第33話 仕事の外では、あなたを選ぶ
ユリウスが去ったあと、クラウディアは、所長室の窓から暮れゆく辺境の空を見つめていた。
夕方の鐘が鳴り終わり、ノルデンの町は『勤務時間外』の静寂に包まれ始めている。
彼女はゆっくりと振り返り、扉の前に立つアルヴィンと向き合った。
「あの夜。王都の広間で、反証の機会すら与えられずにすべてを奪われた時……私は絶望の中で、誰かが助けてくれないかと、ただ救いだけを求めていました」
クラウディアの静かな声が、夕闇の迫る部屋に落ちる。
アルヴィンは何も言わず、彼女の言葉をじっと待っていた。
「あの時、助けてくれる人がほしかったのも、本当です。今は、助けを借りても、自分の意思まで渡さなくていいと分かります」
クラウディアは一歩、彼の方へ歩み寄った。
「あなたは、私を無理に守ろうとはしなかった。私の仕事を奪わず、私が証拠を揃え、過去を清算するまで、ただ隣に並び立って待っていてくれました。それが、どれほど私に勇気を与えてくれたか」
アルヴィンの灰色の瞳が、わずかに揺らいだ。
「あなたが、私の仕事を奪わずに待ってくれたから」
クラウディアは、アルヴィンのすぐ目の前まで進み、その黒い外套の袖にそっと指先を触れた。
「私は今、仕事の外で……自分の意思で、あなたを選ぶことができます。……私も、一人の女性として、あなたに惹かれています」
アルヴィンは小さく息を呑み、そして、深い安堵と熱を帯びた息を吐き出した。
彼はクラウディアの手をそっと握り、そのまま彼女の身体を自分の胸へと引き寄せた。
「……待った甲斐があった」
アルヴィンの低い声が耳元に響き、クラウディアの心臓が大きく跳ねた。
彼が軽く顎に手を添えると、クラウディアは自然に目を閉じた。二人の唇が重なる。
それは、王都での激しい戦いや、冷たい数字の計算とは無縁の、ただ互いの熱と存在だけを確かめ合う、静かで深く、甘い口づけだった。
クラウディアもまた、長年の緊張を解くように、彼の手を強く握り返した。
「……次の休みは、一緒に過ごしたい。仕事のない君とも、もっと話したい」
「はい。……よろしくお願いします、アルヴィン」
唇を離し、至近距離で見つめ合った二人は、初めて仕事の相棒としてではなく、恋人として、静かに微笑み合った。
翌朝。
ノルデンの執務室は、昨夜の甘い空気が嘘のように、冷たく引き締まった実務の空気に包まれていた。
「所長。先日承認した冬用防寒具の追加資材ですが、こちらの予算枠で発注をかけます」
「確認しました。ですが、その予算枠を使うなら、監察官殿の事前監査が必要です。……アルヴィン監察官、この発注額の妥当性について、午前のうちに確認をお願いできますか」
「現地資料を確認して、本部の審査担当へ送る。承認を受けてから発注を」
二人は交際を始めたことを、監察局とマルタへ届け出た。クラウディアの評価や金銭処理は、アルヴィンの現地確認だけでは決まらない。別の監察官による審査と承認を経る。
マルタは書類を受け取ると、いつもと同じ顔で頷いた。
「連絡経路を変更しておきます。……それと、お二人の休暇申請も忘れずに」
クラウディアは礼を言った。アルヴィンが少しだけ視線を逸らしたのが、可笑しかった。
しかし、その平穏な朝の業務は、不意の凶報によって打ち破られた。
「所長! 大変です!」
血相を変えたマルタが、手に数枚の書状を握りしめて所長室へ飛び込んできた。
「どうしました、マルタ」
「近隣都市にある『主要共同倉庫』の管理組合から、突然の契約解除通知が届きました! 現在預けてある冬用案件の木材と食料を、三日以内にすべて引き払えと……!」
「契約解除? 期日前のはずですが、なぜ急に」
「理由については、『王都の商業ギルドとの取引を維持するため、今後は囚人が関わった製品の保管を一切拒否する』と明記されています!」
クラウディアとアルヴィンの視線が交差した。
アルヴィンが鋭く舌打ちをする。
「……王都の法廷で『直接送金の保護』を勝ち取られ、合法的な中抜き口座を封じられたベルナール一派の腹いせか。口座で金を抜けなくなったから、今度は物理的な物流と経済の首を絞めに来たというわけだな」
「おそらく、王都の資本にものを言わせて、あの倉庫の権利を先買いしたのでしょう」
冬の増産体制に入り、大量の資材と製品を抱えているノルデンにとって、大型の保管倉庫は心臓部にも等しい。そこを封鎖されれば、出荷は滞り、被害者へ約束した次回の賠償金も作れなくなる。
ベルナールは、まだ諦めていなかった。
王都での決戦を終えても、返すための制度を守り抜く戦いは、現場で再び激しさを増そうとしていた。




