第38話 閉鎖告示と偽の回収命令
灰色の雲から粉雪が舞い散る朝。
ノルデンの中心にある広場の掲示板に、王都から届いた公式な通達が貼り出された。
『ノルデン賠償執行区に対する、即時の閉鎖および事業解体申請の受理について』。
ベルナール侯爵が放った最後の一撃は、瞬く間に町中へ広がり、住民や商人たちの間に激しい動揺を巻き起こした。
「おい、本当にこの町は潰されちまうのか!?」
「共同倉庫の改修で、組合の資金をかなり突っ込んだばかりだぞ。もし閉鎖されたら、俺たちの投資も、これからの雇用もどうなるんだ!」
広場に集まった一般住民や行商人たちが、不安と怒りの声を上げる。
無理もない。昨日まで活気に満ちていた自分たちの職場と生活基盤が、王都の貴族の一存で理不尽に消し飛ばされようとしているのだ。パニックになってもおかしくない状況だった。
だが、その騒ぎの中心に、クラウディアは隠れることなく進み出た。
「皆さんに、隠し事はしません」
クラウディアは台の上に立ち、広場に響き渡る声で告げた。
「王都の裁判所に閉鎖申請が受理されたのは事実です。ですが、決定はまだ下されていません。……そして、万が一最悪の事態になったとしても、皆さんを決して路頭に迷わせないための準備は、すでに整えてあります」
彼女はマルタから受け取った分厚い束を掲げた。
「これは、当区が閉鎖された場合の『撤退時事業計画書』です。共同倉庫や設備に投資していただいた所有権を守り、売却損も見積もった資金保全案、皆さんの雇用継続を近隣都市へあっせんする契約書の草案、そして被害者の方々への積立資金の返還計画まで、確定した契約と、まだ交渉中の条件を分けて記載してあります。投資額の全額回収まで保証はできません」
住民たちは息を呑んだ。
「私たちは、王都の理不尽な圧力に対して最後まで法廷で戦います。ですが、皆さんはご自身の生活を第一に考えてください。今日このまま店を閉め、この計画書に沿って清算手続きに入っても構いません。選択権は、皆さんにあります」
逃げ隠れせず、最悪の事態の責任をすべて背負う覚悟を示した所長の言葉に、広場は静まり返った。
やがて、工房長のローディンが太い腕を組み、鼻で笑って進み出た。
「……随分と立派な計画書だがな、所長。俺たちはそんな薄暗い紙切れを使う気はねえよ」
「ローディン……?」
「あんたがこの町に来てから、俺たちはただの監視役から、自分たちの足で立つ商人や職人になれたんだ。あんたが作った『働いた分だけ、正当に金が回る』って制度を、俺たちは信じてる。……王都の馬鹿げた紙切れ一枚で、俺たちが築いたこの町を畳んでたまるか」
ローディンがそう叫ぶと、周囲の商人たちも次々と賛同の声を上げた。
「そうだ! 今日もいつも通り、冬物の出荷を進めるぞ!」
「俺たちを潰したければ、王都の連中が直接ここまで来て荷車を止めてみろってんだ!」
不安は消え去り、住民たちは自らの判断で、今日という日を動かし続けることを選んだ。
クラウディアは小さく頷き、深く一礼した。
しかし、ベルナール側の真の狙いは、単なる町の閉鎖による嫌がらせではなかった。
同日の夜。帳簿の棚卸しが終わりかけた頃、事務棟の最奥にある重要書類の保管庫の前に、王都からの使者を名乗る二人の男が立っていた。パスカルの息がかかった、賠償管理局の査察官たちだった。
「本局からの正式な『原票回収命令』だ。ノルデン閉鎖の準備として、これまでの送金原票と帳簿類をすべて王都で引き取る。そこをどけ」
査察官が傲慢な態度で書状を突きつけるが、保管庫の前に立ちはだかる会計主任のマルタは、一歩も引かなかった。
「お断りします。その回収命令書は、無効です」
「無効だと? 管理局長であるベルナール侯爵の正式な決裁印が押されているのが見えないのか!」
「ええ、見えますよ。ですが……この印は、すでに失効した旧印の形です。それに、現在の保全命令を解除する裁判所の文書が付いていません。発行元への照会が済むまで、引き渡せません」
マルタの鋭い指摘に、査察官たちは顔を引きつらせた。
騒ぎを聞きつけ、所長室からクラウディアとアルヴィンが駆けつける。
さらに、事務照合作業を担当し、保管庫の整理を行っていたセシリアも、棚の陰から青ざめた顔で姿を現した。
「彼らの狙いは、百四十六金貨の横領と外郭口座に関する『証拠隠滅』だ。閉鎖の混乱に乗じて、原票そのものを消し去るつもりだったのだろう」
アルヴィンは男たちと保管庫の間に立った。
クラウディアはセシリアの方を向いた。
「セシリア。かつて、パスカルがあなたに教えた偽造の癖と、この命令書を照合しなさい」
「……はい」
セシリアは震える手で命令書を受け取り、ランプの光に透かした。かつて、自分の虚栄心のために使った忌まわしい知識。だが今度は、それを事実を守るための技術として使うのだ。
「……間違いないわ。数字の配置と照合記号は、王都で提出した様式と同じです。前の証言記録の写しでも確かめられます」
既存の証言記録との照合結果を記し、命令書を公証人への照会資料に加えた。偽造の確定は、発行記録を調べてからになる。
男たちが原票へ手を伸ばしたため、警備員が制止した。アルヴィンは保全命令違反の疑いを地方司法官へ通報し、身元確認と聴取へ引き渡した。
アルヴィンはすぐさま原本の公証複写を取り、マルタと警備責任者を立会人として、すべての原票を最も堅牢な金庫に『封印保全』した。封印番号を控え、公証された写しは別便で裁判所へ送ることにした。
「マルタが引渡しを止めてくれてよかった。保全命令の写しを、受付にも置こう」
アルヴィンが金庫の鍵をかけながら、低く笑った。
しかし、事態はそれだけでは終わらなかった。
「アルヴィン、これを見てください」
クラウディアが、保全作業の中で整理していた書類の中から、一枚の古い書面を抜き出した。
それは裁判所の文書提出命令で金融組合から届いた、決済番号の対応表だった。個々の番号を、ノルデンに残る送金原票と照合できる。回収されかけたのは、まさにその原票だった。
「これは……中央が天引きした超過手数料と、代理人への工作費用、そして外郭口座への送金ルートが、一本の線で結ばれた決済表だ。ベルナールの犯罪を裏付ける、決定的な証拠になるぞ」
だが、クラウディアの表情は、別の理由で険しくなっていた。
「この対応表も、銀行の原簿と照合をお願いします。……それと、別の書状が届いています」
彼女が机の上に置いたのは、王都の封蝋が押された、一通の秘密の『封書』だった。
「正規の郵便袋に入っていました。受付日と差出人は記録済みです。宛名は……ユリウス元殿下」
「ユリウス宛てだと? 誰からだ」
「王都の、旧王太子派閥からです」
クラウディアの冷たい声が、部屋に響いた。
あの時の断罪で失脚し、すべてを失ったはずのユリウス。
その彼に対し、未だ権力にしがみつく王都の旧派閥が、何を伝えようとしているのか。




