第5話 王太子が選んだ妹
灰色の空から細かい霧雨が落ちてきた頃、ノルデンの広場に一台の護送車が到着した。
扉が開き、薄汚れ、すっかり怯えきった様子の少女が転がり出るようにして降りてきた。かつては王都の社交界で、愛らしい小鳥のようだと持て囃されたクラウディアの妹、セシリア・ヴェルンだった。
彼女は出迎えに立っていたクラウディアの姿を認めると、すがるような目で駆け寄ろうとした。
「お姉様……! ああ、よかった。私、こんな酷い馬車に乗せられて……」
「立ち止まりなさい」
セシリアはびくりと肩を震わせ、足を止めた。
彼女は一年前の祝賀会で、ユリウスの腕にすがりつきながら、姉が不正を働いていたと涙ながらに偽証した。そうすれば、ずっと羨んでいた姉の地位――『王太子妃候補』の座を奪い、自分が両親から評価されると信じていたのだ。
だが、その偽証は三か月で暴かれた。
今、セシリアが身に纏っているのは、華やかなシルクのドレスではない。ノルデンの他の労働者たちと全く同じ、色気も何もない灰色の作業着だった。
「私はこの試行区の所長、クラウディア・ヴェルンです。そしてあなたは、二百四十金貨の残債を負ってここへ送られてきた執行対象者。それ以上でも以下でもありません」
「そんな……お姉様、お願い、私を許して。あの時は少し魔が差しただけで……!」
「許しを乞う必要はありません。必要なのは着金です」
クラウディアは分厚い規則書を差し出し、セシリアが受け取るのを待った。
「あなたは姉を陥れただけではなく、国庫の事業を凍結させ、十二名の被害者に経済的損害を与えた加害者です。今日からここで働き、自らの労働評価で二百四十金貨を返し切るまで、王都には帰れません」
クラウディアは、規則書に挟んだ判決書の写しも開かせた。
「刑事上の奉仕期間と賠償は別です。移送前に執行された期間も通算しますが、判決で定められた満了日前に刑の執行が終わることはありません。先に期間が満了しても、残債があれば賠償の執行は続きます」
セシリアは二つの欄を見比べ、その場へへたり込んだ。
事務棟への割り当てに向かう途中、セシリアは泥にまみれて木材を運んでいる一人の男とすれ違った。
男がふと顔を上げる。
「……セシリア?」
「ユリウス、様……」
一年前のあの日、彼らは大勢の貴族の前で愛を誓い合い、ユリウスはセシリアを『次の婚約者』として迎えることを公言した。王家も翌日からその言葉を婚約内定として扱った。
しかし、偽証が発覚しユリウスが廃嫡された瞬間、その内定は泡と消えた。
気まずい沈黙の後、ユリウスは目を伏せ、無言で泥だらけの丸太を担ぎ直して歩き去った。セシリアもまた、彼を追いすがることはなかった。
「セシリア。あなたの担当は、中央局から送られてきた過去の送金票と、当区の出納台帳の照合作業です。ただし、あなたに単独で帳簿へ数字を書き込む権限は与えません」
所長室の隣にある小さな事務室で、クラウディアは膨大な書類の山を指し示した。
セシリアは泥にまみれたユリウスを見て、自分はあんな屈辱的な肉体労働はごめんだと思っていた。彼女は幼い頃から、数字の計算や文字の模写だけは得意だった。ここで自分が『姉よりも有能な事務員』として役に立てば、待遇が良くなるかもしれないという浅はかな計算が働く。
「……わかりました。お姉……所長。私、数字の処理なら誰よりも早く正確にできますから」
セシリアは席につき、すぐに送金票の山に取り掛かった。
数時間が経過した頃。彼女は束の中から数枚の送金票を抜き出し、勝ち誇ったような顔でクラウディアと、監査に立ち会っていたアルヴィンの前に持ってきた。
「所長、見つけました。この三枚の送金票だけ、他のものと違います」
「違う? 金額や日付に不審な点はないが」
アルヴィンが眉をひそめて覗き込む。セシリアは得意げに書類を指差した。
「数字の中身じゃありません。書き方の『癖』です。この『7』の跳ね方と、金額の間の微細な空白の取り方。これは、中央の特定の部署で使われている暗号に近い内部様式です。表向きはただの送金票に見えますが、後で特定の人物だけが拾い出せるように目印がつけられています」
クラウディアとアルヴィンは顔を見合わせた。
確かに、よく見比べなければ分からないほど微細だが、その数枚だけインクの筆圧と文字の配置が意図的に歪められていた。先日の『管理予備金』という不審な控除欄と合わせれば、中央局の誰かが、何かを操作するための布石である可能性が高い。
「なぜ、あなたがその内部様式の癖を知っているのですか?」
クラウディアの静かな問いに、セシリアの得意げな顔がサッと青ざめた。
「そ、それは……」
「一年前に私の帳簿を偽造した際、あなたにその『王太子府や一部の官僚だけが使う数字の癖』を教え込み、本物の書類に混ぜ込ませた人物がいるはずですね」
セシリアの有能さは、この辺境を救うためのものではない。姉を陥れるための嘘をつく過程で、中央の官僚から吹き込まれた技術の残滓だった。
セシリアは唇を震わせた。
「だ、誰に教わったかは……言えません。もし言ったら、あの人は……私に何を……」
「無理にとは言いません。ですが、あなたが過去に誰とつながり、何をしたかという事実は消えません。引き続き照合作業に戻りなさい。今日の照合分はマルタが再確認します。適正に評価して積み立てますが、残債が減るのは被害者への着金を確認してからです」
セシリアは肩を落とし、逃げるように自分の席へと戻っていった。
その夜、所長室でアルヴィンが低い声で言った。
「セシリアに入れ知恵をし、内部様式を教えた黒幕がいる。そいつが今、我々が扱う中央局の送金票にも関わっている可能性が高いということだな」
「ええ。一年前の私の断罪と、今このノルデンに起きようとしている不審な動きは、間違いなく一本の線でつながっています」
「証言は別に記録するか?」
「今は書式を保全しましょう。証言は労働評価と切り離します。誰に教わったかは、別の記録でも確かめなければ」
クラウディアは問題の送金票を別の封筒へ移し、保全記録に日付を入れた。
その下には、夕刻に届いた追加の護送通知が置かれていた。翌朝の直行便に乗る者たちの名を確かめ、彼女は名簿を伏せた。
翌朝。
まだ薄暗いノルデンの広場に、重々しい蹄の音を響かせて、一台の堅牢な護送便が到着した。
追加の護送通知が届いていた、王都からの直行便だ。
クラウディアはすでに手元にある名簿を握りしめ、アルヴィンと共に広場へと歩み出た。
鉄格子の扉が開く。そこから降りてきたのは、見覚えのある三人の顔だった。




