲の惨状を見回した。
「なんだ、この寄せ集めは。こんなひ弱な馬とガタのきた荷車で、大口の輸送をするつもりか?」
「ええ。そこで、あなたの力を使います」
クラウディアはダリウスの前に、集まった馬と荷車のリスト、そして周辺の地形図を突き付けた。
「あなたは元近衛系貴族として、馬の体調管理、荷車の積載バランス、そして行軍ルートの構築において高度な教育を受けているはずです。この寄せ集めの部隊を、最も効率よく、馬を潰さずに目的地まで到達させる編成とルートを組みなさい」
ダリウスは図面と馬たちを交互に見比べ、鼻で笑った。
「ふん。ようやく私の価値に気づいたようだな。いいだろう、この絶望的な状況を救ってやる。だが、これだけの功績を立てるのだ。当然、私の残債務は大幅に免除してもらうぞ」
特権階級の意識が抜けきらないその発言に、クラウディアは氷のような視線を射抜いた。
「勘違いしないでください、ダリウス。あなたがこれから行うのは『英雄的行為』ではなく、単なる『熟練物流業務』です。あなたの働きは王国の市場単価に基づいて厳密に労働評価額へ換算され、規定の控除後の労務評価と、事業利益からの配当が積み立てられます。着金した分だけ、八十金貨の残債が減ります。功績で罪が帳消しになる特権など、ここには存在しません」
「なっ……」
「編成案を出してください。馬の持ち主と現場監督が安全を確認してから採用します」
自尊心を正確に抉られたダリウスは、顔を真っ赤にして図面をひったくった。
それからの彼の働きは、確かに見事だった。
ダリウスは即座に馬の骨格と筋肉の付き方から積載上限を割り出し、荷物を再分配した。老いた馬には平坦な遠回りルートを、若い馬には起伏のある短距離ルートを割り当て、休憩のタイミングまで分刻みで指定していく。
彼が怒声とともに的確な指示を飛ばすことで、烏合の衆だった荷車部隊は、一つの統制された輸送隊へと変貌した。
「……驚いたな。あの男のプライドを、見事に実務の推進力に変換した」
アルヴィンが、次々と出発していく荷車を見送りながら感心したように言った。
「彼らは有能です。王都で最高峰の教育を受けてきたのですから。その能力を、今度は被害者への返済に使ってもらいます」
クラウディアの言葉通り、ダリウスの構築したルートと編成により、荷車部隊は馬を一頭も潰すことなく、通常より半日遅れではあったものの、日没前になんとか市場への搬入を完了させた。
しかし、安堵する間もなかった。
夕刻、臨時輸送を終えて戻ってきた農民の一人が、運賃を受け取りながらマルタに声を潜めて漏らした言葉が、クラウディアの耳に届いた。
「……なあ、あんたらの所の荷物を運んでやったが、今度そっちで開く市場、本当にやれるのか?」
「どういう意味ですか?」
「町中に出回ってるんだよ。王都の偉いさんが言ってたってな。『ノルデンの囚人が作った製品は不衛生で呪われている』『あんな所の品を買う商人は、王家から睨まれて取引を止められる』ってな。大手の輸送業者が逃げたのも、その噂にビビったかららしいぜ」
農民が帰った後、クラウディアとアルヴィンは重苦しい沈黙を共有した。
中央の敵は、物理的な足をもぎ取れなかったと知るや、今度は目に見えない『風評』という猛毒を市場に撒き散らしていたのだ。
隣町への荷は届いた。だが、次に開くノルデン自身の市場へ、商人を呼べるだろうか。




